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「手間を取らせて済まなかった」「何。こちらこそ情報提供感謝するよ、ジェイ弁護士」
リグル中央病院中庭。貴重な携帯電話使用可能エリアで、私はベンチに掛けたまま電話越しに頭を下げた。
「本来ならば私が直接出向くべき事案だったのだが」
『いや。ああなってしまっても、あれはまだ一応僕の部下だからね。にしても、まさか総指揮官の顔まで忘れられているとは思わなかったよ。これも「呪われた子供達」の力の後遺症かな?』
そう言って通話の相手、副聖王エルシェンカは溜息を吐いた。勿論、私がテロリスト達と密かに繋がっている事など、彼は露程も知らない。Dr.メアリーが私の命の恩人である事も、先日の逮捕に微かな義憤を感じている事も、何一つとして。
「書類はついさっき、部下に郵便局へ持って行かせたよ。速達だから明日にはそちらに届いている筈さ」
「感謝する」
親権移譲を始め、副聖王には被告の家屋と財産の大半の処分するための書類へのサインを依頼していた。売却利益は方々への借金返済とミトの入院費、及び彼の教育費に充てる予定だ。
「因みにあれの処遇についてだが、既に“衛星三番”の特殊医療刑務所への移送が決定している。何せ酷い譫妄状態の上、毎日のように元同僚達へ暴力を揮う始末だ。こっちの施設の医師達も胸を撫で下ろしているよ。鎮静剤もタダじゃないからね」
ジョシュア少年の邪眼のせいばかりでは無い。バントレー・ディタントは最初から、正気の皮を被った狂人だったのだ。
「虐待に加担した他の三人は」
「安心してくれ、そちらも既に特定済みだ。別の病院で治療中だが、明日にも緊急逮捕させる。当面は同じ刑務所に放り込んでおく予定だ」
「そうか……感謝する。これで彼女にも良い報告が出来る」
骨と皮に痩せ細りながらも息子の名を呼び続け、息を引き取ったクライアントの顔が脳裏を過ぎる。あと僅かの間、十数時間さえ持ち堪えてくれていれば……。
「まぁ自白状にもサインさせたし、君が提供してくれた物的証拠も充分だ。実刑二十年は確約するよ」
ははは!流石数百年に亘り宇宙の秩序を司る者、清々しい程冷淡だ。
「だが親権を得るために、私はあなたへ多くの嘘を吐かせてしまった」
「あれ位どうって事無いよ。大体、話が上手過ぎる。廊下に控えさせた看護師達なんて、砂糖瓶を口に突っ込まれたような顔していたよ」クスッ。「あんな子供でも簡単に見抜ける嘘、真に受ける方が悪いのさ」
成程。不老の男にとっては人心掌握など朝飯前、と言う訳か。
「では罷り間違っても刑期が短縮される事は無い、と」
「少なくとも僕の目が届いている内はね。もし刑期中に放免される事態が起こるとすれば、それは致命的なレベルの手続きミスか、或いは―――凡そ余計な事しかしでかさない、迷惑千万な四天使様の仕業に決まっているさ」
その後、今後の予定について二言三言交わし、再度礼を述べて通話を切った。そして携帯を革鞄に仕舞い、三階の彼の病室へ。
「―――願わくば、あの子にだけは幸せに生きて欲しいものだ……」
ふと気が付くと、包帯を巻いた右手首を無意識に強く掴んでいた。忘れたくとも到底忘れ得ない、消去不可能な往年の徴を。
(Dr……何故、あなたが捕らえられなければならないのだ……?)
私はまだ、何も返せてはいないと言うのに。
緩い焦燥がピークに達すると同時に、目的の階層へ到着。深呼吸で精神を落ち着けつつ、一番奥の個室へ歩を進める。
(いや、一番焦りを抱えているのは本人の筈……彼女が何時戻って来てもいいよう、残された彼等に力添えしなければ)
問題無い。子供の成長は早いと言うではないか。ミトが大きくなる頃には、きっと会えるに違いない。豪放磊落で、駄洒落と腐小説をこよなく愛する恩人に、きっとまた。
ノックして声を掛け、扉を開放。包帯は入院初日の約半分、栄養剤の点滴も今朝方無事取り外された。日毎に元気になっていく姿を見、抑えていた万感の思いが溢れ出す。ベッドの上の小さな身体を両腕に抱き締め、らしくない感涙を堪えながら私は告げる。
「おかえり、ミト」「?何言ってんだよ、帰って来たのは母さんの方だろ。って言うかここ病院だし」
金色の癖毛を揺らし、鈴が転げるのにも似た声で息子は笑った。
「まあいいか―――ただいま、母さん。さ、今日は何の話してくれるんだ?」