パスト~夢~
その日は眠かった。だから寝た。
授業が終わるまで我慢してたのは我ながら偉いと思う。
ヒヤッ。
変な感触がして目が覚めた。
まだ感触の残っている額に触れると、わずかに湿っていた。
「あっ、起きたんだ?」
瞬間、私は身を強張らせる。
目の前に人が立っていた。背の高い男子。そしてその手には……お茶の入ったペットボトル?
寝起きでまだぼんやりした私の顔を見て、その人は失礼なことにクスクス笑い出した。
「いや……さ、あんまり気持ちよさそうに寝てるから、ちょっとイタズラしたくなって」
笑いながらペットボトルを揺らして見せる彼。
私は額の冷たさの理由がわかり、ぼそっとつぶやく。
「ドS」
そのあとは再び机に突っ伏す。
「はっ、この状況でもまだ寝るわけ?」
呆れ返っているのかと思いきや、またもその人は笑った。お腹を抱えてとかの豪快な笑いではないけど、本当に面白がってるんだろうなと思わせる笑い方だ。
「放課後、教室で爆睡って女子としてどーなの。つーか家帰って寝ろよ」
彼の突っ込みはもっともだけど、聞こえないふりをする。
そういえばこの人誰だろう。私は今頃思った。クラスメイトだろうか。わからない。だって興味ないから。
それより今は安眠の方が大事。
彼を無視して両腕に顔をうずめていたら、
「アサヒ。いつまで寝てるつもりだよ。襲われるぞ」
……完全にからかわれている。
「アーサーヒー」
もしかするとかまってくれないと死んじゃうタイプなんだろうか。……ウサギじゃあるまいし。
「アサヒ?」
それにしても私の苗字を連呼しすぎだ。しつこい。うるさい。はっきりいって邪魔。
私は仕方なく顔を上げた。
「もう、うるさい」
クスッ。
「……寝癖ついてるし」
「だからうるさい!」
何がそんなに笑えるのか知らないけど、その人は腰を折って笑いをこらえようとしている。
私は寝癖のついた前髪を手ぐしで整え、相手を睨む。
「そんなに笑うなんて失礼でしょ」
「あーごめん。あまりに面白すぎて」
「だから何が?」
「特に名前が」
「……なんのこと?」
私は怪訝に思って眉をひそめる。旭真日。私の名前のどこがおかしいの?
すると彼はふと笑いを収めた。
「あれ、気づいてない?」
「だからどういう意味?」
「……そっか、ならいーや」
相手は私の知らないカードを持っている。興味のないことにはとことん無知な私には日常茶飯事な状況だけど、今回だけは異様に気になった。
「どういうこと?説明してよ」
「だからもういいって。……ところでアサヒ、お前寝不足なの?」
彼は話をそらした。
私は怪訝に思いながらうなずく。
「昨日遅くまで本読んでたから」
答えながら、きっとすぐに疑問を持っていたことなんて忘れるんだろうな、と思った。なにしろ、興味のないことには無知なだけでなく記憶力も働かないのが私だ。
「読書か。予想通りインドアだな」
「馬鹿にしてる?」
「いや、別に。馬鹿にしてるように聞こえた?」
「馬鹿にしてるようにしか聞こえなかった」
すると彼はまたあの笑い癖を発症させた。
対して私は不機嫌極まりない。安眠妨害禁止法みたいな法律ができればいいと本気で思った。
「そういえば、部活戻らなくていいの?」
彼はメッシュの真っ赤なランニングシャツを着ていた。どこかの運動部の練習着だ。大手ブランドメーカーのロゴが入ったタオルを首に引っかけながら、
「うーん、もう少し休憩」
と伸びをする彼。それからふと動きを止める。
「アサヒお前さ、友達いんの?」
失礼な質問だ。
「いるよ、友達ぐらい」
「ふーん。……髪、長いな」
「いきなり何?」
「シャンプーの匂いする」
気づくと彼の顔が近かった。というか近すぎ。
「……きゃ」
「ん?」
「くすぐったいから!今すぐ離れて!」
頬や首筋や、とにかくいろんなところに彼の髪が当たる。彼は男子にしては髪が長くて、そして細い。
あれ?
私はなんとなく違和感を抱いた。西日のせいだろうか、彼の髪が不自然に光って見えた。
「アサヒー!!」
突然名前を呼ばれた。でも呼んだのは彼じゃない。声は教室の外からだった。
廊下に人が立っていた。リスの尻尾のごとくクルンとカールしたポニーテールの女子。彼女はそのままずかずかと教室に足を踏み入れた。
「ちょっとアサヒ、こんなところで何してるの?」
妙に馴れ馴れしかった。見覚えがあるようなないような微妙な顔だ。
クスッ。
彼が笑った。
「呼ばれてる」
気づいたときには朝だった。まだ目覚まし時計がなる前。
私は夢を見ていた。