prologue
夕方4時を過ぎた放課後、教室から一斉に生徒たちが流れ出す。部活動に向かわないほとんどの生徒が込み合う駐輪場で我先にと自転車をぶつけあいながら校門を出る。
佐伯怜はそんな様子を横目で観察しながら、歩いて校門を出た。彼の隣を自転車で通りすぎる友人たちに、時々無愛想な挨拶をしながら、一台の白い車に乗り込んだ。
「おつかれっすシュウ君。毎回すんません」
怜は運転席に座る茶髪の少年に声をかけて、肩に背負っていた教科書の入ったカバンを後部座席に降ろすと、その隣に寝かせてある黒いケースをそっとひと撫でした。
いたるところに傷の入ったベースのケースだ。nONcigaretteという横文字の白いステッカーがド真ん中に貼られている。初めはださいと批判しあったこのバンド名も、今では愛着が湧いて自分の中のロックな血が騒いだ。
そんな俺の心情を読んでか、シュウさんは「新曲」と言ってまだリリックの入っていない音源を車内に流した。大学院に進むんだと、この間メンバーを抜けてしまった先輩の最後のドラムが少し切なそうに、それでも力強くリズムを刻んでいる。
俺たちのバンドnONcigaretteは俺、佐伯怜と2個上のシュウ君、そして隣の高校に通う俺と同い年のカズヤで作ったお遊びのバンドだった。
イカついロックバンドにしようぜ、とふざけ半分で始めた俺たちは、形から入るタイプでいち早くバンド名を決めた。どんなに悪そうなリリックを書いて、どんなにハードなメロディーになっても、謙虚さや礼儀正しさは保ち続けようという意味もこめ、non cigarette。
当初はださいと笑いながらも見なれないアルファベットの並びが、妙に俺たちを大人びた気分にさせていた。
「怜、おまえまだ学校でバンドのこと秘密にしてんのか」
「そういうわけじゃないんだけど」
車がシュウ君の大学にある練習室に向かうまでの15分、シュウ君は決まってこの質問を俺にする。
ベースを、いつもシュウ君の車の中に置きっぱなしにする俺に、シュウ君は少しの疑問と不満を持っているようだった。
「クラスのやつらに、いろいろ聞かれるのが嫌なんですよ。それでなくても、あいつのせいで目立つのに」
自分の言葉に深い深いため息が出た。
「ゆずるちゃん可愛いからな」
そう言って笑ったシュウさんに、またため息が出た。
「あいつの前でそういうこと言わないで下さいよ。調子に乗るんで。」
喉の奥でクツクツと笑っているシュウ君は左手で何度か音楽を変えた。相変わらずセンスのいい選曲で、右足がバンドのリズムによって自然に揺れた。
「ゆずるちゃん、そんなに性格悪いの? 普通に良い子じゃね?」
シュウ君のいうとおり、ゆずるの外面は完璧で、彼女のせいで他人から被害を被ったことは今まで一度たりともなかったが、ゆずる本人からの被害は莫大で、手に負えるものではない。
それは双子の兄にしかわかりえない苦労と苦痛だった。
シュウ君の大学の近くでカズヤを拾って、俺たちはいつも通りにシュウ君の大学の練習室へ楽器を運びこんだ。
スタジオを借りる金のない俺たちにとって、この場所は宝のようだった。
洋楽のロック、ハードなものからポップなものまでをシュウさんが選び抜き、俺が日本語と英語でリリックを書きなおし、それをカズヤが持ち前の甘いボイスで歌いあげる。
それが俺たちのバンドだった。
もともとお遊びで始めたバンドだったが、大学に入り時間に余裕のできたシュウ君が、最近では自分で曲を作ったりと、本格的に練習に取り組んできた。
アコースティックが好みな俺のために、しっとりとした曲が最近増えてきたが、もともと音楽ならなんでも自分色に変えてしまうカズヤにとってはどうでもいいようだった。
「ライブやりてーなー」
シュウ君の新曲を聞きながらうっとりとするカズヤをよそに、「明日も朝早いな」と、そんな呑気なことを俺は考えていた。
日常はいつも平凡で、こんなハードなメロディーに重なる甘いボイスのように、刺激の中で緩やかに生きられたらと、やはり呑気なことをひたすら考えた。