家事と
朝食と朝風呂を済ませ、私たちは自分の家に帰ってきた。
扉を開くと、改めて散らかっているなぁと実感する。こんな部屋を他人に見られるのはとても情けない事だけど、仕方がない。
「あらためてこの家の案内をしておこう。とはいえ、居間兼寝室兼物置の一部屋しかないんだ。一応、小さいけど収納がそこにある。」
「かしこまりました。あちらのドアは何でしょうか?」
少女が奥のドアを指差す。
(そうかぁ、そうだよな。そこも見るよな。)
ついついため息が出てしまう。
「あ、ああ。そこにはトイレとシャワーがある。」
そんなに汚い使い方をしている訳ではないけれど、あまり見られたくない場所だ。
「水は一昨日汲んできてるからまだ新しい。屋上にも貯水槽があって、そこから雨水を引ける。トイレの水はそれを使っているんだ。自由に使ってくれて構わない。」
そして、壁に張り付いている梯子を指差し、少女の注意を天井に向ける。
梯子の先には天井に鍵のついた小さな扉がある。
「そこの梯子から屋上に出られるんだ。」
天井に繋がっていたのは、梯子だけではなく、煙突の管も天井へと伸びている。
少女は目で煙突を床の方へ追っていき、かまどを見つける。
「調理台もあるんですね。」
「いやいや。私は料理なんてできないから一度も使った事がないよ。はははははは。」
かまども流し台も、多くの荷物置き場になっており埋まってしまっている。
この家を買ってから一度も火を入れたことがないし、洗い物をしたこともない。自慢にはならないから、笑ってごまかすしかない。
「私はこれから鎧を買い揃えに行く。その間に、この家の片付けを頼めるか?」
「…はい、わかりましたご主人様。でも良いんですか?」
少女はひどく驚いた顔をする。
「なにが?」
「あたし、昨日来たばかりの奴隷ですよ。この家の物を持って逃げるかもしれませんよ?」
確かに、そこまでは考えてなかった。
銀貨六枚払ったうえに、家財まで盗られたら溜まったもんじゃない。
この少女が奴隷商人とグルで、奴隷を装った盗賊の可能性だってある。
私は少女の目をじっと見つめる。少女は目を逸らさずに見つめ返す。
「キミは逃げるのか?」
私の問いに、少女は首を横に振る。
「なぜだとはハッキリ言えないけれど、キミは大丈夫だと思う。」
私は、この少女が信頼できると思っている。
一緒に食事をしたからか?
風呂に入ったからか?
それとも、少女の涙を見たからだろうか?
根拠は全く無いけれど、私の探索者としての直感だ。
私はこの直感に頼って、今まで多くの迷宮を攻略することができた。だからそれに従う。
「あ、ありがとうございます。」
少女は緊張した声色になった。私から信用されていると思うことがプレッシャーになったのだろうか。
「じゃあ頼んだよ。」
「はい、ご主人様。」
そのまま出かけようとすると、少女が私のローブを掴んだ。
「あの、ご主人様。これ、洗濯します。」
「あ、ああ。そうか、そうだったな。別の着替えがあったかな?」
私はローブを脱いで、机の下を探す。最近は服を洗濯屋へ持って行くのをサボっていたせいで、きれいな服は見当たらない。一番マシなのがこのローブだった。
「良いのはないな。仕方ない。これを着ていくから、他の服を洗っておいてくれるかな。」
私がもう一度ローブを羽織ろうとすると、少女がそれを止める。辺りを見回して、ベッドのシーツをめくりはじめた。
「よし、キレイ。」
シーツをチェックすると、少女はそう呟いてベッドからシーツをくるくると巻き取った。
そして、私の目の前でシーツをバッと広げる。
「ふぇ?」
次の瞬間、少女はシーツを私の体に着付けていく。
あっという間に、私は真っ白なローブを纏っていた。
「なにこれ…」
胸や胴回りは結構しっかりと締めているのに、手足はゆったりとしている。
実に動きやすい。
ローブと云うよりも、ワンピースのように見えなくもない。
こんな服着たことがないぞ。
「すぐ着崩れるでしょうから、できるだけ早く鎧に着替えてください。」
「おお。わ、分かった。」
私は下取り用の壊れた鎧や今までに迷宮で見つけた鉱石なんかを袋に入れて背負う。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様。」
「ああ、行ってきます。」
少女に見送られて家を出る。
普段とは違う格好で街を歩くと、少し緊張する。
なんだか、周りの視線が気になる。誰も私の恰好なんか気にして無いはずなのに、みんなに見られている気がする。
いつもの商店街へと向かう道なのに、とても長く感じる。いつもの道じゃないみたいだ。
(なんだコレ。この感覚は?)
怖いでもない。恥ずかしいのとも違う。新しい感情。
私の中の何かが変わっていく予感がした。
***
あたしは彼女から剥ぎ取った黄色いローブを広げた。至る所が汚れ、破れているところもある。
「どれだけ洗濯してなかったのかしら。」
そして部屋を見回す。
汚れた布の山、価値の分からない鉱石や毛皮、ホコリの溜まった武器や道具。
洗濯、片付け、掃除。いろいろとやらないといけないことがありそうだ。
(まずは洗濯。)
部屋の奥へ行って、トイレやシャワーを確認。少し臭うが、まあまあ綺麗に使われている。
トイレの横にある水の入った樽を見る。
(確かに水はきれい。)
続いて梯子を上り、扉を開けて屋上に上がる。物干し台を確認。
屋上は結構広くて、沢山の物が干せそうだ。
この物干し台が最近使われた感じはしない。あのご主人様が使うとは思えないし当然か。
だがしかし、物干し台は不思議と鳥の止まり木になっていない。鳥よけの呪いでも掛かっているのだろう。
何度見ても、とてもちゃんとした家だ。屋根もしっかり造られていて、雨漏りもなさそうだ。小さな家だが、腕のある職人が作ったに違いない。
(でも、これは設計ミスね。)
ただ、煙突の先が物干し台の隣にあるのはいただけない。
洗濯を干していたら、かまどが使えない。洗濯物が煤だらけになってしまう。
家事の事までは考えていない職人だったのかもしれない。
今日はいい天気。気温も高く、風もある。
絶好の洗濯日和だ。
梯子を降りて、汚れた服を集めてまとめる。
ホコリが溜まっている布、いくつもの褐色の染みが付いている布や、革が縫い付けてある布。
水洗いできそうなものとそうでないものを仕分けて、タライに入れていく。
(良かった。もう一つシーツがある。)
数着の服とシーツを入れたタライに水を張り、シャワーの横に置いてあった石鹸を使って洗う。
この石鹸の使い込み具合から見ると、普段はここでシャワーを浴びているのだろう。
今朝の公衆浴場は特別だったのかもしれない。
(あたしのために連れて行ってくれたのかな…)
そう考えると、少し申し訳ない気分にもなる。会ったばかりのあたしを、こんなに信頼してくれていることもそうだ。
(少しでも役に立って、お返ししないといけないな。)
汚れの酷いところや破れているところは手で丁寧に、全体は足でじゃぶじゃぶと力強く洗っていく。
すぐにタライに貯めた水が真っ黒になる。それを何度か繰り返すと、服の汚れは目立たなくなってきた。
(このローブ…白だったのね。)
見違えるように白くなったローブや上着、シーツを屋上に持って上がる。一度に持ち上げるのは無理なので何度か往復。
結構、梯子の上り下りが大変だ。
洗濯物を持ってあがるのだから、梯子じゃなくて階段にしてくれたら良かったのに。
屋上に立つと、少し高い所からこの町を見渡せる。
少しの間、風景を眺める。
ずっと奴隷商人に引っ張られていたから、この町に連れてこられてきて、こんなふうに心に余裕を持って町を見たことは無かった。
町中を駆けて来た風は、あたしの頬を撫でて町の外へと抜けていく。
「気持ちいい。」
暖かな陽射しも相まって、ボーッとしてしまいそうになる。
「よし、干すぞ。」
あたしは頬を叩き、気合を入れる。
干し終わったら、次は片付けもしなければ。やることはいっぱいある。
***
私は、昼過ぎに家へと帰ってきた。
屋上には洗濯物がはためいている。
窓も全て開かれ、中からパタパタと掃除をする音も聞こえる。
(私の家……だよな。)
外からですら、普段とは違いすぎる自分の家の様子に、少し気後れする。
場所は間違えていない…はず。ちょっと周囲を見回してみる。ちゃんと自分の家だ。間違いない。
新しい迷宮を探索するのと理由が違うんだ。そんな恐れることはない。大丈夫だ私!
思い切って扉を開ける。
「……え、何これ凄い。本当に、これ私の家?」
思わずそう叫んでしまった。
家に入ると見違えた。明るくて広くて綺麗だ。
買った直後の頃のような室内。
「お帰りなさいませ。ご主人様。」
「あ。た、ただいま。」
少女の明るい声に驚いてしまう。
おかしい。数々の迷宮を踏破してきた私が、「ただ部屋きれいになった」だけのはずなのに、少し怯えている。自分の家なのに、なんだか落ち着かない気もする。
やはり、私には勇気がないのだろう。
「前のような、鉄の鎧ではないんですね?」
私は、なめし革の鎧を着ていた。
軽装に見えるが、急所には金属が使われていて、見た目よりも防御力はあり、安心感のある装備だ。
「新しい鋼鉄の鎧は、私の体に合うように調整してもらっているんだ。それができるまでは、この鎧で軽めの迷宮を何度か攻略して、小銭でも稼ぐかな。」
実は嘘だ。
鎧を新しく買うことは諦め、下取り用にと思っていた鋼鉄の鎧を修理してもらうことにした。時間はかかるが、そっちの方が安く上がる。
奴隷を買ってしまった分の銀貨さえあれば、良い鎧が買えたのに…と少し後悔もした。
「でもさ、この家、こんなに広かった?」
「荷物を端へ置いただけです。申し訳ございませんが、お陰で炊事は出来ません。」
確かに部屋の四隅に荷物が積み上げられている。炊事場の所の荷物なんて、さらに大きな山になっていた。だが、なんとなく分別されており、だいたい同じような物が近くに置いてある。
ごちゃごちゃっと適当に端に寄せただけでは、こうはいかない。
「良いよ良いよ、この家で料理なんてしないし、大丈夫だよ。」
「ありがとうございます。」
床が見える。というか、その床も水拭きされているようでピカピカとしている。
机の上にも下にも物がない。
しかも、椅子があるじゃないか。いつからか荷物に埋もれてしまって、どこに行ったか分からなかったんだ。
「凄い、凄い。私にはこんな掃除はできないなぁ。キミは本当に凄いな。」
「いいえ、それほどでもありません。」
「これだけ机がきれいだと、ここで昼食を食べられそうだな。」
新しい部屋に引っ越してきたような気分になってきた。
なんだかテンション上がってくる。
「それじゃあ、屋台で昼ご飯を買ってくるよ。一緒にここで食べよう。」
「分かりました。」
私はまた出掛けて行こうとして、百八十度ターンをする。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様。」
「あ…」
一時停止。
「……駄目だ。」
もう一度ターンする。
「しまったな、もう手持ちが無かったんだ。」