雨の上がるまで
◆
――刻は数時間後。
昼刻と夕刻の間、と言ったところか。
「……本降りになってきたな」
昼頃から突然雲行きが怪しくなり、雨が降り始めた。
それでも小降りだったことから馬車を走らせてはいたのだが、本降りとなっては馬車を走らせるのは困難を極める。
それは、ヘルトが座る御者台には雨を避ける屋根などが無いからである。
「これでは先へ進むのは無理そうね」
「ああ。ちょ……っとばかり雨が、痛ダダダダダ――ッ!」
普通に歩くだけなら取るに足らない雨粒も、それなりの速度で走る馬車では肌に突き刺さるように感じるだろう。
兎にも角にも顔が痛いし目を開けていられない、やせ我慢などせず事故は避けるべき。だからこそヘルトは休憩を願う。
移動できる木の下へ潜り込むように馬車を止め、小雨になるのを待つ。
「ゥ――……」
モモはキャリジの窓から唸るようにして外を眺め、走らない馬車がお気に召さない様子だ。
そんなとき、スノウが会話を始めた。
「ヘルト。アナタ、武器は扱えるのかしら?」
「いや、扱えるってものでは無いかな。とても戦闘で使える腕じゃ無い」
「なぜなの? アナタ……冒険者なのでしょう? それに傭兵の経験もある」
スノウの言う通りヘルトは冒険者として三年間、クエストを通して戦闘経験は浅くない。しかし、未だ敵を討てた例は無い。
それは、両親は剣術など知らず習う機会が無かったとも言えるが、そもそも日々蔑まわれてきたヘルトに剣を教える者など居なかった。
更に魔術は魔力さえあれば、本で十分学べるものである。
それゆえに自己流ではあるが、ヘルトも本で学んできたつもり。
だが、魔力の乏しいヘルトでは、学んだところで枯れ枝に火を灯す程度の開花しか期待できず断念。
「そう。魔力に関しては仕方がないけれど、武器は修練で何とかなるのだから、少しは努力するべきよ」
「いや……武器は。人を傷付ける為に修練を積むのはなあ」
ヘルトは人を傷付けることに躊躇している。
これは平和主義者などでは無く、今までの経験から「他人を傷付けられるのか」と自信がないだけなのだ。
無能者と言い続けられる事とは、自信を失う原因となってしまうのだろう。
「アナタ、冒険者として失格ね。他人を傷付けたく無い、と言えば聞こえはいいわ。けれど、人を護りたいという気持ちはないのかしら? 普通、護りたいものがあるからこそ、剣術は身につけるものでしょう?」
「そう……だけど」
ヘルトは図星だった。
言い返す言葉も見つからない。
「アナタ、冒険がしたくて冒険者になったのでしょう?」
「ああ。冒険なんか一度もしたことないけどな」
「出会った頃から思っていたのだけれど、アナタ向上心が欠けているわ。あと羞恥心も……人は恥をかいて強くなってゆくものでは?」
スノウはヘルトへ物足りなさを感じていた。
そしてヘルトには身に染みるほどにスノウの言いたいことが分かった。
冒険者としての三年間、雑務が主な仕事内容。
それを一度でも恥と思い、それならば見返して上を目指そうと思っていれば、ヘルトは変われたかもしれないのだ。
分かっている、だがその一歩が踏み出せなかったのである。
「スノウの言う通り、だよな。そう考えられるスノウはオレなんかより、ずっと大人なんだな」
ヘルトは俯き思う。
――何を言われても腹は立たないし、言われた事に恥じも感じない。
これじゃあ家畜と同じじゃないか……。
「……少し言い過ぎたようね。ワタシが冒険者でもないのに”冒険者失格”とか言って、ごめんなさい」
「いや、いいんだ」
「アナタは人が好すぎるわ。そんなアナタにつけ込んで悪い事を考える人は多いのよ。悪い人間を増やす行い……それを正義とは言わない。善人が全て正しい世の中など、どの世界へ行っても存在しないのだから……」
不思議にも心に響く言葉だった。
スノウの過去は、どのような世界で、どう生きてきたのかをヘルトは知らない。それでも、これが記憶を保持したままの転生者なのかと。
転生者とは転生前の記憶が残っていることから、実質通常の二倍生きることになる。それは長年生きた分、経験が豊かということだ。
その数十年の差が、ヘルトには大きな壁となりスノウからそれを感じた。
「……けれども、ワタシはアナタの生き方が嫌いでは無いわ」
「そ、そうかな? 嫌われてなくて良かったよ……ははっ」
頭を掻きながら照れくさそうに笑みを浮かべるヘルト。
そんなヘルトにスノウはまだ言えない事が多くあった。
――ヘルト、ワタシのこの性格は転生前の記憶が原因なのよ。
人に騙されて得する人間などいないのだから……
今のワタシには人と疑うことしか出来ないの。
アナタのように疑ることを知らない人間には戻れない……。
心中、スノウは思い悩む。
まるで過去の自分と重ねるように。
「すまないな、オレはこんな生き方しか出来ない。でも、こんなオレでも両親以外に護りたいものが出来たんだ。強くなってみせるよ」
「……護りたいもの?」
「それは――」
ヘルトはスノウとモモを流し見た後、照れ笑いしながら告げた。
「スノウ……かな。オレにとっては初めて出来た本当の仲間だから、ね。勿論、モモもだけど――、って迷惑だったかな?」
スノウはこれを聞き、突然ヘルトから目を逸らす。
「え? あ……何か変なこと言って、すまない」
ヘルトは格好つけすぎたと反省した様子を見せる。
――なんか、実力も無いくせに他人を護るとか、無いわな……。
こんなことを思うヘルトを余所にスノウは。
……な、なにを言っちゃっているのかしら!?
ヘルトのくせに生意気だわ!
べ、べつにアナタに護ってほしいなんて、思ってないんだからー!
と、心中のみツンデレな様子だった。
ヘルトはスノウの様子が気になり、顔を覗き見る。
「ん? 顔、赤いけど? そんなに怒っているのか……参ったな」
「ミャウッ! スノ、あかい!」
頬を真っ赤に染めたスノウが口を開く。
「あ……暑い、だけ」
「え? どちらかと言えば寒――」
ヘルトの言葉を打ち消し、スノウは怒号する。
その寒さを忘れるくらいに。
「暑いと言ったら、ア、ツ、イ、のォオッ!」
――激熱、だ。
ヘルトは少しチビッた。
「お、おう……」
スノウは再びヘルトから顔を背け思う。
……ヘルト、ごめんなさい。
アナタへの優しさは、意図的なものであり利用したいだけなの。
だからワタシを護る必要はないのよ。
”ワタシは今でもアナタを騙している”のだから……。
スノウには心に潜む闇がある。
そんなスノウの気持ちなどヘルトには分かる筈も無く、いつの間にか雲の隙間からは陽が。
「ミャッ! へるとぅ、おヒサ、おヒサ!」
「お。雨、止んだみたいだな。そんじゃ行こか」
雨上がりにさした陽の光は、いつもと変わらず地に降り注ぎ、いつもと変わらないヘルトを照らした。