つぐみの髭の王
◆
――フィアーバ王国。
大陸の最東部へ位置した小国である。
シンパティーアの約三分の一を占める領土を持つアストラータ王国と比べ、その二割ほどの領土しかないフィアーバ。
アストラータと同じ『王国』とはいえ、非常にその領土は狭い。
そんなフィアーバがどの国にも占領されていない理由は、アストラータとの縁が深いからである。俗にいうところの『同盟国』と、呼ばれるものだ。
そんなフィアーバが、建国以来初めての危機を迎えている。
それは……
アストラータ王国との同盟破棄。
もし同盟が破棄された場合アストラータの進軍により、数ヶ月もあれば敗北してしまう。これは絶対的な行く末なのである。
それゆえに『戦わずして敗北』の道を選ぶこととなろう。
是が非でも同盟破棄を回避しなければならない。
ここ一ヶ月と数日間手を尽くしたが、どうも上手くはいかないようだ。
――――――
――フィアーバ城、謁見の間。
「……国王様。いかがなさいますか?」
男は玉座へ座り、鶫の嘴のように伸びた顎鬚を触りながら思い悩む。
この『ビアド・スラッシュ・パラミシア』はフィアーバの王である。
民たちからは通称『つぐみの髭の王様』と呼ばれ、その温厚な性格から民との触れ合いも数多い。ビアド・スラッシュとは鶫のような髭のことを指し、フィアーバで代々継がれた国王のみの名前。
一見「つぐみの髭の王様」などと呼ばれたら馬鹿にされていると思うのが普通だろう。しかし、ビアド王にとってはこの親しみのある呼ばれ方が大変気に入っている。その為に自ら顎鬚をのばし、親しみ易いようにしてきたのだから。
そんな温厚な性格もあり、民からの信頼は厚く人気度は高い。
小さな国ゆえに、一丸とならねば国を保って行けないこともあるが、こうして民たちと触れ合ってきたからこそ、今のフィアーバがある。
そんな民から敬愛されている、ビアド王。
悩んでいるのは、アストラータとの同盟破棄の一件。
数百年もの間、同盟国として揉め事が無かったのに何故このようなことに……
この問題が発生した原因だが、黒の双頭が起こした『ヘルシンド伯爵』暗殺が大きく関わっている。
ヘルシンド伯爵はアストラータにとって重要な人物であった。
暗殺を行ったのは黒の双頭ではあるが、その暗殺を企てた人物が分かっていない。アストラータ側からの主張では「我が国の重要人物であるヘルシンド伯爵の暗殺を企てる者など、このアストラータには存在しない」とのこと。
理不尽にもほどがあるが……
これはただアストラータ側が、自国でトラブルを避けたいだけの主張。
アストラータとしては、証拠も無く自国の者を疑ることなど皆無。
それほどに、貴族階級の身分を持つ者たちがアストラータにとって強大であり、確かな証拠が無ければ例え国王であっても何も出来ないのだ。
従ってアストラータ国王の個人的な判断での決定事項では無い。
いったい何者がこの計画を企てたのだろうか。
相変わらずエルザは口を割らず、双頭のひとりである『バリュム』は仲間と共にゆくえを晦ましたようだ。現時点ではその真犯人を知るであろうバリュムがいないのだから、未だ解決の糸口も見つからず。
「ふむ。アストラータの条件は、どのようになっておるのだ」
「はい。その主犯者を差し差し出さなければ同盟の破棄、で御座います。つまりそれは……」
「フィアーバを配下へ、ということなのだな」
これを聞いて口を開いたのはオルマム。
「なんだと……たかが伯爵ひとりの命で、国をよこせなど! そもそも我々フィアーバが伯爵の命を奪う意味があると思ってのことか!」
「オ、オルマム様。アストラータは分かっていて、そう言っているのです……」
「わたしは今回の一件で、部下を何人も失った。それを黙っていろと言う方が、どうにかしているであろう!」
オルマムは部下の命を多くエルザに奪われている。
フィアーバは何もしていない筈なのに、命を数多く奪われたことを許せないのだ。
「オルマム殿。では、あなたはこれをどう納めようとお考えか?」
「このままと言うわけには、いかぬだろう! たかが騎士風情に何ができるというのかね」
「今回、貴殿のとった行動を良く思っていない輩もおるのだぞ。揉め事は困るのだが?」
オルマムに対し、飛び交う質問を罵倒。
それに怯むオルマムでは無い。なぜなら、彼が最も敬愛するビアド王の安否が気になるからだ。
だからこそ老兵オルマムは言う。
「陛下、わたしは戦います。あなた様のお命を護るためなら、アストラータの詭弁を受け入れる必要など――」
ビアド王の前に立ち、膝を落とすオルマム。
その意思は固い……だがビアド王の口から洩らされた言葉は。
「ならぬ、オルマム」
ビアド王は判然と告げた。
「なぜ!? このままでは、陛下のお命がっ!」
「落ち着くのだ、オルマム。おまえの気持ちは痛いほどに分かる。だが、まだわたしが死ぬなどとは決まってはおらぬであろう」
「あ奴らは、この国の領土を欲しているだけなのです! この機を利用し、戯言を言っているだけなのです!」
オルマムの言い分は正しい。
そんな事はビアド王にも、分かっているのだ。
今までにもこのような事が何度もあった。全て回避できたのは前アストラータ王の力ではあるが、前アストラータ王は既に亡くなっている。今の王が悪いのでは無く、貴族を言い包めるほどの知恵と威厳がないのである。
それを知るビアド王は、現在の状況を予想してはいたのだ。
同盟国となった元のきっかけ。それはもともと一つの国を二分したからなのだが、数百年と経過した現在では互いの王同士にその気があっても、周りには関係無いことなのだろう。
そしてビアド王は口を開く。
「……わたしの命で民が平穏な生活を送れるならば、それで良かろう。こんな小国よりアストラータのほうが良いかもしれぬ」
国を取られるということは王へ死を告げていると同じ。
それはどの国においても同じことなのだから、勿論ビアド王は死を覚悟しているのだ。
「アストラータは身分を尊重する国……この国より良い国など、他にあるはずもないでしょう……陛下」
納得出来ない、そう思うオルマムの言葉は震えていた。
「そういうな、オルマム。民のことや、お前たちのことは、わたしから平穏を約束しよう。安心するが良い」
「わ、わたしの言いたいことは、そのような事ではありません! 陛下の事を言っているのです! まだ一ヶ月もの時が残されております、諦めず策を練りましょうっ!」
ビアド王は迷う事無く、笑みを浮かべた。
「オルマム、許せ。あと一ヶ月では何も変わらぬのだ」
「――なぜ……」
オルマムは続く言葉も出ない。
どのような理不尽さでも、王の決めたことには逆らえないのだ。
……すまぬ、オルマム。わたしに力があれば――
と、ビアド王が思った時だった――
身長の三倍はあろう謁見の間の扉が大きな音を立て開く。
その扉から現れたのはスノウである。
「――お父様。その話、ワタシにお任せいただけませんか?」
バリュム:「昼と夜と」で登場。
エルザ:複数話で登場。
オルマム:「騎士の心得」で登場。
全て【深緑の瞳 編】です。
※「つぐみのひげの王さま」はグリム童話です。