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【清掃日誌33】 栽培キット

挿絵(By みてみん)


さて、物不足が収まらない。

厳密に言えば流通が死んでいるのだ。

元凶はハッキリ分かっている。

王国と全面戦争中の帝国がノリで首長国にも越境攻撃を仕掛けた所為である。

これにより、我が国に対する各国の輸出ルートが大幅に制限されてしまっているのだ。


財界も輸入品受取の為のキャラバン隊を大規模に派遣しているようなのだが…

どうやら帝国軍が条約違反の無差別拿捕を行っているフシがある。

政府当局は公表していないが、相当数の民間業者が抑留されているとのこと。



『もう滅茶苦茶だな、アイツら。』



「どうやら現場レベルで強奪行為を行っているらしい。

帝国首脳部も事態を把握出来ていないようだ。」



『いつもの《知らぬ存ぜぬ》か。』



「外交ルートで抗議しても、《現場が勝手にやったこと。》の一点張りだ。」



『恐ろしい事に、アイツらはそんな言い訳が通用すると本気で思ってるからな。』



ここ数日、俺はドナルド·キーンの手持ち物件の1つで寝泊まりしている。

本人はセーフハウスと言い張っているが、どう見ても妾宅用だろう。

もうそこら辺に目くじらを立てる歳でもないので、俺も掘り下げない。


コイツとも暇な時は幼稚な猥談で盛り上がる事があるのだが、今の我が国はそういう状況では無い。

実質的な兵糧攻めを受けていると言っても過言ではないのだ。




『首長国が仕組んでいる?』



「明らかにそうだよ。

敢えて国境付近の街道を帝国に攻めさせている。

通常の彼らなら、簡単に奪回出来る箇所を故意に放置している様に見える。

これは私のみならず、軍部の友人達も同意見だ。

彼らなら我が国のキャラバンの通行状況を完全に把握しているし、帝国側にリークする政治的ルートも保有しているからな。」



『目的は当然。』



「ああ、我が国を対帝国戦争に引きずり込む為の一策だ。」



首長国。

我が祖国、自由都市の同盟国。

同盟を結んでいるが故に矛先を向けようのない、…真の敵国。

まあ、俺達だって首長国を防波堤として便利使いしている。

文句を言えた筋合ではないさ。

戦争には矛を合わせるものもあれば、轡を並べる性質のものある。

我が国と首長国は後者の戦争を繰り広げているだけに過ぎないのだ。



「現在、財界の親王国派が連邦ルートでの買付を進めている。

契約自体は問題なく締結出来たが、物資到着までタイムラグはあるし、そもそも王国自体が慢性的な食糧難だ。

買い込める物資は限られている。」



『今月になって特に酷いよな。

俺、公設市場の無期限閉鎖とか初めて聞いたよ。』



「建国以来、初だからな。

無理もないさ。」



『食料はどこにあるんだ?』



「経済学のセオリー通りの場所だよ。」



『皆が抱え込んでストックだけを必死に増やし続けている?』



「御名答。

この戦況がいつまで続くか解らない以上。

皆の備蓄を責める訳にもゆくまいしな。」



『それで?』



「ん?」



『今度は俺に何をさせたいんだ?』



「短刀直入に言うぞ。

屋内栽培の解禁で民心の鎮静化を図る。

オマエには、現場調整を頼みたい。

それも最速でだ。」



『あれだけ弾圧してた癖に解禁するわけ?』



「それが政治だ。

…現行法で禁止されている屋内栽培。

解禁されることが既に内定している。

今、各部署が関連法案を調整中だ。」



『屑野菜か…』



「うむ。

私も前々から屋内栽培は推奨すべきと考えていた。」



『…その前々っていつからだ?

俺、普通にアンタに殺されかけたんだけど?』



「ん?

オマエとはこの件でも一緒に取り組んで来たよな。

これからも頑張ろう!」



これなんですよ。

この人、平気で記憶を捏造するんです。

ちなみに、この人の奥様は更に悪質な捏造をします。

というか、帝国という国がまさしくそういう国なので我が国は非常に苦労してるんですよ、ハイ。



「オマエ、港湾区に顔が利くだろう?

工業区でも派手に動いているようだな。

あのデカいレストラン、良かったぞ。」



『顔なんて効かないよ。

旨いプルスを喰わせる店もあるから、今度連れていってやる。』



「楽しみにしておくよ。


さて、顔の利くオマエに本題だ。

当局は迷っている。

屋内栽培を既存の従事者に任せるか…

或いは。」



『任せずに、官営・もしくは大資本への許認可制にするか。

だろ?』



「かなり議論が紛糾していてな。

それが発表が遅れてる理由だ。」



『…。』



「セオリーから言えば巨大資本に製造を独占させて供給量を確保するべきなのだが…

流石にこの雇用情勢でそんな事をすれば…」



『今度は暴動ではすまないだろうな。』



「同意だ。

なので、私もこの件に関しては零細容認路線を採りたい。

いや、他に選択肢がない。」



『零細の連中、シノギを禁止されたら

ご近所さん共々飢え死にだな。』



「上層部もそれは理解している。

なので零細容認派が多数なのだが

一点障害がある。」



『障害?

どこかの大企業が横槍でも入れているのか?』



「いや。


オマエが懇意にしている魔族だ。

随分肩入れしているみたいじゃないか。」



『…面識があるだけだよ。』



「上層部も零細業者は認めたいと思ってるよ?

だが、魔族は別だ。

魔族の野菜製造を公認すれば、労働者感情が収まらなくなる。

雇用解放と解釈されるだろうからな。


まあ、それ以前に現状が条約違反なのだが。」




我が国は屋内栽培を解禁したい。

だが、元々魔界のノウハウである為に、従事者には魔族が多い。

要は後腐れ無くこの技術を取り上げたいのだ。

それも自由都市が悪者になることなく。


ドナルド・キーンはもう一段階高度な解答を出す事を俺に求めている。

いや、きっといつものように結論はアイツの胸の内にあるのだろう。



「そして何より市民感情だ。

考えてもみろ。

屑野菜と縁の無かった層が突然

《明日から市場には魔族が作った野菜も混ざる》

なんて言われたらどうなる?」



『そりゃあ、パニックになるだろうし。

反魔界感情は高まるだろう。』



「それに。

港湾区や工業区には反社勢力が多い。

オマエ、密かに連絡を取っているようだな?」



『さあ、身に覚えが無いな。』



「僅かだがデモ隊とオマエの結託を疑う者も居る。

無論、私は親友のオマエを微塵も疑ったことはないがな。


なあ自由人。」



『もしもアンタに迷惑が掛かってるなら謝るよ。


生憎、1000万なんて大金には縁がない。』



「いや。

オマエが必要と思ってやっているのなら。

それはある程度は理の有る話なのだろう。」



『…。』



「だがな。

そろそろ世間と擦り合わせる事を覚えろ。

《理想と現実を混同するな》

とは言わない。

《現実を理想に近づける為の努力を怠るな》

と言っている。

わかるな?

本来なら、こういう事はオマエが若手に指導しなければならないのだぞ?」



やれやれ、返す言葉もないね。



『わかった。

全面的にアンタが正しい。

反論するつもりもないよ。

で?

俺は具体的には何をすればいい?』



「今から港湾区に行って落としどころを見つけて来い。」



『…それ、政治局や産業局の仕事だろう?』



「この問題に関しては、オマエが一番詳しい。

おっと、今回ばかりは韜晦は無しだ。

我が国には時間が無いからな。

ポール。

能力のある者には…」



『責務がある、と?』



「オマエがNOと言えば、この前の様に治安部隊が投入されて終わりだ。

それこそ私にも声が掛かるかもな。

おいおい、そんなに怖い顔をするなよ。

あくまで、オマエがNOと言えばの話だ。」



『…。』



「私はこの問題の調査委員会に属している。

オフレコだが、現場検証に関しては他の委員からほぼ一任されている状況だ。」



『随分、出世したものだな。』



「現場に詳しいと思われてるからな。」



そりゃあ詳しいだろう。

何せ、港湾区で《黒フードの化け物》を知らない奴なんて居ないからな。



「オマエは今回、私のスタッフとして動くことになる。

日当も8万7000ウェンが支給される。」



『日当は要らないよ。

フリーハンドで動いた方が解決が早い。』



「自分で考えろ、だが勝手に動くな。

日当にはそういう意味もある。

受取拒否は許されない。」



『大人は大変だね。』



「私は午後から財界回りだ。

屋内栽培に強い関心を持っている大企業は多いからな。

当然彼らは現行の栽培業者の排除を公言している。

さあ、どうしたい?」



『?』



「オマエが決めろ。

現行の栽培業者を許すか潰すか?」



『そんな大事な事を俺の独断で決めれる訳がないだろう!』



「なあ、ポール。

男はいつだって歴史の岐路に立っている。

凡庸な人間は《自分には関係ない》と言って傍観者に徹する。

どんなに国家や世界が危機に瀕していても、いつだって他人事だ。

彼らを責めるつもりはないんだ。

人間なんてみんなそうだからな。


だがオマエは違う。

オマエだけが違う事を私は知っている。

決めるんだよ、オマエが。

未来の形をな。」



『…。』



「行け。

私は私にしか出来ない作業をする。

オマエにはオマエにしか背負えない使命がある筈だ。」



=========================



港湾区に向かう馬車の中。

何度もドナルド・キーンの言葉を反芻する。


…あの男の口車も随分車輪がデカくなってきた。

このペースで行ったら、それこそ来年には閣僚にされてしまうな。

馬鹿げた話だ。



『また行列が伸びてる…』



馬車から何気なく見た港湾区の街並み。

フードスタンプの引換所に並ぶ列のあまりの長さに愕然とする。

当然、列のあちこちで喧嘩沙汰が発生している。


引換所の人員は…

5人か。

最低20人は必要だろう。

誰か増員を…


いや、誰かじゃない。

俺だ。

俺の番が回って来ているのだ。


ドナルドへのメッセンジャーは夜に纏めて依頼するつもりでいた。

勿論、それが社会常識でありエチケットなのだが。

逐一報告に切り替えよう。

俺達の中では、もうとっくに戦時なのだ。


時間との戦いだ。

今回、遊びはない。

全て直線で行く。



=========================



『やあ、御婦人。』



「やあ、旦那。」



眼前の老婦人はゴブリン種である。

何度か奇妙な邂逅をした。

借りがあるような気もするし貸しがあるような気もする。

きっとこれを縁と呼ぶのだろう。



「今日は随分怖い顔をしているね。

まるで兵隊さんみたいだよ。」



『ははは、失礼しました。

男なんて所詮は全員兵隊ですよ。』



「皆が一兵卒でいられるのなら、男の子の親も助かるんだがね。」



『…。』



「…。」



『本日は屋内栽培の件で通達したい事があって参りました。』



「今日は随分怖い顔をしているね。

まるで役人さんみたいだよ。」



『失礼しました。

男なんて所詮は全員小役人なのです。』



「皆が小役人で居てくれるなら、男の子の親も泣かずに済むんだがね。」



俺は老婦人に現状を簡潔に報告し、現在の栽培状況も教えて貰った。

やや渋られたが現場も検分する。

彼らの言葉を鵜呑みにするなら、()()()魔族団地以外の場所では栽培を行っていないらしい。



『なるほど。

栽培キットの販売に切り替えた訳ですか…』



「ほう。

わかるかい?」



『消去法ですよ。

他に道も無かったでしょう?』



「まあね。

魔族の作った野菜なんて…

人間様は食べたくないのさ。

何かあった時に、毒を入れたと誤解されるのも怖いしね。」



『でも栽培キットくらいなら…

何とか我慢出来る、と。』



「顧客の反応を見ている限り…

そんな感じだね。」



『キットは幾らで販売されておられますか?』



「ははは、まるで治安局員だね。」



『御婦人、キットは幾らで販売されておられますか?』



「…3000ウェンだよ。

もしも暴値と思うなら、頑張ってもう少し値段を下げていいと思ってる。」



『…。』



「…。」



なるほど。

栽培キットはフロントエンドか。

リーダーは非常に優秀だ。



『…種子を販売しておられますね?

もしくはこれから販売する事でペイしようと目論んでおられる。』



「…。」



『…。』



「見逃しては貰えないんだね。」



『何も我が国は貴国との貿易を完全に禁じている訳ではありません。

ですが、届け出がないのなら、それは悪質な密貿易として断じざるを得ません。』



「…そうか。」



俺と老婦人は栽培キットを挟んで無言で向かい合っていた。

互いの言い分は嫌という程わかるので、あまり言葉数は必要がない。


周囲のゴブリン達が俺に向かって弁解を始める。

全て想定内の弁明なのだが、エチケットとして耳を傾けるフリはする。

俺が感心したことは、これが深刻な話と悟った瞬間にオーク種だけが一礼して退室した点である。

《交渉に一切の威圧的要素は用いない。》

アドリブでそれを実践出来るだけの知性と理性が彼らにはあった。



『…昔。』



「?」



『子供向けの絵巻物でゴブリンがよく登場しました。』



「…。」



『悪いモンスターとして。』



「…!」



『主人公の少年達はゴブリンを見つけるなり嬉々として斬りかかり。

一方的に殺して英雄と讃えられる。

そんな物語を何冊か読んだ記憶があります。』



あの頃は随分夢中で読んだな。

我ながら反吐が出る。



「そうかい。」



『御安心下さい。

そういった種族間の対立を煽るような悪質なプロパガンダ書籍の刊行は禁止されました。』



「…それはそれは。」



『謝罪させて下さい。

その規制法案は可決までに20年以上掛かりました。

発令はつい一昨年の話です。

そして恐らくこんな規制の存在は出版関係者しか知らないでしょう。』



「…。」



俺はキットに目を戻す。

ああ、巧いな。

根菜類用・葉物向け用、あっちは水耕用かな?

器用に作り分けられている。

処分に困ったワカメとやらを、これで育てても面白いかもな。

レシピは、あの頑固者の店主にでも考えさせれば何とかなるだろう。



『我が国と取引をしませんか?

…いや、我が国との取引に応じて欲しい。』



「ふふふ、まるで王様みたいな口を利くね。」



『全ての男には責務があります。

兵卒の様に死に、王の如く国家に向き合う責務が。』



「ははは。

どこぞの坊やと同じことを言う。

まあ、取引はいいさ。

魔界の連中はきっと喜ぶだろう。

何せカネがないからね。


うん、わかった。

裁可を仰ぐよ。

大至急、魔王様に…」



『貴方でしょう?』



「…何が?」



『貴方がここでの全権を持っておられるのでしょう。』



「…おやおや突拍子もない事を仰る旦那だ。

御覧の通り、アタシはか弱い老婆さ。

ある時は屑野菜屋の店番、この前なんかはとうとう娼婦に身をやつした。」



『…代表者である貴方と正式に交渉をさせて下さい。

勿論、我が国からも然るべき者をテーブルに着かせる事を約束します。

貴国の尊厳を貶める意図は断じてありません。』



部屋の空気が静かに歪む。

居並ぶゴブリン達が必死に湧き上がる殺気を押し殺している気配が伝わってくる。



「…1つ聞かせてくれ。

何故、アタシが代表と気付いた?」



『俺が魔界の住民なら、貴方に託すからです。』



「ははは。

全然答えになってないよ。」



『これ以外の答えはありません。


矢面に立ち続けている。

艱難を背負い続けている。

他に誰が居るんですか?


ねえ、知っていましたか?

人間種の間でも貴女は支持されているんですよ。』



「ただの老婆さ。

たまたま息子のように可愛がってた親族が役職に就いた。


…魔王代行。

それがアタシの肩書。

昔は四天王だのなんだの言われてらしいけどね。

こんな老婆に役職が回って来るなんて、もう魔界も終わりだね。」



『では、代行。  

いや四天王とお呼びした方が宜しいでしょうか?』



「いつも通り呼んでおくれ、旦那。」



『承知しました。

御婦人。』



一般にゴブリンは矮躯で知られるが、老婆という事もあって彼女の身体は更に小さい。

こんな小さな身体で、苦難と屈辱に耐えて彼女は祖国を背負って来たのだ。



『まず栽培キットの販売。

これは明確に条約違反です。

即時中止、及び全在庫の提出を要求します。』



「旦那にはそれを要求する権限があるんだね?」



『仮に無くとも取得するだけの話です。』



「おやおや権力本来の運用例だ。」



『また種子に関してですが、その有無を問い質した所で水掛け論となるでしょう。』



「まだ輸入出来ていない、と言っても信じてはくれないだろうね。」



『なので魔族団地全域への家宅捜索を申請します。

相当大規模で徹底したものとなるでしょう。』



周囲のゴブリン達から苦悶の呻きが漏れる。



『現在、我が国は有害な外来種の繁殖に生態系を脅かされております。

損害を被っているのです。

なので、国外からの種子持ち込み、及びその疑惑に対しては厳正極まりない態度を取っております。』



「魔族は…  外来種かい?」



『…外来種です。』



「そうかい。」



『ですが、有害だとは思っておりません。』



「…そうかい。」



『以上の2点。

我が国は断行致しますが、協力的な姿勢を取って頂きたい。』



皆が拳を握りしめ、唇を固く噛み締めている。

恐ろしい自制心である。

無論、自由都市に派遣されているゴブリンは選抜された逸材揃いであるとは推測出来るが。

それでもこの抑制的な姿勢には感銘すら覚える。



『また、この問題に関して対価はありません。

我々は条約の履行を求めているだけですので。』



老婆は微動だにせず、しっかりと俺の目を見据えている。

まったくもって、大した胆力である。



『さて。

ここからが取引なのですが。

この技術、我が国に供与頂けませんか?

帝国や王国のような領域国家と違って、我が国は典型的な都市国家です。

どうしても食料確保手段が限られているのです。

国家間の友好の印として、技術供与を頂けると嬉しい。』



「…。」



凄いな、コイツラ。

ここまで一方的に要求を突き付けられて、一言のボヤキも漏らさない。

対価に関する問掛けすらして来ない。



「代行としての正式回答です。

魔界は貴国からの技術供与要請に快く応えます。


以上。」



『…。』



聞いたか?

この御婦人は「以上」と言ったんだぞ?

俺が彼女なら… 

この状況で同じセリフは吐けない。

前々から思っていたが、この胆力は異常だ。

或いはこれこそ死兵の境地かも知れないな。



『…。』



「…。」



『近いうちにですが。

正式な会談をセッティングさせて下さい。』



「快く応じます。」



『ただ、俺は公人ではないので…

フォーマルな会場は債券市場くらいしか知らないのですが。』



ゴブリン達がハッとした表情で俺を見る。

ああ、聞いてるよ。

何とか受理された起債申請についても、返事すら貰えてないんだってな。

そりゃあそうだよ。

前例がないもの。

帝国ですら起債は相当難しいんだぜ?

王国に至っては実質的に出禁だ。

それをゴブリンに債券売らせろとか…

正気の沙汰ではない。

これはオフレコだが、受理した部署の担当者に至っては譴責処分を受けているからな。



『友人がVIPフロアの年間パスを持っておりまして。

たまに付き合わされるのです。

おかげで支配人達とも、面識が出来てしまいました。

お口に合うかはわかりませんが、食事も可能な施設です。

皆でメシでも食いながら、ゆっくりと協議させて下さい。


…なに、こちらは供与をお願いした立場です。

接待と思ってリラックスして来て下さい。』



話はそれだけだ。

後は事務的な打ち合わせ。

御婦人と魔族団地を散歩しながら、情報交換と意見交換。

相手は天性の政治家なのだろう、話はスムーズに進んだ。



「どうだい、おとなしいものだろう?

みんな、仕事の時以外は団地で休憩している。」



『この見聞も伝えれば良いのですね?』



「頼むよ。

印象が全てだ。」



『俺、今度少年向けの絵巻物を執筆するんです。』



「?」



『ゴブリンと友達になって、一緒に冒険する話なんか面白いかもです。』



「夢物語さw」



『いつか、そんな日が来てもいいんじゃないですか。』



「…いつか、ね。」



ゴミ捨て場がそろそろ大変なようだったので、人払いをお願いしてから下らない芸を披露する。

御婦人は俺の能力を吹聴しない。

俺は御婦人の正体を吹聴しない。

取り決めがある訳ではないが、彼らも似たような信義則を持っているらしかった。



=========================



この御婦人は普通の御婦人である。

魔界の片田舎に生まれ、彼らの首都に嫁いで来た。

何人かの子を産み、年老いて…

たまたま出稼ぎにやってきた最中に…

親族が魔王職に就任した。


いや押し付けられたのだ。

もう王国が攻めて来ることが決定したから。

要領の良い卑怯者たちは全員が地方の本領に逃げ帰った。


世評とは真逆なのだが。

現魔王は少年の頃から随分臆病で繊弱な男だったらしい。

いつも母親代わりである御婦人の後ろに隠れて

メソメソと泣いているような、そんな少年時代を過ごした男だそうだ。



「虫も殺せない優しい子で…

いつも周りの皆から笑いものにされていたよ。

イジメられて泣いて帰ってくるたびに私にしがみ付いて…


…何の因果であの子が!!」



王国及び神聖教団の最終通告。

魔王の返答は、ただ「否。」とのみ。



=========================



ドナルド・キーンのセーフハウス。

ワインがあったので勝手に一杯やらせて貰う。

銘柄からして若い女に飲ませる用のものだろう。

…アイツ、余計な事はペラペラ喋る癖に、女の引っ掛け方とかは全然教えてくれないからな。



「メッセージ、全て読ませて貰った。」



『ちゃんと整合しろよ。

アンタなら可能だろう?』



「参ったな。

私に出来る事と言えば…

債券市場の起債枠設定と

政治局長のスケジューリングと

産業局でのプレゼン企画起ち上げと

評議会での外交案提出と

出版コードの調整くらいのものだぞ?」



『全部じゃねーか。

何でもかんでも1人で済ませやがって。

バケモンかよ、アンタ。』



「そうか?

ゼロから1を提言出来る人間の方が

余程有用だと私は思うがな。」



『居るよな、ああ言えばこう言う奴って。

こんな奴と40年付き合ってる俺を褒めてくれよ。』



「ふっ。

残りの60年宜しくな。」



…嘘だろ、コイツ100まで生きる予定なのか。

俺はその半分で十分だよ。



「スマンが先に寝るぞ。

オマエもシャワーを浴びたらさっさと寝ろ。」



『はいはい。

アンタもちゃんと寝ろよな。

懲罰部隊の兵士でも2時間睡眠なんてありえないからな。』



「最近は3時間は確保する事にしている。

流石に私も歳だからな。」



『ああ、コイツ絶対100まで生きるわ。』



ドナルド・キーン最年少執行部入りのニュースはオフレコであるにも関わらず既に上流社会に広まっている。

故に、よくある弊害としてキーン不動産と隣接する邸宅にも、猟官者達が殺到している。

誇張なしに列が途切れないのだ。


この手の俗物を激しく憎むドナルドはセーフハウスのソファーで申し訳程度に睡眠を取る。

こんなバカげた生き方を真似る気は毛頭ないが、嬉しそうな顔で手土産を握りしめて列を為しているクズ共より幾分はマシだ。

たまに味方するくらいはしてやっても構わない。



=========================



翌週。

屋内栽培推進法案が可決された。

類を見ないスピード審議だった為か、市井では様々な議論が沸き起こりかなりの騒動になった。


騒動が幸いしたのか、魔族領戦時国債の起債及び魔王来訪の決定は殆どニュースにならなかった。

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