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ガラリと扉を開けると、HR直前のいつもの教室の風景だった。教壇には担任教師の田中ちん。
「怜、ラッキーだな。俺が担任じゃなかったらアウトだぞー」
田中ちんはそう言って顎で俺を席に着くように言った。留学や大学の話は何もしなかった田中ちんにほっとして席についた瞬間。
「佐伯、ちょっと来い」と田中ちん。
「怜ぴょんなんかしたの?」というクラスメイトに田中がゆずるの名前を呼んだ。
「怜じゃない。ゆずるの方。」
ひょいひょいっと手招きする田中ちんの方へゆずるが向かい、そのまま職員室へと消えた。
小走りで田中ちんの方へと行くゆずるのスカートがめくれないかと心配で、父親のような気分になって見つめてしまった。
ふわふわとウェーブのきいた髪を揺らしながら田中ちんの腕にまとわりついているゆずるを、うらやましそうに見る男子生徒は、確実にあいつの本性を知らないんだな、と。
そんな風に思っていたのは俺だけでなく、隣の席の光もそうに違いない。
今朝も、クラスメイトにおはようと朝の挨拶を愛想よく振りまくゆずるが、光に向かって「死ね」と吐きだしたのを聞き逃さなかった。
それでも光はゆずはかわいい、と笑うもんだから、俺は面喰ってしまった。
職員室に足を入れたゆずるは、田中の隣の席の椅子にちょこんと腰をかけると、真剣な眼差しである資料に目を通していた。
青空を背景に、金髪の少年少女が笑顔で写っているそんな表紙の資料。
先日、怜や光が手にしたものと同じ留学の資料だ。
「せんせ、私、絶対行きたいの。夢なの。私、田中ちんみたく教師になりたい」
同じく田中も資料に目を通しながら、うーんと唸った。
今の成績では、留学制度の特待生枠に入るには厳しいと、何度も同じことを言ってきた。
しかし伸び悩む英語の成績に、田中はもちろん本人が一番苦しんでいた。
「怜が行けて、なんで私がだめなの。怜なんて、全然興味もないくせに。本当に夢なの」
わかって。と、田中の手を握るゆずるの手を、田中はそっとはらった。
「ゆずる。おまえな、必死なのは先生も理解してるけどな、教師に色目を使うな。それに」
田中は小さくほほ笑んで言った。
「教師になりたいなんて嘘だ。そんなに怜が、嫌いか?」
ゆずるは、心の奥底の本音を見抜かれたようで手のひらが汗ばんだ。
そして、歯を見せて笑う田中に、なんだか肩の力が抜けた。
「ごめん田中ちん。私、怜に勝ちたい。怜の得意な分野で、怜の上を行きたい」
ゆずるは続けた。
「でも聞いて。真剣なの。語学が好きなことに嘘はない、です。本当。だから田中ちん、私に英語を教えて。怜には頼めないの。」
唇をきゅっときつく結んだゆずるの肩をぽんぽんと叩いて田中は「もうすぐ1時間目はじまるぞ」と言った。
新人教師として学校側の留学制度について強く発言ができない田中の心は理解できたが、「協力する」や「がんばれ」の一言がないことにいらだちを感じた。
そしてまた、どうせ怜にはかなわない自分を恨んだ。