第93話 テレジアとアイザック
テレジアを連れて向かった先は町の端。小川の流れる傍の、陽当たりの良い小さな土手と言った雰囲気の場所だった。所々花も咲いていて平和で長閑な雰囲気だ。エステルはスパイボットでベルルート男爵の直轄地については色々と調べていたから、こういう場所もチェックしていたようだな。
土手に腰を下ろし、エステルは布の上にクッキーを広げていた。テレジアは手に取ったクッキーを不思議そうに眺めてから口に運ぶ。
眠そうな目をしているテレジアであるがクッキーを齧ると少し驚いたように目を見開く。
「クッキー、美味しいですか?」
「ん。美味しい。初めて食べる……不思議な味」
「甘いものは初めてか?」
「甘いもの……うん」
まあ、そうか。砂糖も油もふんだんに使えるなんて環境は、集落外ではあまりないだろうしな。昼食も初めて食べるものが多いと言っていたから、あまり食生活は恵まれてはいなかったようだ。
「ふふ。私達が作ったものなのですが……気に入ってもらえたのなら何よりです」
「作った……。ステラもソーヤも、すごい」
そう言いながらもクッキーを堪能している様子のステラである。水筒からお茶を注いだりしながら、にこにことしているエステルだ。
そうやって3人で食後のデザートとしてクッキーと茶を楽しんでいると、少し離れたところからこちらに向かって歩いてくる人物がいた。物腰は訓練を受けた騎士や兵士といった佇まいではないが、所作が洗練されているな。
少し険しい表情をしていたが、俺達の様子を見ると微妙な表情というか、気が抜けたというような表情を見せる。
「こんなところにいたのか……。何やら揉め事に巻き込まれていたという話を聞いたから探していたんだ」
「ソーヤとステラが、串焼きの代わりを食べさせてくれた」
テレジアが言うと、若い男はこちらに目を向けてくる。所属がそれと分かる服装ではないが……ローブを纏っていて魔術師か何かにも見える。
とはいえ、テレジアの反応は別段拒否している様子もなく淡々としている。家族……ではなさそうだが嫌な相手、と言うわけでもなさそうだ。
「あー。連れ出してしまってすまないな。台無しになった串焼きの代わりを奢ると言って、揉め事の場から避難させたんだ。食べ終わった頃にはほとぼりも覚めているだろうから、それから送っていくつもりではいたんだが」
そう言うと、男は静かに頷く。
「そう、か。その子ならそうでも言わないとその場から離れないだろうしな……。いや、揉め事の経緯は少し聞いているから、気にする必要はない。男の肩を外したから、通りでは結構な騒ぎになっていたんだ。僕はアイザックという。その子が街中で少し目を離した隙にふらりといなくなってしまってな」
なるほど。行動が読めないのは彼にとっても、と言うことのようだ。そして、この人物がテレジアの言っていたアイザックか。
「そうか。じゃあ、その子を送っていくのは任せてしまってのいいのか?」
「勿論だ。さ。テレジア。帰るぞ」
アイザックはテレジアに手を伸ばして言うが……テレジアは少し考えた後で首を横に振った。
「ソーヤとステラも一緒に来て、また甘いもの作って欲しい」
テレジアが淡々とそんなことを言うと、アイザックは頭痛を堪えるように眉間にしわを寄せて目を閉じる。何というか。色々苦労をしていそうなことは伝わって来た。
「あのな……テレジア……。そんなこと、できるわけないだろう」
「やってできないことはないと思う」
「迷惑だよ。二人とも自分の暮らしや仕事もあるんだから」
アイザックは頭痛を堪えるように言うとこちらを見てくる。
「すまない。余程気に入られたんだと思うが……この子の言う事は気にせず帰ってもらって問題ない」
「まあ……流石に一緒に行くってのは無理だが、また会うぐらいなら」
どういう子供なのかよく分からないが、俺やエステルに何かを感じている様子を見せたりと、気になる部分もあるしな。接点は作っておいても良いだろう。こんな子供が戦いに巻き込まれるようなのも寝覚めが悪いし、動向を追っておくのも良い。テレジアに何かあるならそれで分かるし。
「そうですね。また甘いものを持ってきますので、どこかで待ち合わせて会うぐらいならできますよ」
俺とエステルがそう答えると、テレジアは「それならいい」と頷いた。
「そうか……。二人は……見たところ冒険者か傭兵だろうか?」
「冒険者だ。森で狩りをしたりもしているから、普段は街から離れてる事が多いが」
「なら、ギルドで待ち合わせもできそうだな。僕達も定期的に冒険者ギルドに顔を出しているから、その時に……テレジアと会ってもらえると助かる。世間知らずで少しズレているが、決して悪い娘ではないんだ」
「みたいだな」
アイザックの言葉に苦笑する。そのテレジアはと言えば、エステルの手を取って「じゃあ約束」とか「他にも何か作れる?」とか質問をしていた。
エステルは「お菓子の他にも色々できますよ」とテレジアと再会の約束を取り付けつつ応じる。
「それじゃあ次は何か別のお菓子を持ってきますね」
「うん。絶対」
「っと。外套もお返ししますね」
そう言って。変装用に着替えていた外套を返し……テレジアはアイザックに連れられ、エステルや俺達に手を振って去っていった。
「……変わってるが、素直な性格だな」
「ですね。どういう子なのか色々気になる部分もありますが、あの子自身は良い子だと思います」
それでもスパイボットでどこに向かうのかなど、チェックはしておきます、とエステルは言った。そうだな……。さっきの動きを考えると、もしかすると戦場に現れるかも知れない。そんな相手に注目されたいわけではないが、アイザックもどういう人物なのか分からないから、来歴や目的ぐらいははっきりさせておきたい。
『魔力は……決して大きくはなかったわ。戦いに出るわけじゃないなら冒険者で、騎士団に協力している、ぐらいの立ち位置ならいいのだけれどね』
「確かにな……。それなら戦いになっても戦場には出てこないだろうが」
影の中から聞こえるソフィアの声に頷く。
もし仮に、テレジアが本当に少年兵のような立ち位置なら解放してやりたいところだがな。そういう環境で育っていると、客観視できないから良い悪い以前の問題として当人の意志があまり関係なくなってしまう。
それが当たり前という感覚でいるから保護や説得が難しいのだ。そういう意味では……こうやって、最初に良好な関係を築けたのは幸運ではあったのかも知れないけれど。
少年兵は捨て駒であり消耗品。そうであるなら同じような立場の子が周囲にもいるだろうから、そこはスパイボットによる情報収集に期待したいところではあるな。
その立ち去っていったアイザックとテレジアはと言うと……。
『誰かと一緒に逃げたと聞いた時は肝が冷えたが……親切そうな人達で良かったじゃないか』
『ソーヤとステラ』
『そうか。まあ、まだテレジアの出番は来ていない。後方の準備が整って連絡が来るまで調査は僕が進めるから、少しの間君は待たせることになる』
『分かった』
『行方知れずになったらしいエデルガルト殿下から話を聞ければ事前調査の手間も省けたんだがな……。それまでは……あー。自由に行動というわけにはいかないが、美味いものぐらいなら帰り道に食べさせてやるから、今日みたいに突然いなくならずに我慢していてくれ』
『串焼きの、良い匂いがしてたから仕方がなかった』
テレジアがいなくなったのはそれが理由らしい。調べものをしている時に抜け出して串焼きを食べにいったということらしいが。
事前調査、ね。冒険者か、騎士団の斥候部隊や諜報部隊あたりか。森に出てくるのだとするなら、ヴァルカランの面々に話を通しておくか。
『ああ。それから……。僕の財布を返してくれないか。小遣いぐらいなら出すとは言ったし、調べものでほったらかしていたのは僕が悪いが、全部持っていかれては困る』
『ん』
テレジアには悪気もないのだろう。アイザックに素直に財布を差し出していた。そんな会話を交わしながら二人は宿へと向かっていったのであった。
それから俺達はベルルート男爵領とエルフの集落とを行き来しつつ、情報収集と冒険者としての偽装の活動。開拓地や魔道具の開発。みんなとの戦闘訓練などを進めていった。
ベルルート男爵領の駐屯地――前線基地の軍備はどんどん進んでいく。複数のアストラルナイトも配備されて物資も警備も増えてきた。規模的にはマインラート達の部隊を既に越えている。エルフの集落等を落とす見積もりならば、すぐにでも動けるような状況だろうが、彼らの準備はまだ終わっていないらしく、まだアストラルナイトや兵達も増えるのだとか。
ヴィルム神殿とエルムディア神殿の関係者もちらほら姿を見せているが、ヴィルム神殿の者達はエステルに食らった能力の制限が多い上にエデルガルトの暗殺未遂の一件もあるからか、それを口実に監視の目を付けられていて、行動の自由も制限されているようだ。一方のエルムディア神殿関係者は視察やいざという時の交渉役の名目で高位の神官を派遣して来ている。
外征に関わると制限が出るからか、騎士団とは距離を置きつつ、人が増えたことで起こる諸問題に対応しているらしい。
具体的には衛生面の指導と改善や炊き出しやら。人が増えたことで病気等が発生しないように対応して回っているようだ。エルムディア神殿は……ヴィルム神殿とは結構性格が違うな。
そんな中で情報収集していてもテレジアとアイザックの立場はよく分からない。
アイザックは軍にはあまり近付かず、宿に部屋を取り、ギルドの資料やベルルート男爵家の所蔵を調べたり、西の集落に聞き込みにいったりしているようだ。
資料やら蔵書やらは過去の記録に関するものだし、聞き込みの内容もヴァルカランに関するものだ。
要するにヴァルカラン絡みで今回の起こった変化の理由を調べているらしい。
テレジアの方も何故アイザックと行動を共にしているのか不明だ。アイザックに同行しているが調査を手伝うわけではなく、見ている限り気ままに過ごしていて、その様子は遊んでいるようにも見える。
アイザックはテレジアの気ままな行動に手を焼かせられていて、苦労人という印象があるが、テレジアに対して特段怒るようなこともなく、面倒見は良いという印象があった。
西の調査に来ていたエデルガルトが行方不明と言う情報までは知っているようだから、ゴファール王国の関係者であるというのは間違いない。肉体の乗っ取りであるとか、ヴァルカランの呪いの真実というところまでは知らないようだが。騎士団とは指揮系統や上役が別なのだろう。上役になる人物がいる、というのは話の中で出ているが、それが誰で、どういった立場なのかは会話の中で出ていない。
……その人物の名前が出れば、エデルガルトが教えてくれるんだがな。エデルガルトは残念ながらアイザックともテレジアとも面識がなく、情報不足だ。
ともあれアイザックはその人物からの連絡を待っているらしいが、それが何かは分からない。外部の人間と接触して何かをやり取りしているわけではないから、そういった話をしないのだ。テレジアは仕事の話を振るようなタイプでもないし、アイザックもそんなテレジアに対して、何か相談するわけでもなかった。




