戦乱の予兆
――アストラータ王都。
王国内で最も大きな都市で、その人口は約三〇万以上と言われている。
二番目とされるガーゼルの人口は約一〇万だが、都市の大きさは然程変わらず住人が三倍以上と考えると、その人口密度は高いといえよう。
アストラータ王都は領土の最南端へ位置する。
王国の真ん中に北から南へと縦の線を引き、その一番南がアストラータ王都となる。王都から南は広大な海だ。
海へ流れ出る一本の川を逆行して数キロメートル上ってゆくと、王都中心部まで辿り着く。そこで川は行き止まり、外周一〇キロメートルほどの湖が存在するのだが、その湖へ浮かぶように建っているのはアストラータ城。
湖の入り口から城壁までの距離は約二キロメートル。橋を渡る、船などを用いる、泳ぐ、この三点が城壁まで辿り着く手段かと思われる。城には灯台のような監視塔があり、許可なしで『船』や『泳ぐ』は困難と言わざるを得ない。
――――――
――アストラータ城、地下牢獄。
腹部の大きく膨れ上がった中年男性へ付き添うように兵士が二人。
炬火台の灯りを惜しんでいるのか、地下通路内は薄暗くじめっとした湿気が漂う。時折耳を打つ雨漏れのような音は、この場が湖に面しているからだろうが、一粒の雫を気に掛けるほどに静寂している。
そんな雫の音に紛れ、こつりこつりとまるでこの牢獄内に三名しか存在していないように響き渡る足音。牢の数は少なくない。最低でも五〇はあるだろう。
通路を挟み、左右に並ぶ牢内には数多くの罪人の姿が見えるが、誰一人として言葉を発する者はいない。この地下牢へ監禁される者、そのすべてが死刑囚。つまりは夢も希望も失った者たちであり、只々死を待つだけの存在なのだ。
肩で風を切るように歩く中年男性はアストラータの貴族である。
その名を『ヴォルツ・ドゥ・アルバン』と言う。
アストラータ王国から北にあるティカの領主で、今まで数々の事件を蔭で操っていた主犯者のひとり。髪型はオカッパのようだが、これはアストラータ貴族の基本らしい。ハルバトーレのような平民上がりの貴族は別だが、アストラータ貴族は拘っているのかオカッパ貴族が多くを占める。
見るからに強欲そうな面構えに加え、贅沢三昧をしているであろう突き出た腹部と出で立ち。そんなヴォルツは、アストラータ貴族ではよく見かける珍しくない人物だといえよう。髪型もそうだが、似たような貴族ばかりなのである。
ヴォルツに付き添っている二人は牢の監視兵が一人で、もう一人は見たことのある人物のようだ。
――やがて通路の歩みは止まり、ヴォルツが牢内の罪人へ声をかける。
「……思ったよりも元気にやっているようだな、エルザ」
ジャラリ、と拘束具の音が聞こえる。
「ふん。ヴォルツ伯爵様かい……アタシもそろそろ”用無し”ってことかねえ」
エルザが言う『用無し』の真意は『処刑の迎えがきた』という意味。
そもそも、処刑の迎え時くらいしか貴族が同行してこの地下牢獄へ赴くことはないのだから、エルザは死を察した。
すると、ヴォルツの背後から付き添っていた男性の一人が、エルザの前へ姿を現す。
「久しぶりであるな、エルザ」
「――カーランド、か。アンタ生きてたのかい」
ヴォルツへ付き添っていた男はチョビ髭の中年カーランドである。
「……で? アタシの死ぬところを見にきたってのかい?」
「私にそのような趣味はないのだよ。君と一緒にしないでくれたまえ」
「ふん! 今から死ぬんだ同じことさあね」
エルザは顔を逸らすことなく、カーランドを凝視して言った。
死を怖れない、そんな様子がありありと伺える。
そして、ヴォルツはニヤリと笑みを見せ言う。
「クックック……エルザ、きさまは今日死んでもらう。――だが、まだ足りない」
「貴族様ってのは死んでもまだ欲しいものがあるのかい? 強欲もそこまでくると怒りしか感じないさあね」
「エ、エルザ。ヴォルツ様に向かって――」
エルザの口調が気になったカーランドが指摘しようとした時、再びエルザの刺々しい一言。
「アタシは今から死ぬさあね! そんなこと気にしても意味があると思っているのかい!」
拘束されたエルザでも、その怖ろしさを知るカーランドの口元は震え声をだせないようだ。
そんな状況など気にせず、口を開くヴォルツは。
「バリュムが死んだ。あろうことか無能者に殺られたらしいぞ?」
これを聞いたエルザの表情が豹変。
「あんっ!? 無能ってヘルトかい!?」
「そんなゴミクズのような輩の名など知るか。そのゴミクズに殺られたバリュムはゴミ以下だがな」
山道の戦闘を監視していた者が、いち早く書状でヴォルツへ伝えた。
これは、フィアーバ貴族からの連絡によりバリュムの動向を知っていたからである。フィアーバ王国の王女であるスノウを殺害する行為事態を重要視しているのではなく、大きな揉め事がアストラータであった場合に、いろいろと面倒なこととなる局面を考慮して監視させた。
ティカを拠点としていた黒の双頭。
この傭兵団が好き放題できたのは、領主であるヴォルツのお蔭だといえよう。
それゆえに、エルザ、カーランド、バリュムなら顔見知りということになる。
ヴォルツはエルザへこれまでの経緯を説明した後。
「エルザ、きさまには死んでもらってから、仕事をしてもらう。分かるな?」
エルザは不敵に笑った。
「……王子の魂ねえ。アタシ、考えただけでイっちまいそうさあね」
「それは良かった。きさまにしか出来ない、と思っていたぞ」
牢獄の柵は開かれ、エルザは連れて行かれる。
エルザは処刑された、という偽りの処刑へ。
狙いはアストラータ王国、第二王子の魂。そしてカーランドの任務はスノウの命を奪うことである。
実のところカーランドはヴォルツに救われた身であり、もともとヴォルツの部下だ。絶対服従という意味では扱い易い存在なのだろう。
しかし、なぜこのような状況となったのか……
王都へ辿り着いたスノウの謁見と王の決断が、アストラータ貴族にとって不快なものだったからだ。それは第二王子とスノウの婚約であり、アストラータ貴族にとってあってはならないことだった。
只々、フィアーバ王国の領土を欲するがゆえに。
アストラータ貴族の次の手、今度は自国の王子とスノウの暗殺を企てた。
もし、この暗殺が成功すればアストラータ王国とフィアーバ王国の同盟破棄を待たずして、戦乱の火ぶたが落とされるだろう。
アストラータ貴族としては「もう、手段を選んではいられない」と。
その狙いは王子の死、王女の死を以て、互いの国が争わなければならない状況下へ置くことにある。
現在、スノウ一行はアストラータ城、アドリエンヌ一行は王都へ到着。
そして、ヘルト一行は――――
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