一寸の見切り
◆
――同盟破棄まで、あと二八日。
ヘルトがハルバトーレの屋敷を出てから、毎日午前中に行っていること。
それは、剣術及び体術の訓練。
実のところ体術などでは無く剣術を訓練したかったのだが、その剣術を教授する師がいない。剣の素振りは毎日数百とやっていながらも、素振り以外は体術へ時間を費やしている。
体術のヘルトに対し、木剣を振るっているのはセイラ。
連続で突き出す木剣。
ヘルトは立ち止まったまま――上半身のみで、それを素早く回避。
「――はあッ!」
セイラの力強い打突。
半身反らし、回避するヘルト。
セイラが木剣を持つ、突き出た腕に手を回し――
――――よっ!
と、セイラの呼吸へ合わせるように背負って投げた。
俗にいう一本背負い、という投げ技に近しいものである。
だが、投げたら投げっぱなしとなるのは、その一本背負いとは異なるようだ。
「……さすがヘルト様ですね。技の飲み込みがお早い」
「なに言ってるんだよ、未だセイラさんの服に汚れひとつ付けたことないからなあ。成長してる実感が沸かないんだよねえ」
ヘルトが回避し、何度投げても、その後の身のこなしでセイラは地に膝を付くことすら無い。動き難そうなメイド服で、だ。
純粋なエルフとセイラのようなハーフエルフとでは、そもそも戦闘スタイルが異なる。エルフは知力、魔力、器用さに長けているが、体力や筋力は乏しい。ハーフエルフは知力、魔力は人間と然程変わらず、その代わり器用さがエルフよりも優れた種族。体力も人間と同等。
その器用さを踏まえ身体能力の高いハーフエルフは、戦闘向きな種族と言えよう。そんなことからハーフエルフであるセイラから教授を受けているのだが、剣術はそれほど得意ではないセイラは、護身術なるものを教えている。
ヘルトはその護身を戦闘で使用できるよう、試行錯誤し改良しているところなのだが……今のヘルトに出来ることは相手の力を利用した近戦攻撃、との考えから思いつく体術を。
「わたくしも必死なのです。待女の象徴であるメイド服に汚れなど、つけるわけには……そのような事があればこの”身を以て”償わさせていただ――」
「だから待て待て、待って下さい! はは……相変わらず、お固いなあ。替えなんていっぱいあるのにさ」
「……しかし。 投げ程度ならわたくしも対処可能ですが。それ以外なら、もうわたくしの剣術では太刀打ちできないでしょう」
ヘルトの体術は”投げ”だけでは無い。相手の力を利用した体術を駆使し、腕力の乏しいヘルトに何が出来るのかを模索してきた。
セイラの死は近そうだ。
正直なところ、セイラは剣術が苦手なほう。
それでも平凡な冒険者よりは遙かに鋭い斬撃を放つ。その攻撃力はあまり期待出来なそうではあるが、そのぶん動きの素早さで補う戦闘スタイル。
「そうかな? 他の技でも結局変わらないと思うけどなあ」
「そんな事は御座いません。ヘルト様にしか出来ないことかと思います」
「そう? なんか褒められてる感じで嬉しいな」
ヘルトは照れ笑いでセイラへ応えた。
毎日の訓練には”仕上げ”のようなものがあり、必ず行っている訓練があるのだが……
「……では。最後の訓練と参りましょう」
こう言ってセイラは木剣を大地へ置き、代わりに木剣の傍にある弓を手に取る。
「やっぱやるんだ、それ……」
「当然、で御座います。ヘルト様の回避に弱点があるとしたら視界へ入り辛い、この”矢”なのですから」
「それは分かってるんだけど……ヘタしたら死ぬと思うな、コレ」
「ご安心くださいませヘルト様。わたくしが狙いを外すことなど、万が一にも御座いませんから」
セイラは弓への自信を曇り無き眼差しで伝えた。
「それならお手柔らかに、ね」
「いいえ。本気で射らせていただきます」
「はあ……」
不安ながらもヘルトは庭木の袂に立つ。
両の手に武器などは一切持ってはいない。
セイラはヘルトから三〇歩ほど離れた屋敷を背に、立ち位置とした。
弓を左手で握るセイラ。
箙(矢を入れる道具)から一本の矢を『妻手/勝手』で刈り『弓手/押手』と共にぐんと弓を引く。
「ヘルト様。では、参ります……まずは頭部へ!」
「頭? 分かった!」
さすがに三〇歩も離れていると大声を出さねば、声が届かないのだろう。
セイラは、出来る限りはっきりとヘルトへ伝えた。
そして……
――捕獲。[キャプチャー]
捕獲はセイラのビフォアである。
この”才”の能力は、命中率を飛躍的に上げるもの。
セイラはこのビフォアを持つがゆえに、弓に関しては確固たる自信があるのだ――絶対に狙いを外さない、と。
ぎりぎりと音を立て、ヘルトへ照準を合わせるセイラ。
狙いはヘルトの額――
――バシュッと、風切り音。
放たれた矢は一閃、空を裂く。
唾を飲み込む程度の時間さえ許されず、矢はヘルトの額へ。
……その矢の行く末は、というと。
【――押され、逸れた】
矢を弾いたり叩き飛ばしたのでは無い。
右手で矢の『篦/シャフト(棒の部分)』に、ほんの少しの力を横方向へ加え押したのである。それゆえに、ヘルトの頬を掠めるか否かという近距離で矢は後方へ逸れた。
背にした庭木に突き刺さる一本の矢。
「……ふぅ。毎度毎度、緊張するなあ」
「おみごと、で御座います。ヘルト様」
安堵感から大きく深呼吸するヘルトと、そのヘルトへ深々と頭を下げたセイラ。
はじめの頃は『鏃/矢尻(矢の先)』に布を巻いて安全対策をとっていたが、現在はそれを行っていない。勿論、慣れてきたこともある。しかし、安全対策をとらないのはより実戦へ近しい訓練を行いたかったから。
ヘルトが矢を押した動作は、確かに人知を超えたものである。
実のところ、この技を成し遂げられた一番の貢献者はセイラと言わざるを得ないだろう。それは矢の到達する箇所(身体)を先に知らせ、必ずその狙いを外さないからだ。
結局、現在のヘルトには『矢が飛んで来る位置が、始めから分かるから出来る』となる。
この二人でしか行えない訓練。
「……では、次は右胸、左胸、腹部へ――三本」
「え? セイラさん、今日は厳しいなあ……」
――ヘルト様、そんな事は御座いません。
あなたの成長は、すでにわたくしを超えているのですから……
どうやら、わたくしは良い(楽しみな)主人に恵まれたようです。
セイラはヘルトの成長に胸を躍らせ、心で語る。
ヘルトは確実に強くなっている、そうセイラは実感した。
※弓につきましては呼び名が多くありますが、この作品の固定概念として……
妻手:矢を引く手
弓手:弓を押す手
箙:矢を入れる道具
鏃:矢の先
矢筈:矢の根元
他、弓を箙から抜き取る動作を『刈る』と言います。
と、致しました。
今後も宜しくお願いします。




