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短編2

罪の形

作者: 猫宮蒼
掲載日:2026/09/24



 パンッという破裂音。


「ぁ……ど、し……て」


 最後にそんな言葉を発して、ゆっくりと倒れた直後に。

 床に血だまりが広がっていく。


 誰も悲鳴は上げなかった。


 だがしかし、悲鳴を押し殺すべく息を飲んだ者たちはいる。


 それらを確認しながらも思った事は。


(あぁ、即死ではなかったのだな)


 である。




 フランツは今しがた目の前で娘を喪った。

 けれども特に驚きはなかった。

 死ぬ一秒前くらいには「あ、やべ」と思ったからだ。

 結果としてそうなった事実に、やっぱそうなったか、と納得してしまった。


 止める間はなかった。


 むしろ止めようなんて考えていたら、自分もそうなっていた可能性がある。


 パウラ――娘の名である――が死んだというのにこうも冷静でいられるのは、そうでなければ自分にまで飛び火すると考えているからだ。


 本来ならば娘を殺されたのだ。殺した相手を憎み、仇を討ってやろうと考えるべきなのかもしれない。

 けれどフランツはそうは思わなかったし、思えなかった。


 何故なら殺したのはフランツの妻でもあるブリギッテであるからだ。


 倒れ、既に動かなくなった娘を冷ややかに見下ろしている妻に、下手に娘を庇うような事を述べていたのなら自分も間違いなく凶弾に倒れたに違いないのだ。


 パウラもきっと死ぬなんて思っていなかったに違いない。

 だからこそ、最後の言葉が「どうして」だったのだから。


 まさか自分の母が銃口を向けて、そうして躊躇う事もないまま引き金を引くだなんて想像すらしていなかっただろう。


「片付けて」


 ブリギッテが言えば、使用人はびくりと肩を震わせながらもその言葉に従った。


 子爵家において当主はフランツであるけれど、実権を握っているのはブリギッテだ。逆らえるはずもない。


 いや、実権を握られるような事になってしまったが故に逆らえない、が正しいだろうか。

 どのみち使用人たちも妻に何かを言えるはずもなく、粛々とパウラの死体を運ぼうとして――


「あぁ、葬儀なんてやらないから。適当な場所で処分してちょうだい」


 それは令嬢を弔う言葉ではなかった。

 その言葉に何やら言いたげな表情をした使用人にブリギッテは冷ややかな目を向けたまま告げる。


「お葬式って人がやるものであって、畜生のためにするものではないのよ」


 そう言われてしまえば、使用人たちも何も言えない。

 ブリギッテの視線から逃れようと、まるで肉食獣から逃げようとする小動物のようにひっそりと音を消して動く使用人たちなど、既にブリギッテの視界に映ってはいなかった。


「貴方」

「……わかっているとも。我が家にパウラなんて娘はいなかった。最初からな」

「そうね。わかっているのならそれでいいわ」


 まるでお手本のような笑みを浮かべているが、声はまだ冷たい。

 返答を間違えてはいけない。

 フランツはいたという証が残らぬようにしておこう、と震えそうになる声をどうにか震えないようにしながら言えば、それが正解だったのだろう。


「えぇ、お願いね」


 お手本のような笑みから、ふわりと花がほころぶような笑みへと変わり、声もまたいつも通りの優しいものに戻っていた。


 妻が部屋を出ていってから数秒、すぐには動けなかった。

 遅れて心臓がバクバクと悲鳴を上げるように早鐘を打った。あまりにも今更である。


 パウラの死を悼まないわけではない。

 だがしかし、最早弔う事もできそうになかった。



 パウラが死ぬに至った原因は、娘に好きな人ができた事だ。


 恋をした。

 それだけなら別に命を落とすまでではない。


 しかし問題は、恋の相手だ。



 パウラの想い人であるアイザックは伯爵家の令息で同じく伯爵令嬢であるジェシカという婚約者がいた。

 婚約者がいながら恋に落ちてしまった、というところでフランツは嫌な予感しかしなかったのだ。


 好きになったばかり、というのならフランツも言葉を尽くしてどうにか諦めるように宥めただろう。

 けれどもパウラが両親に告白した時には、既に手遅れだった。


 学院でパウラは同じクラスの令息に声をかけた。

 最初から恋に落ちたというわけではない。最初はただ本当に声をかけただけだった、そうだ。


 同じクラスの中では成績が良くて、頼りになりそうだったから授業でわからなかった部分を教えてもらおうと思った。


 そうして話をするようになっていって、気付けばパウラはすっかりアイザックに恋をしてしまった。

 アイザックも己の婚約者よりパウラとの方が共にいて気が楽だったのか、好意を抱いたらしい。


 けれどもアイザックには婚約者がいる。それはわかっている。


 だからせめて、せめて学生時代の間だけは。

 成人前のまだ自由でいられるこの一時(いっとき)だけは。


 そんな風に思いながら、二人は互いの想いを育てていってしまった。


 決して結ばれない恋。

 儚い想い。

 哀れな恋人。


 演劇であれば許されただろう。

 演目としてのものであれば多くの者がそんな二人の恋を美しいといい、時に涙を流したかもしれない。

 作り話であるのなら、どのような終わりを迎えてもエンドロールには拍手だってできたに違いない。


 けれども現実となるとそうもいかない。


 学院で二人は人目を忍んで二人きりになって愛を語らったりもしていたようだが、そもそも学院に完全に人の目がない場所などない。

 仮にも貴族の子女が多く集まる場だ。そのような場所があってはならない。

 貴族というだけで恨みを抱く者だって世の中にはいるのだ。

 もし警備が手薄な場所があるとそのような者たちが知れば、間違いなく事は起きる。

 故に、人の目がなさそうに思えても学院内で完全に人目のつかない場所などありはしないのだ。


 恋に浮かれ溺れた者にはそんな事すら気付けなかった。


 だからこそ、秘密の恋をしているつもりだった二人の事はあっという間に知れ渡った。


 そうなるとどうなるか。


 当然噂が広まる。


 結果としてアイザックの婚約者であるジェシカの耳にもその噂は届いた。


 結婚してやる事やってから愛人作るならまだしも結婚前からそれってどういう事、となったジェシカはどうやらサクッと親に報告し、結果としてアイザックの婚約は破棄された。

 何故ならアイザックの家にジェシカが嫁ぐのではなく、その逆でジェシカの家にアイザックが婿入りする予定だったからだ。


 だというのに結婚前からお相手がいるとなれば、ジェシカとその家からすればわざわざアイザックを選ぶ理由がない。既にジェシカの結婚相手になれそうな男がアイザックただ一人しかいない、というわけではないのだ。探せば他にもいる中で、あえて最初から貧乏くじを引く理由がない。


 学生時代の僅かな期間の恋、と言い切られたところで、果たして本当にそうなのかさえ定かではないのだ。

 口では別れたと言いつつも水面下で関係を続けている者だっているくらいだ。アイザックがそうではないと果たして誰が言えようか。


 そんな状況でアイザックと結婚した後、ジェシカの身が安全でいられるかはわからない。

 どうしてもパウラと結ばれたいと思ったアイザックがジェシカを害し、新たな妻としてパウラを引き入れるかもしれないし、はたまた子を産んだ直後にジェシカの子が殺されてパウラとアイザックの間に生まれた子とすり替えられるかもしれない。

 やった時点でお家乗っ取りであるのは間違いないのだが、意外とこの手の犯罪はちょこちょこと表に出てくる。


 やった時点で社交界を賑わす一大ニュースになるのだから、そりゃあ広く知られて親の口から聞こえてきた言葉を子供も耳にしてしまうので、この手の話は本当にシャレにならないくらい知れ渡っている。



 なので自分が被害者になる可能性がある、という時点で。

 そんな自分を害するかもしれない相手と結婚する意味が見いだせないのだ。


 殺されたっていい。それでもどうしても結婚したい。

 そう思える程に魅力的な相手であったとしても、その恋で家を傾けられてはたまったものではない。


 元々両家の親同士に深い交流があってそこからの縁で結ばれた婚約であっただけで、利益を優先するような政略結婚というわけでもなかったのだ。


 であれば、ジェシカの両親はアイザックとの婚約を無かった事にするという選択肢を選ぶし、ジェシカだって結婚前から別のお相手を連れているような男と結婚などしたいわけではないために。


 婚約破棄という流れは当然の結果だった。



 アイザックの婚約がなくなった事でアイザックはフリーとなった。

 まぁ、結婚前からそんな話が出るような男を他に貰いたいという家があるかとなると、正直とても微妙である。マトモな家は選ばないし、欲しいなんて言う家は大抵どっか後ろ暗いところがある。後ろ暗くない貴族の家があるのか、と問われるとちょっと言葉を濁したくなるけれど、そういうのとは別の意味で後ろ暗いのだ。


 別の方向にヤバイ家とお付き合いをしたいとは思わない。

 厄介者を送り込んで後は好きにしていい、なんて感じで押し付けるにしてもだ。

 些細な縁であっても繋がったが最後、他にどんな厄介ごとを持ち込まれるかわかったものではないので。


 なのでそういう場合は間に別の家や施設を挟んだりしてマネーロンダリングならぬ人材ロンダリングを行うわけだが……まぁこの話は闇が深くなるのでやめよう。

 意識がそれかけたフランツはそっと頭を振った。


 ともあれ、アイザックがフリーになった事でパウラは愛する人と堂々と結ばれる事ができるわ! とお花畑を炸裂させてしまったのだ。

 話はそんな簡単なものではないというのに。


 アイザックとジェシカの婚約に割り込んだと言われても否定できない状態。

 本来ならばこの家にも賠償だのなんだのとそれなりの責任が降りかかってくる。


 そんな事さえ理解していなかったパウラだ。

 そりゃあ妻のブリギッテの視線も冷ややかになろうというものである。


 もっとも、その冷ややかな視線はパウラだけではなくフランツにも向けられていたのだが。


 本当に、貴方によく似た娘ですこと。


 そんな言葉が聞こえてきそうだった。


 何故なら若かりし事、フランツも似たような事をしでかしてしまったので。



 学生時代、フランツも男爵令嬢と恋に落ちた。

 ブリギッテという婚約者がありながら。


 ブリギッテは当時伯爵令嬢で、フランツは子爵令息であった。


 家柄があちらの方が上、という事で、どこか鬱屈した感情を抱いていたのかもしれない。

 あちらの方が上、という部分を無意識下で厭うていたのだと、今ならわかる。


 一見するとたおやかで消えてしまいそうな美貌のブリギッテは、しかし中身までそういうわけではなく、むしろ己の考えをしっかりと言う方だったし実際フランツも色々とズケズケ言われた。

 伯爵家ともなれば高位身分の貴族だ。侯爵家や公爵家、時には王家といったフランツにとっては滅多に関わる事のない家とも関わる機会がそれなりにある以上、見た目同様弱々しいとなればやっていけないのも今ならわかる。


 けれども学生時代、フランツはそこまで理解できていなかった。


 頭では理解していたつもりだ。

 だが本当にふわっとしたぼやけた輪郭部分をなぞる程度で、理解したなど到底言えるものでもないのに当時はそれでもわかったつもりになっていた。


 なんかうちに嫁入りするくせにやたらと上から目線だし、そりゃああっちの家の方が身分も家格も上だけど、でもさぁ、将来夫になるんだぞこっちは。もっとこう、そういう態度ってあるだろ。


 今だったら当時の自分を全力でぶん殴っていたと思うくらいに、当時のフランツは思い上がっていた。


 結果として恋に落ちた男爵令嬢を優先し、ブリギッテを蔑ろにし、なんだったらブリギッテの目につく範囲でイチャついたりもした。精々嫉妬しろという気持ちと、お前に俺の愛はないのだという証明。


 思えばあの時はそうやってブリギッテを蔑ろにして、それで優越感に浸っていたのだから救いようがない。

 挙句に最後のトドメとして大勢の前で婚約破棄をやらかそうとまでしていたのだ。


 やってたら間違いなく自分は今の立場にいなかった。

 多分平民になってたかもしれないし、そうなればマトモに生活もできずどこぞで野垂れ死んでいたかもしれない。


 直前で事の次第に気付いた両親に顔の形が変わるまでぶん殴られて――父は拳で、母は扇で――何勝手に家を潰そうとしてるんだ? と言われた時の事は忘れたくとも忘れられない。


 アイザックとジェシカの婚約は政略ではなかったが、フランツとブリギッテの婚約は政略だったのだ。

 当時両家で行っていた事業は下手をすると他家の横やりが入りかねない状況だった。

 そうなるとどちらの家にとっても良いとはいえない状況になるからこそ、しっかりと結びつく必要があった。


 それをフランツの勝手な行いで台無しにされてみろ。

 その場合有責は確実にフランツで、慰謝料その他を含めた賠償金がフランツにのしかかったところで到底払えるはずもない。

 平民落ちどころか奴隷落ちまでありえたし、子爵家も最悪没落したっておかしくはなかった。


 結婚などしなくともブリギッテの家優位な契約の結びなおしも考えられたけれど、ここぞとばかりにその事業に一枚噛みたいなと言わんばかりの家が複数名を上げたので。


 名乗り出たといっても、その家には事業に関わる何かがあったわけでもない。

 ただ単に旨い汁を啜りたいというのがわかりきっていた家が多かった。


 要するに、フランツの家の足元を見まくられたのである。


 だがそうやって割り込まれたところで、ブリギッテの家にとっても得になるわけではなく余計な面倒が増えるだけ。事業で得た利益を分配するにしても、余計な家を介入させてそちらに利益が流れてしまえば、どちらの家にとっても損失である。


 バッサリ断る事ができれば良かったのだが、フランツがやらかしかけたせいで付け入る隙を与えてしまった。


 様々な事情と思惑によって、フランツとブリギッテの婚約は解消できなかったのである。


 結果としてフランツは貴族のままでいる事を許された。

 その代わりに嫁入りしたブリギッテがほぼ子爵家の実権を握る形となった。

 まぁそうだろう。フランツに実権を握らせてまた家を傾けられるくらいなら、ブリギッテに任せた方がマシだとフランツの両親だって判断する。


 言ってしまえばフランツは、お飾りの夫である。


 そうして結婚し、子を作って跡取りが生まれた。

 もう一人くらいスペアとして……と思った結果産まれたのがパウラだ。

 女児では跡取りのスペアにするにしてもな……と思ったものの、妻にとても似た長男が見た目の儚さに反して内面はとても逞しく育ったので、スペアとしての次男を望む必要はなくなってしまった。


 パウラはいずれ嫁に行く。

 それにパウラはどちらかといえばフランツに似ていた。

 当時の自分の事を思い返せば、だからこそパウラの事をあまり甘やかしたりはできなかったのだが。


 それなのに、驚くくらいパウラはフランツに似て育ってしまった。

 教育はしっかりと行われていたにも関わらず、だ。



 ブリギッテからすれば当時のフランツと同じ過ちを娘がやらかしているのだ。

 当時の怒りも再燃したって何もおかしくはなかった。


 フランツはその時の状況で生かされる事が決まったけれど、しかしパウラはそうではない。


 適当なところに嫁がせたところで、そちらで今度は何をしでかすかわかったものでない。


 ブリギッテはそう判断したのだろう。


 成人間近な年齢になってもやっていい事と悪い事の区別もつかなかったお花畑。

 今更再教育をするくらいなら、最初からなかった事にした方がマシ。


 そう考えたら、ブリギッテがあの場で銃を出して仕留めるまでの行動があっという間だったのも当然なのかもしれない。ブリギッテからすると、フランツと違ってパウラには生かしておく理由がないのだ。それがたとえ自分が産んだ娘だったとしても。


 パウラもブリギッテに似て育っていたのなら、こうはならなかったのだろうか……


 そう考えたところで、手遅れである。



 どちらにしても既にパウラは亡くなった。

 であればアイザックの家にもジェシカの家にも。

 その事実と共に改めて詫びに出向くしかない。


 お飾りであれ、この家の当主は自分なのだ。

 当時の事を知る者であるのなら間違いなくチクチク言われるだろうな……と思いながらも、それで向こうの気が済むなら甘んじて受け入れるしかない。


 溜息は吐き出さずそっと喉の奥へ飲み込んだ。

 次回短編予告

 本当に辞めるの? そう声をかけられたマリナ。問いに対してマリナはハッキリと頷いた。

 何故ってこのままだと我が身が危ういので。誰だって我が身は可愛いものだ。


 次回 大忙しの転職

 泥船にいつまでも乗ったままなんてあるわけないでしょう。

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