【清掃日誌08】 遺稿
激化の一途を辿る王国と帝国の全面戦争。
俺にとっては他人事だが、世界の命運を握る2大超大国の一挙手一投足に国際社会は目が離せないらしい。
我が国でも各所の政治サロンで、この大戦争の行く末について日々激論が交わされ、その議事録が大量に印刷され配布されている。
我らが聖地カフェ・ギークにも各サロンが頼んでもいない議事録を小まめに届けに来る。
丁度、大型模型の塗装工程だったので、机に敷かせて貰った。
キマイラは使う色が多いからね、助かるよ。
「ねえ、私達も議事録くらいは発行した方がいいんじゃない?」
そう提案したのは、お向かいのカフェ・ロットガールズのリーダーであるクレア嬢である。
今日も多くのオタク女を引率してくれている。
『議事録?
俺達はただのモンスターオタクの集まりだぜ?』
「今、参戦問題で国論が割れてるでしょ?
盆栽サークルやスカッシュサークルまで議事録を発表し始めてるのよ
この近所のコミュニティで立場表明してないのは私達だけよ?
昨日なんか花嫁修業スイーツ製作サロンが議事録持って来たんだから!」
…婚期が遠のくからやめておけ。
『うーーーん。
俺は… 政治的意見は無いからなぁ。
《戦争なんて嫌だなぁ》
くらいしか…』
「同感でゴザル。
わー国が巻き込まれない事だけを祈るでゴザルよ。」
「他国は私達を巻き込もうと必死だけどね。
首長国や連邦も我が国で多数派工作を始めたらしいわよ。」
『だったら議事録なんて論外さ。
政争に巻き込まれるリスクは避けるべきだよ。
ドランさんもそう思うでしょ?』
「ポールソンに賛成。
嵐の時は首をすくめてようぜ。」
我が国は帝国・連邦・首長国と国境を接している。
この中で同盟国は首長国だけである。
帝国は当然我が国に対して、王国に対する経済封鎖とあわよくば宣戦布告を要求しているし。
今回の戦争に中立を標榜しながらも反帝国色の強い首長国は王国への支援を要請している。
野蛮な連邦人は帝国・連邦・自由都市で同盟を組んで首長国を侵略しようと毎度持ち掛けてきている。
王国も帝国もよほど軍事費に困っているのだろう。
最近になって、残った予算を自由都市での世論工作に投じ始めている。
つい先月も帝国皇帝が電撃来訪し、軍費支援の演説を行った。
演説そのものは逆効果ではあったものの、これで各国の諜報機関が危機感を持ったらしい。
それが、最近の政治的狂騒の原因である。
勿論、これは受け売りだが。
黒幕気取りの陰謀野郎がソースなので、そこまで的外れではないのだろう。
「ポール殿。
いつまでこの騒ぎが続くでゴザルか?」
『各国の工作費が尽きるまでは続くだろうね。』
「いつ尽きるでゴザルか?」
『騒ぎが落ち着いた頃には尽きるさ。』
「平和は遠いでゴザルなあ。」
俺達がシーシャを回し吸いしながら、往来の狂騒をぼんやりと流れていると、カフェの前で退役軍人会と汎人類主義団体の街宣馬車同士が口論を始めた。
こりゃあ、ロットガールズ達は裏口から帰らせた方が良さそうだ。
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先月までは、ここまで酷くなかった。
政治系のサロン以外は、ここまで戦争に興味を持っていなかったのだ。
俺も義弟のロベール君に予備役招集が掛かるまでは他人事でいた。
『法律的には拒否も出来るんでしょ?』
「義兄さん。
自分は義務を果たします。
部下達にも約束していた事ですから。」
『そっか。』
「業務を放棄してしまう形になるのが心苦しいです。」
『俺、明日からマーサに早めに起こして貰うよ。』
「申し訳ありません。」
『謝るのは君に全てを押し付けていた俺だよ。』
そんな遣り取りを門前でしていると軍の馬車が静かに停車し、駆け下りた軍人が無言で敬礼してから「少佐殿。」と抑えたトーンで一声だけ声を掛けた。
ロベール君は無言で答礼し、音も立てずに馬車に乗り込んでしまう。
『…御武運を。』
俺がそう呟いた時には蹄音が鳴り出していた。
ロベール君の部隊は合同軍事演習の名目で暫く首長国に駐屯する。
勿論、これは帝国や連邦への備えである。
あの連中ならいつ我が国に部隊を越境させてもおかしくない。
それくらい情勢は緊迫しているのだ。
『ポーラ。
もう泣くな。
オマエは軍人の妻だろう。』
歳を取ると思ってもいない発言をしなければならない場面が増える。
俺は母さんにポーラを頼み、久しぶりに社屋に顔を出す事にした。
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「おお、ポールか。
ロベール君はもう行ってしまったのか?」
『さっき軍の連中が迎えに来たよ。
ポーラが少し不安定だから様子を見てやって欲しい。』
今、弊社は繁忙期に当たる。
なので、ロベール君のように現場の指揮を執れる会社幹部が抜けると、途端に業務が回らなくなる。
『父さん。』
「ん?」
『ボヤルスキー子爵の入居予定邸宅。
俺が清掃しておくよ。』
「おお! やっとスキルを。」
『スキルを使うかどうかは分からないけど。
元々は俺がキーン不動産に頼まれた仕事だからね。
これ以上、ベーカー達に負担を掛ける訳にもいかないだろう。』
「すまんな、頼む…。」
父さんから触媒用の銀貨袋を受け取り、俺は乗り合い馬車に飛び込んだ。
思った通り皆が戦争の話題で持ちきりである。
老人や女のように、戦場に行かされる可能性がない者は随分と勇ましい。
思わず溜息をついたら同乗者達に睨み付けられたので、逃げるように馬車を降りてフラフラと歩いてボヤルスキー邸予定地に向かうことにした。
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ミハエル・フォン・ボヤルスキー子爵。
帝国貴族。
今回の彼らの対王国戦争の火付け役。
《凍結弾》なる非人道兵器の考案者として帝国内で英雄となり昇爵の栄誉を賜る事になったが、その際に行われた身元調査でそれまで行って来た莫大な横領が発覚して命からがら亡命してきた。
彼が数年前からキーン不動産と親密だったことを考えると、発覚も予想済みだったのかも知れない。
…幾ら何でも120億ウェンを越える横領額は限度を越えているので、逃げ遅れた嫡男氏が切腹させられた点にもイマイチ同情出来ない。
現在はリゾートハーバーの高級ホテルで豪遊していると聞いていたのだが…
「何だねキミは!」
うっかり鉢合わせてしまった。
やれやれ、迂闊にも程があるな。
「ここは私の館だぞ!!」
肥満体の癖にやけに声が甲高い。
噂に聞いていた通りの風貌である。
『キーン不動産から委託を受けております、ポールソン清掃会社で御座います。』
「おお! 掃除屋か!
待ちくたびれたぞ!
ホテル暮らしには飽きた!
もっと早うせい!」
『申し訳御座居ません。
子爵閣下。』
「…まあ良い。
引き渡し期限は来週だからな。
うむ!
すまなかったな。
苦しゅうないぞ。
安心せい!
ワシは例え掃除屋であっても他の使用人共と平等に扱ってやるからの。」
なるほど、領内で比較的善政を敷いていたという噂は嘘ではないのかも知れないな。
きっと帝国基準では仁君の部類なのだろう。
「ん?
如何した?
他の人夫共も呼んで構わぬぞ?
作業に参ったのであろう?
今日は何人で来た?
20人か? 30人か?」
…ああ、これはタイミングをミスったな。
さて、どう切り抜けるか。
父さんへの火の粉を避けつつ、あの男にお灸を据える言い訳があれば良いのだが。
『閣下。
本日は下見です。
少しでも良い作業を行なう為、清掃器具の搬入口をチェックしに参りました。』
「ほう。
掃除屋にしては殊勝ではないか。
帝国の威光が行き届いておるようで何よりだ。
よし。
ワシも中に用事があった。
苦しゅうない。
案内せい。」
参ったな。
どいつもこいつも仕事を増やしやがる。
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「もっと高級な物件を選ぶ予定だったんだがの?
身寄りのないスリンガー博士がお亡くなりなったと聞いてな。
縁を感じて買い取ったのよ。」
子爵氏は故アルフレッド·スリンガー博士と同じ学会に所属していたらしく、ポスターセッションで隣同士になった事もあるそうだ。
残置物の引き取りを強く希望しているとも、作業計画に太字で記載されていた。
「スリンガー博士の蔵書は全て保護させて貰ったのだかな。
ワシとした事が書斎の天井収納スペースを見逃しておった。
さっき間取り図を見直している時に気付いて慌てて駆け付けたのだ。
無知な作業員にでも捨てられたら人類的な損失だからな!
どうした?
早く扉を開けなさい。」
『失礼致しました閣下。
それでは早速書斎に参りましょう。』
「うむ。
ちゃんとチップをくれてやるから励むのだぞ。」
…参ったな。
さっさと仕事を終わらせてベーカー達に差し入れを持っていく予定なのだが。
《客はアンタだけじゃない》
と説明してやった所で理解はしてくれないのだろうな。
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天井に上った俺が、数枚のレポートを下ろすと子爵は思いのほか喜んだ。
「おお!
草稿はここに有ったか!
どれだけ探しても見つからなかった訳だ!!
そこにはどれだけの分量がある!?
もっとあるのか!?
うははは!!
大収穫!
駆け付けて正解だった!
ワシでなきゃ見逃していたね!
掃除屋、天井裏から残りの全てを下ろして参れ!
1枚たりとも捨ててはならぬぞ!」
どうやら博士は草稿を天井裏に押し込んでいたらしく、テーマ毎に草稿の山を無造作に積み上げていた。
その整頓能力の乏しさに少しだけクスリと共感する。
「せめて構造学関連だけでも確保したいのだが…まさか1度に全部降ろさせる訳にはいかんし…」
階下から聞こえる子爵氏の呟きを背に屋根裏を進んでいくと、簡素な座椅子とデスクが設置された区画を見つけた。
『何だ?
天井裏に隠し部屋?
秘密の書斎なのか?』
思わず独り言を漏らしながら付近を照らす。
『…。』
壁一面に書かれた… 懺悔文?
《私は明日のパンの為に魂を売った。》
《あれだけ憎んだ人殺し行為への加担》
《買い込んだ免罪符が罪の証拠》
《私は私を許さない。》
座椅子の側には何かがビリビリに破り捨てられ…
これは神聖教団が発行している免罪符であろうか?
俺は急ぎ博士の書きかけのレポートや日記をチェックする。
壁の落書きの通りだな。
博士は材料物性学の基礎研究の大家であったが、晩年に生活苦から私的に兵器開発を行っていたようだ。
日記を流し読みしているだけなので、俺の誤認である可能性も高いが軍に売り込もうとした形跡がある。
《構造学の軍事転用》やら《自由都市独自の凍結弾》という文言を見て背筋が凍る。
なるほど。
同じ学会に所属していた子爵氏なら、スリンガー博士の晩年の動向を把握していた可能性もある。
万が一の収穫に期待して、この小さな邸宅を買い取ったのか。
どうりで残置物に関する注意書きが多かった訳だ。
ただでさえ猛威を振るっている凍結弾がその考案者によって、より高性能化したら?
子爵氏の性格なら、自由都市政府に派手に売り込むだろうな。
別に咎める様な事じゃない。
そもそも、あの男がピンポイントで子爵氏を引き抜いたのは、それが目的である可能性が高いのだ。
…俺が口を出すような問題か?
我が国の軍事力向上は本来喜ぶべき事柄ではないのか?
「おーーーーい!
掃除屋君!
チェックはワシが行う!
キミはある分全てを下ろしなさい!」
子爵氏の声に苛立ちが混じり始めた。
彼の性格なら、直に自分で登って来るな。
…俺の独断で決めていい事じゃないんだがな。
だが、それでも。
今から俺は明白な利敵背反の罪を犯す。
『セット!』
「キミぃ!
もしかして横領でも企んでいるのではあるまいねぇ!!
何をコソコソやっておるんだぁ!?」
『清掃!』
…やってしまった。
父さんゴメン。やはり俺は不肖の子だ。
「キミぃ!
聞こえていたのかね!
このワシをこんな薄汚い所に登らせるなんて大問題だよ?
おっ!
あるじゃないか!
って。
何だ思ったより少ないなあ。
おい、掃除屋クン!
そっちの方には…
うーーん、キミの居る方には何もない、か。
まあ、いい。
こっちの資料を早く下ろしなさい。
あー、これ3年前の学長選挙の手順書だな。
うーん、スリンガー博士の事だから何かあると思ったのだが。」
『子爵、久しぶりの閉所作業で手間取ってしまいました。
大至急、書類を下ろします。』
「おい、キミ。
凄い汗だぞ?
大丈夫か?」
『…やや閉所が苦手なもので。』
「ああ。
そういう若者多いねえ。
そんな事で使い物になるのかねえ。
最近は塹壕戦が多いのに。」
『お恥ずかしい限りです。』
「まあ、いいや。
はい、これチップ。
1万ウェンだぞ。
喜びなさい。」
『…恐悦至極です。』
「うむ。
それにしても、博士の性格なら草稿の類は全て保管している筈なのだがなあ。
キミ、清掃中にそれらしきものを見つけたら、すぐにワシに報告するように。
下賤には解らんと思うが、自由都市の国益になる話だ。
キミだって国が強くなる分には嬉しいだろう?」
やれやれ。
亡命して来る連中って、何でこんなに前向きなんだろうね。
それとも。
誰かさんが、そういう人種だけを狙い撃ちにして引き抜いているのかな?
「キミぃ。
多少の不手際もあったが、今回は中々良い仕事ぶりであった。
受け答えも弁えておる。
うむ、そうだ。
特別に名を聞いておいてやろう。」
『申し訳御座いません。子爵閣下。
この身は見ての通りの下賤で御座います。
閣下のお耳を汚す訳には参りません。』
「う、うむ。
確かにそうであるな。」
キサマに名乗る名など無い。