領主邸にて
◆
――翌日、昼四ツ(巳ノ刻:一〇時)。
ヘルトの目覚めは悪い。
なぜなら……
未だスノウを追えず、ガーゼルに留まっているからである。
これは「待っている」と言えば良いのだろうか。
ハルバトーレは、先日既に王都へ向かった。
ガーゼルで待つ理由は『ガーゼルへスノウが立ち寄るのではないか』との、考えから。ハルバトーレは必ず東の国境を越えるであろうスノウを、できれば先回りして接触する予定だった。
これはハルバトーレが足の速い部下を国境へ向かわせ、スノウが国境越えをする前になんとかできたら……その部下がガーゼルへ戻って来るまで、知らせを待つ。いや、待っていた。
ハルバトーレ王都へ先に向かったのは、同盟破棄を阻止すべく王に直接会いに行くため。スノウが来る前になんとかできればと。
国境へ向かったハルバトーレの部下が、ガーゼルへ戻ってきたのは昨晩。
その結果は……
既にスノウは国境を越えた、である。
ヘルトが未だ王都へ向かわないのは、ハルバトーレの言った『ガーゼルに立ち寄る可能性』を考慮してだが、そろそろ立ち寄る可能性は低そうだ。時間が立ち過ぎている。
ガーゼルには立ち寄らず王都を目指した、と結論付けるべきだろう。
ならば今すぐにでも。そう焦る気持ちも分かるのだが……
「――ヘルトさん!」
別邸で、旅支度をするヘルトへ声をかけてきたのはハルバトーレ邸の庭師。
ヘルトのいる別邸にも、何度か庭の整理にきているのだが……
なにやら息を荒げているようだ。
「え? どうしたんですか? そんなに慌てて……あ、セイラさん水を」
「はい。ヘルト様」
庭師の男性はセイラから渡されたコップ一杯の水を「悪いね」と言って一気に飲み干す。一度呼吸を整えた後、庭師は言う。
「じつはね、今フィアーバの王女がここガーゼルへ来てる。先ほど見かけてね」
「――そうなんですか!?」
「それは間違いない、と思う。自分から”王女”って言ってたから」
「自分から?」
ヘルトは、何か可笑しいと思ってはみたが。
「今どこにいるか、分かりますか?」
これは確かめてみるべきだと。
「ああ、勿論さ。このガーゼルで王女が行くところなんて、領主様の屋敷くらいしかないからね」
「あ! そっか、あそこか」
このガーゼルに住んでいて領主を知らない人物はいないだろう。しかし、そういう意味合いでヘルトが納得したのではない。ただ仕事を依頼されたことがあるからだった。
従って、屋敷の場所などは聞かずして分かっている。それでもすれ違ってしまっては意味がない。ヘルトはモモをセイラへ任せ、一路その領主の屋敷へ急ぐ――
――――――
――ヘルトが領主の屋敷へ着いたのは昼を多少超えた時間。
予定通りと言ったところか。庭師が言っていたように確かにフィアーバの馬車が一台止まっており、馬車の周りには従者の姿も。
そして正門の前に兵士が二名、警戒を強め立っているのはフィアーバの兵士だ。ヘルトは監視するように眺めてから口を開く。
「あらら。簡単に会わせてもらえそうにないな……どうしようかな」
無遠慮に正門を見つめるヘルトの視線を感じとった兵士の一人が言う。
「おい、そこのおまえ、ここで何をしている」
「オレのことか?」
ヘルトは自分を指差し言った。
他にいるのフィアーバ兵士や従者ばかりなのだ。当然怪しまれれてしまう。
「おまえしか、いないだろう?」
「は、はあ……王女様が来てるって聞いたから――」
「邪魔だ、失せろっ! 冒険者などと王女様がお会いするわけもなかろう!」
結果は分かっていたが、兵士はヘルトを無作法に怒鳴りちらす。
冒険者とはそういうもの。一般の民は納税を納めているが冒険者は国のために何もしてはいない自由民なのだから、平民よりも厄介者として扱われるのは良くあることだ。自分の為にしか戦わない冒険者とは、兵士にとって最も嫌悪する存在なのだろう。
そんな兵士の怒鳴り声が聞こえたのか、屋敷の敷地内から聞こえる女性の声。
「どうかなされましたの?」
「コ、コリンヌ様」
声をかけてきたのはコリンヌのようだ。
「へ? コリンヌ……様って?」
スノウではないのか、そんな思いから出た言葉だった。
ただ呆然とコリンヌを見つめるヘルトへ再び兵士は――
「おまえ! 冒険者風情がフィアーバの第二王女様であるコリンヌ様を目の前にして、眼を合わせるなどっ!」
「眼? ダメなの?」
と、ヘルトは顔を背けるようにして視線を逸らす。
その態度で、更に兵士の怒りが露わとなってしまう。
「ぶ、無礼だぞ! 舐めているのか!」
「はい? なんで? 見ちゃダメっていったじゃん?」
「違う! 膝を折り、地に伏せろと言ったのだ!」
「あ、そうなんだ。それなら……」
ヘルトは大地へ腰を下ろした。
両手で脚を抱え込む、体育座りで。
「お、まえ……死にたいのか」
当然キレるだろう。ヘルトの圧倒的な態度に。
つぶらな眼でヘルトは言う。
「これもダメなの? 面倒くさいんだな、王女様って」
「ゆる、さんぞ、小僧――」
頭に血が上った兵士の右手が剣の柄を掴む。
そんな兵士を宥め入ったのはコリンヌだった。
「い、いけません! 剣を納めてくださいませ!」
「……コリンヌ、様」
ヘルトの態度を気にも留めなかったコリンヌ。
それどころか「なんだか面白いひとだな」とも思っていた。
「あなた、お名前は?」
「オレですか? ヘルトって言いますけど?」
「ヘルト……そう、あなたが……」
コリンヌは、ヘルトがここへ来た理由を聞きだす。
ヘルトの名を聞き、少なからず知っている様子をみせたコリンヌは、興味を示しているのか会話は続く。
コリンヌは主張がないだけで心の優しい女性であり、冒険者だからという隔てを付けない。アドリエンヌさえいなければ、普通に会話が出来るといえよう――とはいえアドリエンヌの威圧感に比べてみたら、誰とでも話せるのは当然といったところか。
スノウとコリンヌの仲はそれほど悪くはない。しかし、コリンヌとスノウが仲良く話しているとアドリエンヌのアドレナリンが爆発してしまう。ムキキィイ、と。そんなことから、あまりスノウとは会話できていないのだが、ヘルトのことは聞いていたのかもしれない。
「なるほど。やはりヘルトさんもスノウを探していらっしゃるのね」
「まあ、そうなりますね。オレにとっては命の恩人ですから」
「ごめんなさいね……わざわざ足を運んでいただいたのに」
スノウがここには来ていないことを伝えたコリンヌ。
申し訳ない、そんな心が伝わる口調だった。
「いいえ、いいんです。やっぱり王都か……それだけ分かっただけでも良かったかな」
「……ヘルトさん」
コリンヌが優しい女性だということを、ヘルトは実感していた。
そんな姉のいるスノウが羨ましいとも。少しでも同情してくれたコリンヌに罪悪感さえ感じたヘルトは。
「あ、いやあ。さすがスノウ……じゃなくてスノウ様のお姉さんですね。凄く美人で驚きました。ははは」
「ふふふ。ヘルトさん、お世辞はいいのよ。わたくしはお姉様やスノウに劣っていることは分かっているつもりですから」
「そんなことないですよ、絶対! 大人っぽいし、最高です!」
ヘルトは本気で綺麗な女性だと思っている。
しかし、アドリエンヌを見たらそんな気持ちは変わるのだと。アドリエンヌの性格を知らなければ、一目見ただけで世の男性は虜になってしまうのだから。何を言われても社交辞令としか受け止められなくなっているのである。
そんな時、姿を現したのはオレハだった。
「コリンヌ――、ったくこんなところにいたのかよお……」
「オレハ。どうかしたの?」
アドリエンヌ以外は『様』と呼ばないオレハ。
オレハがコリンヌを探していた理由とは。
「姉さんが探してるぜ。いつもの調子で、な」
コリンヌの顔色が変わる。
「そ、そう行かないと――」
オレハはヘルトが気になった。
それは冒険者であるヘルトとコリンヌが普通に会話していたから。見たことも無い状況からヘルトへの興味本位で聞く。
「あ、待てコリンヌ。こいつ誰だ?」
「あ、こちらは”あの”ヘルトさん。オレハもスノウから聞いているでしょ?」
「へぇ……こいつがねえ」
オレハは楽し気に笑みを浮かべた。
「ん? フィアーバの騎士か……ってことは爺さんの部下なのかな?」
「爺さん? ああ親父か」
「親父って……え、そうなの!?」
二人の言う『爺さん』とはオルマムのこと。
ヘルトが動揺したのは、あまりにも歳が離れていたからである。
……あの爺さん。あっちのほうでも、お盛んだな。
まだまだ、若いなあ。
などと、勝手にも妙な想像をしてしまうヘルト。
そして、不敵に笑みを見せ続けるオレハへコリンヌは言う。
「……オレハ。あなた、また変な事を考えているのでは?」
「へへっ。当然、考えてる。それが俺の性分だからな」
オレハの性分、それは戦闘好き――もとい戦闘狂だと。
只々、強者と戦いたいだけ。スノウとの会話でオレハが質問したのは『ヘルトってやつは強いのか』の、たった一つのみ。静かに頷いたスノウを見て、是が非でも合って剣を交えたいと思っていたのだろう。
「なんの話なんだ?」
ヘルトには会話の意図が分からない。
しかし、それを知るも知らないもオレハは関係のないこと。
だからこそオレハは告げる。
「ヘルト。俺と勝負しな!」
「は? なんで、そうなるんだ? 今まで、そういう流れじゃなかったよね?」




