モットモ偉大だ という事
行き止まり だよ 。
モットモ 偉大で 在り続ける
というのは
見晴らし は ヨイが それだけだ 。
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吹き抜け は お洒落だね 。
空いて いるから 。
貫通して 在るから 。
空間に
大きな 飾りが 綺麗だ ね 。
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かつて モットモ 偉大で 在ったものを
イクツカ 知っている 。
祖父
両親
兄弟
親族 。
その技術 。
モットモ というのは
見る 僕の
かなり 限定された 思いだ 。
当然 錯誤 が 混じる
と
考えても
それほど 間違いでは ない
だろう 。
僕も 子供だったんだ 。
どこにでも 在る
アリフレタ モノだと 知りも
しなかった 。
その確認も
モチロン 考えた事も ない
なかった 。
裏をトル
なんて
知ったのは 12の辺りかな
それが 馴染んだのは
それから
それから だ 。
歳を取ってから だ 。
そうだ 。
と
思えば そうなんだ
現実 なんだ 。
そんな はずは ないのに ね 。
確かに
現実では あっても
自身の 認識と
それに ドレホド
ズレが
在る かは 測り 難い 。
主観の根幹を 切り替えるのは タイソウ ホネだ 。
偉大な存在の
モットモ偉大な業とは
偉大さ の 更新
と
偉大さ の 終焉 。
かつて 幕を揚げ
いづれ 幕を降ろす 。
新しい 段階に 人を 放り出す 。
それまでの 偉大さ の輝きは 変わらずとも クスミ
次のモノが 強く 輝く 。
少なくとも そう 演出する 。
先は 長い から 。




