出逢い
「助ける? ……なぜアナタを助ける必要があるのかしら?」
少女は眉ひとつ動かさず、疑問を抱いたように首を傾げた。
「ち、違うのか?」
「いいえ、そうね。アナタがそう思っているのなら、きっと助けてる……、のだと思う」
少女は、何か含みのある言い方をしたが、今のヘルトに気付いた様子はなく、こう思う。
助かりはしたけど、この状況どうしたらいいんだ? あの妙な術を解いたら、きっと追ってくるだろうし……とはいえ、自分ばかりこの場を逃げ去るのは出来ないよな。
そんなヘルトの脳裏を掻き消すように口髭の近衛兵が言う。
「娘ェ! このわけの分からぬ術を、さっさと解かぬかっ! このまま続けたらキサマも――」
近衛兵の言葉を聞き入れることもなく、少女の右手のひらが下がり手の甲が見えた瞬間。
「――ヘブッ!?」
近衛兵たち五人は一斉に地へ倒れ込み、地面を舐めるようにしてうつ伏せとなった。
まるで飼い犬に「お座り」と言っているかのようだ。
「……キサマもヘブッ。それ何語かしら? 謎だわ」
こう言った少女に表情は無い。
そもそも、常に無表情すぎて感情があるのかも疑ってしまいそうだ。
ヘルトは突然うつ伏せ状態となった近衛兵に驚いてはいるが、ハッと気づき口を開く。
「えっと、その……オレはどうすれば?」
少女が何らかの術を使い、近衛兵たちの動きを止めてくれている。
ヘルトはそれを承知の上で、今後を聞いた。
そんなヘルトの問いに平然と少女は答える。
「そんなの決まっているわ、この人たちはアナタを殺す気だったのよ。当然、死は覚悟してる」
これを聞いた近衛兵たちの形相が、瞬く間に変貌。
「「「「「――ひ、ひぃいッ!?」」」」」
恐れ戦く近衛兵たちの悲鳴。
「……ひぃい。まるで馬のような声を上げるのね。『ウフフ』と、笑うひとより謎だわ」
どちらかと言えばこの少女のほうが謎だ、と思うヘルト。
顔色ひとつ変えず『死』の宣告をする姿は、普通とは思えない。
それでもヘルトは助けてもらっているのだから、このままというわけにも行かず。
「待て、待て! 何も命を奪う必要は無いだろう?」
「……そうかしら? いま命を奪わなければ、きっとまた襲ってくる、と思うのだけれど」
少女の言い分は正しいだろう。
だが、ヘルトは無闇な殺生を避けたいのだ。
「オレはいいんだ、それでも。あ、君には迷惑かもしれないけど……すまない」
ふたりの会話を聞く近衛兵たちの表情がホッとした様子を見せ、ヘルトに己の命を託すかのように言う。
「へ、ヘルト……私たちに捕まるのだ。そうすれば死罪だけは許してやる。そう約束しよう!」
この”しがない”近衛兵にそんな権力は無いだろう。それは、国の情勢に興味もないヘルトでも分かった。
「それには従えんな、チョビ髭のおっさん。オレが無罪を主張しても、どうせ結末は決まっているのだろう?」
「チョビ……だとッ! それに私はまだ三七、だ!」
ヘルトと少女は「ふーん」と思ったが、おっさんの言った事を無かったことにした。
――そこはかとなく心が暖まる。
少女は一度ため息をつき、ヘルトへ言う。
「ヘルト……と言ったかしら? アナタも謎だわ。まあいいわ、それならこの杖を貸してあげる。運が良ければ気絶程度で済むわよ」
少女は左手にもつ柏の木で作られた、身長ほどの杖を差し出す。
再び馬のような悲鳴を上げる近衛兵たち。
「すまんな。なるべく怪我しないように優しく殴ってやるからさ」
ヘルトはニヤリと笑った。
「ちょ、待て! いや、待って下さい!」
ヘルトは振りかぶり、一人ずつ頭を強打。
ひとり、またひとり……叫びと共に鈍い音が響き渡る。
……そして最後のひとりは、あの”チョビ髭”だ。
「もういいであろう! 私だけでは、おまえを追うことすら出来んのだ……と、言うか追いかけません。許して下さい! ね?」
自分ひとりだけ逃れようとする口髭の近衛兵は、必死。
最後の「ね?」には哀愁を帯びていた。
思いのほか痛そうに気絶する仲間を見て恐れをなしたのだろう。
「なんかコレ、オレが悪人みたいなんだが。そんなに痛くは無いはず……これ、木だし?」
こう言ったヘルトは、試しに自分の頭部を軽めに一打。ボコる。
――――ッ!?
残念、結構な具合で痛かった。
だが、痛みを堪えて言う、潤んだ眼で。
「だ、大丈夫だって! ちょ………………ッとばかし激痛がほとばしるだけだから、な?」
激痛ほとばしっちゃった、と思うおっさん……元いチョビ髭の旦那。もう何と呼んでも良いだろう。
ヘルトは振りかぶり、彼の頭を強打し……ようとした刹那、少女がこれを止め入る。
「……ダメ」
「ん? この髭も気絶させないと、だろう?」
ヘルトは、もう口髭の近衛兵への呼び方が人間ですら無くなっている事に気づいてはいない。
「それはいい。けれど、ワタシの杖にその腹ただしい髭がついたらどう責任とってくれるのかしら? できれば彼だけ他の物を使って欲しいのだけれど」
――酷い。
と、ヘルトとおっさんの脳裏に戦慄が走った。
結果、奇妙な雄叫びを上げる口髭の近衛兵は、そこらの適当な棒切れで気絶する事となる。しかし、適当な棒切れなゆえ十数回にも及ぶポコポコとした打撃だったことは言うまでもない。
ヘルトは頭部が禍々しく凸凹した近衛兵を見つめ、清々しく額の汗を拭きとった。
そのヘルトに向け、少女は言う。
「……実のところ、殴って気絶させる必要も無かったのだけれど、面白そうだから言ってみた。……うん、面白い」
面白い、と言う少女に笑みなど無い。
「あ……何かで拘束すれば殴る必要も無かったな。ま、いっか」
少女はコクリと無言、無表情、で頷く。
ふたりは気絶した近衛兵の安否など気にせず、この場を去った。
◆
――その後。
ふたりは物陰に隠れるようにして足早に街を出た。
街から現在地の街はずれにたどり着くまで、半刻といったところか。
目立たぬよう岩陰に隠れ、たき火をする。
パチリ、パチリと飛び交う火の粉の中、最初に口を開いたのはヘルトであった。
「さっきは助けてくれてありがとう。その――」
「……御礼なら何度も聞いているわ。それとワタシの名はスノウ」
少女の名はスノウ。
雪のように白い肌、吸い寄せられるような深緑の瞳、黒髪のセミロング……
年齢は、ヘルトと同じくらいであろうか。
その衣服から魔術師のように思える。
「スノウ、ね。あの、こんな事に巻き込んですまなかった」
これに対し、スノウは無言で頷いた。
「スノウ、じつは聞きたいことがあるんだ。さっきの……近衛兵に使ったあれは? 魔術、なのかな?」
「魔術、とは違うわ。ワタシが使ったのはグリム……と、言ってもアナタの頭では理解できないわね。これはワタシのビフォアなのだから」
「そうか……無能者だもんな、オレ」
「そうではないわ。アナタが何者でもワタシのビフォアは理解できない、と言っているの」
それはこの世界で主流となっている剣と魔法では無いことを指す。
鏡の力……こんな事を言って分かるはずもない。
呪われた記憶なのだから……
そう思うスノウは、これ以上自分のビフォアを口にすることは無かった。
「世の中には剣技や魔術以外にも、いろいろなビフォアがあるんだな」
「そういう事になるわ。それに、アナタのビフォアも……」
「……オレ?」
スノウは、出会ったときのように何かを含む言い方をする。
ヘルトは、その言葉の真意を履き違える事しか出来なかった。
「ははは……オレは知っての通り無能者なんだ。記憶がないんだよ、全くね」
「まあいいわ。そのうち分かるでしょうから」
結局、この二人の会話は互いに濁りを残したまま、明朝を迎える。