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新しい空気を感じて


 ◆


 ヘルトが意識を取り戻したのは、丸一日経った次の日の昼刻だった。

 まだ身体が動かせない、との理由によりドッタで二日滞在。その後、アストラータ王都へむけ馬車を走らせた。


 ヘルトの容態は良いとはいえないだろう。全く身動きが取れないことはないが自由とも言い難い。両腕は完全に折れていなかったこともあり、それほど身体に支障をきたすものではないのだが、問題は左肩の傷にある。鎖骨の損傷も踏まえ左腕を使用するにはもう暫くの刻が必要だろう。


 現在地は、目的の王都まで後一日ほどあれば辿り着ける街『ラムラ』である。ここまで来たら王都は目の前、とも言えるのだが……


 それほど大きな街ではないのに人が溢れかえっている。宿の空室を見つけるのも精一杯なほどに。普段のラムラから考えれば、何か祭りごとでも控えているかのようだ。


 何度かこのラムラへ足を運んだことのあるヘルトは、飲まれそうな人込みが気になったのだろう。やっと見つけた宿屋の主人へ問う。


「ねえ、おじさん。今日はやけに人が多くないか? なんかあるのかな?」


 問われた宿屋の主人は「そんなことも知らないのか」という様子で答えた。


「あんたらも、王子様の結婚式のためにここまできたんじゃないのかい?」

「――結婚式?」

「そうだよ。アストラータのフィンネル王子様とフィアーバの第三王女様……とか言ってたかな? なんだか急だけど、十二日後に挙式らしいよ。つい先日婚約したばかりなのにねえ」


 ヘルトはフィアーバの第三王女と聞いて、すかさず聞き返す。


「え……第三王女って……スノウ王女様のこと?」

「ああ、そうそうスノウ王女様って言ってたね。みんなそれを一目見たくて、ここで待機しているんだよ。ほら、王都だと宿賃高いし宿に泊まれないほど人が集まるだろうから――」


 この先の言葉はヘルトの耳に届いてはいない。

 ただ呆然と、その場を離れ寝室へ向かう。セイラは主人へ一礼し、そんなヘルトの後を追うようにしてモモと寝室へ向かった。


 ……スノウが結婚っていったい。

 話し合うためだけに王都へ行ったんじゃないのか?

 なにが、どうなっているんだよ――


 こう思うヘルトの視線は一点を見つめたまま。

 何かを見てる、ということではなく眼で物を見ていない状態だった。

 

 それでも見事初勝利を収め、ヘルトはわずかな自信を手にして変わったのだと思うセイラは――淀んだ空気の中、口を開く。


「ヘルト様。わたくしには理由など分かりませんが……こうなってしまった、と考えるべきでしょう」


 背中越しに聞いていたヘルトが、気づいたように振り向き言う。


「……それは、なぜそう思うのかな?」

「ガーゼルから旅立たれたときのスノウ王女様が言っていたことは、覚えてますでしょうか?」

「もちろん覚えてるさ。はっきりとね」


 忘れるわけがない。(しがらみ)として自分を縛り付けるかのように、後悔してきたのだから。

 そしてセイラはヘルトの柵を取り払うべく、ゆっくりと説明する。


「スノウ王女様は、ヘルト様をお国のために利用しようとしたのですから、それは同盟破棄を阻止するためではないかと思われます。つまりは――」


 セイラがヘルトへ伝えたいこととは。

 同盟破棄を阻止し、フィアーバを救うためにヘルトを利用しようとしたのならば、今回の婚約は不本意ではないかと。平和的解決方法は、これしかないと思ってスノウは婚約したのだと言いたいのだ。


 それゆえに事細かに説明し、これをヘルトへ理解させた。

 セイラはヘルトが知り、理解した上で決意させる必要があったのだと、説明の最後に問う。


「……このままで宜しいのですか?」

「いや、良くない。このままじゃダメだね……何とかしないと。けど、どうしたらいいんだろうな」


 ここでセイラは関心を払う。

 つい一ヶ月ほど前までのヘルトなら「オレは無能だから」などと言っただろう、と。戦闘能力も去ることながら、精神的な成長を遂げようとしていることが嬉しく思えた。自分が思い、漏らしてほしい言葉をご主人様から聞けたのだ。待女として、そんな嬉しいことは他にないだろう。


 セイラから歓喜の笑みが音も無くこぼれ落ち、告げる。


「わたくしからこんなことを言うのは生意気かと思いますが、スノウ王女様があなた様を利用しようとしたのなら、させてあげれば宜しいのでは?」

「あ、それだ! 何に利用されるのかは分からないけど、いい方法かも?」

「ヘルト様のビフォアを利用するつもりだったかと思います。つまりは戦闘は避けられない可能性も、御座いますので」


 ヘルトは自分のビフォアへ、さしたる自信はないがセイラの言う事が最もだと思った。少なからず自分のビフォアは戦闘に特化したもの。そう考えれば、使用し見せる必要があるのだから、ただスノウへ付き添うだけで済むはずもない。


 だからこそ、セイラはヘルトの更なる努力を求める。分かり易く判然と。


「はっきりと言わせていただきます。今のヘルト様ではスノウ王女様のお力にはなれないでしょう」

「この傷のことかな? それともオレの実力のせい?」

「失礼ながらどちらも、で御座います」


 いまのヘルトなら聞き入れてくれると確信していたからこその、要求。


「セ、セイラさん相変わらず厳しいこと言うなあ」

「大丈夫です。まだ”十日以上も”、御座いますので」


 セイラは「まだ十日以上も」と。

 まず、婚儀が行われるまでは今までとなにも変わらないと予想。スノウへ危険が迫っているのは、ヘルトとセイラが知るところではないのだから、この考えに至るのが自然だろう。


 次に、その間に身体を癒す。あとの残り期間を使用しヘルトの強化までをもセイラは考慮していた。

 

 ヘルトが身体を癒す時間と新しい戦闘技術を覚えさせるには十分(じゅうぶん)ではないが、きっと使いこなせるようになると信じて。たったひと時でも、魅了されてしまったあの時の回避能力さえ引き出せたら……そして。


「ハードそうだね……はあ、お手柔らかに頼みます」


 大きなため息をつき、けだるそうに言うヘルトの心中は、まがいなりにもやる気に満ち溢れていた。淀んだ空気など微塵も感じない、新しい空気が流れる。


 ……それでこそ、わたくしの敬愛するご主人様で御座います。


 こう思いながら、セイラはにこやかに深く頭を下げた。


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