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09話

 帰りの車はゆりかご状態だった。

 車に乗った途端に睡魔が襲ってきてうとうとしていたら、

「シートを倒して寝ちゃいな。家に着いたら起こす」

 蒼兄に言われてぐっすり。

 目を覚ましたら自室のベッドにいてびっくりした。

 起こしてくれれば良かったのに……。

 制服のまま寝ていたので急いで着替える。

 リビングに出ると、夕飯のいい匂いがした。

「あ、翠葉ちゃん起きた?」

「はい。家に着いたら起こしてもらえると思っていたから、ベッドに寝ていてびっくりしちゃいました」

「あら、蒼くん、一応起こしたみたいよ? でも、起きなかったからって、車から抱えて降りてきたけど」

 クスクスと笑われ少し恥かしかった。

 でも、熟睡しただけのことはあり、頭はすっきりとしていた。

「球技大会はどうだった?」

「とっても楽しかったですっ! 私、応援だけだったんですけど、でも、とても楽しくて……。試合が終わっちゃうと、もっと見ていたかったなぁって思うくらい。うちのクラス、総合で三位だったんですよ!」

「あらあら、翠葉ちゃんにしては珍しくテンション高いわね?」

「もうね、一日中ドキドキしてましたっ! あんなに大きな声で応援したのも初めて!」

 栞さんはにこにこしながら聞いてくれる。すると、蒼兄も二階から下りてきた。

「蒼兄、ごめんね。起こしてくれたのに起きなかったみたいで……」

「相当疲れてたんだろ? でも、体は大丈夫そうで安心した」

「そうね、珍しく血圧が九十の六十よ。私がここに来るようになってから一番いい数値」

「本当ですかっ!?」

 蒼兄が近くまで来ると、

「良かったな」

 ポン、と頭に手を乗せた。

「……翠葉、熱測った?」

「え? まだだよ?」

「測ったほうがいいかも……」

 言われてすぐに体温を計る。ピッ、と鳴ったディスプレイを見て唖然とした。

「「「三十八度二分っ!?」」」

 三人して顔を見合わせる。

「蒼くん、これ壊れてないかしら?」

 栞さんの表情が珍しく引きつる。

「いえ……翠葉の頭、相当熱いです……」

 引きつり笑いのまま栞さんの手が伸びてくる。

「あらやだ、本当。……翠葉ちゃん、体調は?」

「えぇと……」

 一生懸命自分の体を感じようと努力する。

「……火照ってるような気はします。でも、ほかにはこれといった症状は感じません」

 いつもだったら慢性疲労症の症状が出るとご飯も食べられなくなる。けれど、この日は普通に食べられた。

 すごい……。気持ちが充実していると、ここまで体の調子を保てるものなの?

「夜は念のためにビタミン剤と解熱剤を飲んでおきましょう。寝るときにはアイスノン使ってね」

「はい」

 栞さんが帰ってからもずっと、球技大会の話を蒼兄に聞いてもらっていた。

「でね、最後の表彰式のとき、クラス代表で表彰状もらったんだよ」

「……あれ、上がれたのか?」

 蒼兄の言う、"あれ"とは表彰台のことだろう。

「あのね、困っていたら藤宮先輩が引き上げてくれた」

「そうだよな……。俺も何度かクラス代表にはなっているけど、男でも大きめに踏み出さないと上がれないし。……けど、クラス代表に女子っていうのは初めて聞いた。俺のときは一年から三年までみんな男子だったよ」

「うん。上に上がってから気づいたの。私以外はみんな男子って」

「じゃ、紅一点だったんだな」

「紅一点って響きはなんだかくすぐったいね」

 リビングでそんな話をずっとしていた。すると、蒼兄が掛け時計に目をやる。

「具合悪くないとはいえ、熱は高いんだ。そろそろ寝な」

「うん。お話聞いてくれてありがとう」

「明日行ったらゴールデンウィークに入るから、あと一日がんばれるといいな」

 そう言うと、「おやすみ」と蒼兄は二階へ上がっていった。


 翌朝の体温は、残念ながら三十七度ジャスト。

「血圧は八十の五十六かぁ……。ほかに何か症状はある?」

「とくには……。筋肉痛もないし……」

「今日は午前四時間なのよね……。解熱剤飲んで行く? もちろん、無理は禁物だけれども」

 ほんの少し、いたずらっ子みたいな顔で尋ねられた。

「行ってもいいんですか?」

「だって、行きたいのでしょう? 学校が楽しくて仕方ないって顔してるもの」

「栞さん、大好きっ!」

 思わず抱きついてしまう。

「本当、翠葉ちゃんったらかわいいわ。蒼くんがベタ甘なのも納得しちゃう」

 そう言って栞さんが立ち上がると、ドアのところに蒼兄が立っていた。

「本当に、大丈夫なんですか?」

 蒼兄の表情は栞さんと真逆で"心配"という文字が張り付いている。

「少し思い出してみて? 翠葉ちゃん、具合が悪いときはダイレクトに顔色にでるのよ。でも……発熱していて顔色がよく見える、ということもなければ、青白くもないでしょう?」

「確かに……。でも、翠葉、本当に無理だけはするなよ?」

「うん。約束する」

 納得したのか、蒼兄は部屋をあとにして窓際のテーブルセットで新聞を読み始めた。


 車の中でも散々、「無理はするな」と言われ続け、学校に着く頃には耳を塞ぎたくなるほどだった。

 正味三十分言われ続けたのだから無理もないと思う。

 けれども、学校が始まってからすでに二度も倒れているのだ。蒼兄が口を酸っぱくして言うのも仕方がないことなのかもしれない。

 蒼兄がここまで心配症になったのはここ一、二年の話だ。

 私が入院することになった日――あれは蒼兄のせいじゃないのに……。

 なのに、蒼兄は今も「あの日自分がもっと早く家に帰っていたら……」と思っているのだろう。

 それが悲しい。自分にはどうすることもできなくて、つらい……。

 今、私は留年して良かったと思えるほど幸せなのに。楽しい学校生活を過ごせているのに。

 あのまま、地元の高校に進学したとして、今ほど楽しい学校生活を送れただろうか――否。きっと中学と何も変わらない灰色がかった生活が待っていたことだろう。

 蒼兄……私ね、一年遅れでこの学校にこれたこと、とても幸運なことだと思ってる。

 入院していたときはとてもつらかったけど、でも、いい方へ行くために神様がタイミングをずらしてくれたのかもしれない。

 今なら、そう思えるんだよ……?

 いつか蒼兄に話せたらいいな。

 うちでは、あの日の出来事はタブーのような扱いになっているから……。

 私の不注意が招いたことは、それほどにも家族の心に深く大きな傷をつけてしまったのだ。

 あの日からずっと考えている。どうしたら、それを償えるのかと――。


 教室では佐野くんと海斗くんが何か楽しそうに話していた。

 どうやら昨日やっていたお笑い番組の話で盛り上がっているらしい。

「佐野くん、海斗くん、おはよう!」

「あ、翠葉、はよっ!」

「御園生、おはよう。体調は?」

「大丈夫だよ、元気!」

 あの日以来、私は体調を訊かれると「大丈夫!」と笑顔で答えるのが癖になっている。

 周りにいる大切な人の不安を少しでも取り除きたくて……。

「なぁ、翠葉はゴールデンウィークの予定って何かある?」

 片手にプリントを持った海斗くんに訊かれる。

「今のところは何もないかな。今年は両親の仕事が忙しくて旅行の予定もないし」

 倒れて以来、毎日のようにお父さんとお母さんからメールが届く。そして、その日にあったことを返信するのが日課になった。

「俺らのインターハイの予選がゴールデンウィークにあるんだ」

 佐野くんの説明に、

「わぁっ! もうそんな時期?」

 飛びつく勢いで話に参加した。

 プリントを見せてもらうと、「幸倉運動公園総合体育館」と書かれていた。

 幸倉って……うちの裏の?

「翠葉の家から近い? 応援に来ない?」

「俺ら、同じ日なんだけど、うまい具合に時間がばらけてるんだ」

 佐野くんがタイムテーブルを指差す。

「佐野と俺は二十九日。佐野が午前で俺が午後。因みに、四日に司も弓道の試合があるはず。まだ時間まで聞いてないけど」

「幸倉なら……行きたいなぁ……。でも――」

 気になるのは場所。場所というか、人というか……。

「何? インターハイの予選日程?」

 後ろから話に加わったのは桃華さんだった。

「桃華さん、おはよう」

「おはよう。何、翠葉これ行くの?」

「今、誘われたところなの……」

 行くとは言えずに言葉を濁す。

 インターハイの予選ということは、ほかの高校の生徒もたくさんいるのだろう。その中には間違いなく中学の同級生だっているはずだ。

 まだ、怖い――。

 誰とも会いたくないと思う自分がいる。

「翠葉が行くなら私も行くわ。たまには翠葉独り占めしたいもの」

 桃華さんが、一緒……?

「本当に……?」

「えぇ、もちろん。翠葉を連れて歩いて人の視線浴びまくることにするわ」

 にこりと笑う。

「……桃華さん、人の視線を浴びるのは桃華さん一人で事足りると思う。だって、桃華さんきれいだし、スタイルいいし……。なんといっても反則級の笑顔を持っているでしょう?」

 桃華さんは何も言わず、にっこりと笑んで肯定した。

 こういうところで照れたり謙遜したりしないところが桃華さんらしくて格好いい。

「ふたりとも、私たちが応援に行くんだから勝つ自信あるんでしょうね?」

 佐野くんと海斗くんに視線を移すと、

「ははっ、一応そのつもりで日々練習に励んでいるわけで」

 と、海斗くん。

「俺は絶対に行くよ、インターハイ」

 佐野くんは真剣な顔で答えた。

「応援……行くからがんばってね」

 言うと、三人の視線が集まる。

「翠葉、さっきから動揺してんの丸わかりなんだけどなんかあるのか?」

 海斗くんに訊かれ、思わず身を引いてしまった。

「何かあるなら話せばいいのに」

 佐野くんに言われて困ってしまう。

「翠葉、安心なさい。何か言ってくる輩がいたら、私が二度と立ち上がれないくらいに言い負かしてあげるから。……っていうか、そのくらい隠さず言いなさいよねっ!?」

 桃華さんの鋭さに驚いていると、

「あぁ、そういうことか……。なんだったらうちの制服で来ちゃえば? 俺らはどっちにせよ制服で行って向こうで着替えることになるし。ここらじゃかなり有名な進学校なだけあって牽制にはなるんじゃね?」

 海斗くんは余裕そうに笑う。

「制服は制服で目立っちゃいそうで……」

「私はどっちでもいいわよ?」

 桃華さんに言われ、結局私服で行くことにした。

「試合が終われば合流できるから、それまでは桃華に守ってもらって。こいつに敵う人間そうそういないから」

 言った直後、「海斗……」と険を含む声で桃華さんが威圧する。

「私もか弱い乙女なのだけれど?」

「「どこがだ……」」

 海斗くんと佐野くんが口を揃えた。

 そのあと、ふたりが桃華さんの冷ややかな笑みを見ることになったのは言うまでもない。



 私はいつもみんなに守られている気がする。

 私が友達に返せることはなんだろう……。

 いつももらってばかりで、何も返せないのは嫌だな。

 球技大会の日、海斗くんが教えてくれた言葉。

 "There's always something you can do!"

 いつだって何かできることはある。

 私には今、何ができるんだろう――。

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