地味令嬢が幸せになるまで
「今回もお前が首位か。おめでとう~」
「そういうお前は?」
「…38位」
「……そろそろ大丈夫か? 王家なのに」
「最近、兄上の目が痛い~~」
「あー…王太子殿下な」
「慰めてくれ、親友!」
はいはいと、スキンシップの激しい友人を抱き留め、ぽんぽんと背を叩いてやる。頃合いを見計らって、べりっと剥がす。
「まあでも、前回は51位だったろ。頑張ったな」
「レオン~~~」
「はいストップ。今日はもう閉店だ」
「え、じゃあ、金払えばいいのか」
「…いい加減、その言動どうにかしないと、婚約者に捨てられるぞ。あと、俺に過剰に絡むな」
「洒落にならん」
すっと真顔になる友人。オンオフの切り替えの早い奴と、呆れを含んだ目で見る。
こう見えて根は真面目な第二王子だが、興味のあるなしの差が激しく、勉学でもそれは遺憾なく発揮している。名を、リューベルト=レガイアという。
幼少時に決まった婚約者との仲は良好だ。良好というより、リューベルトの方がべた惚れで、一度紹介されたことのある婚約者は諦めの境地といった感じだった。何があった。
「あ、エリン伯爵令嬢だ」
リューベルトの視線の先を辿ると、確かにいた。じっとりした目つきでこちらを見ている。いや、睨んでいる。
「彼女、今回も2位だな」
「ああ」
「こっち見てるぜ、色男~」
「…お前を見てるんじゃないか、第二王子殿下」
「今度その呼び方したら泣くぞ」
「泣けよ。そんで、婚約者に慰めてもらえ。なあ、第二王子殿下?」
「うわあああ~~ん、ミリア~~~!」
わざとらしい泣き真似をしながら、おそらく婚約者の元に走り去った友人をやれやれと見送る。エリン伯爵令嬢の姿はもうなかった。
昼食を終え、本人を前にして惚気まくる友人を振り切って、学園の奥まったところまで足早に歩を進める。不特定多数の誰かに捕まる前に。
目的地は樹木と植え込みしかないのであるが、壁さながらの生垣の側までくると、人気のないことを確認し身体を滑らせた。以前、あまりにも退屈な授業中、何とはなしに視線を投じると、生垣の中が空洞であることを上階から見つけたのだ。というわけで、それ以来、昼寝に最適なここにたびたび足を運んでいた。避難場所ともいう。
芝生に寝っ転がり、空を見上げる。いい天気だ。こんな日は、室内で授業より、外でスケッチでもしたいものだ。午後から課外授業とかにならねえかな…なんて思いながらうとうととしていた。
数分くらい、目を閉じたままでいただろうか。何かが顔に触れた気がして目を開けると、猫が視界を覆っていた。
「…なんだお前。どっから来たの」
にゃーんと鳴きながら身体を擦り付けてくる猫。動物は好きではないが、嫌いでもない。しかしこの猫、やけに人馴れしてるな?
撫でてやると気持ちよさそうに目を細める。
「………リー」
囁き声に近い声量が、生垣の向こうから聞こえてきた。
「…メリー、どこ? メリー」
先ほどよりははっきり聞き取れた。メリーという声に、傍にいた猫がにゃんと鳴く。お前の名前はメリーか。
ほら行きな、と誘導してやる。声は出さない。見つかると面倒だから。声の主を知っているだけに。
がさがさと猫が去る。もうここには来るなよー。
「あ、メリー。こんなところにいたのね」
優し気な声に少しだけ驚く。いつも睨みつけられているから尚更。いやまあ、普段から誰にでも刺々しいわけではないみたいだから、意外でもないのか。
「今日のご飯よ。…あらあら、ゆっくり食べなさい。誰も取りはしないのだから」
そうか、人馴れしている理由は餌付けしていたからなのか。しかし、野良だろうに警戒心がないのはいただけない。いい人間ばかりじゃないんだぞ。猫に言っても通じまいが。
「でも、私はもうすぐ来れなくなるの。たぶん、進級できないから……。次で、最後だもの」
学年2位が進級できないとはこれ如何に。君が進級できなかったら、俺以外はみんな落第なんだけど。
成績面ではありえないので、違う理由なのか。伯爵家の財政状況も悪くないはずだ。そんな噂はすぐに耳に入る。では、何故?
「あなたのことは、ちゃんと信頼できる人にお願いしてあるから。あと少しだけ、付き合ってね」
諦めの混じった哀しい声が、いやに耳に残った。
もやもやとしたものを抱えて過ごすこと数日。
意外な人物が訪ねて来た。
例によって例のごとく、昼食後に友人を振り切ってきたときのことだ。
「──失礼ながら、レオン=シュティルガ侯爵令息様でいらっしゃいますか」
「君は、エリン伯爵家の…」
「初めまして、フィエナ=エリンと申します。少し、お時間をいただけないでしょうか?」
エリン伯爵家に子は、長女、次女、長男と3人いる。俺と首位を争っているのは長女の方だ。目の前にいるのは妹の方で、姉とは違う意味で有名であるので、面識はなくとも知ってはいた。
姉のウルエラが地味令嬢と言われるのに対し、妹のフィエナは地上に舞い降りた天使とか言われている。誰だよ、こんな恥ずかしい二つ名つけたの。気の毒に…。本人が気にしていないことを祈る。
容姿だけ見ると、確かに金髪碧眼、目鼻立ちははっきりしているし、可愛いといえばそうなのだろう。姉の方は、茶髪碧眼で、どちらかといえば平凡な顔立ちだ。女性の容姿をどうこう言うのは好きではないが。
「あの…?」
つい観察するような目を向けてしまい、戸惑いの声が上がる。いかんいかん。
「ああ、すまない。それで用件はなんだろうか?」
「できれば、あまり人に聞かれたくないので…」
周囲に人はまばらとはいえ、ゼロではない。声を潜める令嬢に、いつもならまた告白とか婚約だの面倒な話かと思うところであったが、雰囲気的にそうではないと分かるので。
「分かった、じゃあ付いてきて」
「…はい」
まあ、いつものところにと言いたいところだが、下手に人に見つかりたくないんだよなと、別の場所へ向かった。
「……話は分かった」
一通り話を聞き、先日の彼女の言葉の疑問が解けた。腑に落ちたといってもいい。
よくある話ではあった。家族間で優劣をつけ、虐げられるまではいかなくとも、蔑ろにされるというのは。
血が繋がっているなら、家族であるならなど、綺麗事でしかない。血縁関係だろうと、自らの欲の為に他を犠牲にする事例は世界各国、枚挙にいとまがないのだから。
エリン伯爵家は、まだそれほど非情な例ともいえない。
「姉は、学園に来てからずっと、本当にずっと、寝る間を惜しんで努力していました。けれど、その努力を、両親が認めることはありませんでした。次の試験が最後なのです。…無礼なお願いとは重々承知しています。ですが、どうか…どうか…!」
「君の事情は分かった。が、それはできない」
明確な拒絶に、令嬢は衝撃を受けた表情をするが、俺を非難することはせずただ俯いた。ぐっと唇を嚙み締め、泣くのを堪えているように見える。
これ見よがしに涙を見せ、同情を誘おうとする女性より余程好感を持てる。
「一応言っておくけど、首位を譲りたくないとかいう、くだらないプライドのためじゃない」
「はい…」
そう、そんなどうでもいいことではない。レオンとて、それなりに努力はしている。侯爵家惣領息子としての矜持もある。
試験結果がそれまでより落ちたのならば、単に自分の力が足りなかったせいだ。他の誰かが、自分以上に研鑽を積んだだけだ。
「姉君は、寝食を削ってまで学業に励んでいると聞いた。実際、そうなのだろう。生半可な努力では、入学以来上位を維持し続けることは難しいだろう」
「は、はい、そうなのです。姉は、いつ寝ているか分からないほど遅くまで…そのせいで視力も落ちてしまったくらいで…」
「だからこそ、俺が手を抜くことはできない。それは、彼女の努力に対する侮辱だと思うから」
「……っ!」
「君の願いを叶えることはできない。…すまない」
「いいえ…いいえ!」
ぶんぶんと首を振り、令嬢は否定する。
「目上の方に、不躾なお願いをして、最悪、家の方に抗議が来てもおかしくないのです。分かっています。けれど、どうしても、このまま見過ごすことができませんでした…!」
姉が、本当に大切なのだなと思わせるその素振り。しかしその割に。
「君のその様子から、姉君を大事に思っているのは分かる。一緒にいるところを見かけないのが、不思議なくらいに」
びくっと身体を震わせ、一言だけ発した言葉に。
「………両親が…」
「…ああ」
なるほど。令嬢の意思ではなく、両親の意向といったところか。
「試験の方はともかく、もし姉君が助けを求めるようなことがあれば、力になると約束しよう。俺ができる範囲で、だけど」
「……ありがとうございます…っ!」
何度もお礼と謝罪を口にしながら、令嬢は小走りに去っていく。
約束と言ってはみたものの、正直、彼女が助けを求めてくるとは思えなかった。試験結果が上下なだけの、希薄な関係だ。自分がもし手を差し伸べたとしても、やんわり断られる未来しか見えない。
令嬢の去り際の言葉もなかなかだったなと思い返す。何故そこまで必死に頼むのかという質問の答え。
『私の家族は、姉だけですから』
弟もいるはずなのにな。
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「やっぱり駄目だったわ。…なんて、やっぱりなんて言ってはそれこそ駄目ね。2年も、頑張ったもの」
…盗み聞きしているようで、何ともきまりが悪いが。
言い訳すると、先に来ていたのは俺の方だ。
猫もここの居心地の良さを気に入ったのか、ちょくちょく姿を現すようになり、必然的に彼女も来るようになったのだ。
「結果が出てしまったから、もう猶予はないの。ここに来るのは、今日で最後になるわ」
次年度を待たずに、嫁がされるのか。彼女の妹が言っていたように。
にゃあ…と鳴く猫の声は、人間の言葉を理解できるはずもないのに、どこか悲し気だ。
「メリー、あなたに出逢えてよかった。後は、用務員さんにお願いしてあるから…」
私の我儘に付き合わせてごめんね、と囁き声。
「幸せになってね。私に幸せをくれた、あなた。──私も、いつか自分で幸せをつかみとるわ」
「………」
無言で起き上がる。彼女はもうこの場にはいない。
幸せをつかみとる、と。誰かにそうしてほしいではなく、自分でつかみとると。
確固たる信念に満ちた声だった。今後の行く先に、悲壮感などどこにも感じられなかった。
どうして彼女は、そんな声を出せたのだろう。
未来を絶たれ、自分の望む道を塞がれ、これから待つのは、もしかしたら生きる方が辛い道かもしれないのに。
貴族令嬢は、基本的に嫁ぎ先を自分で選ぶことはできない。結婚は政治で、家の利益、領地のためだ。親の意向が多分に反映されるのが、常だ。
声質が似ているせいか、彼女の声と、数日前の泣き出しそうな令嬢のものが重なる。前だけを見て未来を見据えるものと、ただひたすらに姉を案じるものと、何もかも違うのに。
──お姉さまは、幼い頃から、両親に疎んじられていたようです。髪色と目、色合いが自分たちと違うという、ただそれだけの理由で。なんでも、両親が嫌っていた祖父の色そのままだったとか。…愚かなことです。
反して、私は可愛がられていたのだと思います。弟も。目の色? ああ、姉とは微妙に違うんですよね。近くで見ないと分からない程度なのですが。
たぶん、姉の地頭のいいところも気に障ったのでしょう。文官になりたいと、初めて口に出したときにひどく叱られたそうです。考え方が時代遅れの人たちなので、女に学業など必要ないと。いつか家のために嫁に行くのがお前の義務だと。
どちらかというと内向的で、でも学ぶことが好きで、本が好きな姉はそれでも諦められなかった。
普段姉に関心がない癖に、自分たちの意思に反することは絶対に許さない。子供を道具としか見てない、私の両親は、そんな人たちです。
期限を設けて、賭けのようなことを持ち掛けたのは、どうせできるわけがないと高を括っていたのだと思います。そう、姉に聞きました。
学園に通っている間に、一度でも首位をとること。期限内にできなければ、すぐに嫁がせる。もちろん、卒業までなんて待ってくれるわけがない。
もしできれば、好きにしていいと。
そう、口約束ではなく、書面で交わしていたようです。だから…。
「あー……こういうの、柄じゃねえのに…」
友人というわけではない。クラスメイトでもない。交流なしの、知人くらいのレベル。異性として興味があるわけでもない。
…どうしたもんかな。
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特に何か行事や催事があるわけではない日だったので、生徒たちが帰宅するのも通常通りだった。
誰もいない教室に残っているのは、1人。名残惜しそうに佇んでいるのは、離れがたい思いがあるからだろうか。
「エリン嬢」
ゆっくりと彼女は振り返った。レオンの姿に僅かに驚いた気配がする。それもそうだろう。今まで言葉を交わすことなどなかったのだから。
「…ごきげんよう、シュティルガ侯爵令息様。私に何かご用でもおありなのですか?」
平坦な声に動揺は見られない。レオンと2人、他に人はいないというのに。もし自分に悪意があったら、とは考えないのだろうか。
ウルエラがいる窓際へ、レオンは近づく。佇まいも姿勢も、彼女は何一つ崩れない。
「…少し、警戒心が足りないのではないか?」
レオンの言葉にウルエラは首を傾げる。何を言われているか分からないという風に。
「俺が君に害意を持っていたら、助けが来ない状況だとは思わないか?」
「侯爵令息様が私に害意? 理由がありませんわね」
「言い切れるだけの根拠は?」
「お互い、関心も接点もなく、今、初めて直接対面するくらいの関係です。女性としての尊厳という問題でしたら、あなた様であればお相手はより取り見取り。単純に危害という面では、そんなリスクを犯す愚かな方とは思えませんし。他に何かありまして?」
考え得る可能性を否定する言葉に苦笑する。おおよそ、彼女の認識は間違っていない。
「関心がなかったという割りに、よく視線は感じていたがな」
「…気分を害されたら申し訳ないのですが、私が見ていたのは”首席の人間”であって、侯爵令息様個人ではありませんでした」
「なるほど」
別段、レオンでなくとも、首位を取ったのが誰であるか確認していたのか。おそらく、自分の目標、悪く言えば”障害”を見定めるため。
「そろそろ日も暮れる。本題に入ろう。──エリン嬢、君は俺と契約する気はあるか」
「…契約、ですか?」
「ああ。君の事情は知っている。本日付で自主退学したことも」
「………」
奥庭の一幕がなくとも、退学の件は耳に入ってきた。これも偶然ではあるのだが。
沈黙は長くなかった。
「──契約内容を、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「簡単に言えば、俺の偽装婚約者になること。君の結婚が回避でき、自由になるまで、かな。期限は応相談で」
「侯爵令息様のメリットはなんですか? まさか私に好意があるわけではないでしょう」
「煩わしい縁談と、女除けくらいかな」
「つまり、メリットはないということですね」
断じるウルエラに、手強いなといっそ面白くなってきた。会話は手応えのある相手でないとつまらない。内容はさておき。
「妹から聞いています。私の境遇に同情してくださったのですね」
「それもないとは言えないな。理由のすべてでもないが」
「まだ何か?」
「後味が悪い」
言葉にするとこれが一番近い気がする。
貴族など柵しかない。純粋な厚意など存在さえも疑わしい、感情で動くことが許されない立場だ。正確には、感情で動くことは、身の破滅に繋がると言っても過言ではない。弱みや隙は上手く隠し、本音は見せないのが常態である。
けれど、敢えて選んだ言葉でもあった。
このときのレオンに、誓って言うが、裏はなかった。こちらに利のない契約だと理解してもいた。探るような目を向けられても、隠すものがないのだから暴きようもなかったのだが。
「真意は測りかねますが…先ほどのご提案について、返答いたします」
答えは、聞くまでもなく。
予想通り過ぎて、レオンは笑った。
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学園卒業から2年が経った。
在学中、首位を維持し続けたレオンは、第二王子リューベルトの招聘を受け、現在は側近として王城に上がっている。
目まぐるしく過ぎていく中、文官たちの噂がレオンの耳に入ったのは必然だったのだろう。
「おい、聞いたか、辺境伯家の話」
「あー聞いた聞いた。大体、辺境伯って言ったら、アレだろ。令息が平民の娘を寵愛してるって噂の」
「ああ、それそれ。そんで、結構長い間結婚許されずにって、まあ貴賤結婚できないから当たり前なんだけど、確かどっかの貴族家から嫁を貰ったんだよな。子爵家? 伯爵家? それで代替わりしたの」
「でもそれって、3、4年前くらいじゃなかったか?」
「そうだっけ? 細かいことはいいんだよ。で、その嫁がまた有能だったらしくて、傾きかけてた辺境伯領立て直した上に、不正まで暴いたとか」
「すげえよな。たぶん、嫁入り先で冷遇されてただろうに、領地経営まともにこなして、横領と不正見つけるなんざ、なかなかできることじゃねえわ」
「そんで、またその令嬢の、いや夫人か?どっちでもいいや。夫人だけど、白い結婚だったと。さもありなん」
「ああー…どこまでやらかしてんだ、辺境伯子息。いや現辺境伯」
「んで、夫人は離縁申し立てて即受理されたってさ」
「前辺境伯は頭抱えてんだろな」
「慰謝料、相当もぎとったって話だしな」
「更に頭痛の種が増えてんじゃねえか。まあ、子息有責の離婚だっただろうし、当然っちゃ当然だけどな」
「しかし、前辺境伯は踏んだり蹴ったりだな。無能な息子は愛人に溺れたまま責務を忘れるわ、有能な嫁は逃がすわ、不正で刑罰が待ってるわ」
「教育の失敗だから、自業自得じゃねえか?」
「違いない」
ははは、と他人事だから笑い飛ばせるのだろう彼らの話に、帰宅しようとしたレオンは第二王子の執務室へ踵を返した。
「失礼します、レオンです」
「入れ」
ノック後の応えで、執務室の扉を開ける。
「どした? 帰るんじゃなかったっけ? 今日の仕事終わったよな?」
そこそこの山な決裁書類を見ながらの台詞である。後はサインだけの状態なので、多少量があっても問題ないとレオンは先ほどこの部屋を後にしたばかりだった。
「──今日から10日ほどお休みをいただきます」
レオンの宣言と同時にガタガタガタッと派手な音がした。リューベルトが慌てて駆け寄ろうとして、椅子を引っかけたりしたからだ。
「え、なんで?! 僕が悪いの?! 何かした?!」
「いえ殿下に責任があるわけではなく、」
「ここのところ、ちょーっとだけさぼったりしたけど、基本真面目に仕事してるし、ちゃんとお休みもあげてるし、給料も悪くないよな?!」
「いやだから、」
「お前に捨てられたら、僕の仕事滞りまくる~~~~! 兄上から怒られる~~~~~!!」
「俺の話を、」
「殿下、少し落ち着きましょう」
絶賛混乱中の第二王子を持っていた扇で引っぱたいたのは、同じく執務室にいた婚約者のミリア=レスウッド公爵令嬢だった。相変わらず容赦ないな。
「ミリア~~~~! レオンが~~~!!」
「はいはい、話しは最後まで聞きましょう。そもそも、レオン様は辞職ではなく、休職を申し出たのですから」
「…っでも、…そんな休みが欲しくなるような何かしたかなって…」
「だから、それを聞きましょう。急ぎの書類は終わりましたね? お茶でも用意させましょう」
さすがの手綱さばきだと、感心することしきりである。
「で、何があったのさ…」
ジト目で見てくるリューベルトに苦笑を返す。レスウッド嬢は隣で優雅に紅茶を飲んでいる。基本、必要がない限り口は挟まないのだ。
「さっき、辺境伯の話を聞いてな」
「辺境伯のって、アレのこと? つい最近、不正が見つかったのと、白い結婚で離婚したってやつ。まあ僕も聞いたのは今日だけど」
「ああ、それだ」
「うん、それでそれと、レオンの休みがどう関係してくるわけ?」
「元辺境伯夫人だが、エリン伯爵令嬢だってことは?」
「あー…そういえばそうだったかも」
実に3年前の話だ。記憶をたどるようなリューベルトの仕草に、自分以上に関りがなかった彼がすぐに思い出せなかったのも無理はない。
「えーっと確か、あと1年で卒業ってときに自主退学したんだったよな。成績よかったし、教授連が随分引き留めたらしいけど、家の意向ってことでどうしようもなかったとか。それからすぐに辺境伯家に嫁いだ」
「合ってる」
「うん。それで?」
「──迎えに行こうかと」
「…………………は?」
「辺境伯領まで片道3日くらいだから、最低でも10日、」
「待て待て待て待て待て待て」
何故か慌てた様子で、リューベルトが待ったをかける。まだ最後まで言い切ってないぞ。
「え、なに、え、レオンって、そうなの?!」
「何が?」
「エリン嬢のこと、好きだったの?! だから未だに婚約者作ってないとか?!」
「いや別に」
レオンの返答に肩透かしを食らいソファの上で転びそうになるリューベルトを、咄嗟にレスウッド嬢が掴む。反射神経も素晴らしいな。
「じゃあなんで?! 本当に意味が分からないんだけど?!」
「うん、俺もちょっと分からない」
「……ごめん。僕にも分かるようにお願いします」
ただ思ったのだ。
3年前のあの日。レオンの申し出をきっぱりと撥ね退けた彼女が、誰かに幸せにしてもらおうとは思っていないと、そう言い切った彼女が、ようやく手にしただろう自由。
その自由は、彼女を幸せにしたのだろうかと。
「見てみたいと、思ったんだ」
「何を??」
「彼女の目が変わっていないのか」
「…ごめん、やっぱり僕には分かんない。それに、さっきは迎えに行くって言ってたから、てっきりお前の婚約者としてだと思ったのに」
「あー、何でだろうな。なんとなく、そう言ってた」
「はっきりしないなー」
「…よろしいんじゃありませんこと?」
音を立てずに茶器を置いた後、珍しくレスウッド嬢が割って入った。
「ミリア?」
「今は繁忙期でもありませんから、10日ほどでしたらレオン様不在でもなんとかなるでしょう?」
「でもミリア…」
「わたくしもお手伝いいたしますし」
「うー…ミリアがそう言うなら」
「では、レオン様。本日より10日、休暇願を申請してくださいませ」
「分かった。感謝する」
「礼には及びませんわ。…きっと、会えば、レオン様が抱えているものの答えも出るでしょう」
そう言って、華やかに微笑むレスウッド嬢。
見たことはないのだが、柵のひとつからは解放された今、彼女の心からの笑顔を見ることもできるだろうか。
己を決して曲げることのない、意志の強い目は変わっていないだろうか。
3年の歳月は、彼女に何を齎しただろう。
それを確かめたくて、王都を発った。
「──見つけた」
レオンの声に反応して振り返った彼女の目が見開かれる。
緑がかった青い目は、何も変わっていなかった。
あの頃は分からなかった。今までも、思い至りもしなかった。
両親から何度勧められても、婚約者を作らなかった。
令嬢から秋波を送られても、何とも思わなかった。
リューベルトに何を言われても、心は動かなかった。
だが、ようやく気付いた。
「エリン嬢」
あのときからずっと、君に惹かれていたのだと。
了
辺境伯家がアレだと、国としては色々やばいよなとか書いた後で思った。
そして完結した作品の推敲してるけど、一向に進まない……暑いからか?
いっそ1話ずつ更新するか?




