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お返事ください

作者: 藤本乗降

【百八十二通目】

 山が新緑に活気づく季節になりました。お元気ですか。

 こちらは子供も育ち、日々の楽しみといえばあなたとの手紙のやりとりくらいです。これまで趣味という趣味もなく、ただぼんやりと生きてきた女ですが、この手紙に関しては、今までにないほど真剣になっている自分がいます。大げさではありませんよ。

 あなたと最後に会ったのは、もう半年前ですね。あれからずっとお便りを貰っているので、不思議と寂しい気持ちはしません。あなたが送ってくださる和紙の手紙を見るたびに、私は涎が出るほど飛び上がってしまうのです。こんな姿を誰かに見られたら、と考えるだけで、恥ずかしさが止まらなくなります。

 同封した押し花は見ていただけましたか? 庭の朝顔を一輪、挟んでおきました。

 気性の荒いあなたのことですから、きっと花言葉などはご存じないでしょう(知っていたらごめんなさいね)。《固い絆》。まさしく、私たちのことですね。

 ずっとお会いしていないのに、あなたとの間には深い繋がりを感じています。郵便屋さんが来るまでの間、空をぼうっと眺めているときなどに、ついつい続きのお手紙を考えたりもするのです、まだ返事が来ていないのに。あなたからのお返事を想像することもあります。そうしてあっという間に日が暮れて、郵便屋さんがにっこり笑いながら、お手紙を届けてくださるんです。

 ですが、朝顔のもう一つの花言葉は《儚い恋》。寝る前にふと、このままずっとあなたに会えないまま、手紙だけの関係で終わってしまうのかと考えてしまいます。

 私も歳を取り、最近では坂を一つ越えるだけでやっとになりました。半年間というのは、なんて短く、長いのでしょう。昔はまだ、あなたの家まで歩くことができたというのに。

 あの日、あなたは言ってくれましたね。

「手紙を送るよ。楽しみに待っててくれ」

 と。その翌日に届いたのも、和紙の手紙でした。あれを契機に、もう百数度のやり取りをしたことになりますね。その手紙の中で、私は何度も何度も同じことを尋ねました。しかし、その答えを見ることは叶わず、きっとこれからも叶わないでしょう。これはもう、個人の力でどうにかなるものではないと思うのです。亡くなった祖父もたいへんな偏食家だったと聞きます。呪い、とでも言えばよいでしょうか。あまり使いたくはない言葉です。

 こんな老体になって、もう新しいことを始めることはできないと思っていました。ですが、歳をとって執着が離れると、良い意味で「どうでもいい」と切り替えることもできます。

 私はここで、告白することにいたしました。

 私はあの日、あなたがわざわざ送ってくださったお手紙を、読まないまま食べてしまったのです。

 あまりに珍しい紙に目を奪われたときに、歯車は狂ってしまいました。あなたのくださる和紙の美味しいこと美味しいこと、涙が出るほど、私の舌には合っていたのです。

 恥を承知で、また同じことをお尋ねします。あの手紙には何と書かれていたのでしょうか。またその次の、そのまた次のお手紙には何と?

 これまで幾度、この厚かましい言葉を書いたことでしょう。自然の移ろいや長々とした徒然事の中に、そっと忍ばせるよう書いてきましたが、それもおしまいです。

 軽蔑したでしょうね。しかし、これが私なりのけじめです。呆れて物も言えないなら、次のお手紙は出してくださらなくても結構です。いえ、むしろ、是非そうしてください。もしかすると私は、あなたに嫌われるためにこの手紙を書いたのかもしれません。和紙の美味など言い訳なのです。

 ほんとうは、あなたの手紙を見てしまうのが怖い……そう思ったとたんに、口は開いてしまう。

 再び届けば、きっとまた欲望に支配されてしまうことでしょう。舌が望むように、そして、後ろ暗い感情に命令されるように。

 ですから、返事は出さないで。どうか、出さないでください。


                            ご多幸を願って くろやぎ





【百八十三通目】

 お前もなかなか根性のあるやつだな、くろやぎよ。

 昨日は綺麗な洋紙のお手紙、どうもありがとな。いつもより短かったんで油断しちまったぜ。あれには驚いた。挟まってたあれ、何て言うんだ? 植物を送るなんて反則だろ、と思ったんだが……まあ許してやる。なんてったって俺は言い出しっぺだからな。チャレンジャーの振る舞いに余計なチャチャは入れないもんさ。

 この勝負を初めて半年か、思えばずいぶん長いこと、俺たちは互いの胃を削り合ってるわけだ。勝負を持ちかけたのは俺だったっけ。確かこう書いたよなあ。

「いい紙を手に入れたんだ。爺さんの倉庫から大量に見つかってな、一人で食うにはもったいねえから分けてやるよ。ついてはお前も、こいつほどじゃなくても、そこそこウマい紙をお返しに送ってくれよ」

 とか、こんなんだったか。それからすぐ、お前が送ってきた紙は、なんだありゃあ!

 原稿用紙を百枚も送ってきやがって!

 ああ食ったよ、死ぬ気でな。まさか、穏やかな小娘がこんなぶっ飛んだ挑戦をするたあ驚いたぜ。

 それから大食い対決が始まったんだったな。郵便屋に審判をとってもらって、どちらが先に「もう腹いっぱい食い飽きた」って言わせるか。

 だから俺も負けじと手紙を書いた。読む気はしなかったが、お前の原稿にはびっしり字が書いてあったんでな。白紙のまま返したんじゃ俺の主義に反する。

 すぐ気が付いたよ。俺は手紙を書くのに向いてない。三十分もペンを持ってると頭が痛くなってくるんだ。だが俺にはこの胃袋がある。

 知ってるか? どうやら賭け率は俺に傾いているらしい。まあお前のことだから、村中の奴らが賭けをしようが平常心を保ったままだろうけどな。あんな山奥に住んでるんだ、お前に賭けてる野郎どもは、その得体の知れなさ、トリッキーな戦法に一か八かを委ねてるんだと。郵便屋も言ってたぜ、最近じゃあ泣くほど喜んでるんだって? お前さんにゃ敵わねえな。

 今朝、下痢が止まらなくて医者に行ってきた。原因は毒草か何かだと。まいったね。そこで試しに検査したんだが、腸がいかれちまってたよ。ああ、これに関しちゃ草だけのせいじゃねえ。食生活が祟ったんだとお灸もらって、ドクターストップさ。

 そ。この勝負はお前の勝ち。俺はしばらく療養だ。

 だが、どうやら今ベッドが足りていないらしい。なんか、俺に賭けてた奴らが何人か借金していたらしくてよ、勝負の通告と同時に泡吹いて倒れちまったんだと。

 そこで、だ。半年間動かぬまま、勝利を勝ち取ったくろやぎ殿の家で休んではどうか、あの山は空気も水も良いから、って医者に勧められたんだよ。ったく、図々しい野郎だぜ。

 駄目元で訊くが、どうだ? お前、これを読んだら「はい」か「いいえ」で答えてくれよ。

 じゃあな、返事待ってるぜ。


                                    しろやぎ


 郵便屋よ、この手紙だけは絶対食わせるんじゃねえぞ。しくじりやがったら角で目ん玉ほじくってやるからな。




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