第4話 重ねた掌
ナイフを手近にあった枝に沿えるだけで、大して力も入れずに切断してしまう。高速振動で切断するのが高周波ブレードの仕組みだ。
「使えそうだ。……逆に、沈静化ってのも可能か」
ナイフを鎮めるようにイメージすると、振動も発光も収まっていく。
「素晴らしいです、マスター。しかし、思考入力で世界に満ちる因子に影響を与えられるというのなら私にもできるのでは……。……こういうのはどうです?」
言って。目の前に光る粒子が集まっていく。光の粒は塊となり、何かの形を成していく。人だ。人の、形。
光の粒子は風に翻るようにドレスに変化する。紫色の長い髪。白い肌と長い睫毛。曙光の空を思わせる淡く紫がかった瞳。鼻筋の通ったかんばせ。桜色の唇。光は美しい少女の姿になってその場に結実した。ふわりと、少女は音も立てずに草の上に舞い降りると、俺を見て微笑みを浮かべた。
その姿には見覚えがある。エステルが自分のイメージとして時々モニターに表示する通信用の映像で使っていたものだ。
「成功したようです……が、これは」
「立体映像……口からの音声付か」
エステルの声が、立体映像側から聴こえる。因子に干渉して振動させられるのなら空間から声も再現できるというわけだ。
元々エステル達は見る者が拡張現実を見るためのデバイスを装着しているかナノマシンをインストールしている等の相手に限り、拡張現実機能を用いて立体映像を見せることができるが、それ…だろうか? いや、何か違う、ような。立体映像特有の揺らぎがあるのに、エステル自身は何かに気付いたようで少し戸惑っているようだ。
手を握ったり開いたり軽く飛び跳ねたかと思えば浮遊したりと、「自分の身体」の感覚を確かめているエステルである。
「立体映像か?」
「そのつもりだったんですが、そうではない、と言いますか。因子を操作して光に干渉して立体映像を作るつもりが、これは……予想外ですね。本体はマスターの中にいるのに、私の感覚が外にあります」
こちらに両手を伸ばしてくるエステル。何の気なしに手を出すと、エステルは俺の手を握って来た。手平を、まっすぐ前から合わせるようにして、指と指を絡めるように握ってくる。
「触れ、られる」
エステルの、女の子らしい細さと柔らかさ。肌の滑らかな質感と、体温を感じる。血の通った、人間の温度。吐息と、そこに確かにいるという存在感。
「そう、だな。触れる。そこに、いる」
そう言うのが精一杯だった。少し混乱している。実体化していることの不思議よりも、こちらを見て嬉しそうに眼を潤ませているエステルのその表情に、目を奪われてしまって。
風に揺らぐ髪と、陽の光に煌めく瞳。そこにあった表情は、本当に、嬉しそうなもので。
「はい……。どうやら……そうみたいです。私の方にも触れた時の感覚があって。風も、太陽の暖かさも、マスターの手の感触も分かります。こんなことがあるなんて……。っと、いけませんね。何だか、身体があることで肉体からのフィードバックがあるから感情面の制御が難しくなってしまう、ような気がします。上手く制御しないと、こんなでは肝心のマスターのサポートが疎かになってしまいますよ」
エステルは自分の状態に思うところがあったのか、少し潤んだ目を閉じて、俺の手を離すと深呼吸をするように自分を落ち着かせていた。
その言葉と共にエステルに少し変化が多きる。髪の毛や衣服の袖といった末端部分は時折蜃気楼のように揺らいでいた。そう。後は……重さがない。ふわりと空中に浮いているような。
「あれ……立体映像に、戻ったのか?」
「あ……。そうみたいです。何でしょうね。……私の理性、思考や願い、イメージに左右されると言いますか。安定していないですね。練習が必要なのか、何なのか……うーん」
エステルは首を傾げていた。感覚との消失と同時に、実体もなくなって、触れられなくなった。リアルな立体映像に戻ったような印象だ。
肉体的なフィードバックがなくなるということは、身体的な……例えば感動や驚きのような反応から来る脈拍の上昇、といったようなこともなくなる。
普段のエステルに戻ったような印象はあるが……そうだな。いきなり身体が作られたら、身体的な反応に振り回されてしまうところはある、か。この状況下では、それは致命的だからと、律してしまう理屈も分かる。
「因子はよく分かりませんね」
「エステルは、大丈夫なのか? 気分が悪いとか、そういうことは?」
尋ねると、エステルは少し虚を突かれたというな表情をした後で、嬉しそうな笑みを見せた。
「ふふ、マスターに心配されてしまいました。身体的なフィードバックはありませんが、思考の中だけでも嬉しいものですね」
「そりゃ、いきなり身体ができたとか、立体映像に戻ったとか言われたら、な」
ただ、その様子を見ていると心配はいらなさそうだ。
「私は大丈夫ですよ。自己スキャンでの不都合は発見できませんし、主観的には気分が良いです」
「なら、良かった」
頷くも、エステルは俺の方は大丈夫なのかと逆に質問してくる。
「違和感はないよ。しかし……アバターの時より随分と感情表情が豊かだな」
「感情表現は制御しなくても、私の内心に合わせて立体映像の表情が連動してくれてますね。その辺、思考入力の因子操作で映し出しているからか、普通の立体映像とも違って思考が反映されやすいようです」
「面白いもんだな……。因子が未知数過ぎるが」
未知数でも付き合っていくしかない。俺の身体の内側にも組み込まれている、この世界の法則なのだから。
「今分かった事から使い方の研究を進めれば、もっと色々できそうではありますね。因子に何かしらの特性が与えられるなら、身体を実体化させて望むだけ安定させておくということも出来そうな気がします」
「今後の研究次第か。実体化には拘っているみたいだな」
苦笑すると、エステルは頷く。
「それは何と言いますか。私もちゃんとそこにいて、一緒に行動している、みたいで良いいじゃないですか。視覚的にも感覚的にも隣にいるのが大事と言いますか。拡張現実の機能だって、敵の射線予想を表示したりするのが普段の使い方で、こんな遊びは作戦行動中には出来ませんでしたし」
「なるほどな」
エステルは随分とテンションが上がっていて嬉しそうだ。
元々エステルは実体を欲しがっていた。そうすれば、もっと俺の力になれるのにと、撤退戦から帰って来た俺を見て、零していたことがあった。
小隊や艦隊の仲間達がいなくなってしまい、この世界で一人だから、心配してくれている。或いはそうやって隣にいられることが単純に嬉しいのか。
ただ、これは伝えておきたい。
「エステルはさ……。隣にいるのが大事って言うけど、俺はこれまでだって、ずっと一緒に行動してきた大切な相棒だと思っているよ。戦場は勿論、基地や艦に帰って来ても、最初から最後まで俺達と一緒に戦ってきた。特に、俺やエステルの場合は軍に入る以前からだしな」
そう伝えると、エステルは一瞬目を大きくして固まった後、微笑む。
「マスター……。ありがとうございます」
エステルは少し俯いて、感じ入るように言った。その表情は……確かにエステルの感情と連動したものなのだろう。拡張現実機能や普通の立体映像のそれよりも、ずっと複雑な感情の機微を伝えてきている。
エステルとは、別に俺が軍属になってからの付き合いというわけではない。下層のスラムにいた頃から一緒だった。
というのも、俺は廃棄物の中から機械部品の修理をしてジャンク屋に売るなどして、孤児院の生活の足しにしていたのだ。
その中で、趣味を兼ねてコンピューターのパーツをレストアしていく中で知識を得て、ジャンクの中から集めたデータを基にそうした仕事のサポートをしてくれるような仮想人格AIを組んだのだ。軍属になってからラボの連中がそれを面白がり、サポートAIにエステルの人格と記憶ログを移植した、という経緯がある。互いの呼吸を分かっている方が、最初からサポートや連携も上手くいくだろうという、合理的な考えもあったのだろうが。
「懐かしいですね。探知機に繋いでまだ使えそうなジャンクパーツを探して、修理していた頃ですか」
「そうだな。戦争が終わったら今度はアルタイルの修理か」
そう言うとエステルはにっこりと笑う。
「状況は特殊ですが、壊れたものの修理というのは、下層にいた頃の生活に戻ったみたいですね。因子が未知数である以上、それを活性化しないように制限をしてやれば、アルタイルの修復は通常通りに進められそうに思います。逆に、研究次第でそれを早めることもできるかも知れませんが」
「まあ……少なくともアルタイルは俺やエステルと違って、独自の判断で動くようなことはないからな。思考入力が行われないなら、ナノマシンとして扱っても問題ない、か」
「ええ。プログラムを組んで制限をかけておけば問題はないかと」
「なら決まりだな」
色々あって思考はエステルの実体化に向いてしまったが、本来すべきことを思い出し、諸々準備を整えて修復モードを起動させる。
偽装用の迷彩シートを機体全体に被せて剥がれないように地面に固定する。
破損個所は重要なパーツから順番に、ナノマシンが修復を進めてくれるはずだ。ナノマシンを含有する硬化剤が発泡しながら膨れ上がって破損個所を包み、その硬化剤の内部で外気を遮断しながら作業をする。
ちなみに迷彩シートの外観はと言えば……被せて固定するだけで大きく鬱蒼とした茂みがそこに出現していた。周囲の植生にあわせて作られた立体映像が表面に投影されている。茂みは密度が非常に濃くて内側が見通せず、立ち入ろうという気にならない程度に硬そうな蔦が絡みあっている。
迷彩は見た目だけではあるが、この状態で俺達以外の許可のないものが無理にアルタイルにアクセスしようとすると、防犯用の対人装備やら攻勢防壁やらが起動して警告の後に侵入者を排除しにかかるようになっている。
「私達の権限ではナノマシンの活動に制限がありますからかなり時間はかかりますが、これで良いでしょう」
「それじゃ修復されるまでの間、近場に活動拠点を置きつつ、周囲を調べる。知的生命体も可能なら探すっていう方針で良いか?」
「異論はありません。危なさそうな相手なら放置して、安全そうな相手なら接触を試みるというのが良いのではないかと」
といってもサバイバル生活は字面から想像されるイメージほど苦労しないはずだ。
サバイバルキットはかなり優秀で、飲み水は大気中から生成してくれる。食料も……最悪の場合、有毒の原生生物や土やゴミなど、普通は食えない有機物を投入することで必要な栄養素を抽出した固形ブロックを作ってくれるキットもあるので、この環境なら既に食料問題はないも同然だ。もっとも、固形ブロックの味は最低だと聞いているが。それでも飢えるよりはマシだろう。
サバイバルキットの中には簡易シェルターだってある。もっと過酷な環境を想定しているシェルターだから、空調機能も完備だ。
服は……今着ているパイロットスーツの他、簡単な着替えも入っている。洗って着まわせば、とりあえずは問題もないだろう。
というわけで衣食住は何とでもなる。遭難を知らせるための発信装置やら通信装置やらは何の役にも立たないだろうが。
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
試験的に今後の投稿を20時にしてみたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。




