クエストでの日常
◆
――同日、昼刻。
ヘルトは冒険者ギルドへ向かっていた。
シンパティーアにおいての『冒険者ギルド』通称『ギルド』とは、冒険者へ仕事を紹介してくれる公共職業安定所である。
ヘルトは単独でクエストを受ける冒険者だ。
これは仲間がいないこともあるが、裏切られることを恐れ”仲間を作らない”と言ったほうが正しいだろう。
そんなヘルトがまずギルドへ辿り着いた際、必ずと言っていいほど第一声として洩らす言葉がある。
「おはよう、アイリ姉。あのクエストって、今日あるかな?」
「おはよう、じゃあないわよヘルト君。もうお昼なんだから……」
アイリとはギルドで働く女性エルフの名前。
眼鏡をかけ少々堅物な印象を漂わせてはいるが、見た目のによらず面倒見が良い事もあり、ヘルトとしては『お気に入り』の従業員。
エルフの特徴はそのピンと伸びた耳にあるが、見た目だけではなく聴覚は人間の数倍とも言われ、また知能は高め。それゆえに公共施設であるギルドでの勤務を可能とする。
つまり、アイリは公務員ということ。
エルフは弓の使い(器用さ)や魔法に長けてはいるが、あまり戦闘向きでは無い。なぜなら体力又は筋力が人間より劣るからである。冒険者として働き続けるより、知能を使った仕事をしたほうが堅実で安定しているのだろう。
「いいんだよ。昼でも夜でも、オレが起きたときが朝なんだから」
「……相変わらずの性格ね」
「それで、あるのかな?」
「えっと、ちょっと待ってね――」
アイリは依頼の帳簿を流し見て、ヘルトの要望したクエストを探す。
「あ……あった、あった。また来てるわよ、ご指名で。けれど、こんな仕事ばかりでもいいの?」
「ああ、それでいい。オレにとっては一番、性に合ったクエストなんだ」
「そっかあ。稼ぎの問題ではないのね」
「おう。オレみたいな無能が、単独で大きなクエストを受けられるわけもないしな」
ガーゼルへ来て一ヶ月となった現在でも無能の烙印は変わらずのようだ。
笑みを見せてはいるが、やはり影がある。そんなヘルトを見て、口を開くアイリ。
「よし! お姉さんが、ヘルト君の担当者として今晩の食事を奢ってあげよう。だから、さっさと仕事を終わらせてきなさい」
「え? そんな、悪いよ……」
アイリは呆れたようにため息をついた。
「遠慮なんかする歳ではないでしょう! 女性の誘いは断わる男はモテないぞ。わかった?」
「……お、おう」
「あと、モモちゃんを連れてくること。これ絶対条件ね」
実のところアイリは年甲斐も無く可愛いものが大好き。
ヘルトへ食事を誘ったのは元気付けるためでもあるが……
「やっぱ、そっちが目的かあ」
アイリのお目当ては、モモなのである。
「バレちゃった?」
「まあいいか。それなら行ってくるよ」
「はい。いってらっしゃい」
アイリへ見送られながら、ヘルトはギルドを後にした。
――ヘルトは受けたクエストは配達依頼。
未だ戦闘向きではないヘルトとしては無難なクエストというより、最も適したクエスト。それは回避能力の高いヘルトが、確実に依頼をこなせるからだ。
トラブルなどに巻き込まれる可能性が低いのだから、信頼度は高くなる。
そんな事もありヘルトを名指しで依頼する者も増えてきたが、所詮は配達と言ったところか、その稼ぎは微々たるものである。
そして、基本的にガーゼル内での配達が主なクエスト内容。
一日、複数回配達することもあるがその配達するものが特別。
「さあて、今日も頑張りますか!」
こうしてヘルトの変わらない一日が始まった。
――ここガーゼルはアストラータで王都に続く大きな都市。
たかが同じ都市内での配達とはいえ、一度の往復で丸一日かかる場合も。
それほどに大きな都市、ガーゼル。
そして本日の内容は……
「こんにちは。依頼を受けたヘルトです。お荷物のほうを受け取りに参りました」
大きな庭からヘルトへ近づいてきたのは、貴族階級の青年。
その青年に付き従う従者の姿も。
「……君が、あの無能者ヘルト君かい? ずいぶんと若いんだね」
「は、はあ」
またその話(無能)か、と。
「あ、決して馬鹿にしたわけではないんだよ。気を悪くしたら許してくれ」
「無能、ですからオレ。好きに呼んでください。その名のお蔭で、こうして指名してもらえるし気にしてませんから」
この『無能者ヘルト』とは、ヘルトの”通り名”である。
「今日は君の評判を聞いて指名したんだ。是非ともお願いしたい配達がある」
「いや、”あの”話は偶然が重なっただけのことなので、期待はしないで欲しいのですが……」
ヘルトが名指しで依頼される理由。
それは信頼度の問題は最もだが、他にもある。
「ヘルト君、僕は貴族として明日結婚する。つまりは政略結婚、というやつなんだ」
「……明日ですか。それは”急いでいる”ってことですか?」
青年の真剣な表情が和らぐ。
「やはり君を指名して良かった。どうか、届けてはくれないか?」
「はあ。オレなんかで良ければ――」
――――――
――――
――
ヘルトが配達先として向かったのは、一般平民の民家だ。
その配達主というのは……
民家の一室の窓をコンコンとノックするように、部屋の住人を呼び出す。
その音に気付いて窓を急いで開いたのは、サラという平民の女性だ。
「……ロイなの?」
窓越しに佇むはヘルト。
「こんにちは、サラさん。オレはヘルトっていうんだ。ロイさんから依頼を受けた配達人だ」
ロイとは、依頼された貴族の青年の名である。
「配達人……あなたもしかして、あの……」
「サラさん。気づいているようだけど、ロイさんは今でも貴女のことが好きなんだ。オレはここにきた理由は分かってる、よね?」
ヘルトは真の気持ちを伝える配達人として、指名されている。
これは偶然にも、たまたま配達した女性と依頼人である男性の縁を結んでしまったからなのだが。それがもとで知名度が上がり、恋愛のみならず数々の気持ちを贈り届けてきた。
「そう。けれど、わたしがロイと結ばれることはないわ。だって貴族と平民よ? ありえないこと……でしょう」
貴族は、その地位を守るため政略結婚をせざるを得ない。
ロイは、この政略結婚が決まっていたが、平民であるサラへプロポーズした。
プロポーズを、サラが断ったのである。
それは、ロイが貴族として威厳を保てなくなるからなのだが……
「サラさん。君のためならロイは貴族階級を捨てるとも言ってるんだ」
「わたしはそれがいけない、と言っているの。ロイのような貴族は地位を失ってはいけないのよ」
身分が重視されるアストラータでは、貴族の所業が激しい。
ロイのような身分差を気にせず温厚な貴族は少ないことから、そんな貴族は平民にとっては宝なのだ。それをサラ個人の為に失うことは、サラとしても耐え難いこと。
「まあ、サラさんがそういうだろうとは思っていたけどね」
「――、え?」
「オレは、サラさんも知っての通り無能なんだ。けどね、そんなオレがここまで平然と生きてこれた理由って分かるかな?」
「なんの、話?」
ヘルトが無能と呼ばれていることはサラにも分かる。
しかし、唐突に始めたヘルトの質問に戸惑いを感じていた。
「んー……諦めてないから、ってことが言いたいんだよ。サラさんはロイと結ばれるのを諦めている……そうじゃないのかな?」
「…………」
サラは図星だった。
「それが、ロイにとって正しいことだから」
諦めることがロイにとって良い事だ、と言い聞かせたとも言えよう。
――だが、ヘルトの考えは違った。
「サラさん。恋愛対象の条件ってさ、どこからどこまでがダメなんだろう?」
「それは、身分が離れ過ぎてたら……ではないの?」
「いやいや、平民同士でも身分差のようなものがある。金とか、オレのように無能と呼ばれるもの……奴隷だって元は平民だろう? 平民同士でもダメになるときはあるんだよ。身分なんてそれほど重要な問題ではないと思うんだけど?」
「お金の話なら、同じことでしょう。貴族と平民なら資産の差ははっきりしているんだもの」
資産の差があれば、貧乏人を嫌う平民もいるだろう。
ヘルトとしては、資産の差を言いたいのでは無く。
「違うって。オレは恋愛の条件を聞いてるんだ。好きになるのは自由、じゃないかな?」
「……そうだけど。あなたは、なにが言いたいの?」
ここからが、ヘルトの指名される所以なのだが……
ヘルトは思い出すように言う。
「無能のオレがいうのも変なんだけど、オレは好きなのは、とある王国の王女様なんだ」
と、恥ずかしがることもなく告げた。
「え? 王女様って、それは恋愛ではなく憧れとかでしょう?」
憧れ……そういうものかもしれない。
しかし、その想いだけは偽りではないのだと。
「憧れ、かもしれないけど。その王女様は身分を明かさずオレと普通に接してくれた……それに命の恩人なんだ。この無能者へ、だよ?」
「そう。とても心のお広い王女様なのね……」
「しかも……別れのときに深々と頭を下げたんだ、オレだけの謝罪のために」
「えっ!? どうして?」
サラとしても、さすがに王女が平民へ頭を下げた事には驚くしかなかった。
「心の底から本気で想っているから、じゃないのかな? 偽りのない気持ちってさ、そういう態度から見て知れるものじゃないの? まあ、オレの場合はただの”厚意”であって、好きとかでいう”好意”では無いんだけどね」
ヘルトが言いたかったのは身分差で、恋愛の範囲を決めるは変だと言いたかった。そもそも好きになるだけなら、範囲決める必要など無いのだと。
「真実の気持ちを伝えるのに、身分差なんて取るに足らないことなんじゃないかな――、っていっても届くものと届かないものはあるんだけどね……ははっ」
苦笑い。
サラにも、ヘルトの気持ちがわかる。
結局は「お互い様」ということだ。
「…………」
「サラさん。これがロイさんからの贈り物だよ」
ヘルトはサラへ『マーガレット』の花を手渡した。
「――これ、って……」
「ん? オレにはよく分からないけど、これを渡せば分かるって言われたから」
花言葉は「真実の愛」
明るさと気品を兼ね備えた白い花びらが特徴とされた、小さな花――
――――――
――――
――
――その日の夜。
食事をしながら会話をする三人。
三人とは言っても、モモは食事に夢中なのだが……
「――、で? そのロイさんと、サラさんはどうなったの?」
「さあ? オレのクエストは、ここまでだからね。その後、すぐに帰ったよ」
今日のクエスト結果をツマミに葡萄酒を呑むアイリと、それに仕方なく付き合うヘルト。
「……うう。なんか気になるなあ」
「この先どうするのか、なんてオレが決められることじゃないからさ。でも――」
「……でも?」
「マーガレットを渡したとき、何かを思い出したように微笑んだんだ。結果がどうあれ、クエストは成功したと思ってる」
ヘルトの仕事はマーガレットを届けるだけではない。
届け物に対し、どんな意味合いを持つのか”伝えること”が仕事内容なのだ。
「なんかモヤモヤするなあ。ええい、こんな時はモモちゃんに癒してもらおうっと!」
「――ミャミャミャッ!?」
アイリはモモをぎゅっと抱きしめ、今にも窒息死しそううなモモ。
「へるとぅ、ヘルプゥ!」
――モモ、そういう言葉は普通に話せるんだ。
と、思うヘルトの視線の先には。
更にモモへの愛撫が加速、その豊満な胸へ挟み込まれるように”もがく”モモ。
心の中で「羨ましすぎるだろ、モモ」と……
……血が出るほどに下唇を噛みしめた。




