バリュムの策とヘルトの策
統率のとれた戦闘。これに関してはフィアーバ側が有利を言えよう。
しかし、人数と状況が劣勢すぎる。それゆえにフィアーバ兵からの悲痛な叫びが目立つのは、この戦闘が開始された時点で分かり切っていたこと。
二人の王女を、ぐるりと囲う兵士たちの小さな狭い壁。その壁をさらに覆う大きな広い壁がじわりじわりと範囲を縮めてゆく。王女を中心とし、逃げ場のない黒い壁。小さな壁を少しづつ破壊しながら迫ってくる。まるで四方の壁に囲まれた地下迷路の罠に嵌ってしまったように。
「まずいな、こりゃあ。こう完全に囲まれたら手出しができねえぜ……」
こう言ったオレハの剛技は強大な力を持つ。この劣勢状態を優勢へ変えることができるかもしれないが、まず一方向へしか使えないことに不安を感じている。数名倒した程度では、状況を変えることとはならないからだ。
そして、金剛力を常に発動していなければ、巨大な剣を振るうことができない。金剛力に時間制限などはないが、このビフォアには他に制限がある。それは魔力量などに近しいもので使用量が決まっており、言わばそれがこのビフォアの短所。
例えば、百の容量が満だとしよう。一度剣を振るう毎に一消費される。
この計算式へあてはめると剣を百まで振るうことを可能とする。
容量は毎分一回復すると仮定するならば、上手く使用すれば長時間の戦闘も可能だろう。しかし剛技に関しては別である。
剛技は約半分、又は半分以上の使用量を必要とする。
簡潔に言えば、容量が満であっても数分間で二度使用することができない。その待機時間で、一度でも剣を振るえば更に時間は延長されよう。
ヘルトと戦った時もそうだが、まだ使用できなかったから攻撃方法を変えてきた、となる。許容範囲を超えることは出来ず、もし範囲を超えて剛技を使用すれば以前のオルマムのような状態に……全身の骨は砕かれ、歩くことすら儘ならないだろう。ならば、ただ剣を振るうだけなら――と思うかもしれないが、己の体重の数倍もある巨大な剣を筋力鍛錬だけで誰が扱えようか。
従って、オレハはその好機を待つ。剛技で逃げ道をつくり上げることがやっとかもしれないが、現在の状況からいえばそれもまた好機。
「はははっ! ヘルト残念だったな、おまえらに逃げ道はない。前も後ろも、横も全て包囲した」
バリュムは大空へ向かい高らかに笑った。
だが……ヘルトの表情に焦りの影はないようだ。
「ん? どうしたヘルト。戦わずして諦めたのか? まあ、戦おうが諦めようが全員殺るがな」
「やられないさ。おまえなんかに……」
「は? おまえ、俺の技を知って言ってるのか? おまえごときの回避能力じゃあ、無理だ」
バリュムはヘルトに回避させない自信があるようだ。
その自信は、バリュムのビフォアからくるものなのだが……
「知っているさ。確かに難しいだろうな。けどさ、不可能ではない」
「はははっ! ヘルトよう、おまえ随分と強気な発言をするようになったじゃないかっ!」
「まあね、それなりに頑張ったしな。オレはおまえを倒せなくても、おまえはオレを倒せないさ」
ヘルトは逃げ切ってやる、と言った。
それが簡単なことではないと承知の上で。
こう、二人の会話が淡々と続いているのも、バリュムが部下へ告げていることがあるから。それは「ヘルトは俺がやる」だ。これもバリュムの戦略の一つであり、無駄に攻撃して回避され続けるのならば、最も有効的なビフォアを持つ自分だけ戦ったほうが良いと思った。バリュムらしい「無駄な労力を極力避ける」考えといえよう。
「少し話が過ぎたようだな。俺は無駄な時間が嫌い、だ」
「ああ。話はこの辺で十分さ。その”無駄”な時間さえあればね――」
こう口にしたヘルトの後方、約三〇歩。
それは、この包囲網の中心部でありオレハがいる場所。
兵士たちへ護られながら、弓なりに身体を反らせている人物が――
――剛技 、断罪。
前方のヘルトたちへ迫りくる剣戟の刃。
剛技を放ったオレハの狙いは、土砂である。
「な、なんだあの女!? 技持ちか!」
「まあ、騎士だからな。中れば無事じゃすまないぞ?」
「ヘルト! そりゃ、おまえも同じことだろう!」
オレハの断罪が放たれた時点で、ヘルトとバリュムには回避するしか方法がないのだ。それゆえに避ける、というより大きく横に飛ぶ。ヘルトは右へ、バリュムは左へと。
オレハはわざとヘルトやバリュムへむけ放ったのは、山道から暫く離れてもらうため。それはつまり逃げ道をつくった、ということだ。
ヘルトが会話していたのは時間をつくるためではあるが、警戒心の高いバリュムの気を紛らわせたかったのが目的。オレハの断罪はあまりに時間を要し目立つ。一度、断罪を目にしていることから”使える”と思った。
二人の王女を乗せた馬車は、断罪により土砂が開けた山道を一気に駆け抜け――追う、というより追えないが正しい。黒の双頭は誰一人として馬に乗っているものなどいないのだから。
「ヘルト……やってくれたなあ……――!」
完璧主義であるバリュムの心中は穏やかではないだろう。
馬車に乗って逃亡を成功させたのは、オレハ、セイラ、モモ、アドリエンヌ、コリンヌの、計五名。
「バリュム、言い返してやるよ。”残念”だったな、もう間に合わない」
バリュムは冷静を保ちながらも、ヘルトへの怒りだけは隠しきれないようだ。
――そして、無事逃げ切った馬車では。
「しかし、すっげえな。ハーフエルフと猫牙ってのは!」
「わたくしが凄い、では御座いません。全ては主であるヘルト様のご指示ですので」
「ァ――へるとぅ!」
「ヘルトさんなのですね。あの状況から救っていただけたのは……」
「ふん。なかなかよろしくってよ。小虫の癖に」
初めに危険を察知したのは、セイラとモモである。モモは獣人としての鋭い感覚からだがセイラは風で察知した、といえばよいだろうか。
エルフの血をひく者は、風の精霊たちの声が聞ける……いや、聞けるというより感じると言ったほうがよいだろう。危険なら淀んだ風を以て、精霊がエルフへ伝えてくれる。精霊の姿は見えないが、セイラはその精霊が伝えた流れる風により感じ取ったということ。
――全ては風の精霊の導きに従う。
目に見えぬ精霊など存在するのだろうか。もしハルバトーレのような人物なら「獣人に近しい感覚をもっているだけ」などと答えるかもしれない。しかし、エルフの血をひく者たちは精霊をいうもの信じ、人間でいうところの神として崇めているのだ。エルフは風と共にある種族だと、揺るぎない信念を持つ。
それをモモの警戒する仕草から危険だと確信し、あらかじめヘルトへ伝えたのである。
ヘルトの指示はこうだった。
――セイラさんは、万が一のためにモモと王女様の馬車へ移動してほしい。
小さな円陣でもいいから、兵士たちと共に王女様二人とオレハを守ってくれないかな?
それで、オレが前方で時間を稼ぐからオレハに伝えて欲しいことがあるんけど。
この話の続きは「オレを目がけて技を放て」と「終わったら全力で馬車を走らせろ」の二点。同じ馬車へ乗ったのは、モモに戦闘は行えず、セイラはもしもの時の保険である。
そして、最後にひとつ。
オレは大丈夫だから……モモと王女様のことは頼むね、セイラさん。
あと――これは命令だからね。
絶対に王女様たちと一緒に逃げてくれ。
と、ヘルトはセイラへ”命令”をした。
ヘルトから命令されたことは初めてだったセイラ。命令とはいえ主を戦場へ残し、自分だけ逃げるのは正しいのだろうか……セイラの心は、逃げ切った安心感を得た自分へ嫌気がさし、後悔しか残ってはいない。




