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13話

 あのあと、私はお風呂に入ってすぐに寝てしまったのだけど、蒼兄や静さん、お父さんとお母さんはリビングでお酒を飲んだりなんだかんだとしていたよう。

 今朝、一緒に朝食を摂ると、お母さんたちはすぐに三階へと上がった。

 窓の外はとても天気が良く、試合日和といった感じ。

「洋服、何着ようかな?」

 今日の日中は結構暑くなるみたいだから――。

 白いノースリーブのワンピースに羽織ものを持っていこう。

 この白いノースリーブのワンピースもお気に入り。

 裾がスカラップ素材でかわいいの。シンプルなデザインで、生地にこだわりのあるものが好き。

 桃華さんはどんな格好で来るだろう。

 いつも大人っぽく見えるけれど、今日は制服ではないので少し楽しみ。

 ドアを開けると、いつものように蒼兄が新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。

 蒼兄は何を着てもかっこいいからチェック要らず。

 それにしても……昨夜は遅くまで飲んでいたはずなのに、目の前の麗しい兄に二日酔いの気配は感じない。

 きっと今朝だって走りに行ったのだろう。

「そろそろ行くか」

「うん」


 家を出て徒歩十五分で陸上競技場の入り口にたどり着いた。

「しつこいわね……友達を待ってるって言っているでしょう?」

「だからさ、その友達も一緒にどう? あとから来るのも女の子でしょ?」

「本当にしつこいわね……。自分の高校を応援するのによその高校の人間と一緒にいるわけがないでしょう」

 桃華さんは男子ふたりに絡まれ、麗しの顔を崩し始めていた。

「ナンパ、かな。翠葉、ちょっとここで待ってな」

 言うと、蒼兄は颯爽と走っていった。

「簾条さん、遅れてごめん」

「蒼樹さんっ!」

 蒼兄は、今気づいたって感じで、

「あれ? 簾条さんの知り合い? どちら様?」

 と、その男子だちに微笑みかける。そして、

「あれ? どこかで見たことあるような……。君たち陸上競技の何かに出てたことない?」

 訊くと、

「やっべ、御園生蒼樹だっ。逃げろっ」

 と、なぜか逃げていった。

 桃華さんたちのもとへ行くと、

「なんだったら地獄の底まで追いかけっこツアーとか承るのに」

 蒼兄はクスクスと笑っていた。

「蒼樹さん、すみません。ありがとうございました」

「いやいや。俺たちのほうが少し早くに来て待ってれば良かったね。ごめんね」

「桃華さん、大丈夫? 蒼兄は知り合いだったの?」

「私は大丈夫よ。あと少しでも近寄ろうものなら投げ飛ばしていたけど……」

 それはどこまで本気なのかな……。

「俺はとくに知り合いってわけじゃないけどね。でも、この世界では一時顔が売れてるから。こういうときは意外と便利に使わせてもらってる」

「そうなのね?」

 あまり要領を得ずに返事をした。

「さ、観覧席へ行こう」

 蒼兄の誘導で移動することにした。


 フィールド内ではすでにアップが始まっていて、佐野さのくんの姿を見ることもできた。

 フィールドでストレッチをしていた佐野くんがこちらに気づく。

 手を振ったら振り替えしてくれたのに、手が途中で止まる。

 きっと、蒼兄が目に入ったのだろう。

 直後、引き締まった顔になる。

 これから神経集中に入る――そんな表情。

 自分の気持ちを切り替えて、神経集中に入るこのときが好き。

 好きというよりも、目を奪われるというほうがしっくりくる。

 ただ、その人が感じている空気を一緒に感じたくなる。

 ……ないものねだりだけど――。


 試合が始まるまでの短時間にちょっとした雑談タイム。

 それはお互いが着ている洋服についてだった。

 桃華さんの服装は、膝が少し見えるくらいの黒いポロシャツ風のワンピース。体に沿うラインがとてもきれいで似合っている。

 そんな感想を述べていると、佐野くんの百メートルが始まる。

 スタートラインに立つ佐野くんは周りが見えないくらいに集中していた。

 パンッ――音と共に走り出す。

 速い……。

 スタートラインから数歩で一気に前へ出た。

 背の高い人は足の長さを利用して、後半でぐんぐん抜きにかかってくる。

 ゴールテープを切るそのときまでは気を抜けない。

 が、後半になっても抜かれることはなく、一位のままゴールテープをカットした。

 すぐに大きな掲示板にタイムが出る。

「インターハイ、決まったな」

 蒼兄が止めていた息をもらし、口もとを緩めた。

「うん、絶対に行くって言ってたから……」

 マラソンもすごいなって思う。でも、十数秒で勝敗が決まってしまうこの競技が一番好き。

 蒼兄がやっていたらからそう思うのか――。

 普段何気なく過ごしてしまう時間にすら満たない秒数。コンマいくつの世界で戦っている人たち。

 その一瞬とも思える時間に最大限の力を発揮する。

 人が輝く瞬間っていうのかな。それがとてもダイレクトに見える競技だと思う。

 ストレッチを終えた佐野くんがこちらへやってくる。

 右手の親指を立てて、「やったよ!」って顔。

 飛鳥ちゃんに見せてあげたかったね。

 彼女は今、女子テニスの応援でこの場にはいない。

 なんてもったいないんだろう……。


 その後、二百メートルや四百メートルの競技が続き、フィールド内では走り高跳び等、ほかの競技も着々と進んでいた。

 すべての競技が終わるまで、選手はその場を離れられないものだけれど、佐野くんは午後一番にある海斗くんの試合を見るために、少しだけ出てくると言っていた。

 昼食は部活のみんなと食べるとのことだったので、私たちはお昼前に陸上競技場をあとにした。

「さて、お昼はどうする? 公園内でホットドッグも売っているし、体育館の中にはカフェもあるけど?」

 蒼兄が言うと、桃華さんが手に持っている少し大きめの籐かごを持ち上げた。

「お弁当作ってきたので、どこか日陰で食べましょう?」

 言いながら、うっとりするような笑顔を向けられた。

「簾条さんはなんでもできちゃうんだな。言ってくれれば荷物持ったのに。重かったでしょ?」

 蒼兄が訊くと、

「食べるときまで知らせずにいて、びっくりさせるのが楽しいんじゃないですか」

「でも、知ったからには持つよ」

 と、桃華さんの手から籐かごを取り上げる。

「それじゃ、お言葉に甘えて」

 笑う蒼兄と桃華さんのツーショットがとても様になって、お似合いだな、と思った。

 そういえば、蒼兄の彼女さんの話しとか聞いたことないかも……。

 いつだったか、出かける蒼兄にどこに行くのか尋ねたら、「デート」という答えが返ってきたけれど、それがいつのことだったのかすら思い出せない。


 陸上競技場から十分ほど歩くと体育館がある区画に入った。

 その区画の一番端に弓道場があり、その裏手に藤棚があるとのこと。

 今が見頃だというので、そこで食べることにしたのだ。

 藤棚は大きくないものの、その下に入るとちょうどいい木陰で芝生がひんやりと冷たくて気持ちが良かった。

 上を見れば薄紫の房がいくつもぶら下がっている。

「きれい……」

 ため息がもれるほどだった。

 でも、藤を見るといつも思う。写真に撮るのは難しいな、と。

「翠葉、写真撮らなくていいのか?」

 蒼兄に訊かれるも、私は首を振る。

 一眼レフカメラは持ってきているけれど、これは撮れない……。

「構図が思い浮かばないの。表現できないと思う……だから、カメラをかまえる気になれない。……見たままを撮れたらいいのに」

 お弁当の用意をしてくれている桃華さんが、「そういえば」という顔をする。

「翠葉はどんな写真を撮るの?」

「主には植物と空と水」

「……らしいと言えばらしいのだけど、それ、どういう選択?」

 桃華さんの返答に蒼兄が笑う。

「きっとね、翠葉の前世は葉っぱだと思うんだ。だから、空を見上げてばかりだし、水が好きだし、仲間の植物を撮りたくて仕方なくなるんじゃないかと思う。ほら、しょっちゅう森林浴に出かけて光合成してるし」

「蒼樹さん、かなりファンタジーな世界入ってますけど? でも……それ、なんだか微妙に納得できてしまって……」

 クスクスと、桃華さんが笑った。

「もうっ、ふたりしてひどいなぁ……。ただね、空を見上げるのは好きなの。たくさん葉を茂らせた木の下から空を見上げて、その上にあるであろう光を感じるのが好き」

「「それ、光合成でしょう?」」

 ふたり、示し合わせたように声を揃えた。

「……もう光合成でもなんでもいいです」

 そう言って、話の幕を下ろそうとすると、

「でもね、いい写真撮るよ。翠葉の目にものがどう映っているのか、それがよくわかる。今度見せてもらえば?」

 蒼兄が桃華さんに提案すると、「ぜひ見たいわ」と言われた。


「これが右から順に鰹節、梅、鮭です。こっちのおかずは適当につまんでください」

 お重に俵型のおにぎりが五個三列に並び、一段目には彩り豊かなおかずが詰まっていた。

 卵焼きにから揚げ、ハムできゅうりを巻いたもの、ミニトマト、ジグザグに切られた湯で卵、ほうれん草の胡麻和え。

 お茶はさっき自販機で蒼兄が買ってくれた。

「うわぁ……美味しそうっ! いただきますっ」

「俺も、いただきます」

「どうぞ、召し上がれ」

 三人でお弁当を頬張る。どれも薄味でとても食べやすい。

「どう?」

 と、少し不安そうに訊かれたけれども、「とても美味しいです」以外の言葉が出ない。

「桃華さんは薄味好み?」

 気になって訊いてみると、

「そういうわけではないけれど、いつもよりは薄味になるようにしたから少し自信がなくて……」

 そう言ってはにかむ桃華さんがとてもかわいかった。

「もしかして……翠葉のこと気にかけてくれたの?」

「少しだけ……。ほら、いつもお弁当は持参だし、学校の自販機でお水以外を買っているところ見たことないし、胃が弱いって聞いていたので……」

「あ……気を遣わせてしまってごめんなさいっ」

 口に入っていたものを慌てて飲み込んで謝罪した。

「ちょっと! 食べ物はよく噛んでから飲み込むっ! せっかく薄味にしても意味がないでしょう?」

 と、叱られた。

「ごめんなさい……」

「くっ……本当に、簾条さんには頭上がらないな」

 蒼兄がくつくつと笑う。

 私は頭が上がらないどころか、足を向けて眠ることすらできそうにない。

「翠葉? これは私がやりたくてやったことよ? ここで気に病まれたら意味ないからやめてよね」

 桃華さんに先手を打たれる。

 先日の言葉とあいまって、私は嬉しさに頬を緩ませた。

「桃華さん、大好きっ!」

 抱きつくと、

「飛鳥病が感染したのね……」

 と、冗談ぽく眉をひそめて見せた。

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