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第22話 月夜に飛ぶ

「――ああ。森人達は、昨日の今日できちんと調べに来てたのね。彼らは優秀だわ」


 黒衣の少女は一人。夜の森の中にいた。月の明るい夜ではあったが、森の中は真っ暗だ。そんな闇の中を、少女は明かりも持たずに、一人で身を屈め、何かを調べていた。


 一人――。正確には一人ではない。それを人とは呼ばないというだけだ。

 彼女の傍らには何か――赤いものが浮かんでいた。

 液状の球体。質感と形を言い表すなら赤い水の球体だ。少女に寄り添うようにつかず離れず浮遊している。


「付き合わせてしまって済まないわね。もし、断絶者があいつなら貴女の力も借りなくてはならないもの」

『気に、しないで。契約が、ある』


 女の声があたりに響く。


「契約、ね。今となっては強制力もないし意味のないものでしょうに。私達を見捨ててしまえば、貴女だってきっと、そんな在り方にはなりはしなかった」


 黒衣の少女は遠くを見るような目になって眉根を寄せる。


『好きで、していること』

「そう……。なら、当てにさせてもらうわ、ルヴィエラ」


 そう言って少女は立ち上がる。


 少女がいるのは、昨晩、赤い霧が到達していた場所だ。霧の正体はエステルの分析した通り自然界にある鉄分に他ならないが、少女と傍らの赤い球体――湖の精霊ルヴィエラにとっては別の意味を持つ。


 赤い霧の正体。ヴァルカランの国民の血が流れ込んで真っ赤に染まった湖の、底に沈澱していた泥だ。

遠く昔の出来事。今となってはそこにある鉄分を血とは呼べまい。しかし、忌まわしい出来事を記憶している者達がいる。それを血であると認識し、観測できてしまう者がいる。


 少女の目。或いは嗅覚は、通常感知し得ないそれを、はっきりと捉えていた。

赤い霧を調査に来た過程で、森人達は集落からそこを歩き、そして帰っていった。

少女から見れば血の足跡を、匂いを、べったりと残して帰ったに等しい。


 どちらでも良かった。時間の問題だったのだ。

調査に来ても来なくても、精霊の力を宿した赤い霧を広げて確かめていけば、いずれは森人達の集落まで辿り着く。精霊の力であれば、同種の精霊の幻惑は無意味なものだったから。


 しかし、たった一日で自分達が森に踏み込んだ方角まで特定して調査に来ている。それは森人達が優秀だという証左に他ならない。そのお陰で、捜索するための時間も短縮できるのだが。


「では、行くわ。ルヴィエラ。しっかり摑まっていなさい」


 少女が言うと、ルヴィエラは丸く短い腕のようなそれで少女の黒いドレスの肩に摑まる。それを確認した次の瞬間。


 少女の身体が、爆ぜるように動いた。

 凄まじい膂力で森の地面を蹴り砕き、前に出る。真っ暗な夜の森にあって、少女の目は行く手の全てを捉えている。高速で迫る木立の間をすり抜け、地面に残された血の痕跡を辿り、夜闇の中を砲弾のような速度で疾駆する。地面と平行に、飛翔しているかのような動きだ。


 やがて森の闇の奥、遥か彼方に蔦の壁が見えてくる。


『どうする、の?』

「森人の手前、あれをぶち破るのは止めておきましょうか。上から突入するわ」


 所詮自分は彼らから見れば化物だ。歓迎されるわけもないし、何と言ったところで信用されるはずもない。否応もない状況でもなければ話すらしてもらえない。


 だから、押し入ってでも話をせざるを得ない状況にする。問題はその後だ。話の最中の懸念。それから探している相手の行方を、彼らが知っていて、話をしてくれるか。


 少女は大きく斜めに向かって跳躍する。樹冠を突き抜け、聳え立つ蔦の壁を遥か超えて月夜に少女の影が舞った。


 蔦を超えて遥か上空。であるというのに集落を守る蔦の壁は反応する。落下軌道に入った少女は自在に伸びる蔦を回避することはできない。普通ならば。

 その足を、蔦が捕まえようとした、その刹那。


 少女のその手から、赤い煌めきが空間に奔った。バラバラに切り裂かれた蔦は痛みに驚いたかのように引っ込んでいき、少女はそのまま集落の中へと落ちていく。


 ドン、と凄まじい音を立てたのとは裏腹に。優雅にすら見せる所作で地面を割り砕きながら巨木の間にある地面に着地した。

 僅か遅れて、切り裂かれた蔦の破片がぼとぼとと地面に落ちてくる。


「な、なん……だ?」


 衝撃音と舞い上がる土埃に、何が起こったのかと戸惑いの声が上がった。静寂。少しずつ土煙が晴れていく。


 少女が降り立ったのは、訓練所の近くだ。そこには何人かの耳の長い男達――森人の戦士達がいた。


「こんばんは、良い夜ね」


 森人――エルフ達の視線に、少女は優雅にすら見える所作と共に挨拶の言葉を口にした。固まっている。それはそうだ、彼らとて、戦士の端くれ。目の前のそれが規格外の化け物だと一目でわかった。


 水の精霊の強い加護。それと同時に漂ってくる濃密な血の臭いと夜と死の気配。

 見た目は人間族の美しい少女。だが、気配が違う。恐らく高位のアンデッド。アンデッドと言えば、エルフ達が連想するのは一つだけだ。


「ヴァ……ヴァルカランの亡者か?」

「な、何故ここに」


 言葉は絞り出すようなものであった。

 ヴァルカランの亡者が集落に踏み込んでくる。亡者達は国土の外には出ないとされているが、それが可能だなどと考えたくはない。

 しかも、言葉を用い、当たり前のように挨拶をしてくる。確固たる知性と理性を持っているのが、逆に恐ろしい話で、ヴァルカランの亡者かと問うてはいるが、当人から否定して欲しいという望みがそこに籠っている。


 恐ろしい。しかし話しかけないという選択肢はない。自分達だけでは勝てる相手ではないだろう。皆が事態を把握し、迎え撃つ時間。逃げる時間を稼がねばならない。


「ああ。この近辺の森は我がヴァルカラン王国にとって他国との係争地でもあったの。……干渉地帯と言えばいいのかしら? 誰の支配が及んでいる土地でもなかった。だから……その気になれば、一時的に踏み込むことはできるのよ。他の子達はともかく、そういう特権を持っている私ならばね」


 黒衣の少女の返答は、絶望的なものだった。ヴァルカランの亡者の行動には制限がある。国土に縛られているというものだ。

 だからこその特別な不死性、だからこその浄化もかなわない不滅性だと思われていた。その言葉に偽りがないのなら、制限の範囲を自分達は見誤っていた……或いは例外があったということになる。


「けれど、安心してもらっていいわ。別に貴方達を――どうこうしに来たわけではないし。人を探していて話を聞かせてもらいに、来ただけだもの」


 言いながらも少女は黒いヴェール……自身のこめかみのあたりに軽く手を触れる。さながら、頭痛を堪えるような表情。


 ヴァルカランの亡者は生者への強い憎悪を持つ。

 そこは他の低位の者達同様だ。高位のアンデッドである少女とて例外ではない。

 エルフ達の姿。生命の気配。ただそれを目にし、感じるそれだけで今すぐにでもバラバラに引き裂きたいという強い破壊衝動が湧き上がってくる。

 それを自らの力で無理矢理に抑え込んでいる。だから、その力を隠すこともできずに凄まじい魔力を周囲に放射していた。それこそが、少女が自分達には穏便に波風を立てずに話をすることなどできないと判断した理由でもある。


「人探し……だと……?」

「ええ……。光の槍……或いは光の剣を持っていて、我が国の子達と剣を交えた人間族なのだけれど……貴方達は何か知っていて? まだこの近辺に残っていたら、それは、とても嬉しいわ」


 にこりと、黒衣の少女は微笑みを見せた。優美にすら感じられる洗練された所作。それは少女の、生前の身分の高さを伺わせる。ヴァルカランの中でも実力者や王族は低位ではなく、恐るべき高位のアンデッドに変じた、と言われている。であるなら、少女はそれだ。


「光の……剣を持った人間族? 探して、どうするというんだ」


 心当たりは、ある。それを顔には出さず、エルフの男――ラウリスは目的を訪ねた。


「さあ? それは貴方達森人には別に関係ないことではなくて? けれど、そうね。私達の探している目的の人物なら、情報を引き出してから殺すつもりだけれど」

「……そう、か。我らや、この場所が目的ではないのだな」

「ええ」


 ラウリスは少女の返答に目を少し伏せた後、顔を上げてから口にする。口にするのは、勇気が必要だった。それでも挙動不審になることもなく、言葉を紡ぐことができたと思う。


「確かに、その人間族ならば我らの同胞を亡者達から救ったと聞く。光の剣なるものは、見たわけではないがな。近くにある人間族の集落に向かうと、そう言っていたそうだ」


 確かに、ラウリスはあの人間に反発した。突然現れた余所者。だというのにハインや長老に気に入られて。しかし、だからと言って恩人であることに変わりはなく、それを売るような真似はできない。エルフの誇りがある。


「そう……。人間族の集落にね」


 少女は顎に指をやって、明後日の方向に目を向け――そして口を開いた。


「けれど、嘘は良くないわね。今の言葉、途中までは本当だったけれど、一部に嘘があった」

「何、を」


 少女は確信をもって口にしているように見えた。顔は他の方向に向けたままで、怜悧な視線だけがラウリスを捉える。その表情は、先程までのように笑ってはいない。


「嘘を吐くとね、身体の匂いが変わったり、心臓の鼓動に変化が起こったりするのよ。吸血鬼になってから、そういう人の身体の反応みたいなものに、とてもとても敏感になったわ。ええと、そうね。人間族の集落に向かう……という部分が嘘なのかしら? そこを口にする時、すごく緊張していたから」


 ラウリスには、言葉もない。他のエルフの戦士達の、ごくりという生唾を飲み込む音がどこか遠くのことのように聞こえた。


「仲間の恩人を庇うのは立派な心掛けだとは思うわ。けれど、冷静に考えて、貴方達がそこまでして庇わなければいけない相手かしら? 人間族との仲は良くないと聞いているわよ」


 少女の身体から、恐ろしい程の魔力が放射されている。気圧されて後じさりするほどの、凄まじい魔力。


「森人である貴方達に恨みはない。それに、この状況で他人を庇えるような者を、できることなら傷つけたくないと思っているわ。……だからこそ理性が働いている内に、知っていることを話してもらえると助かるのだけれど。脅迫するようで悪いのだけれど……私自身にもままならないところは、あるのだから」


 嘘をついて怒らせるかも知れない。理性が限界を迎えて殺戮に動き出すかも知れない。そんな危険を抱えてまで、庇うほどの相手なのかと、少女は問うている。


 しかし。


「……知っていることは、言った、通りだ。緊張はしているが、誰だってこんな間近で吸血鬼と相対したらそうなるだろう」


 ラウリスは――ソーマのことを口にしなかった。居合わせたエルフの戦士達も同様だ。

 矜持がある。ラウリスはソーマに反発心を持ったし、それをぶつけたりもした。戦士としては試合に臨んで敗れた。尊敬し、認めている部分はある。単純に歴戦の戦士としては憧れる部分がある。それでも昨日の今日だ。個人的感情で嫌っていた部分がすぐに心から消えるわけではない。


 だが、好いてはいないからこそ、命惜しさに売るのは自分のプライドが許さない。そんなことをすれば、自分は最低だとラウリスは思ったからこそ、ソーマのことを口にしない。


 対して――少女は極力感情を排した無機質な眼差しで睥睨する。

他の者達も、異常を察知し武器を持って集まろうとしているようだと彼女の感覚は察知していた。そうなると、また面倒なことになるだろう。


「……そう。仕方ないわね。けれど、さっきも言った通り、あまり時間を使っていられないの。貴方が何かを知っているというのは嘘をついたことで分かったから、次は貴方の『血』に光の剣士のことを聞いてみるわね。ああ。無闇に痛めつけたり、殺したりという意味ではないから、安心して良いわ」


 そんな言葉を口にし、少女はラウリスにその掌を向け、ラウリス達も身構える。


「――その必要はないな」


 少女が次の行動を起こす前に。

 そんな声が静かに響き、誰かが広場に飛来してくる。飛来。そう。飛来だ。少女がエルフの集落に飛び込んできたのと同じように、高所から白髪の青年が飛び降りてきた。


 ふわりと。地面にぶつかる寸前に光の帯のようなものが空間に奔り、青年は不可解な減速をする。その背後に紫色の髪を持つ少女――電脳の精霊が浮遊するように姿を見せた。


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