待女セイラ
◆
「スノウ様は、いったいどうなさる御積りなのだ!」
「王女とはいえ、たかが一六の少女に国の存亡を委ねるとは……国王様も、どうかしている」
「わたしはこんな小国など、どうなっても構わぬのだ。何か揉め事を起こして、アストラータが攻め入ってきたらと思うと、夜も寝むれぬ」
フィアーバの貴族が集い、愚痴を洩らす。
貴族たちの考えは、ただ己の命を守りたいだけ。
このまま何もせず従えば王族の命だけで済む、などと。
しかし、フィアーバの貴族はピアド王への忠義が厚い者が多く、これは少数派の意見である。
その少数派貴族に混ざる大男が、室内の壁にもたれ腕を組み佇む。
その大男が困惑し頭を抱える貴族へむけ口を開く。
「貴族の旦那たち、何をそんなに恐れているんだ?」
右肩の古傷が目立つ大男、バリュムである。
「バリュム君、当然ではないか。我々では自国の王女を止める権利などないのだ」
「君たち傭兵団を匿っているだけでも難儀だというのに、これ以上は協力できぬぞ」
戸惑う貴族に対し、バリュムは平然と会話を続ける。
「わかった、わかった。それなら”あちらさん”の貴族様へ、何とかしてもらえばいいだろう?」
「アストラータの貴族ども……、か」
「ああ。もともと、今回の件はアストラータから始まったことなんだろう?」
バリュムがこの場にいるのは、ほとぼりが冷めるまでの間――それは同盟破棄が成立するまで、である。
黒の双頭へ、ヘルシンド伯爵の暗殺依頼を申し出たのはフィアーバの貴族ではあるが、そのフィアーバ側へ差し向けたのはアストラータの貴族。もとを質せばアストラータの貴族が行った謀略となる。
裏を返せばアストラータの貴族は、自分たちの素性が知れないようにフィアーバの貴族を利用したとも言える。
「……それは無理だろう。彼らにとっては、この計画が成功したと同じなのだからな。わざわざ動く理由もない」
アストラータの貴族からすれば、経緯はどうあれ『計画通り』なのだから問題はない。それに王女が何をしようと、計画が崩壊するほど危険視する人物とは思っておらず、王女が動いて困るのはフィアーバの貴族のみ。結果、王女が何をしようと気にもかけないのだろう。
「ほお。貴族ってのは面倒なんだな、強欲なくせに――」
「君たちのように金を積めば何とかなるものではないのだよ!」
貴族は金で動かない、など言ってはいるが動く貴族もいるだろう。
強欲な貴族なら然るべき。しかし、わざわざ素性を隠しているアストラータの貴族が表向きな行動を起こすはずがないのだと。
だからこそ、バリュムは言う。
「まあ、そう声を荒げるなって。仕方がない……俺が王女を殺ってやるよ。俺なら何しても、あんたらに迷惑はかからないだろう?」
内情を知り最も問題とならない自分が行動を起こす、と。
安堵の表情で染まる貴族たち。
「……そ、そうか。君なら信用できる。他の傭兵では何かあったときに危ういからな」
「あんま、女を斬るのは好きじゃないんだが……。で、王女は今何処へ?」
「アストラータ王都へ向かった。何をするのかは分かっていないがね」
「王都……か、分った。だが、俺が自由に動けるようにはしといてくれよ。殺る前に捕まりたくないからな」
バリュムが罪人、とまで決まっていない。
差し詰め『参考人』といったところで、それは直接関わっていないからである。依頼を受けたのは(話をした)のはバリュムだが、その依頼を実行したのはエルザ。バリュムはヘルシンド伯爵の護衛任務へ同行しておらず、また暗殺時も高みの見物で嘲笑っていた。
エルザが未だ何も依頼者を明かさないのは、正直なところ知らない。
仮に知っていたとしても口にする事はないだろう。なぜなら言ってしまえば、待つのは死のみだからだ。死期を早める言動はする筈も無く抗い続ける。
そんな事情もありバリュムが自由に動けるよう計らうのは、それほど難しいことでは無いのかもしれない。それは金させ積めばバリュムひとりなど何とでもなる、ということ。
バリュムがこの場にいるのは、ただその金を渋っていただけなのだが……
「承知した。その程度なら何とかしてやろう」
ここは自分たちのために承諾するしか、選択肢が無かった。
◆
――アストラータとフィアーバの同盟破棄まで、あと三〇日。
再び城を出たスノウ。
それを追うバリュムと傭兵団。
そしてガーゼルのヘルトは……
「モモ、ただいま」
「ゥ――へるとぅ!」
変わらずである。
仕事を終え、自宅へ帰る日々。
現在はハルバトーレの計らいで、ガーゼルの別邸に住む。
自宅で待っているのはモモだが、何を隠そうもう一人いる。
「ヘルト様、お帰りなさいませ」
待女のセイラ。
セイラはハーフエルフという種族。
本来は腰まで伸びた黄金色の髪を頭部で結う。見た目はエルフと変わらないが、外見の特徴はエルフよりも身長は低いが人間よりも少し高め。そして、もともと少食なエルフのようにあまり食事を取らない分、すらりとした体形が際立つ。これは習性であり、そういう種族なのだから目を瞑ってほしい。
「ただいま、セイラさん。いい加減、その”様”っていうのやめてくれない?」
「……ヘルト様、食事の用意は出来ておりますので」
セイラにヘルトの要望を聞き入れる仕草は無い。
「そっか。いつもありがとう、セイラさん」
「……とんでも御座いません。これがわたくしへの命ですから」
――相変わらず堅いなあ……セイラさん。
こう思うヘルト。
セイラは常に必要最低限の言葉しか洩らさない。
基本的に無駄口をしないから、会話が続かない事が酷。
セイラはヘルトの食事係ではなく待女。
なぜセイラがこの場にいるかと言うと、しがない事から始まったようだ。
「命って……モモの面倒みてくれてるのは助かるけど、オレに尽くす必要は無いんじゃないかな?」
「いいえ。わたくしはヘルト様に命を救われた身。あの日……わたくしの命は尽きるはずだったのですから――」
――――――――
――斯く言う、あの日(二五日前)。
「……ハルバトーレさん。やっぱオレ、モモとこの屋敷を出ようと思います」
「ん? ヘルト君、きみにはロリ……いや、あっちの趣味があるのかい?」
――あっちも、こっちも御座いません。
こう思いながらも軽く流して告げる。
「これ以上ハルバトーレさんの世話になるわけには。明日からギルドへ行ってクエストをしながらガーゼルで暮らそうか、と」
いつまでもハルバトーレの世話になって――、とはいって言っているがヘルトの真意は違う。
護るべきものを守るため『強くなりたい』ただそれだけなのだ。
無能と呼ばれることを悔やんでなどではなく、ただ逃げるだけの人生に嫌気がさした。ヘルトは初めて成長することを、自ら求めて変わろうとしている。
だが……
「うぅむ……興味深い。かつての英雄にも、そのような趣味があったのだろうか?」
――興味深くはない、と思います。
と、思うヘルトは新たな決意を固め判然と告げたはず。
ハルバトーレの耳には全く届いていなかったようだ。
「……あ、すまなかったね。考え事をすると、つい周りの声が聞こえなくなってしまうんだよ」
「は、はあ」
ヘルトは力なく応えた。
それでも伝えなければいけない、こう考えるヘルトは再び同じ言葉を洩らす。
「これ以上ハルバトーレさんの世話になるわけに――」
――陶器の割れる音。
ヘルトの言葉を遮るようにその音は会話に割り入ってきた。
「ん? また、なのか」
「また――、って? なんですか?」
「ああ、たぶんセイラだろう。わたしたちに紅茶をもってきた、というところではないか?」
「なら、今の音は……」
「そう、”割った”ってことだね。ヘルト君、すまないがセイラの様子を見てきてはもらえないだろうか? わたしには手に負えなくてね、急いでくれないか?」
ハルバトーレの言う「手に負えない」の意味も分からず、部屋の壁向こうへいるであろうセイラのもとへ向かうヘルト。
――――!?
唐突にヘルトの視線に入ったセイラは、今まさに短剣を自身の胸に突き立てようといていた。
「――セ、セイラさん! 何をしようといてるの!?」
「……ヘルト様。どうかお止にならぬよう願います」
何処からどう見ても、自殺願望者。
これを止めないわけにもいかず。
「いやいや、普通止めるって! とりあえず理由を聞かせてよ、ね?」
「……理由、ですか。待女である、わたくしがご主人様の所有物を破損させてしまったからです……」
「え? そのくらいの事なら誰にでもあるんじゃないかな? ほら、皿とか割るのって日常茶飯事だし? 数日に一度くらいなら」
「……皿は二〇一八枚、割っていますが――」
――多ッ。
無駄に記憶力の良いセイラは決断。
「やはり……数日に一度が普通なのですね。わたくしが、どれだけ無能か良く知る事ができました。ヘルト様、アディオス・ア……ミーゴ……」
再び鋭い刃先がセイラの胸を狙う。
ヘルトはセイラと、友でも何でも何でもないが必死に止めた。
「待て待て、待ってください!」
ヘルト敬語。
「……なぜ、止めるのですか?」
「セイラさんには、”才”に満ち溢れてたビフォアがあるじゃないか。皿の千枚や二千枚、取るに足らないことだよ」
「……二〇一八枚なのですが。やはり命を絶つべき、ですね」
――三〇〇〇枚にしとけば良かったかぁあああ!
ヘルトは、こう誤算し洩らした言葉は。
「わ、分かった! 今後セイラさんが陶器を割った分、オレがぜーんぶっ! 買い取るからさ。それでいいだろう?」
その場を凌ぐための窮策だった。
――――――
――――
――こんな経緯でセイラはヘルトの専属待女となる。
ハルバトーレ曰く……
陶器を弁償するならセイラを従者にすればいいだろう……
……とのこと。
これは、ハルバトーレがセイラを重荷に思ったのでは無く、セイラ自身がヘルトの従者を志願したから。ヘルトがハルバトーレの屋敷を出るなら、セイラも付き従うと言ったからだ。
「そんな……セイラさん、大げさだな。オレはセイラさんに給金を払えるほど、裕福じゃないんだ。ハルバトーレさんのところへ戻ったほうが――」
「わたくしは給金などいりません。何かご不満でも?」
セイラの視線が熱い。
「え? いやあ……そういうわけじゃ」
――そして。
また”割った”。
「――――!? あ……」
……セイラさんてしっかり者なのか、ドジっ子なのか分からないんだよな。
「アディオス・ア……ミーゴ……」
セイラ、ジーザス。
「ちょ、待て待て、待ってください!」
ヘルト敬語。
またこの件かよ、と一日が終わる。




