Ⅰ―Ⅰ.「君は好きな人、大切な人がもうすぐ死ぬと分かったらどうする?」
“君は好きな人、大切な人がもうすぐ死ぬと分かったらどうする?”
悪魔のような笑みを浮かべて女はそう呟いた。
いや、この女は人ではなく、本当に悪魔なのかもしれない。
◇
一昨日。
高校生としてやはり高校に行かなければならない。辞めてもいいが将来安定の為には行っておかなければ、後悔する事になる。なんて、中二病的な考えに浸りながら、足はスムーズに学校へと向かっていた。
中学を卒業してから早一年。高校は中学よりも楽しいと思えるようになってきていた。友達も人並みくらいはいたり、好きな人がいたりと毎日が充実しているようにも思えた。
「おっはよー!」
後ろからのその声と共にバッグに襲われる。
そいつは位置づけるなら友達Aだ。親友ともではいかないその関係。と言うより、親友と言う基準が良く分からないので相手はそう思っているのかもしれない。
「ジャンプ面白かったなー」
「朝、読んできたのか?」
「おうよ! 月曜日が毎週待ち遠しいぜ!」
漫画。自分はあんまり読む派ではないので話にはついていけない。
そんなに面白い物なのか?
「はぁ? お前、今の時代にマンガ読まない奴なんてのはなぁ、お前くらいだ!」
いや、俺の他にも万単位でいると思うが……
そう突っ込もうとしたが、相手も反発してくるので止めといた。
「おい倉沢ぁ……もっと楽しめよぉ。人生に一度しかない高校生活だぜ?」
倉沢と言うのは俺の名字だ。あまり好きではない。まぁ、佐藤とか鈴木とか田中とかよりはマシだとは思う。
やばい、俺は今、上記の三つの名字の人々を敵に回してしまった。
「楽しめって……十分楽しんでんだよ。俺なりに」
「告白しない毎日が楽しいってのか? 当たって砕けろって言うだろ? 告れよ」
全く、おせっかいと言うのはこいつのような奴を言うらしい。
そいつのおせっかいを聞き流しながら、通学路を歩いて行く。
すると、異様な感覚が俺の頭を襲った。
「ッ!?」
「おい……どうかしたのか?」
そんな声も今の俺の耳には届かなかった。
何だ……? 頭に映像が……
頭を抑えながらその場に立ち尽くす。痛いと言う感覚はなく、本当に異様な感覚としか表しようがなかった。
何の映像……車?
そう、頭に流れ込んでくる映像には車が映っている。そして――
――その車は人を撥ねた。
何なんだ? 一体……
そして、その撥ねられた人物は――
「中の制服……」
「ああ? 制服がどうかしたのか?」
意味が分からない。何でこんな映像が?
「いや……何でもない」
首を横に振ってまた、足を動かし始める。
頭に流れ込んできた映像のことを気にしながらも、学校へと行き着いた。
◇
何の映像だったんだ? あれは……
授業中にも関わらず、そのことで頭がいっぱいだった。
車に撥ねられた人物は確かに中の制服を着ていた。しかも、女子だった。夢か? 過去か? それとも今からそれが起こ――
考えに耽っていたせいで先生に当たられていた事に気付かなかった。
先生は態々、俺の頭を叩きに一番後ろの席まで来られたってわけだ。
「ちゃんと、集中しろ!」
「はーい」
しまりの無い返事をしてから、反省する。
あんまり考えすぎるのはやめておこう。考えても意味の無いことなんだろうし。
授業に集中をしながらも、やはり、あの映像の事が気になっていた。
◇
「あんた、何ぼっとしてたの?」
隣の席の女子が声をかけてくる。
「ちょっとな。考え事」
そう返答すると、もう興味をなくしたようで「ふーん」と言いながら席を立って教室を出て行った。
こっちは真剣に考え事をしているというのに人とは何と非情な。泣きたくなるねぇ、全く。
「頭大丈夫か?」
登校の最中に会った友人Aがそんな質問をしてくる。
俺の頭はお前みたいに狂ってないよ。
「いや、そっちの意味じゃなくて……」
あ? そんなに種類は多くないぜ? 意味ってのは。
「だから! 朝、一緒に来る時に頭抑えてたじゃねぇか」
話をそっちにふらせないように逸らしていたのに無駄な努力だったようだ。
「ああ。ちょっと眩暈がしただけ。もう大丈夫だよ」
「しっしっ」と友達Aをどっかに追いやって俺はまた、考えに耽る。
こんなに頭をフル回転させたのは受験の時期以来だ。やべっ! ホントに頭が痛くなりそうだ。もう、ホントに止めよう。俺の脳細胞が死滅する前に。
「はぁ」
溜息を吐きながらある女子の方角へと目を向ける。友達Aの言っていた俺の好きな人。
ま、話しをした事も無いんだが……そして、告白する気もない。相手は絶対(いや、米粒くらいの可能性はあるのかもしれないが)俺の事を好きじゃないと思う。好きになってもらう為の努力もしないつもりだ。
多分、俺は恐いだけなんだ。一線を越えるのが。
◇
今日も何事もなく、学校が終わった。そして、俺にとって何もできないまま。そんな事を気にしないのも必要だ。と言う事で俺は何も考えることなく、帰路についている。
信号に引っ掛かって動かしていた足を止める。
歩いて学校に登下校できるって言うのがいいよなぁと思いながら、立ち止まっていると、綺麗な女性が道路を跨った所で俺と対峙するように止まった。
二次元の女性のような綺麗さだ。有名人かモデルかなぁ。
すると、その女性は此方に向けてにっこりと笑顔を送ってくれた。何故?
信号が青になり、俺と対峙している女性は同じタイミングで足を動かし始めた。その女性とすれ違う時、口をゆっくりと歪めながら綺麗な声で言葉を発した。
「君は好きな人、大切な人がもうすぐ死ぬと分かったらどうする?」
一瞬、その場に立ち止まる。
好きな人、大切な人がもうすぐ死ぬ?
その刹那、頭に蘇る朝に流れ込んできた映像。
「まさか!?」
声を発しながら振り向いたがそこに先の綺麗な女性の背中姿はなかった。
あの映像……本当なのか?
ゆっくりと前に向き直って、止めた足をまた、動かし始める。それと同時に頭をフル回転させながら、綺麗な女性の言った言葉の事について考えた。やばい……もう、容量がいっぱいになりそうだ。
◇
次の日。
またもや昨日と同じ友達Aが登校中にバッグで背中を叩いてきた。急にやられたのでこけそうになる。
「おいおい。それぐらいでこけそうになるなよ」
「うるせぇなぁ……」
「あれ? 不機嫌? 八つ当たりだけは俺にするなよ?」
こいつを黙らせる薬を誰か持ってはいないだろうか。
「俺さぁ、昨日眠れなくて寝不足なんだよ」
誰もてめぇのことなんざ知りたくもねぇよ。あさから聞かされるこっちの身にもなってみろってんだ。
「マジ恐いんだってお前も見たか? 例の綺麗な女性」
「は?」
綺麗な女性に反応して思わず言葉を発してしまう。
綺麗な女性。昨日の俺とすれ違った女性か?
「何処で見た!」
気付くと、友達Aの胸倉を掴んでそう叫んでいた。周りの視線が全て俺とそいつに向けられる。
「お、おい! 八つ当たりはやめろって言っただろ」
「いいから言えって!」
俺のほかに見た奴がいたなんて思いもよらなかった。
「昨日、何十人って奴らが見てんだよ……そのモデルか有名人みたいな綺麗な女性を」
それを聞き終えると、胸倉を掴んでいた手を放し、その場に立ち尽くした。
“何十人って奴ら”が? 一体どう言う事だ。くそ! 意味分かんねぇ。
“君は好きな人、大切な人がもうすぐ死ぬと分かったらどうする?”
本当のことなのか? あの映像。そして、彼女の言葉。
「おい……なんか昨日から変だぞ?」
「ああ。そうだな」
止めていた足をまた、動かし始める。
何なんだよ……これから何が起こるって言うんだ!
「おい! 勝手に人の胸倉掴んどいて何も言わないで歩くなよ」
「ああ。悪かった」
ついてくる友達A。それすら今はうざく感じる。
「お前も見たのか? 綺麗な女性」
「ああ」
「へぇ……やっぱ、突然消えた?」
突然消えた……言われてみればそうかもしれない。すれ違った後、後ろを振り返ると忍者のようにその女性の背中姿はなかった。
「すれ違った後、後ろ見たらいなくなってた……」
「やっぱ、幽霊なのかなぁ……何十人って見た奴ら全員が“消えた”って言ってんだもん。これは幽霊で決定だな。あーもう俺は一生眠れないのかぁ?」
一生眠れない? ああ。そういやぁ昨日眠れなかったとか言ってたなぁ……
「お前は小学生か。いや、今時の小学生でもそれはないぜ?」
「冷たい目で俺を見るなああ!」
幽霊か……そう考えた方が聊か楽な気がする。
◇
考えるのが段々とめんどくさくなっていき(まぁ容量が足りなくなったのもあるが)、放課後にはそのことについてはもう、考えなくなっていた。
頭の中が少し楽になった。
その頭の容量が空いてるのも束の間の時間だった。
帰り道。下を向いて歩いていると、人にぶつかってしまった。
謝らなきゃと思い、
「すいません」
と謝罪を述べる。
顔を上げた瞬間、俺は絶句した。そこには例の幽霊女が立っていた。
「そんな驚愕の表情で私を見ないでくれるかな?」
その言葉は俺の耳には届いていない。驚き止まっている。人生で初めてその感覚を実感した。
「ちょっと……固まらないでよ」
こんなに普通に話して何がしたいんだ? こいつは。くそっ! なに企んでやがる!
「まぁいいわ。このことについて話せば感嘆句くらいは吐くでしょう。君の見た“あの映像”は本当のことよ?」
あの映像。その単語を聞いた瞬間、俺は目の前の幽霊女を睨みつける。
あの映像だと? 俺は誰にも話した覚えは無い。だったら何故、こいつがそのことについて知ってるのか。答えは一つ。
「お前か? 俺に変な映像を頭に流し込みやがったのは」
「おっと、そのことについて教える前に口の聞き方と言うものを先に教えなければいけないわねぇ」
人を見下す目で俺を見る幽霊女。こういうタイプは苦手だ。だが、今はそんなことも言ってられない状況だ。
「映像のことについて教えてください……」
チッ。敬語なんてのをこいつに使うには俺の小さなプライドを削り取らなければならないらしい。
そんなちんけなプライドを削り取って敬語で話したが、幽霊女はそれを何の躊躇もなく莫迦にする。
「フフフフ……君、面白いねぇ……情報を得る為には何でもするの?」
幽霊女は一時、笑いながらその口を押さえていた。そして、核心に迫る言葉を口にした。
「その頭の中に流れ込んできた映像で車に撥ねられたのって誰だか分かる?」
頭の中に流れ込んできた映像の一部始終を思い出す。確かなのは性別が女で中の学校の奴だって事くらいで顔ははっきりとは見えなかった。
目の前の幽霊女が言った言葉を思い出す。
“君は好きな人、大切な人がもうすぐ死ぬと分かったらどうする?”
おいおい……まさか!?
「察しがついたでしょ?」
俺はいつの間にか驚きを顔の表情にまで出していたらしい。
「そう、車に撥ねられるのはあなたの好きな子。栗林さんよ」
俺の予想が当たってしまった。しかし、俺が驚いた理由はもう一つ存在する。
「何で……俺の好きな人を?」
この女は一体何者なんだ。
「フフ……その驚いた顔。かわいいねぇ」
「質問に答えてくれ!」
すると、幽霊女は口元に右手の人差し指をやる。
「秘密。そんなことより、気にする事があるんじゃないかしら?」
「気にする事だと?」
「そう、栗林さんの事。さあて、彼女はいつ死ぬのかしら?」
そうだ!? 彼女はまだ生きている。なのになんで俺は納得しちまったんだ? これから死ぬとでも言うのか?
「明日の十八時二十分ごろ。彼女はXXの横断歩道にて車に轢かれて死ぬわ」
「は?」
何を言ってるんだ? この女は。ただの電波か?
「ま、信じるか信じないかは君次第。私はこれ以上は干渉しないから」
そう言うと幽霊女は後ろへ振り返って歩みを進めた。
「おいっ! ちょっと待て!」
そう言って幽霊女の腕を掴んだ。
「え?」
その声をあげたのは俺ではなく目の前の幽霊女だった。そして、驚いているのも幽霊女だった。
「君……何で触れて――」
途中で言葉を切った。
“何で触れて”だと?
女の言っている言葉の意味がよく分からない。
驚き止まっていた女が正気を取り戻したように口を開いた。
「今、私に触れる事ができた事を覚えておく事ね」
そう告げると、俺の掴んでいる腕を振り解き、また、歩き始めてどこかへと行ってしまった。
“私に触れる事ができた事を覚えておく事ね”
何が言いたいんだ? まるで本物の幽霊のような口ぶりじゃないか!
◇
家に帰ると、吸い込まれるように自室のベッドへと横になった。
“明日の十八時二十分ごろ。彼女はXXの横断歩道にて車に轢かれて死ぬわ”
何故、それを知っていたのだろうか。千里眼? それとも未来から来たのか? そして、最も気になる事は――
「――栗林は本当に明日の十八時二十分ごろに死ぬのか?」
俺はどうしたらいいんだ? 助けたいけど、何であの幽霊女が俺にそのことを教えたのが気になる。助けさせる為だとしたら?
「くそ……」
いつまでも答えが出ないまま気付くと、彼女の死ぬ今日になっていた。
◇
学校にはやっとの気持ちで登校する事ができた。しかし、その心中が落ち着く事はなく、そんな俺のピリピリとした気持ちを察してか周りの人々は俺に話し掛ける事はなかった。
人と話さない分、内に背負い込んでしまっているようで胸が押しつぶされそうな感覚に襲われる。
顔を俯けてふとそれが目に入った。
あれ? 俺、消しゴム二つ持ってたっけ?
そう、机の上には先までは消しゴムは一つしかなかった。だが、今は二つある。
誰かが間違えて置いたのか?
辺りを見回す。そして、一言、心中で呟いた。
まぁいいか……今はそれ所じゃないわけだし……そう、それ所じゃ――
俺はまだ悩んでいる。彼女を助けるべきか助けないべきか。そして、今、彼女の顔を見て決心が着いた。
“彼女を……栗林を助ける!!”