騎士の心得
一斉に炎魔法が打ち出された。
「アハハハッ! 老兵、死んどきなあ!」
それは狂女――高らかな笑い。
その一斉攻撃に対抗するは、騎士たちから一歩前進したオルマム。
斧を斜め下方へ身構え、静かに言う。
「……重技。虚空――」
風切り音。
巨大な斧は炎を割き突風が空を舞う――
打ち出された魔法は一閃のもと、風圧のみで無と化した。
その神業とも思える『虚空』を目にしたエルザは動揺した様子はなく「予想通り」と言いたげである。
「へえ。老兵、なかなかやるじゃないかい。けれど……アンタらこの国の騎士じゃないねえ」
「我々は、フィアーバの兵士だ」
「やはりかい? そんな大きな斧を使う騎士様は、この国にはいないからねえ」
エルザはアストラータで生まれ、傭兵家業も長い。
だからこそ、王国騎士で高名な者の名や技は良く知っている。それでも今まで知れることが無かったのは胸の『章』がアストラータ王国騎士団と同様だからである。
この経緯はフィアーバの騎士がアストラータで行動しやすいよう、アストラータ側からの”計らい”なのだが。
そもそも斧を使用する重戦士の騎士などアストラータには存在しないこともあり、戦闘が始まってしまえば自ら正体を教えることとなろう。
「攻撃してきた、ということは覚悟は出来ているようだな」
「なあに言っているんだい? いきなりそんな大技使っちまって、老兵の体力でどこまで戦えるってんだい」
エルザは決してオルマムを舐めているのでは無く、理由があって言った。
技の種類は多種多様だが、魔法攻撃を打ち消すような大技は体力の消費が激しいのだ。この技はオルマムのビフォアではあるが、魔法攻撃を打ち消したのは彼が振った斧の風圧であり、打ち消す効果のビフォアなどでは無い。
それゆえ身体機能や記憶を活用した斧技であり、スノウのように特別なビフォアとは別ものである。風圧のみで魔法を打ち消すこと事態は神業なのだが、通常の剣術の更に上をゆく技としか賞されない。
とはいえ物理攻撃のみに限定すれば、強大な破壊力を持つビフォアの部類に入るだろう。
エルザは再び右腕を上げ、合図。
傭兵は騎士へむけ突撃を始めた。
「オルマム様を護るんだ!」
「「「「「うぉおおおおおおお!」」」」」
「騎士どもを殺れ!」
両団が交差――
金属音の間に垣間見る、悲鳴と叫び。
戦況は騎士団が有利。
人数が少ないとはいえ、剣術だけなら騎士団のほうが上なのだ。現時点での魔法攻撃はご法度であり、仲間さえも巻き込む可能性のある魔法攻撃は更に傭兵達を苦しませる事となろう。
しかし、そこで不敵な笑みを浮かべたのはエルザ。
黒の双頭が劣勢のなか、エルザは次々と騎士の命を奪い始める。
そんな彼女のビフォアは……
――魂狩り。[ソウルハンティング]
エルザの鎌は斬るのでは無い、狩るのだ。
斬り傷なども皆無、腰から首にかけて鎌が振れれば自ずとして魂が抜け落ちるもの。
これは『異能種』とされたビフォアである。
「――お主、異能種か」
「そうさあね。アタシの魂狩りに鎧や盾は意味を成さないんだからねえ。覚悟しな」
突如として訪れた騎士団の劣勢。
だが、それに臆する騎士はいないだろう。
それが騎士道というものなのだ。どのような状況下でも決して退くことのない勇姿こそが騎士の証である。
「さあさあ、どうするんだい老兵。あと数人でアンタら終わりだよ!」
騎士たちは苦痛の叫びをあげても、悲痛な叫びは洩らさない。
「エルザ、次は全力で相手をしてやろう」
「あん? 負け惜しみかい。さっきの技ならアタシは殺れないよ」
オルマムはエルザと対峙。
苦痛であれ、悲痛であれ、部下の死を黙って見過ごすわけにも行かず……
――この鎌……まさか異能の者がおったとは。
ならば、こちらも出し惜しみは出来ぬ、か。
オルマムの脳裏に固い決意がよぎる。
そして判然と騎士たちへ告げた。
「退けっ! 生き残っている者は、今すぐ退くのだ!」
そしてオルマムは斧を肩で担ぎ始める――
「オ、オルマム様! それを使ってはいけません!」
「巻き込まれたいのかぁあ! 退くのだ!」
ビリビリと身体に電流が流れたような衝撃が、騎士たちの聴覚を通して伝わる。老兵とは思えないほどの圧力。
「老兵、アンタなにをする気なんだい!?」
「エルザ様、なんかヤバそうだ!」
「あのジジイから離れろ!」
仲間である騎士が距離をとるのだ、それだけでも脅威といえよう。
ただでさえ魔法攻撃を打ち消すほどの実力者なのだから。
オルマムの後方へ退く騎士、慌てて前方へ逃げゆく傭兵。
後方の騎士たちが離れてゆくのを確認後――
「……重技。破砕――」
鳴り響く轟音と、震える大気。
オルマムが斧を突き立てたのは地――
その地を割ったのでは無く”盛り”上げた。
斧を中心として円状の地割れと共に、その地割れした部分が凸状に盛り上がったのだ。
刹那、壁と化した地面は津波のように。
巻き起こる粉塵と迫りくる地の壁は傭兵達を次々を喰らう。
そして――鈍く、おぞましい音が数回。
「――ぐあぁあッ!」
この苦痛の叫びをあげたのはオルマムである。
耐えきれず、片膝を地に突き立てる。
――腕と肩……あ、あばらも数本いったか。
オルマムの『破砕』は、身体の負担が大きい。
己の腕や肩、更にはあばら骨までをも……他にも骨折した個所はあるだろう。
生身の身体を使って地を盛り上がらせるのだから、その衝撃は自分自身へと返ってくるのだ。これは然るべき代償なのである。
それゆえに騎士たちはオルマムを一度は止めた。
粉塵が消えゆくと地割れの中心にはオルマムが。
後方には退いた騎士、三名。あまりにも少ない。
そして前方には――エルザ。
「老兵のくせに、恐ろしい技つかうねえ」
躊躇なくオルマムの前まで歩み寄る。
……やはり、仕留めきれなかったか。
オルマムは、斧で身体を支えながら漸く立ち上がった。
「残念だねえ。まだ楽しみたかったけれど、こっちも暇してるんじゃないんだ。終わらせてもらうよ」
「はぁ、はぁ……何を言っているん、だ。わたしは、まだまだやれるぞ」
オルマムは斧を構える。
ガキンッ、と弾く金属音――
弾かれたのはオルマムの斧だ。今のオルマムでは到底届くことのない距離で、地に刺さった。
「アンタにはもうビフォアを使う必要もないさあね。直接刈ってやるよ」
エルザの振り下ろした鎌がオルマムの左肩を血で染める。
「ガッ――ッ!」
鎖骨で鎌の刃を拭うようにして何度か左右に振り、泣け喚けと。
「あら。最近刈って無かったから、腕が落ちちまったかねえ」
オルマムの両ひざが地を舐めた。
わざと一撃で仕留めず、エルザは散り逝く様を楽しむ。
次は脚――大腿四頭筋を貫通、その刃先は地面に突き刺さるほど湾曲に凄惨。
オルマムの身体は地に伏せることも許されていないのだ。
誰一人オルマムへ近づける者はいない。なぜなら、すでに他の傭兵が騎士を包囲し全滅寸前なのだから。
「お、おまえたち、あの女を止めるんだ! オルマム様が我々フィアーバにとって、どれほどに敬愛されているのか知ってのことか!」
「知らねえよ。誰だ、あのジジイ?」
「オルマム様の命を奪うような事があれば、フィアーバの民全員を敵に回すというこ――」
――背の肉を削ぐ両手剣。
騎士の話は終えること無く、無残な斬撃が口を閉ざした。
「――面倒くせェ。俺たち傭兵にはどうでもいいんだよ」
傭兵たちの哄笑。
残った二人の騎士に言葉は無かった。強く握られた拳に宿るのは己の弱さを言い聞かせる訳を考えているのだ。背後であろうと、無防備であろうと今口を開けば死が待つ。
エルザの鎌の刃を痛みも忘れ鷲掴みするオルマム。
「あん? まだ生きてるのかい、しぶとい老兵だねえ」
数ミリ、数センチ……脚を貫いた刃をじりじりと上方へ抜きとる様。
「……わたしには、御護りしなければならないお方がおるの、だ! お主ら傭兵と一緒にするな」
オルマムの足元は真っ赤な血溜まりで円を描く。
死に抗う事に恥は無かった。何もせずして死を迎えることが恥なのだ、と。
「あーあ。何かつまらなくなってきたさあね」
「――……わたしは何をされようと退ぬ」
「そんところが嫌いなんだよねえ。飼い犬家業ってさあ」
脚を貫いた刃を抜くエルザ。
鎌を振り上げ言う。
「もういいや。老兵の魂なんて欲しかないけれど狩る」
鎌の刃を覆う黒い風が巻き起こった。
その風の主はつまり――
――魂狩り。
「アタシの記憶はね、死神さあね! アンタら下等種族の気持ちなんか分かるかいッ!」
そんなエルザの言葉など、オルマムに届くはずも無く。
……スノウ様。先に逝く老兵をお許しください。
ここで近づく馬車の音。
振り切った鎌の刃が空を切る――
「エルザ様! ヘルトだ!」
「な――ッ!?」
状況が把握できないエルザ。
それは、オルマムの身体が弾かれるように宙を舞ったからだ。
猛突進する馬車に乗るヘルト一行が、エルザへ迫る。
「本当にこれで大丈夫なのか!? スノウ!」
「アナタ少し黙ってくれないかしら? 集中が途切れるのよ!」
「ァ――ミャウ!」