追放
……またか。
酒場で他人の食事を見つめながら、ヘルトの心は憂鬱に乾く。
ヘルトも酒場で食事を取りながら、冒険の疲れをヌアマで洗い流すはずだった。
今、そのヌアマの味を語る必要はないだろう。
なぜならヘルトは食事どころか、喉を潤す事すら許されてはいないのだから。
同じ仕事を終えた仲間同士で食事をしている、というのに……
ヘルトは冒険者となってから三年、裏切られてばかりだった。
その数は指折りなどでは収まらない。
もう慣れてしまったと、ため息をつくのも今回で何度目だったか。
立ちすくむヘルトに視線を向け、盛大に哄笑する十数人の冒険者たち。テーブル席へ腰を据えてないのは、彼の座る椅子が用意されていないだけなのだ。
「へルト、何度も言わせるんじゃあないさあね。もうアンタは用済みだって言ってるのさ。さっさと消えておくれ」
口紅は真っ赤に染まり、化粧の香りを漂わせた女性冒険者は、しかと睨みつけながらハルトへ脱退を告げた。
傭兵団『黒の双頭』
二人いるリーダーの一人を務めるのが、このエルザという鎌使い。
「わかった……なら、今までの報酬を精算してくれないか?」
エルザが言いたいことはわかる。
それでも働いた分の金は欲しかった。
「はあ? 無能者に、どれだけの分け前があると思ってるんだい? アンタのお陰で赤字さあね、赤字。ほんと仲間なんかに入れなきゃ良かったさあね」
ヘルトが思った通りエルザは冷笑し目を背けた。
エルザとしても予定通りなのだろう。
「……そうか」
あれだけ大規模クエストを遂行して赤字となるわけがない、と思いながらもヘルトは反論しなかった。
「満足に食事をとれただけでも感謝してもらわないと……けれど、アタシは慈悲深いからねえ。 これをやるよ、アンタの大好物でしょ?」
こう言ったエルザは、テーブルに置かれた鶏肉の脚をむしり取り、ヘルトの足元へ放り投げた。
足元に投げ捨てられた鶏肉を見つめ、ヘルトは無言だ。
再び哄笑し、周囲はヘルトを蔑む。
「……世話になったな、エルザ」
ヘルトはこう一言洩らすと、酒場から背を向け力無く歩み始めた。
その背中越しにエルザは、ヘルトの今後を嘲笑いながら静かに言う。
「無能者なんて生きてる価値がないんだ。まあ……今回に限っては役に立ったけどねえ」
失望したヘルトの耳に、その言葉が届くことは無かった。
そして……深緑に輝く少女の瞳が、ヘルトの行く末を見つめていたことさえも気づかず……
◆
ヘルトが酒場を後にしてから半刻(約一時間)ほど経った。
――結局は、こうなるのか。
街の路地裏をぽつりと歩む。
これから何処へ行こうか、と思い只々脚を動かす。
夜空を見上げ星の輝きを見ても、何も感じる事は無い。
どこの誰でもヘルトに近づく時は善人だった。その者たちがどうしたらこうなるのか、と思うほどに変貌を遂げ毎度裏切られる。
それでも父ガーラムの教えは「人を疑うな」で、あった。
……トトさん。この世界で信じられる人なんか、トトさんとカカさん以外に誰がいるんだ。
ヘルトは村を出て三年間、蔑まれ続けた。
自身が記憶を失った無能者だと痛いほど分かる。それでも冒険者として普通に生きることもままならないのか、と。
ヘルトに魔法を使えるほどの魔力はない。
剣技も小さな野生動物を狩るくらいが限界だろう。
戦闘において、ヘルトには何もないのだ。
そんな戦力にもならないヘルトが生き延びている理由とは――
――【回避スキルが他の者より一線を画す】からである。
どの様な戦況においても、ヘルトだけは”ほぼ”無傷で生還してきた。これは回避する、というより相手の動きを予測できるというもの。
不思議にも分かってしまう。
そんな予知能力にも思えることをヘルトは可能とするのだが、腕力や魔力が乏しいゆえ傭兵としては使えないのだろう。
結局のところ「だから何なのだ」と鼻で笑われるだけ。
ヘルトが途方に暮れ、街の中心部まで歩みを進めた頃。
背後から迫る数人の兵士がヘルトを呼び止め、言う。
「おまえがヘルトだな。無能者の分際で、伯爵様の御命を奪うとは……罪は重いと知るがよい」
呼び止めたのは、この街に派遣された近衛兵のようだ。
「……伯爵? いったいなんの話だ?」
ヘルトを囲うようにして五人の近衛兵。
たいそうな口髭を生やした近衛兵は声を荒げて言う。
「ヘルシンド伯爵様に決まってるであろう! 黒の双頭から話は聞いておるぞ。もはや、おまえの死罪は逃れられんのだからな」
「なんのことだ? ヘルシンド伯爵なら今日の夕刻に護衛の任務を終えただろ……無事なはずだが?」
約一ヶ月もの刻を費やし、本日の夕刻に無事終えたはずのクエスト。
それは近衛兵のいうヘルシンド伯爵の護衛であった。
黒の双頭だったヘルトは、”元”団員とともに護衛の任務へついていた。
国にとって重要人物であるヘルシンド伯爵の護衛任務とは最重要クエストであり、その報酬は多大とされる。そんなこともあり、ヘルトは団員の追放時に報酬を要求したのだが……
「しらじらしい事を言いおって! おまえがヘルシンド伯爵様の御命を奪ったのであろう!」
口髭の近衛兵は怒号し、すらりと抜剣した。
それを合図に他四人の近衛兵も剣を抜く。
「ま、待て、そいつは誤解だ。オレは何もしちゃいないぞ?」
両手を前に出し、近衛兵を止めようとするヘルト。
近衛兵はヘルトへ恨みでもあるかのように判然と言い返す。
「黒の双頭エルザが、おまえがヘルシンド伯爵様を討ったと言ったんだ! だからこそ、おまえは団員を脱退したのであろう!」
――また、騙された……、のか。
ヘルトは口にせず、自身が罪を負わされた事に気づいた。
なぜ護衛した者の命を奪ったのかは分からない。
しかし、これだけは分かる。
自分はこの罪を負う為だけに、黒の双頭へ誘われたのだ、と。
だが、ここで死ぬわけにはいかない。
ヘルトには遠く及ばなくとも、思いを馳せているのだから。
――最悪、だ。
こう心中で思いながらも近衛兵の剣撃を、一振り、二振り、と避けるヘルト。
「き、きさまァ! ちょろちょろ、と鬱陶しい! この無能者がぁあ!」
「剣を納めてくれ。ひとの話も聞かずに、なぜ命まで奪おうとするんだ?」
まがいなりにも彼らは一国の兵士。
自由な冒険者などとは違い、柵に囚われた者たちなのだ。
なぜだ……、なぜオレの首を欲するんだ? 国を守護する近衛兵ともあろう者が、無暗に襲い掛かってくることなど今まで無かったんだが――
ヘルトは心中で模索する。
一振り浴びれば、己の死は確実とも思われる状況下で冷静に思考を巡らせる。
それほどにヘルトの回避能力は高いのだ。
そして、ヘルトはその答えを出す前に口髭の近衛兵から聞く事となる。
「に、逃げることだけは長けていると聞いておったが、まさかここまでとは、な。これじゃ割りに合わんではないか……」
――割り、だと? まさかこの近衛兵たちもグルなのか……!?
ここでヘルトは察する。
少なくとも、この三人の近衛兵たちは何らかの報酬を受け取っている、又は受け取る予定なのだと。
ヘルトが無能者であり、更には回避に優れていることを初見から知っていたのも考えてみれば、それを察することは容易だった。
この程度の剣技なら万が一にもくらうことはないだろう ――だが、このままというわけにもいかない。全く以て理不尽だな……どうしたものか。
振り下ろされる剣先を、回避することだけなら何時間でも出来よう。
しかし、相手に攻撃しても傷ひとつ負わせられるかと思い悩む。
それこそが、ヘルトの無能者たる所以なのだから。
――すると。
ヘルトが近衛兵たちの攻撃を十数回ほど回避したところか。
突然、近衛兵たちの動きがピタリと止まった。
「――なっ!? か、身体……、ガッ!」
ヘルトの場から、十数歩離れた位置で右手のひらを近衛兵へ向け佇む少女がひとり。
その少女は、深緑の瞳で近衛兵を見つめながら小さな声で言う。
「……アナタたち……近衛兵として恥ずかしくないの?」
「キ、サ、マァ……こいつに助力するという事の意味が分かっての所業か!」
近衛兵の荒げた声に対し、少女は静かに応えた。
「所業? アナタたちの行ないが所業でなければ、ワタシの行ないは善意だと思うのだけれど……?」
「まさか、君はオレを助けてくれるというの、か?」
ヘルトの人生で初めての経験だ。
それは”両親以外に人間に助けられる”という……仲間と助け合う冒険者にとっては、取るに足らないことだった。