第21話 赤い霧
広場に顔を出すと、エルフ達は普段は訓練をしている時間だというのに武装して外に出ていこうとしている状態だった。
「……何かあったのか?」
「……昨晩、彼らが森に罠を仕掛けに行った折に赤い霧のようなものが目撃されたということでな」
ハインが言った。罠を仕掛けに森に出かけたエルフ達が、日暮れ頃になって赤い霧を目撃して戻って来た、ということらしい。
「彼らは不穏だと思って近付かなかったのだがな。ソーマ殿やエステル殿は、我らにはない知識を持っている。そういったものを知っているだろうか」
「……いや。聞いたことがないな」
「私もありません。では、今日はその調査に向かうわけですか?」
エステルが集まっている面々を見回してから尋ねる。ハインも含め、戦士達はベテラン揃い。しかも普段の狩猟より装備が重装で、少しピリピリとした緊張感のようなものがあった。
「そうだ。我らの知らない魔物が、外から森に入り込んできた可能性もある。事態はできるだけ早くに把握しておきたい」
エステルの問いにハインはそう答えた。
「分かった。俺も森ではあまり使えないとは言っても装備品は持ってきている。力を絞れば火事にならない程度には抑えられるはずだ」
そう言って腰のホルスターに差したバヨネットに触れる。出力を絞ったブレードなら何とかなるだろう。
「例の光の武器か。……ソーマ殿とエステル殿を危険に巻き込むというのは本意ではないのだが……」
「気にするな。俺もここで生活している以上協力はするつもりだ。それに皆とは技術系統が違うから、別の視点で見えるものがあるかも知れない」
「確かに……取れる選択肢は多い方が良いな。では、ソーマ殿、エステル殿。頼めるだろうか」
「ああ」
「お任せください」
ハインは同行に納得してくれたようだ。
俺達はそのまま森に出る。向かうのは彼らが赤い霧を見たという場所だ。
ぴりぴりとした空気に包まれて出発したものの、エルフ達の集落の周りは、特に変わったところもない。
少なくとも、俺やエステルには普段との違いが分からない。
鳥の声。虫の鳴く音。風に揺れる草木のざわめき。平常通りといっても森の中はそういった音で溢れていて、情報という意味では氾濫している。人や動物、魔物が通れば小枝や藪に変化も生じるということで、そうした細かな差異と見るべきポイントを抑えているエルフ達の方が、森の中での探索に関しては優れているだろう。
加えて精霊術も使える彼らは、精霊からも情報を得られる。怪しい者、見知らぬ者を見なかったか、と精霊に尋ねる感じだ。
「小さな精霊達はおおらかでな。高位精霊を除けばそれほど詳細な意志疎通ができるわけではない。例えば個々人の見分けが付かないだとか魔物にしても多いか少ないか、大きい、小さい。体表は毛か鱗か。飛んでいるのか地面を這うのか。そんな大雑把な違いしか分からない。忘れやすくもある。精霊達の可愛らしいところではあるが、情報収集の時はそこを踏まえねばならないな」
ハインは森を進みながら低位の精霊から得られる情報について教えてくれた。なるほどな。
というか、ハインはエルフの戦士長として落ち着いた印象だが、他のエルフ達と同様に精霊達への親しみはかなり強いようだ。
「目撃情報は多数得られても、細かい部分は分からない、ってことか」
「そうだな。しかし少なくとも、昨日の今日だ。赤い霧などとなれば、精霊達も目撃して記憶に残っているだろう。赤い霧の中で変わったものを見たかどうか尋ねれば、何かしらの情報は得られる」
種族によっては……例えば人間族が祀っているような存在はエルフに対して好意的とは限らないそうで。
根本から性質が相容れない邪悪な精霊というものもいるから、精霊というだけで全面的に信頼できるものでもないが、通常森の中にいる精霊なら大体はエルフの味方であるそうな。
「私は――マスターと一緒にいてもあまり警戒されませんでしたね」
「それは、エステル殿が我らに敵意を向けていなかったからだな。人間族の祀る存在の中には異種族、異民族というだけで敵視してくるものもいると聞く。しかしそうでないのなら、高位の精霊は基本的に畏れ、敬うべき存在だ」
エステルの疑問にハインは答えてくれた。
「私達としても、できるだけ穏便に話をしたいと思っていました。人さらいがいたという経緯からして、事情を説明するまで警戒されるのは予想したというのはありますね」
「ソーマ殿達が理知的だったのは有難い話だな」
「俺達のところでは、軍人……戦士階級は政治家の統制下にあるべきという考え方でな。平時は規則でガチガチなんだ。有事だって、略奪なんて以ての外だしな」
「素晴らしいことだ。規律正しい戦士達か」
ハインが言うと、他のエルフ達も戦士かくあるべしというように目を閉じて頷いたりしていた。
「まあ……そうはいっても汚職や腐敗もあったし、貧富の差も激しかったから、実際のところはそこまで綺麗なもんでもなかったな。それでも、戦争の中で誇れるような行動をする人達も沢山見たが」
ハインに言葉に苦笑して答える。
追い詰められての極限状況でこそ本性が出るとは言うが……自分が捨て駒になって皆を逃がしたり、突破口を切り拓いたり、不利益を被っても立ち向かい、正しい選択ができる。そんな人達を、沢山見た。
だから……捨てたものではないのだと思えたのだ。そこに守る価値があると、最後まで戦える理由になった。
「そうか。そんな者達とは、種族を超えて友になってみたいものだな」
「ああ。きっとなれると思う」
そんな話をしながら、俺達は森を進む。エルフ達が昨晩異常を確認したというのは――草原に出る方角だ。俺達が、やってきた方角。人攫い達が馬車を停めていた方角である。
「となると、原因は色々考えられるな。人間族、魔物にヴァルカランの亡者。魔族……はないとは思うが。自然現象……というのも有り得る、か?」
ハインが思案を巡らせながら言う。
自然現象。把握していないだけで何かそういう現象が起こり得る可能性、か。
自然に起こり得る何かで、実際には何でもないことだった、というのなら、確認が取れればそれで終わる話だ。
「……っと。少し待ってもらっても良いですか?」
最初に異常に気付いたのはエステルだった。現在位置はエルフ達の幻惑の結界を出て、少し進んだあたりだ。
「何か気が付いたのか?」
「はい。木々や葉っぱに、微小な粒子が付着しているようです。これは――鉄分、ですか? ふむ……」
エステルは葉っぱを手にとって成分分析にかけ、首を傾げながら言う。
「鉄分……?」
不可解なことだ。鉄……鉄か。
「我らには分からないな。小さな精霊達もこの辺で異常は見なかったと言っているが」
「我らが赤い霧を目撃したのも、もっと外です」
「現象が霧ですからね……見えないだけで実際の範囲は見た目よりも、もっと広いという事も有り得ます。撤退後に霧の影響がこの辺まで及んだ、とか」
「なるほどな……」
「鉄錆なら……赤い霧というのも有り得るかな」
俺が言うと、視線が集まる。
「確かに。可能性としてはありますね。問題は何故そんなものが発生したのか、ということですが……」
そう。赤い霧の成分がわかっても、そんなものが発生した理由が不明だ。
「鉄分に、何か変わったところは?」
「ない、と思います。精錬された純度の高いものではなく、自然界で見るような不純物も混ざっているような鉄分ですね。鉄分を多く含む泥土等から見られるようなデータです」
……それ自体に危険はなさそうだ。もう少し森を進んで調べる必要があるだろうと結論付け、俺達は更に進む。鉄錆の臭いも、進んでみれば確かに漂っている。
「なるほど。確かに、何かが起こっているようだ。精霊達は寧ろ活動が活発になっているようだが……」
「活発に……? どうするとそうなるんだ?」
「他の強い精霊の力を浴びた、だとかだな。少なくとも敵対的な精霊ではなかったのだろう」
ハインが言うと、他のエルフも口を開く。
「この近辺で我らが把握しているのは集落にいる泉の精霊ぐらいです」
「そもそも、強い精霊は自分の領域から外には出ないものだ。契約精霊や器物に宿る精霊になると話も変わってくるが……」
エステルはそういう、器物に宿って領域の外に出られるタイプの精霊ということになるのだろう。
しかし、鉄を操るような精霊……鉱物や土に絡んだような精霊だろうか?
「ということは、その手の精霊を連れた何かが森に来ていたという事でしょうか?」
「そういうことになる、か。契約精霊を連れているならば、人間族かも知れないが」
「なら、人攫いの仲間あたりですかね」
「だが、その割には小さな精霊達は優しそうな精霊の力だったと言っている」
ハインはエルフの戦士達と推論を交わし合う。
「赤い霧の精霊。それと契約した何者か。とりあえずはそう仮定しておくか」
それを一先ずの結論として、森を更に進む。霧がかかったと思われるエリアは結構な広範囲に及ぶ。
「何というか……こう、薄っすらと鉄錆の臭いが漂っていると血を連想してしまうな」
「……思っても言うのはやめてくれ。自然にある鉄だって話だろ」
エルフの戦士達がそんな話をしていた。
血臭か。確かにな。鉄の臭いが漂う中に身を置いていると連想してしまうところはある。
まあ、エステルの分析結果をデータとして見せてもらっても細胞のような成分が含まれているわけではないから血ではないのだろうが。
そのエステルはと言えば身体の周囲に仮想コンソールが浮かび、森の木々の間へと光のラインが走っていく。
「何をなさっているのです?」
「広範囲の分析ですね。鉄分の付着具合を見るに、霧が流れてきた方向が分かりそうです。広がる方向に面している箇所に鉄分が多く付着しますから」
エステルの分析にエルフ達はそんなことも分かるのかと驚きを示していた。
「そういう精密な分析がエステルの領分だったんだ」
「すごいな……」
エステルの分析を頼りに霧が吹きつけてきた方向に向かって歩いていく。広範囲ではあるが、どうも吹き付けられた方向、角度などから言って、放射状に広がっているような傾向があるとエステルは言う。
結局、赤い霧の影響が見られる区画は、森の外まで続いているようだった。
「こちらから草原に出るとヴァルカランの亡者に襲われる可能性もあるな。これ以上は進まない方が良いだろう」
「ですが、大体の発生源は突き止められたような気がします。森の少し外からいきなり広がった感じですね。そして、その場所は――」
森を抜けた先。そこは、シルティナ達が囚われていた檻付の馬車などがそのままになっている場所だ。
「例の、シルティナ達を救出したあたりか。そのあたりから森に向かって霧を吹きつけた、ということか?」
「多分。目的はさっぱりだが」
自然現象ではなく、精霊が絡んでいるというところまでははっきりした。更に精霊が、契約精霊の類なら主となる何者かがいるわけだ。
しかし、赤い霧を森の奥に送ることに何の意味があるのか。目に見えた変化は精霊達の活性化。それから鉄分の付着という結果だけだ。
何かの魔術的な意味が込められたものだとするなら、行動から目的を察するのは俺達にはできないな。エルフ達も人間族の魔法は分からないのか、頭を悩ませている様子だった。
「ドローンで森から出た場所の様子でも見てみるか」
「ドローン?」
ハインが不思議そうな顔をする。
「そういう道具だな。空から離れたものを見ることができる」
荷物の中からドローンを取り出して飛ばす。探査用ドローンは小型のクアッドコプターだ。静音化も進んでいてステルス性も高められており敵からの探知をされにくい……という軍用品だ。
木立の間を飛んでいくドローンにハイン達は目を瞬かせていた。
思考制御でエステルが操作している。エステルは立体映像でドローンからの映像を映し出してエルフ達にも見せるようにしてくれた。
森から出たところで少し高度を上げ、周囲に人影や亡者らがいないことをまず確認していく。
「周囲に人影はありませんね」
「異常があったのは昨晩だしな」
「マスターが埋葬した場所も、馬車も、戦いの痕跡も前の時のままです」
とりあえず、空から見た感じでは異常はない。では、もっとマクロな視点ではどうかと地上に降ろし、成分分析を行う。すると。
「やはり。森の外に立ち、この辺りから霧を放射したようですね。扇状に広がっていく痕跡が地面に残されています」
「昨晩、ここにいた何者か、か」
ハインは映像を見ながら顎に手をやって呟くとやがて顔を上げて言った。
「……一先ず戻るとしよう。契約精霊と人間族と思われる者が絡んでいると考え、より警戒を高めておく必要がある」
そうだな。ここで得られる情報はもうなさそうだ。異常はあったが、毛色の違う人間であれもっと別の何者かであれ、することは変わらない。




