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7 王の弟

扉が勢いよく開き、厚いカーテンの裾が静かに揺れた。

小柄で痩せた、目玉がギョロギョロと動く男が入ってきた。

男は、マロリー国王に近づくなり、力のない肩をかたく抱き寄せ、ついで王妃の手にうやうやしくキスをした。そして振り向きざまに王子に聞いた。

「兄上はどうなされたのだ」

男の目には涙が浮かんでいる。


「叔父上、急なお呼び立てして申し訳ありません」

王子は胸に手を当てて跪いた。

王の弟、ミゼッツ公だった。監視塔の緊急連絡を受けてやって来たのだ。

公の領地はこの島のすぐ隣り、少しでも泳ぎのたしなみのある者なら、すぐにでもたどり着けるところにある。しかし、良い噂は聞こえてこない。

ミゼッツ公の島から、若者組の会合に参加する者はいなかった。無論、理由はわからない。

ただ、風の噂でも良い噂がないというのは奇妙なことだ。それぞれの島の住民は皆、自分の領主を自慢したがるものなのだ。


ミゼッツ公はサマロ王子の丁寧な説明を聞きながら、ふんふんと頷き、時折、ティールの方をちらちらと見ていた。先ほどの涙は消えていた。


「アウロ メダ グレイ・・ホール ジン モート・・」

マロリー国王のつぶやきが大きくなった。

視線はやはり定まっていない。王のつぶやきは、ティールの胸の奥に刻まれた音と響き合った。

・・竜のうなりだ・・

先ほどから、王が繰り返していた意味不明の言葉はこれだった。


ティールの瞳が急に開かれたのを、ミゼッツ公は見逃さなかった。

「どうした羊飼い、何か思い出したのか」

「国王様のつぶやきは、私が耳にした言葉ともつかない竜のうなりとそっくりなのです」

ティールはおそるおそる言った。

いやしくも、王が竜と同じ言葉を発するなど、真実ではあったにせよ言うべきことではないように思えたのだ。

しかし、誰の目にも非難の色は浮かんでいなかった。驚きの表情とともに、すがりつく解決策がそこにあるかのように皆の目が泳いだ。一同は黄緑色のローブをまとった老医師の顔を見つめた。

この国の医者は、千枚羽の崖の上から船を降ろして外海に躍り出て、様々な国を訪問し、医学的知識を蓄えて戻ってきた者がなる習わしになっていた。当然、誰よりも多くの言語を知っている。


老医師は皆の見つめる中、王のつぶやきに耳を澄ましていたが、やがて首を振った。

「様々な国の言葉を耳にした私ですが、さて、このような言葉は聞いたことが ・・いや一度だけ・・」

「カトゥール先生、何でもいい、教えてください」

王子が懇願した

カトゥールと呼ばれた老医師は答えた。

「普通、言葉は息を吐きつつ発するもの。しかし、マロリー国王は、息を吸いながらもつぶやかれている。

私が外海からこの国に戻ってきた時、この不思議な声の出し方を一度だけ聞いたことがあります。内海にて溺れ、死にかけていたある男から聞いたのです。男はうわ言でこのような話し方をしていました」

「して、その男はどうした」

ミゼッツ公が息せき切って聞いた。

「あの名も知れぬ男は、そのまま息を引き取ったのです。とはいえ、あの男のような者は、まだこの世にはいるはず。解決策はあると思います」

老医師カトゥールはため息をつきながらも、可能性を捨てない強い言葉で言った。

沈黙が訪れた。王は相変わらずつぶやいている。皆、為すこともなかった。


沈黙を破ったのはミゼッツ公だった。

「羊飼いよ、この場を下がっておれ」

冷たい声が部屋に響いた。

「ありがとう、ティール。きっとまた、君に尋ねることがあると思う」

サマロ王子が固く口を引き、丁寧に言った。

「老いた医者のできることはここにはない。あとは王家の者だけの話し合いだ」

ミゼッツ公は老医師にもあごをしゃくった。

老医師はうやうやしく腰を折り、部屋を下がった。

ティールも後を追うように部屋を出た。黄緑色のローブが冷たい廊下の先に揺れている。

・・どこに行ったらいいんだ。家に帰るべきか、城の中で、王子の声かけを待つべきか・・


歩幅の大きいティールは、すぐに前を歩く小柄な老人に追いついた。

振り返りもせずに老医師は聞いた。

「紫色の瞳を持つ若者よ。お主はどこに住んでいる」

「この島の丘の中腹です。羊飼いたちの家の西のはずれに住んでいます」

ティールはほっとして答えた。

見知らぬ場所で、身近なことを尋ねられる時ほど 落ち着くことはない。

「それでお主の祖父、いや、曽祖父の名はなんと申す」

「確か、リークウッドという名前だったと聞いております」

「リークウッド、そう、懐かしい名前だ」

老医師は思い出にふけるように、遠い目をしてゆったりと歩いていく。


・・父さんにひい祖父様のことを尋ねても、消して答えてはくれなかった。しかし、この人は懐かしいという。どんな関わりがあったのか・・

「うーむ」

ティールの顔を覗き込んだ老医師が話した。

「リークウッドの血を引く若者よ。今のお主の瞳の色は、彼と同じだ。先ほどの話を聞いて、今になって、リークウッドの嘆きが真実だったことを実感した。故郷の国を救おうとした勇気ある男の話がな・・なるほど、その血をひくお主なら、マロリー国王の魂を呼び戻せるかも知れぬ」

老医師の言葉はこれから先は出てこなかった。

二人は幅広い階段を並んで降り、中庭に出た。

「少し時間を要すが、この辺りで待っていておくれ。お主に渡したいものがある」

老医師は城の裏側に歩いて行った。


ティールは中庭に一人残った。

先ほどいた近衛兵たちの姿は今はない。建物の影になった所で、五、六人の黒ずくめの衣装の男達が、いぶかしげにこちらを見ていた。

目の前には黄金の水盆に落ちる噴水がきらめいていた。小さなしぶきには、太陽の光を受けて虹がかかっている。

ティールは飛び石の一つに腰をおろし、ゆれる光の帯をながめた。

『アウロ メダ グレイ・・ホール ジン モート・・』

・・魂を失った国王に残された唯一の言葉、竜の言葉だ。一体、何を意味するのだろう。同じような言葉の使い方をした男がいたというが、その男も、竜に会って魂を無くしていたのではないだろうか。

それにしても王室付きの医者様が、ひい祖父様を知っていたなんて。それに、その瞳の色が紫だったなんて聞いたこともない。あの医者様は、ひい祖父様の血をひく自分に何を期待しているのだろう。・・そして僕はどうして魂を失っていないのか、それに父さんも・・


時はゆっくりと過ぎていった。

太陽はすでに天頂を超えている。水盆の上に架かる虹の帯が急に乱れた。

ミゼッツ公が靴音高くこちらに向かってくる。公が口笛を吹くと、黒い衣装の男達が音もなく、その後ろに集まった。ミゼッツ公の家臣だった。

「羊飼い、一緒に来い」

荒々しく呼んだミゼッツ公は、ティールの横を素通りし、中庭を抜けて行った。

ティールは周囲を男達に囲まれ、前に歩くようにせっつかれた。あわてて先を行くミゼッツ公に言った。

「恐れ入ります、公様。私はここで待つようにカトゥール様に言われたのですが」

「王の弟の命令だ」

短い返事だったが逆らえるはずはなかった。


軽い足音がした。サマロ王子が追いかけてきたのだ。

「ティール、私は持ちこたえることにした。父上は仮にでも、私にこの国を任されたのだ。君は叔父上の島に行ってくれ。いまだ多くの事を聞き、熟考されたいそうだ。君の家の事は心配ない。君の母上に事情を説明し、羊の面倒などを見るように手配をする。

我が父上のため、幸運をつかまんことを」

王子は内海に面する城の裏門まで送ってくれた。老医師の姿はまだ見えなかった。


ティールは男たちに囲まれたまま、港に停泊していた黒い陰気な船に乗った。

中央の座席にミゼッツ公が座ると、左右に五本ずつ突き出た櫂が動き始めた。船はゆっくりと岸辺を離れた。


老医師が城門から小走りに出てきた。手には、短い棒のようなものを握っている。

・・あれが僕に渡したいものなのか・・

しかしそれを見定めるには、すでに船は岸から離れすぎていた。

老人のしゃがれ声が響いた。

「また会おう、ティール。竜に出会った若者よ」


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