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極寒の誓約、皇帝の疑惑と偽りの花嫁  作者: 万里小路 信房


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5、偽りの終わりと真実の誓い

 しかし、アレッサンドロは、報告書の作成を始めようとはしなかった。任務の完了は、ヴィオレッタとの偽装の日々の終わりを意味するからだ。結果を報告すれば、任務は終了する。そうなれば、ヴィオレッタとのこの偽装の夫婦関係も終わってしまう。アレッサンドロは、自分に何かと言い訳をして、報告を延ばしていた。


 ヴィオレッタはそれについて何も言わない。そのことは、彼女も自分と同じ気持ちなのかもしれないと、アレッサンドロを自惚れさせた。


 そのころ、ヴィオレッタは連絡役で兵士に扮しているリッカルドと接触していた。


「騎士団長様は何をやってるんだ。もう確証をつかんでいてもいいころだ」


「いや、まだよ。彼はまだ確信を持っていないわ」


「もしかして、裏切るつもりか?」


「そんな様子はないわ。本当に確信を得ていないだけ。私も、まだ将軍の忠誠心に確信は持てないわ」


「そんなに待てないぜ。ラウロ長官殿は気が短い」


「わかってるわ……」


 ヴィオレッタはリッカルドにそう言った。アレッサンドロが確証をつかんでいると言うことは知っている。彼が故意に報告を遅らせている。その理由を推測したとき、ヴィオレッタの胸は、久しく感じなかった女性としての喜びで満たされた。同時に、自分の過去が、彼を傷つけるであろう現実に、絶望する。


「このまま、偽りの妻でいられたら良かったのに……」


 一度真実の愛を知ってしまうと、偽りの日々が、あれほど愛おしかった。彼の気持ちに答えたい自分と、自分の過去を考えれば、それを受け入れらない自分との葛藤がある。私はどうすればいいんだろう? 今まで感じたことのない悩みが彼女の頭を占めていた。


 戦線に集結しつつある帝国軍の物量は大公国軍を圧倒していた。大公国の将軍たちは、自分たちの限界を痛感していることだろう。彼らはこれまでに得た勝利にも関わらず、迫りくる帝国軍に抵抗の無意味さを知ることになるだろう。この攻勢の唯一の懸念は、皇帝の、コイヌール公爵への疑念だった。突然の解任、粛清、現場の混乱、おべっかを使うだけの無能な後任……、それではこの戦争に勝てない。


 もう、一刻の猶予もならない場所に来ていた。もう甘い執行猶予期間は終わった。アレッサンドロはヴィオレッタを執務室へ呼んだ。


「コイヌール公爵の忠誠に疑念がないことを陛下に報告する」


 アレッサンドロが宣言するようにそう告げると、ヴィオレッタは目を伏せて、ささやくような小さな声で「……はい」と返事をした。彼は彼女のその反応に勇気をもらった気がした。


「偽装の妻役としての貴様の任務は、これで終わりだ。貴様はよく私の職務に貢献してくれた」


 アレッサンドロは業務的な口調で言葉を続ける。これでもう、アレッサンドロ様の妻という、いとおしい役割を失ってしまうのだ……、ヴィオレッタは次第に自分の感情を抑えきれなくなってきた。


「……はい」


 気持ちを何とか抑えて返答する。これが本当の終わりなんだ、という事実が胸に押し寄せてくる。


「それと、これは別件なんだが……、ヴィオレッタ、私と結婚してくれないか?」


「はい?」


 思いがけない言葉にヴィオレッタは顔を上げた。優秀な密偵にしては可愛い顔だな、アレッサンドロは今まで知らなかった彼女の新しい一面を見た気がした。それは密偵の仮面ではない、単なる普通の女性の顔だった。ますます愛おしさが募る。


「今までは、偽装の結婚だった。その中で君への愛おしさが募ってきた。報告を先延ばしにしていたのは、君との関係が終わってしまうのがつらかったからだ」


「うれしいです、アレッサンドロ様。でも私は密偵です。私は帝国に反逆した貴族の娘。私との結婚はアレッサンドロ様の傷になるわ。それに私の過去を知れば、アレッサンドロ様は私をお嫌いになるわ」


 ヴィオレッタはうれしさと悲しさの入り混じった顔で涙を流しながら言った。


「君がどんな過去をもっていたって、私はそれを全部受け入れるつもりだ。私が愛した君は、君の過去が作り上げてきた今の君なんだから」


 そう言ってアレッサンドロはヴィオレッタに近づき、彼女を強く抱きしめた。彼女は拒まない。彼の手が震えているのが彼女には感じられた。表情もいつもとは違う、緊張したものだった。アレッサンドロは右手でヴィオレッタのあごをあげ、彼女の涙を親指で拭い、情熱を込めて唇を重ねた。


 ヴィオレッタは、長年仮面の下に閉じ込めていた孤独が、一瞬で溶けていくのを感じた。自分はもう偽りの妻ではない。アレッサンドロ様の本当の妻になるんだ。その幸せをかみしめた。


 それから数日後、皇帝からの命令により、帝国軍の大攻勢がはじまった。

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