第3話 ナノマシンと異世界の因子
状態を確認すればするほど、良く耐えてくれたものだと思う。戦闘中に吹っ飛んでいてもおかしくなかったタイミングがあるとログは示している。
メインブースターに被弾した時に誘爆しないよう、即座に供給されるエネルギーをカットしたのはエステルだ。
解析や分析、システムやメカニカルな面でのサポート等、パイロットでは担えない部分を臨機応変に行ってくれているというわけだ。
主砲を発射した時も割とぎりぎりだったな。最後は勝てるという確信はあったが、データ上では紙一重の勝利。振り返ってみると肝が冷えるが……今は戦闘の反省よりもアルタイルの修復と、これからの俺達の行動について考えるべきだ。
「艦隊やラボに帰還できないから、修復は自前で何とかするしかないな」
『ナノマシンで時間をかければ……というところですが、いずれにせよ当分はアルタイルを動かせませんね……。幸運なことに外気の組成や気温、放射線量や重力に問題はないと計測結果が出ています』
「ここまで環境が良いと、食料になりそうなものも現地調達できそうだ。どこかでアルタイルの修繕に必要な原材料を確保できれば修復も進められそうだが……」
そこまでの文明があるかどうか。代用品で何とか騙し騙しやるという方法もあるが……。
『休息を取ってマスターの体調が回復してから行動することを提案します』
「体調は問題ないが……分かった。食事ぐらいはとってから動こう」
エステルは俺の体内に組み込まれている軍用のナノマシンからも情報を得ている。これらは身体機能を底上げしたり、怪我や体調を回復してくれる機能を持つ。クロックアップの後の副作用もあるが、そんなものを当たり前のように使えるのもこれのお陰だ。だが、これがあってもクロックアップをし過ぎると脳が焼け付いて記憶喪失だの廃人化だのが有り得るので注意が必要だ。ちなみに最終決戦でやったあれも、かなりぎりぎりのラインで処理速度を引き上げていた。
『アルタイルの修復モードについては、起動を少し待った方が良いかも知れません』
「どうしてだ?」
『この世界で受けた影響に対して、ナノマシンがどのような挙動になるか不明だからです。それを言い出したら、マスターや私自身すらそうなのですが……ナノマシンの挙動と診断が終わるまで待ってくれませんか?』
「わかった」
『それが終わったら偽装も兼ねて、シートと硬化剤は使った方がよろしいかと』
「そこはマニュアル通りだな」
修復モードは孤立して動けなくなった場合に帰還や戦線への復帰を行うための機能だ。機体の周囲を硬化剤で固めてその中で修繕を行うこととマニュアルにはある。
迷彩用のシートで覆い、表面を周囲の環境に合わせた偽装処理を施し鹵獲されないよう偽装するのと、硬化剤により修繕に使われるナノマシンの活動範囲を限定的なものにする、だそうだ。
ナノマシンはウィルスサイズの目に見えない微小な機械の群れだ。自己増殖し、分解や構築をしたりネットワークを作って神経や脳細胞のように振る舞ったり、何でもできる。だから暴走による災害を防ぐために機能や活動を限定的なものにされる。特に増殖と、何かを分解したり組み立てたりする機能については万が一の暴走災害を防ぐために制限も厳しくなりがち……というのは実験機を組み上げたラボの科学者達の受け売りではあるが。
ともあれ、硬化剤の中で外界と遮断された環境内で修復を行う、ということらしい。環境変化による影響や、周囲への影響を最小限にする意味もあるのだろう。
足りない素材等がある場合は、最低限の行動に必要な機構の修復を優先し、それ以外の外装部分や武装用のパーツなどから流用して修繕を行ったりもできる。
タコが自分の足を食うようなものだ。いや、それで実際のタコが回復できるわけではないだろうが。
エステルが危惧しているのは、この世界に移動した時の変化が与えるナノマシンへの影響、だな。何か実験すれば分かるのだろうか。
「どうあれアルタイルを安全に動かせるようにするのがとりあえずの目標か」
『そうなりますね』
今の状態のまま動かしていては、諸共に爆散しかねない。外装や武装については後で時間をかける形で修復してもいい。ただやはり暴走の防止もあって、自前の修繕はどちらにしても時間がかかる。
『軍の規定でサバイバル用のキットや、組み立て式の探査用ドローンユニットが搭載されていますから、外で活動する時はそれらを持って行って下さい。タブレット端末も外部からの命令をアルタイル本体に伝えたり、異常があればこちらに知らせたりもできますね。勿論、修復に必要な材料を教えてもくれます』
「そりゃ便利だ」
シートの下部にある収納部分を探ると、バックパックに詰め込まれたサバイバルキット等の必要な物品が見つかる。探査用ドローンとそれをモニターするためのタブレットもそこに小さくなって入っていた。
サバイバルキットの中には栄養を手軽に摂取できる携行流動食が入っている。ゼリー状の半固形の液体が入ったパックは非常に高カロリーで、一日の行動に必要なカロリーと栄養素をこれだけで補えるという触れ込みだ。食事というには味気ないが、何種類かのフレーバーは用意されている。
シートに身体を預けてゼリーをゆっくりと時間をかけて喉に流し込んでいく。これはグレープ味ということだが、化学的に味を再現されたものである。
下層の出身である俺は、残念ながら本物を食った事がない。軍の食堂やレーションも無機質なプレートに合成肉のブロックだの合成ゼリーだのビタミン錠剤だのが並んで、完全に機能性重視だった。エステルは戦いが終わったら美味しいものを食べましょうなんて言って、料理のレシピをネットから拾っていたが。
「それじゃあ、出るか」
コックピットのハッチを開けて外部に出る。
その瞬間、今まで感じたことのないほどの、濃密な緑の匂いに包まれた。
森の空気、か。空気を美味いと感じたのは初めてのことだ。草と土の上に降り立って、少しの間感慨に浸る。
「良い環境みたいだな」
『そのようです。バイタルデータでも好印象のようですね、マスター』
「母星は汚染されてるし、実験艦や戦艦内は無機質すぎてな……」
苦笑する。それでも故郷は故郷だ。孤児院だけでなく、スラムにも友人や知人はいる。守れて良かったとは思っている。
「それで、何を検証したいって?」
『私自身に起こった変化、ですね。未知の因子が存在する世界で、私達はそれを取り込んだわけです。小規模な実験の許可を頂けませんか?』
「そりゃ、構わないが……」
『では――』
俺も手を翳して、エステルの裁量に任せた。腕から指先へと、緑色の光のラインが走り、指先にそれが達すると金属の帯のようなものが形成されていき、絡まり合って球体となった。球体からパイプラインが地面に伸びて、そこから必要な原材料を調達してくる。
小規模な工作もアルタイルの修復モード同様、こうやって閉鎖環境内部で行うようになっている。外気と遮断して微細なナノマシンが空気に流されたりしないようにしてから物体を構築したり分解したりする。
構築と分解には一度に使用可能なナノマシンの総量、時間当たりに動かせる原材料、分子量と、作れるものの種類、使い方等に制限があるので、一軍人である俺にはそこまで大規模な工作ができるような大きな権限がない。
許可が下りている範囲内としては現場判断で不足している小道具の調達をしたり、即席の爆薬を用意したりなんてことはできるな。今は突入作戦中という扱いなので、普段よりも結構融通を利かせられるようにはなっているのだ。
アルタイルの修復に時間がかかってしまうのも、この辺の制限が理由だ。修復モードとは言うけれど、こんなオーバーホールが必要なダメージを丸ごと修復なんて、本来は想定されていない。それでも時間をかければ修理の見込みがあるのは良いことだが。
さて……。エステルの行っている処理はこちらにも伝わっているが……。
「これは小型のカーボンファイバーナイフ、か……? しかし原材料が……」
白兵戦用の装備ならあるが、野外でちょっとした作業をするのにはこういうナイフの方が適している。工作が実益を兼ねたものであるというのは分かるが、炭素の他に何か――よく分からないものが混ざり込んでいる。
「……このUNKNOWNの表示は、未知の因子ってことでいいのか?」
『ですね。この因子は地中、物体内部、空気中……マスターの体内や私の周囲にすら少しずつ性質を変えて存在しているようなのです。しかもこれはそもそも私達の世界には存在していなかった「何か」です。私にかけられた制限の外で扱い、動かせるようで』
「確かに俺の体内にも何かあるのはこっちに来てから感じているが……」
どこにでもあって安定しているなら危険は少ないと判断してのことか。しかし、制限の外ね。元の世界では定義できない「何か」だ。だからナノマシンにかかった制限の外にあるというわけか。
カーボンファイバーナイフなら素材も手に入りやすく、構造もシンプルで性質や性能の比較もしやすい。因子については構造を強化させるためなのか、目的を持って配列させていっているようだが。
『出来上がりました。どうぞ、お手に取ってみてください』
形成されていた球体――殻が割れるように脱落していき、その中からナイフが姿を見せる。最初から鞘やベルトも作ってある。刃渡りは15センチほどで実用的な印象だ。
鞘から抜く。黒いカーボンファイバーナイフ……ではないな。微妙に発光している。
『通常のカーボンファイバーより、切れ味や耐久性能が上がっているようです。分析では脆さがなくなって、より刃物として有用になっていますね』
「使いやすそうではあるな。光っているのは、因子の影響か」
俺の体内にも感じる因子。意識すると心臓から血管を通して、体内を巡っているのが分かる。性質が違う、とエステルは言っていたが……そうか。エステルの存在そのものを感知することもできた。違いというのなら、手に取っているナイフのそれに宿っている性質も違う感じがする。
『ナイフの光量が増していますが……何かしたのですか?』
「体内の因子の流れや、エステルやナイフとの違いを意識していたんだが……思考で何か、影響を与えることができるのかな」
『興味深いですね。思考での操作ができるのでは?』
「思考入力の操作……」
今度はそのつもりで意識する。ナイフに影響……。構造はシンプルだから、それならば。
ナイフの刀身が静かな音を発する。高周波の振動が空気を震わせている音だ。
『高周波ブレード、ですか……? 驚きましたね』
「俺も驚きだよ。因子を振動させる簡単なプログラムをイメージしたんだが……本当にできるとはな」
ラボで使わせてもらったことがあるから具体的にイメージ出来たわけだが……。因子か。何ができるのか気になるところだな。上手くすればアルタイルの修復に使えるのではないだろうか?




