セイラの闇
◆
――翌日、同盟破棄まで残り一九日。
ヘルト、セイラ、モモは、アドリエンヌたちと共にアストラータ王都へ向かう。
分かってはいたが、アドリエンヌが乗る高級なキャリッジへ乗せてもらえるはずもなく、三人が乗っているのは――いや、任されたというべきか、食糧などの物資が積まれた幌馬車。荷台へモモ、御者台へはヘルトとセイラ。モモが荷台へいるのは朝が弱く、未だ眠っているから。
本日のヘルトは気分が大変良い
それは、やっと王都へ行けるからとも言えるが、それ以外にも理由があった。
なにやら楽し気な笑顔を見せ続ける。そんなヘルトが気になったのか、セイラが声をかけた。
「ヘルト様、今日はご機嫌が良さそうですね」
「あ、うん。分かった? 朝から良いことがあったんだよね」
「良いこと? ですか」
セイラは朝から今まで一度も離れることなく付き従っていた。
とくにヘルトの機嫌の良くなるような出来事はおこらなかったはずだ。そう思うセイラはヘルトの考えていることを察することができない様子。
「へへっ。じつはねえ――」
こう言って、ヘルトは語り始めた。
どうやら、話したくて仕方がないらしい。
セイラは「ご主人様が聞いてほしいのなら」と、耳を傾ける。
まさに待女の鏡、だ。
話は小説の閑話にも使えないような、しがない内容だった。
朝、領主邸を出るときに”ある”人物を見かけたからなのだと。
セイラはここで考える。結構真剣に。
……朝――といえば……
フィアーバの国の方々を抜けば領主様とその息子夫婦くらいだったかと。
セイラの知る範囲では、ヘルトの機嫌が良くなることは無かった。
ひとつだけ気に留めるとしたら……
「やあ、ヘルト君。先日は世話になったね」
「いえ。報酬も、多めにもらえましたし。こちらが御礼を言いたいくらいです」
この一言二言の会話だけ。
そこからヘルトの様子が明るくなったのだが、ただ報酬が多かったというだけなら今楽し気になる必要はないと思った。
そして再びセイラは考える。目一杯真剣に。
……おそらくはアレ。
けれども、なぜ、なにゆえに、ご機嫌が……
ああ、ヘルト様が楽し気だというのに、それを分かってあげられないなんて。
待女失格だわ――
と、セイラは深く悩み始めた。
それを見てしまったヘルトは、セイラの身の危険を感じ。
「ど、どうしたの? セイラさん」
「せっかくヘルト様のご機嫌が良いというのに、それを理解できないわたくしが、嫌になりまし――」
ヘルトは「またか」と思い。
「いやいや、たいしたことじゃないからさ!」
「ですが……」
「いいんだって! あ、それよりもセイラさんは今何歳なの?」
突然女性へ年齢を聞いてしまう。
今はとにかく、話題を変えたかっただけだった。
しかし、これがエルフの血が流れる者へ言ってはならない禁句だと知らずに。
……そして『年齢』と聞かれたセイラの表情が急に陰りを帯びた。
「わたくしの年齢ですか……一八、で御座います」
ヘルトは手綱を操り前を向いていることもあり、セイラの様子に気付いてはいない。
「一八歳なんだね」
唐突な質問ではあったが、セイラの年齢は一八歳。と、いうのは見た目の問題で、本当は一八〇歳以上である。エルフ、及びハーフエルフは人間の十倍は生きる。純粋なエルフより、少し寿命が短いハーフエルフの歳の数え方は十年に一度歳を重ねる、というエルフ族、及びハーフエルフ族の仕来り。それゆえに現在は一八歳と数える。
セイラが一八〇歳以上である、と人間なら誰もが考えてしまう。ヘルトも、それを知っているのだが。
「ヘルト様と同じ人間でしたら、一八三歳となります」
セイラは”敢えて”一八三歳と告げた。
寿命の短い人間は、長寿であるエルフやハーフエルフを妬む。これは仕方のないことなのだ。その昔「エルフの心臓を喰らえば長寿を手にすることができる」とまで言われ、エルフ狩りが行われたほど。
この世界において、エルフやハーフエルフが一度は絶滅の危機に瀕したのも、全て人間の所業。
セイラも、そんな人間たちを少なからず恨む。
自身の両親が、エルフ狩りにより意味も無く命を奪われた。エルフ狩りが無くなったのは約一五〇年前のことであり、セイラは幼くして両親を亡くしたことになる。
人間は同じ過ちを何度も繰り返す者たち。
きっと、また欲に駆られ大きな悪行をするに違いない。
人間とは同族で争う醜い種族。
他人を傷つけるために強さを求めるのだから……
言いたいことは、まだまだ、ある――――
そう思い、現在に至るまで考えを変えることなくセイラは必死に生きてきた。
だからこそ、セイラは真の年齢をヘルトへ告げたのだ。
妬みでもいい、長寿であることを人間が羨ましいと思うだけで、今まで必死に生きてきた人生に価値観を感じるから。無意味ではなかった、そんな他人の言葉を聞き初めて誇れる感情。
ヘルトは主だから、などセイラにとっては意味を成さない。
どれだけ信頼していても心の隅では「ヘルトは人間」「きっと妬むだろう」「どうせ飽きたら解雇されるだろう」と。
誰にでも闇はある、ということだ。
そして、セイラはヘルトの妬みを待つ。
必ずや言うであろう「羨み」の言葉を。
自分が今どんな表情でヘルトをみているのか、憎悪にも似た醜い顔をしているに違いない。
ヘルトの妬んだ言葉を聞いて、嫌われるほどの笑顔を浮かべるかもしれない。
だが、醜いのは人間の本性であり、嘲笑するのは当然。
それで待女を解雇されるなら、それまでの人物なのだ、と――
――しかし、ヘルトから発せられた言葉は。
「そっかあ。長く生きた分、良いこともあっただろうけど……苦しいことも沢山あったんだろうね。オレは長生きしたくない、かな?」
……――――!?
セイラは予想外の反応に言葉がでない。
「ほら、昔はエルフ狩りとかあったし? そんな記憶を残して生き続けるセイラさんってさ、心の強いひとだなあ……とか? オレには耐えられないよ。こうやってオレたち人間と共存するなんて並みの精神力じゃ無理だよね」
ヘルトの言った通りだった。
まるで心を読まれているかのように。
エルフの血を継ぐ者のほとんどは、森に小さな村を作って人知れず暮らす。これは人間を恐れてのことだが、狩りなどで全てを賄うことは難しい。それゆえに、公務員であるアイリや待女で自立するセイラのようなエルフもいるのだ。
生き抜くためにやっている、といえば良いのか
少なくとも、今までのセイラはそう思ってきた。
さらにヘルトは言う。
「オレはセイラさんの人生で、たった一握りの男かもしれない。
これから何百年と生きるセイラさんにとって、記憶にも残らない存在となるだろうけど……
楽しかった、と思ってもらえるように頑張ってみるよ。
もし、セイラさんの記憶に残ったらさ、良い印象のオレが生き続けるってことと変わらないよね?
そういう意味では、これからの人生が楽しみかなあ、てね」
ヘルトは照れて笑った。
少し口が過ぎたか、と思ったのだろう。
「…………――ます」
「え? なんか言った? セイラさん」
セイラの声は、走る馬車の音で消された。
その消された声とは……
……ヘルト様が老い、その天寿を全うするまで、
わたくしは付き従い、御守り致します――
その言葉は届かなくとも、セイラの心は満たされていた。
万に一つ出会える幸運。ヘルトの従者となったとき、感じた感情は偽りでは無かったのだと。従者でいることが心地よい、ただそれだけ。
満たされたセイラへ、ヘルトは言う。
「あー、そうそう。さっきの機嫌が良かった話なんだけどさ。オレが仕事でガーネットの花を届けた女性がいたんだけど、どうやら領主様の息子と結ばれたみたいなんだ。それが嬉しくって、つい顔が綻ぶんだよな……ははっ」
領主の息子――それはロイである。
サラへの配達が功を奏し、結婚していたのだ。アドリエンヌ一行は物資の調達もあったが、本来の目的は結婚祝いである。幸せそうな二人を思い出し、笑顔を絶やさなかったヘルト。そんな無垢なヘルトを思い、セイラにも笑みがこぼれた。
「ふふっ……ヘルト様。わたくしは従者として過ちを犯しそうで、御座います」
「へ? 過ちってなにかな?」
「それは、わたくしから言えるものでは御座いませんので」
ひとりの男性として心を許したセイラに、今言えることはここまでだった。




