8 地下牢 1
船はすぐにも隣の島に着いた。
青く澄み切った空とは対照的に、荒削りの黒い石を積み重ねた城が重々しく建っていた。城門の分厚い扉が、きしみながらゆっくりと開いていく。
黒服の男たちを率いてミゼッツ公は進んだ。
城内は、一面に平石が敷き詰められており、土がむき出した所はなかった。草木は一本も生えていなかった。所々に甲冑に身を包んだ兵士が立っている。
城の主が帰ってきたというのに、彼らは全く身動きもしないで持ち場の役割を果たしていた。
中央の建物は飾り気がなく、壁には窓らしき穴がいくつか開いていた。人がいるのに活気が感じられない奇妙な城だった。
建物の入り口まで進んだところで、ミゼッツ公が振り返った。
「ようこそ、わが城へ」
大げさな歓迎のポーズだった。が、その声は冷たい。
「さて、羊飼い。ここでお前に二三尋ねたい」
ティールの心が不安で騒いだ。ミゼッツ公の顔は奇妙に引きつって笑っていたのだ。
「お答えできることならば、何なりと」
「簡単なことだ。お前は、あの若い王子、そして我が兄上を尊敬しているか」
「お二人とも尊敬しております」
「それはよい答えだ。では聞く。お前は、我が兄上を助けたいと心から思っておるか」
「もちろんでございます」
「当然の答えだ。兄上は誰にも優しく、何よりも心が広い。そして国の統治者としての力量もまずまずだ」
ミゼッツ公は苦しそうに笑いながら言った。
「だが愚かな王だ。我が身を犠牲にして、あの青臭い若造に国を任すなど」
公の顔から笑いが消えていた。
「あの若造め、兄上の魂が元に戻るまで、自分が国を治めるなどと申した。それが可能か、え、羊飼いよ」
「はい。サマロ王子様は立派なお方です。国中の誰からも慕われているとも聞いております」
ティールは無意識の内に、腰のポケットに手を入れていた。うすく尖った破片が再び指を傷つけた。
頭上で何かがきらめいた。
ミゼッツ公がいきなり腰の剣を抜いて、ティールに降り下ろしたのだ。
大きくのけ反って、辛うじて剣の切っ先を避けた。
・・逃れられない。王家の人の怒りを買い、剣を振るわれて逃げる資格など、羊飼いである自分にはないんだ・・
ティールは父から託された破片を握りしめ、その場に身を固くして立った。
ミゼッツ公の顔に再び奇妙な笑いが戻った。
「誰も彼もが言う、尊敬するマロリー国王。その後継者にふさわしいサマロ王子、そして名も上がることのない王の弟ミゼッツ。
まあ良しとしよう。今、お前を殺してしまっては、ちと都合が悪い。何しろ後継者サマロ王子からの預かりものだからな。
ゆっくり王を救う手立てを考えておけ。王と王子がこの世にいる間にな。
さあ、お前には特別の部屋を用意しよう、考え事にふさわしい部屋を。
連れて行け」
ミゼッツ公の声に、黒服の男達のうちの二人がティールの腕を荒々しく掴んだ。
城の主が靴音高く建物の中に入っていく一方、ティールは建物の隅に引きずられていった。
地面がぽっかりと黒く口を開けていた。
中には暗い階段が続いていた。錆びついた燭台に、燃え尽きた蝋がこびりついている。カビの匂いが充満し、壁の表面はてらてらと光っている。かなり湿気が多い。
階段を降りると、短い通路沿いにいくつかの扉があった。
男たちはその一つを開けると、乱暴に彼を投げ込んだ。壁の一部か、ひどく硬いものに頭を強く打ちつけ、ティールは気を失ってしまった。
・ ・ ・
頭がズキズキと痛んだ。
どこかで金属のかち合う音がする。ティールは薄く目を開いた。
高い所から光が斜めにさしている。視線を巡らせれば、そこは、大人二人が辛うじて横になれる程度の狭い空間だった。扉のほか、三方の壁は硬い岩がむき出しになっており、地面のくぼみには水が溜まっている。
・・ここは、城の地下牢・・
ティールは痛む頭を押さえ、冷たい床に座った。
また金属のかち合う音がした。そしてまた・・
音は扉の先、地上から響いてくる。甲高い音、低い音が混じっている。
・・あれは、剣を交える音、それに甲冑のぶつかり合う音・・
歓声や悲鳴は聞こえない。
・・兵士の訓練だ・・
音は幾重にも重なっている。かなりの数の兵士が戦いの訓練をしている。脳裏にミゼッツ公の不吉な言葉がよぎった。
『ゆっくり王を救う手立てを考えておけ、王と王子がこの世にいる間にな』
・・ミゼッツ公は国王の城に攻め入る気か。そんなはずはない。彼は国王の弟なのだ・・
ティールは不吉な思いを必死に打ち消そうとした。しかし、鋭く激しい音は否応もなく耳に響いた。
・・甲冑に身を包んだ兵士が、国王の城に攻め入ったら・・
国王の兵士が甲冑をつけるのは祭りの時だけだ。剣を交えての実践的な訓練もわずかの間、春と秋に開かれる剣術大会の前のほんの数週間である。
千枚羽の岩壁に守られているこの国は、外国との戦争など経験したことがなかった。さらに、主な島を治めている貴族達は国王の親戚関係にあり、マロリー国王の統治のもと、皆、友好関係を保っていた。内戦など誰も想像しえなかった。
・・サマロ王子とその指南役の近衛隊長は剣術に長けていると聞いている。 しかし、訓練を積んだ甲冑の兵士が押し寄せたら・・王国はミゼッツ公に乗っ取られてしまう。王子に知らせなくては・・
ティールは牢内を見回した。
飛び上がって手が届くあたりに、岩壁をくりぬいた小窓があり、光が射し込んでいた。小窓は子猫が通るのがやっとの大きさだ。かすかに水が壁を叩く音が聞こえる。壁の向こうは内海なのだ。
ティールはすぐ横の扉を、渾身の力を込めて押した。鈍い音がして扉は少し動いた。隙間の中に黒く光るものが見えた。太い鎖に拳大の錠前がぶら下がっていた。
いったん力を抜いてから、再び扉を押す腕に力を込めた。
干からびた喉からフイゴのような音を立てて息が漏れた。結果は同じだった。
ティールは地面に崩れた。
・・もはやここから出ることはできない。当然、僕はここに客として招かれたのではない。万が一に王を救う手立てを思いついたとしても、それを永遠に封印するために連れてこられたのだ・・
・・しかし、ロイド兵士は言った。旅立ちの時と・・
ティールはポケットから銀色の破片を取り出した。
前に握りしめた時に、手に食い込んだのだろう、いくつかの血糊がついていたが、その他には傷一つ付いていない。淡い光の中で、それは美しく輝いていた。
若者組の会合に参加してからの出来事が、頭の中を駆け巡った。
「・・父さん、いつの間にか始まった僕の旅は、この牢の中で終わってしまうのか ・・」
ティールは小さくつぶやいた。