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1.オージン

どこまでも続く深く青い空・・。

その一角に不意に白い点が現れた。その点は、たちまちに垂直の太い線となった。

 ! !!  

次の瞬間、轟音が世界を揺るがした。

ダダダダダダ・・

想像を絶する大滝が、空の一角からほとばしり出ていた。


大滝の奔流の切っ先を受けた海原は、大らかな深みをもって受け止めようとした。だが、水流は、海底の岩盤をも壊すほどの勢いでかけ下り続けた。

空一面をおおった水煙の中、海は同心円状に膨れ上がり、世界の大地に無数の大蛇のように襲いかかった。


「なにごとか⁉」

高台の森の奥深くで暮らしていたオージンは、世界を揺るがす大音響に、小屋の扉を開いた。

にじんだ太陽の光のもと、天空まで伸びる巨大な塔が揺れていた。やがて、塔はゆっくりと傾き、逆巻く海原に飲み込まれていった。


「王よ、やはり、あなたはこの世界を滅ぼされるのか」

オージンは、その紫色の瞳で空を見上げ、悲しげにつぶやいた。


※     ※     ※


はるか昔のこと、地上では権力を求める人間の争いが絶えなかった。大地を流れる川には、恨みの悲鳴を残すまでもなく、命を絶った者たちの流血が常に漂っていた。


ある時、強大な権力を得た一人の王が生まれた。

すでに地上の全世界の征服を終えていた王のもとに、一人の家来が奇妙な死骸を献上した。朽ちたその動物の背には、左右に突き出た逞しい骨が伸び、まばらながら、その表面には羽根が付着していた。東方の平野のある場所を中心として、さらに何体かが落ちていたと家来は語った。


征服の野望の矛先を失い、日々を憂鬱に過ごしていた王の瞳に再び炎が宿った。王は玉座から立ち上がり、空を指さして宣言した。

「地上の世界を征服した我は、やがては天地の覇王なり」と。

その指さした空の先には、翼の生えた動物が飛び交う新たな侵略の地、天界の国があったのである。

王は、かの東方の地に巨大な塔の建造を始めた。

無論、一代で天界に至れるわけではなかった。が、野望は世代を超え、次々と王を変えながら継承された。

千年余りたった時には、塔の先端は、雲の流れる層を超え、実際に天界に通じる入り口のわずか下にまで伸びていた。


歴代の天界の王は、愚かな人間の住まう別世界のことと気に掛けることもなかった。しかし、ついに事態は、黙視できる状態ではなくなったのだ。

天界の王にとって、今や下界は、争いを好み、飽くなき欲望を抱く人間の住まう世界・・壊滅すべき邪悪に満ちた世界となった。


王は、偉大なる天界の造形師オージンを呼び寄せ、命じた。

「下界の大地を切り裂き、全てを焼き払う竜を作るのだ!」と。


オージンは、自ら命を吹き込んだ白い天馬にまたがり、下界に降り立った。

彼は黒い針葉樹の森の奥深くに、最高の巨木を見つけた。

風雪に耐えながら刻々と年輪を増やし続けたその巨木は、他のどんな木よりも硬く、切り口は大理石のように滑らかだった。

神のごとき技により、巨木は、恐ろしくも美しい竜へと彫り込まれていった。


やがて、命を吹き込むために、その名を呼びかける最後の時がきた。

今にもオージンがその名を口にしようとした時、森の中に一人の娘が迷い込んできた。

オージンは絶句した。その娘は、若くして悪漢に命を奪われた最愛の妻にそっくりだったのだ。

「妻を亡くし、生きる目的を失っていたわしに、再び造形師としての役割を与えてくれた王よ。そしてこの美しい娘との出会いを目論んだ運命よ。一体、どうしたらよいのだ」

天界にその名を轟かせ、誰よりも王の寵愛を受けていたオージンの心は揺れた。が、結論はすぐに出た。

「王には感謝している。しかし、わしは自ら運命の舵をとる」

オージンは、竜の巨像を前に気絶せんばかりの娘をしっかりと抱きしめた。


天界の王は苛立っていた。いつまで待ってもオージンは帰らない。

天界の門から、はるか下界を見下ろしても、立ち登っているはずの激しい炎の痕跡も見出せない。

それどころか下界よりせり上がってくる黒い塔の先端には、しきりに石を積み上げる人間たちの姿がはっきりと見えたのである。


王は、人々の暮らしを巡視するためにオージンに作らせた 金色の瞳をもつ鷹を下界に放った。

下界から戻った鷹の瞳には、いつものごとく愚かな人間の社会が映し出されていた。さらにその片隅には、美しい下界の女と楽しげに暮らすオージンの姿があった。

「彼は天界を捨てたのだ」

王は悟った。

心に強い怒りと遺憾が宿った。そして一方でかすかな安堵を感じた。

人の技を超えた造形の術を持ち、自ら作ったものに命を宿すことさえできるオージンに、王は畏れを抱いていたのである。そして今や、彼は王の手元から遠く離れた世界にいた。

王は、下界の人間の世界を壊滅させるため、そして一瞬感じた安堵の心を確実にするために、ついに最後の手段をとった。

天界の広大なる湖の底にある詮を抜いたのだ。


※     ※     ※


オージンは愛する女性を抱き寄せ、木立の奥に向かって叫んだ。

「ドゥルフェン、我が元に」

鋭い羽音とともに、美しい天馬が木々の間を縫って現れ、主人の前に降り立った。

オージンは女性とともに天馬にまたがった。

「もはや一刻の猶予もならぬ。ドゥルフェン、空高く舞い上がってくれ」

「・・かしこまりました・・」

心の声で答えた天馬は、翼にまといつく水煙をものともせず、大きく羽ばたいた。


空に舞い上がって行く途中で、オージンの腕の中に支えられている女性が聞いた。

「あなたが命を吹き込もうとしていた竜は、どうなされるの」と。

オージンはすぐには答えられなかった。が、ある決意をした。

「ドゥルフェン、わずかの間でいい、竜の像のところに戻ってくれ」

天馬は翼を折り、巨大な竜の彫像のもとに向かった。


オージンはまぶしい輝きを放つ小刀を一振りし、根元の台座から竜を解放した。そしてその耳元で言葉を発した。

天馬は襲いくる洪水を間一髪すり抜け、再び空の高みに舞い上がった。



地上の大部分は海中に沈んでいった。辛うじて洪水を免れた高い山の峰が点点と姿を残していた。

天馬は羽ばたき続けた。主人からの目的地の指示はなかなか出なかった。

王の命に背いたオージンにとって、天界は帰れる故郷ではなかった。彼は、天馬の強靭な翼の音を聞きながら、寄るべき大地を探した。

やがて、天界から降り落ちる水の流れが止んだ時、オージンは一つの高山を指さした。


山に降り立ったオージンは、自分が生きていることを天界に知られないために、辺りを霧でおおった。そしてそこに住んでいた人々とともに、地上の人間としての生活を始めた。

彼はもはや、天界の造形師としての大掛かりな技を示すことはなかった。派手な技は、必ずや天界の王の知ることとなるからである。



地上をほとんど飲み尽くした大洪水は、時の流れとともに大地に吸収されていった。生き残った人間たちの新たな生活が始まった。

人々の中には、襲いくる大洪水の中で、白く輝きながら空に昇っていく竜の姿を見た者が少なからずいた。

オージンが最後の瞬間に、命を吹き込んだのに違いないが、地上の人間としての生活を始め、やがて死を迎えた彼の亡き後、事の詳細を知る者はおらず、全てが伝説の中に埋没していった。


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