Ⅱ―Ⅱ.「だったら――――俺が電撃野郎を倒してやるよ」
俺は目をゆっくりと開いた。
くさい。くさい臭いが俺の鼻を襲った。
そして、そのくさい臭いが消毒液と分かるまでに十秒ほどの時間を要し、その後、此処が保健室のベッドの上と気が付くまでに十二秒の時間を要した。
勿論、一二三四五……という速い数え方ではなく、一・二・三・四・五……という時計に合わせた数え方だ。
とまぁ、そんなことはどうでもいいことで。何故、俺は保健室にいるのだろうか? そして、何故、俺は体を起こすことができないのだろうか? もしかして、金縛りとか言わないよな?
そこまで考えを至らせたところで俺は刃物野郎にボコボコにされた事を思い出した。いや、ボコボコは無いな。殴られてはないんだし。
首だけが動かせるという最悪な状態の中で俺は周りを見回した。しかし、そんな事をしても俺の目に映るのはベッドを囲むカーテンのみで無駄な行動に終わってしまった。
状況確認を終えて、ふぅ~っと一息吐いた。
その瞬間、タイミングを見計らったようにベッドを囲むカーテンの右側がシャーッと言う音と共に開かれた。
「三人とも惨敗だったみたいね~」
そう言って、俺の視界の中に入ってきたのは――
「――古嶋……先生?」
保健室の古嶋先生だった。保健室に美人とまでは言わないが綺麗な保健室の先生がいるのはごく普通で当たり前の事だと思うのだが、一つ、気がかりな事があった。
「なんで……俺たちに起きた事を……分かった風に……?」
「あーそっか! 倉沢くんは知らないんだったねー。私もあなた達側の人間なのー。こういう時の為にねっ!」
…………
俺は三点リーダを四つ紡ぎだした後、まじまじと古嶋先生の整った顔立ちを眺めた。
えっ……マジで……? 校長だけじゃなく!?
「えーっと……この学校の職員、全員がそれって事は……流石に無いですよねー?」
俺が無理やり笑顔をつくっていると誰でも分かるような引きつった顔で尋ねると、古嶋先生はニコッとその口と目を微笑ませた。
「察しがいいのねー。此処の職員は全員、こっち側の人間なの。栗林さんがこの学校にいるんだし、そんな事、当たり前じゃない?」
俺は大きな溜息を吐いて、頭を抱えようとしたのだが、体が動かないので無理だった。
此処の学校全体がグルだった……そう解釈していいんだよな? ああー……なんで俺はこの学校を選んでしまったのだろうか。最悪だ。
これほど俺は夢であって欲しいと思ったことは無いだろう。それはその事実を聞かされたことでもあり――
「新川と……会長は?」
「大丈夫。だけど、あなたよりも重傷なの……」
そう呟いた古嶋先生は後ろのベッドに寝ている人物へと目を向けた。
そこには新川がスースーと寝ている姿があった。
俺を庇って……刺されたんだ……
俺は自分の無力さに右手を握りしめた。
悔しい……逃げ出したのはこれで何回目だ……? 俺の能力……弱い……のか?
「そんな顔する事無いわ。あなたはまだ、自分の能力の扱い方が分かってないだけよ」
慰めるように古嶋先生は呟いた。
そんなに俺は分かりやすい顔をしていたのか……? そうか……表に出るくらい俺は今、悔しいのか……
「何か……その扱い方を知る方法は無いんですか……?」
古嶋先生は思案する素振りを見せてから、俺に背を向け、歩き出しながら言った。
「そういうのって――――自分で見出す事にこそ、意味があるんだと私は思うよ」
ご尤もな言葉をありがとうございます、と心の中で呟きながら、俺はそっと目を閉じた。
眠い。何かの薬のせいなのかもしれない。
――俺もどうせなら電撃の能力が良かったな。
◇
それから、起きたのは夕方の五時ごろだった。
体も、痛いが動かせる。
もう授業も終わってるんだし、帰ってもいいだろうと、古嶋先生にお礼と二人を頼むと言ったところで――――
「おい……倉沢……」
今にも死にそうな小さな声で誰かが俺を呼び止めた。
いや、誰かがではなく、その時点で俺はその声の主を分かっていた。
足を止め、振り向いてそいつのいるほうへとゆっくりと歩き出す。そして、そいつの横たわるベッドの横へ来た時に足を止めた。
「俺たちは余裕をかましてればいいって言ったくせしてそのザマかぁ? 生徒会長さんよぉ」
「……君は本当に……僕への態度が……変わったな……」
俺はいつもとは雰囲気が異なる生徒会長を見下ろしながら、思う。
やっぱ、眼鏡って大切なんだな……
「そりゃあ変わりもするだろ? 偉そうに言っておきながら、ボコボコじゃねぇか」
坂江は苦笑しながら、
「フフ……我ながら……情けなくてしょうがない」
俺から目を逸らした。
やっぱり、ショックなのか? 俺に慰めて欲しいんなら、他をあたってくれ。俺はお前に悪口しか吐き出せそうにねぇ。
と思っていたその矢先、
「で。なんであんたがそんなにボロボロになって帰ってきたのよー」
いつの間にやら、俺の横には古嶋先生の姿があった。
「フッ……ただ、僕が油断した……それだけだ……」
こいつのこの格好つけてる口調は治らないのか? ムカついてしょうがないのだが……
と思うが、思うだけであって口には出さずに坂江へと尋ねかけた。
「電撃野郎のあしらい方、知ってたんじゃねぇのかよ」
「ああ……知っていたとも。僕とそいつの関係は……上下関係なの……だからな……いや、“だった”と……言うべきか……?」
途切れ途切れに言葉を紡いだ坂江。
何だか意味深な言葉だな……これは質問した方が良いのか?
と思い至ったところで古嶋先生が先に口を開いてしまった。
「どういう事?」
「…………奴は記憶を失くして……いた……だから、僕を知っていると思って……声をかけた瞬間に――こんな破目になった」
結論を言うと、油断大敵という先祖から受け継いでこられた教訓を守らなかった坂江のせいらしい。
まぁ、お前みたいな奴にご先祖様は分かって欲しくなかったのかもな。ナルシストだから。
心中で古人に見捨てられた坂江の顔を笑いながら、俺は、
「で、これから俺はどーすりゃいいんだよ」
「……二度も……同じ事を言わせるな……君達は……余裕をかましていればいいだけだ……」
ハハ……笑える冗談だ……
「新川が怪我した時点で、てめえだけの問題じゃねえんだよ……お前にとっても俺にとっても新川にとっても雪辱戦だ……だが、てめえも新川も起きることもできねぇのに雪辱戦に臨めるとでも思っているのか?」
坂江は少し間を開けた。たぶん、思案していたのだろう。
「フン……なら、誰が雪辱戦をやると……いうんだ……」
「てめえも新川もできない。だったら――――俺が電撃野郎を倒してやるよ」
俺が真剣な眼差しでそう呟いたのだが、二人は表情を固まらせた後、ほぼ同時に呟いた。
「無理だろうな」
「無理でしょうねぇ」
俺はこのとき、今までに無いくらいのショックを与えられた。
そこまで……俺の能力って無能でそれを使ってる俺も……
「……てか、なんでやってもねぇのに、てめえらは無理って決め付けてんだよ!!」
「無理なものは無理なんだよー。倉沢君は増殖で相手は電撃なんて……月とスッポンじゃないのー。能力にだって優劣があるんだからねぇ?」
おいおいおい! 古嶋先生! 俺の肩をポンッと叩いて、慰めの眼差しを向けるなぁああああ!!
「それでも、俺は――刃物野郎だけでも倒してぇ!」
「……分かった……僕と新川が完全に治るまで……独断先行は無しだ。……君も僕も新川も。……木下にも伝えておけ……“今度は四人で戦争だ”とな」
俺は首を縦に振って、保健室の出入り口の方向を向いた。
その瞬間、どういうきっかけは分からないが、刃物野郎の言っていた言葉を思い出した。
「あと一つ、刃物野郎が言ってた。俺たちの宣戦布告をあっちは受け入れるよだぜ? じゃあ、お大事にな」
「フンッ……君こそな……」
俺は自らの足を進めて、保健室を出た。
廊下を歩いている最中、俺はやっとその考えに及ぶ。
「あいつら……刃物野郎の事は知ってんのか……?」
……まあ、どっちでもいいや。
俺はそう開き直って下駄箱へとその足を進めた。
廊下を歩きながら、何人もの先生とすれ違ったが、挨拶はしない。
俺を騙していたも同然なんだ。それくらいの行為をしなくて咎められてもなぁ……
去年から親しく接していた先生もそのときからこっち側の人間だったのだろうか。もう、誰を信用して良いのか分からなくなってきたな……
下駄箱で靴を履き替え、雨が止んでいた外へ出たとき――
いや、信用する人ならいるじゃないか。
――その人の姿を見て、そう思えた。
「ごめん。待っててくれたんだ……」
「大丈夫! こっちから倉沢くんに頼んだんだもん。じゃあ、行こっか?」
と笑顔で言ってくれた栗林の隣を歩こうとした時に俺はふと立ち止まった。
「……どうかしたの?」
「……いや、後ろを歩く約束だから……」
そう。三週間、毎日、後ろを歩いた。今日も同じように――
「一緒に歩くの……嫌? 倉沢くんと話したかったんだけど……」
「とんでもない! 嫌じゃ……ない……」
段々と声が小さくなった。
「なら、行こ!」
と言う事で、俺は今、栗林の隣を歩いて家に帰る途中である。また家で母さんに怒られるのも忘れて。
「倉沢くん、今日、また、階段から怪我したんだって? 大丈夫?」
栗林が此方を向いて、話してきた。
階段から落ちた……? 俺の怪我はそーゆーことになってるわけな。
「ああ、平気平気。一週間あれば、全快だと思うよ」
まあ俺の予想なんだけど。
「この前も階段から落ちて松葉杖だったでしょ? 厄払いとかに行った方がいいかもよ?」
「そうだな……来週にでも行ってみるよ」
電撃野郎と言う名の厄払いにね。
そう心中で付け加えて、俺は栗林と一緒に歩いている幸せに浸り、栗林と別れて家に帰った。
家に帰ってから、母さんに怒られたのは言うまでもないことだ。
◇
翌日
「今日、生徒会長見たんだけどさぁ。何か、絆創膏とか包帯とか顔に巻いてたよー」
「ホントー!? 何があったんだろうねぇ。もしかして喧嘩とか?」
「まっさかー!」
朝に教室へと入って席に着いた時、俺の隣の席にいる女子達がそんな会話をしていた。
俺は心中で「坂江のざまあみろ」と思いながら、新川の席へと目を向ける。
やっぱり、来ないか……刃物で腹部を刺されたんだもんな……当たり前か。
「よぉ! また、階段から落ちたんだって? この頃、運が無いなぁ?」
俺は自らの視線を声のした前方へと向ける。
友達Aが笑顔を浮かべてそこにはいた。
「その分、愛しの栗林ちゃんと二人っきりの下校かぁ? おいおい、お前はいつからそんな率先してやる奴になったんだ?」
誰にも聞こえない様に耳元で小声で話す友達Aは尚も笑顔のままだ。
「お前には関係の無いこと。さっさとジャンプでも読んでろ!」
「今日は月曜じゃないですけど? 階段から落ちて曜日感覚まで分からなくなりましたかぁ? 倉沢くん?」
その敬語の話し方がムカつく。
俺は友達Aの何個もの質問を無視という万能な技で切り抜けた。
その後の授業も集中しながら、取り組んだ。
◇
放課後の帰り道は俺にとって幸せな時間だ。栗林と二人で会話しながら、帰れるんだからな。「この時間が永遠に続けばいいのに……」と思うが、そんな事があるはずも無く、栗林と俺は別れた。
そして、家へと俺が着いた時、そこには二人の人物が待っていた。
「剛お兄さん! お久しぶりッス!」
制服姿の満が俺に手を振ってきた。もう、妹にしたいくらいの可愛さだ。
そして、もう一人の人物はやっぱり――
「失敗したんだって、真人? 倉沢君も新川さんも怪我したみたいだし……これからどうしましょっか?」
――桑原だった。いつもどおり、おしゃれな格好をしている。
「その事について伝えようと思ってたんだけど……携帯の番号も分からなかったし無理だった。たぶん、また、必要になると思うから教えてくれ。満のも」
と言う事で、電話番号とメルアドの交換をケータイの赤外線機能で済ませた後、
「立ち話もなんだから、喫茶店でも行きましょうか?」
桑原のその提案に俺も満も頷いた。
◆
勿論、喫茶店とはいってもあの一件が起きた喫茶店ではない。俺の家の近くの筈なのに見たことも行った事も無い喫茶店の中に俺と桑原と満は入っていった。
店員にコーヒー三個と告げた桑原だったが、「満は飲めるのか?」と疑問に思う俺だった。
そんな事はどうでもいい。今、言わないといけないのはあの件だ。
「坂江と新川の、二人の事はもう知ってるって事で話を進めても良いか?」
俺の尋ねかけに対して俺と対峙するように座った二人は頷いた。
「もうこれは坂江だけが解決していい問題じゃなくなった。新川も刺されて、俺も怪我を負わされた。そして、奴らも俺たちの宣戦布告を受け入れたって言ってる。だから、今度は坂江と満と新川と俺も合わせた四人で駿河高校に殴り込みだ!」
「了解ッス!!」
「私も行くわよ?」
と言う事で、桑原も加えた五人で駿河高校の電撃野郎に殴り込みに行く事になった。あと、刃物野郎も。