9 地下牢 2
小窓から射し込んでいた光は、角度を変え、やがて消えた。夜が来たのだ。
時折、重い靴音が扉の向こうに近づき、また遠ざかった。見回りの兵士だろう。
静かな夜だった。内海の水が壁の向こうを静かに叩いている。
・・ ・・ ・・
軽い足音が聞こえた。階段を降りてきて牢の前で止まった。扉の下のわずかな隙間から、皿が押し込まれてきた。
若い女性のかすかな声が聞こえた。
「どうぞお食べ下さい、見知らぬお方。私にはこれぐらいのことしかできません」
落ち着いていて、上品な話し方だった。
「父上は、あなたに何かしらかの恐れを抱いている。そうでなければ、すぐにでもあなたを殺していたでしょう。王子からお預かりしたお方とはいえ、なんとでも言い訳は立つのです。父上の感じた恐れに私は賭けてみたい。
どうか、マロリー国王の魂をお救いください。そして戦いが始まらないように。父上の野望のために、人々の血が流されることのないように」
声の主は、ミゼッツ公の娘、クリス公女だった。
滅多に人前には姿を現さないが、その美しさは国中でも有名だった。
ティールが言葉を発する間もなく、クリス公女は静かに階段を上っていった。蓮華の花のような甘い香りが一時、闇の中に残った。
ティールの心にほのかに灯りがともった。
・・まだ終わっちゃいない。僕はまだ生きている。それに、この旅は自分から始めたのだ。押し付けられたこととはいえ、メージュの夜など見なくても良かった。しかし、僕は見た、自分の意志で。旅の終わりも決めるのは自分だ・・
ティールはクリス公女から差し入れされたスープを喉に流し込んだ。冷めてはいたが、これまで味わったことのない上質な香料で味付けされていた。
・・今できること、それは眠って体力を保つこと・・
空になった皿を岩壁の下の亀裂に押し込み、ティールは目を閉じた。
翌日は、再び金属のかち合う音で目が覚めた。岩の上で寝ていたため、身体の節々が冷たくこわばっていた。しかし、十分に寝たせいか、頭はすっきりしていた。
ティールは目前の扉を押した。
昨日と同じだった。苦笑いが顔に浮かんだ。
・・これでは餌を前に金網で阻まれているニワトリと同じだ。金網にいくらくちばしを突っ込んだところで餌には届かない。錠前の鎖が解かれなければ扉は開かない・・
牢内を見回したティールは、飛び上がって、光の射し込む小窓に両手をかけた。身体を引き上げると、内海を挟んで国王の島の一部が右端に見えた。
日差しを受けて、なだらかな丘が緑色に輝いている。あの丘を駆け降りて城に招かれたのが、ずっと以前のことのように感じる。
と、その時、あることを思いついた。
・・広く見渡す目、監視塔のロイド兵士からは、この場所が見えているはず。このちっぽけな窓など、無数の砂粒の一つみたいなもの。でも、輝く砂粒は目を引くものだ・・
ティールは床に降りた。
服の裾を破って手に巻き、銀色の破片をしっかりと握った。再び飛び上がって片手でぶら下がると、破片を握った手を小窓に突っ込んだ。
・・ロイド兵士、気づいてくれ、あなたが渡してくれた物の輝きに・・
丘の頂上に向けて、屈折した太陽の光を何度も放った。
時は流れた。
牢内に光が射し込むとともに、ティールは小窓にぶら下がり、片手を突っ込んで光を反射させた。ほぼ毎晩のように、クリス公女から差し入れされる食事を口し、そして翌日のために眠った。
兵士達の打ち合う剣の音は、次第に無駄がなくなり、より鋭くなっていった。
口の中に土の味がしみ出すことが度々あった。
焦れったかった。ミゼッツ公の策略を知らない国王の兵士は、お決まりの巡視をのどかに続けているに違いないのだ。
・・信じるんだ。ロイド兵士を、そしてサマロ王子を・・
ティールは心に念じた