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 跨いだそれは、よく見ずともゴミではなかった。いや。正確には生ゴミになりつつある物か。

 床に転がった少年は推定五、六歳。不法侵入者にもピクリとも反応せず、天井へ虚ろな目を向けている。衣類は何時洗ったとも知れぬ、汚れ切ったTシャツと短パン。手足はマッチ棒のように細く、至る箇所を暴力でデコレーションされていた。

「おい、お前」

「………」

「チッ、やっぱりダメか。まあ、だろうね……」

 児童虐待野郎が何時帰宅するかは分からないが、最早この餓鬼の命は風前の灯火だ。僕が今ここで見捨てればジ・エンド。悠々御帰還の家長は哀れな死体を詰った後、繁茂する野草共の肥やしにしてしまうに違いない。

(クソ。暴力や支配なんて、こっちはいい加減ウンザリしているのに……)

 何処へ放浪しても、結局異端者の末路は同じ。仮令道を踏み外さなくても、ある日突然に虐げられ、惨めな人生を辿らされる。彼の命は時に一個のパンより軽く扱われ、あっさり終わらさせられてしまうのだ。


―――僕の最古の記憶の中で惨殺された、哀れなママ達のように。


「……ああ、くそっ!仕方が無いなあ!!」

 今から行う全ては、運悪く『ホーム』のお人好し菌に感染したせいだ。虚無主義の僕らしくもない。こんな死に損ないの餓鬼を一人助けた所で、何も変わりやしないのにさ!

 身動ぎすらしない両肩を抱え、バスルームまで引き摺る。途中、廊下に落ちた一冊の絵本が目に留まった。ページの中のピーターパンの小憎たらしい笑顔に、苛々を募らせつつ足先で脇へとどけた。


 キュッキュッ、サァァ……。「全く、一体何ヶ月入ってないんだよ。とんでもなく汚いぞ、君」


 まずは護身用ナイフで服の残骸(流石に二度と着ないでしょ。洗濯機で回したらバラバラに解ける事請け合いだ)を切り裂き、少年を全裸にさせる。そのままタイルに転がし、脚先から順にぬるま湯のシャワーを当てた。久方振りの流水を受け、垢やフケ、頭に巣食っていた虱が排水溝へと吸い込まれていく。

 続いて僕も脱衣所で服を脱ぎ、餓鬼の隣に座って黴た垢擦りを滑らせる。一通り擦り終えると、今度は石鹸の泡立つスポンジにチェンジ。生憎シャンプーとリンスが見当たらなかったので、泡をベトベトの金髪にも擦り付けて念入りにゴシゴシする。

「―――良し。こんな物か」

 見違える程綺麗になったが、相変わらず心を閉ざした当人は無反応のままだ。それは水滴を拭き取り、クローゼットから引っ張り出した下着を着せ掛け、リビングへ戻っても変わらなかった。放熱で体温が下がると危険なので、寝室から毛布を持って来て着せ掛ける。

(さて。怪我の治療は大人共に任せるとして、果たして何処へ連絡したものか……)

 馬鹿正直に警察や医者を呼ぶのは勘弁だ。暗示でこちらを大人だと思い込ませば、一応事情説明は可能。が、未だ一昨日の疲労が残る現段階では一人、多くても二人が限界だ。なるべくなら顔を合わせずに押し付けたい所。

「おい、お前の母親は何処へ行ったんだ?父親以外に頼れそうな当ては」

「………」

「チッ、じゃあ家捜しさせてもらうからな。手掛かりが見つかるまで、くれぐれも勝手に死ぬんじゃないよ」

 まずは玄関戸から顔を出し、周辺の無人を再確認。そして家屋から二メートル程離れた郵便受けの前まで行き、数日分の配達物を引っ掴んで居間へと舞い戻った。

 新聞は取ってないらしく、封筒ばかりが全部で七通。一番分厚い茶封筒はリグル小学校から。内容はミト・ディタント君への入学案内書だ。

「ふーん。ミトって言うのか、お前」

「………」

「で、こっちの二通は飲み屋からの督促状だな。お前の父親、ツケが相当溜まっているらしいよ」

 どちらも額は十万未満ながら、直筆の手紙には静かな怒りが籠められていた。同封の明細書には、明らかに飲食物ではない記載もある。とんだ悪酒飲みだ。

「そして残りの四通は―――ビ・ジェイ個人弁護士事務所?待てよ、こいつは……」

 間違い無い。『ホーム』の守護者、コンラッド・ベイトソンの財産管理人だ。確かメアリーの元患者とかで、一度だけ『ホーム』で見かけた事がある。無口ながら滅法な美人で、実年齢は三十五歳と聞いたがまだ二十代前半に見えた。

 手紙は全て嘆願書だ。書かれた言葉こそ丁寧でバリエーションに富んでいるが、要するにミトを自分が保護する母親の元へ帰せ、でないと法的手段に訴えるぞ、との内容。度重なる無反応に、流石のオートマチック・ライアーも憤怒を募らせていたのだろう。昨日消印の一通に至っては、後半かなり字が乱れていた。

「へえ、しかもこの街に事務所があるのか。これは好都合」

 となれば善は急げだ。同封の地図入り名刺をポケットに仕舞い、早速正気を手放した眼を覗き込む。


―――そこで見たのは幼子を襲う、果てしない暴言と暴力の嵐だった。


(成程。虐待に加担したのはあのゴリラだけじゃないな。他にも一、二……三人、か。この女の掠れ声はきっと、先に逃げた母親の物)

 おぞましき記憶に厳重な封をし、無垢な精神を掬い上げる。しかし操作を行う過程で、僕自身も幾らかダメージを貰ってしまったようだ。現実へ焦点が戻った瞬間、ズキッ!目の奥が痛み、少年の顔が一瞬歪んで見えた。

(僕らしくもないね……さて、取り敢えず正気にはした。あとはどんな設定でここから連れ出すかだけど、そうだ)

 うん、これは中々良いアイデアだ。




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