【清掃日誌21】 温泉
自由都市は世界で最も進歩的な文明国家である。
故に隣国に棲息している野蛮な連邦人共が大嫌いだし、連邦に近い土地の分譲住宅は中々売れない。
そんな理由があったから。
本来、ソドムタウンのベッドタウンとして設計された連邦寄りのこの緑区が、中途半端な別荘地帯に成り下がってしまっている。
「誰にも尾行されていないな?」
深夜。
明かりを消した部屋の中で聞き慣れた声が問い掛けてくる。
ドナルド・キーン。
陰謀家、怪物、世界の混沌の根源。
成立する筈だった王国と帝国の休戦協定を独力で破壊した男。
『どうかな?
俺は軍隊教育も防諜訓練も受けた事は無いからね。
プロの諜報員に張り付かれても、多分気付けないと思う。
ただ、ここに入るのは誰にも見られていないと断言出来る。』
「そうか。
言われた物は持って来てくれたか?」
『社員の人から預かっている。
これ、ポーション?
違うな、ひょっとしてエクスポーション?
いや、まさかな。』
「済まないが、封を開けてから渡してくれ。」
『おい、アンタさっきから様子がおかしいぞ。
姿位は見せたらどうだ?』
「別にオマエに身を隠している訳ではない。
ふー。
明日の朝になれば日も差し込むだろう。」
久し振りに聞いたドナルド・キーンの呼吸はやや乱れている。
疲労? 苦痛?
『おい!
具合でも悪いのか?』
「ちょっとそこらで ッ! …転んでしまってね。」
返事のテンポで確信する。
病気や疲労ではない。
この男、手負いだ。
極秘でエクスポーションを運ばせたという事は…
かなりの深手を負ったな。
『内密で俺を呼び出したという事は、帰国していることを伏せたいんだな?』
「察しが良くて助かるよ。
実は音楽祭の時期には既に帰国していたのだがね?
その間は首長国に居た事にしておかなくては色々と都合が悪いのだよ。
明日、首長国ルートで帰国した体にしたい。」
『わかった。
口裏は合わせる。
…そんな事より、アンタ。
傷を負ってるんだよな?
原因は何だ?』
「さあ、階段ででも転んだかな?」
『戦闘か?』
「おいおい、普通はそんなことしないよ。」
『交戦したんだな!?』
「さあ。
特に誰からも指摘はされていないが?」
『交戦罪は極刑モノだ。
当然、それは理解しているな?』
「ふふふ。
まるで取調室にいるみたいだな。
オマエ、治安局の仕事を手伝ってみないか?
今、捜査官が不足していてね。」
『そうかい。
じゃあ、善意の通報から始めるとするよ。』
「おお、怖い怖い。
あっはっは!」
アンタ、さぞかし人生楽しいんだろうな。
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刀傷。
袈裟懸けに深く斬られている。
素人目に見ても分かる事だが、素人の太刀筋ではない。
いや、問題はそこではないのだ。
ここまで殺意のある一撃を受けながらも、この男は生きている。
では討手はどうなったのだろうな?
『刀身、見せてくれよ。』
「ん?
どうして?」
『人、斬ったんだろ?』
「そんな物騒な事、考えた事もないなあ。」
『じゃあ、俺が改めても問題ないよな?』
「確認して欲しいのは山々なのだがな?
この剣はとある貴人からの贈答品なのだ。
私の独断では抜けないなぁ。」
昔から思っていた事だが、コイツ本当に嘘を吐くことに躊躇いがないよな。
良くも悪くも政治工作向きのいい性格をしている。
っていうか、明らかに鍔が歪んでるじゃないか。
これ、絶対にガチのチャンバラをしてるだろう。
『程々にしておけよ?
ハロルド君の受験も近づいているんだろ?
親が子のキャリアを潰すような真似だけはするなよ。』
「前も言った事だが…
息子の件。
アレ共々、オマエに託す訳には行かないか?」
『行く訳ねえだろ!!』
「だが、私が死んだ後に放置する訳にもなあ。
あ、そうだ。
屋敷と会社もくれてやるから、何とかならんか?」
『…アンタさあ。
死ぬわけ?』
「そりゃあ、人間いつかは死ぬだろう?」
『いや、哲学を語り合いたい訳じゃあない。
危ない橋を渡るな、と言っているんだ。』
「…仕方ないだろう?
こういう大仕事を出来そうな人間は自由都市広しと言えどオマエか私くらいしか居ないのだから。
人類がもう少し英明ならなばなぁ。
私も楽隠居出来るのだが。」
突っ込む気も起きないので無視する。
あ、いつの間にか剣を隠しやがった。
「ポール。
一件、仕事頼んでもいいか?」
『やだ。』
「これ、政治局から貸与された礼装なんだけどな?
何とかならんか?」
『思いっきり斬創あるじゃねーか!!!』
「うっかり道端で転んでしまってね。
いやあ、参ったよ。」
『この血痕量で何言ってんだテメー!!!』
「スキルで何とかならんか?」
『ならん。
前から言ってるだろう。
欠損は治せない。』
「あ、じゃあ血痕は消せるな?」
『…。』
「とりあえず血痕だけでも頼む。
えっと?
幾ら位払えば… 『セット清掃。 はい終わり。 じゃあな。』
「おいおいおい。
随分当たりが強いなぁw
少しは労ってくれよ。」
『この深夜に不眠不休で駆け付けてやったんだ。
労って欲しいのはこっちなんだがな。』
「ふむ、一理あるな。」
『…一理、今アンタ一理と言ったか?』
「なので。
たまには私がオマエを接待してやろう♪」
『アンタ死に掛けてただろ。
おとなしくしてろ。』
「首長国でな?
仕事の合間に温泉巡りをしていたんだ。
私は自分では比較的に無感動な人間だと思っていたのだが。
アレは素晴らしかった。
あ、そうだ。
今度時間がある時に一緒に遊びに行こう。」
『そのセリフ。
嫁に言ってやったら喜ぶぞ?』
「首長国はセンスあるよなあ。
街道沿いに多種多様な温泉を配置していてな?
移動しているだけでも楽めるんだ。
あっ、今回はちゃんと高速運河も利用したぞ?
アレは我が国にも導入するべきだ。
今度2人で視察に行こう。」
『アンタって頑なに家庭を拒むよな。
症名が判明したら教えてくれよ。』
「ふふふ。
オマエにも見せてやろうと思ってな?
土産を買って来たのだ。
じゃーん♪
《ご自宅で楽しむ首長国温泉巡りセット》
だ。」
『一応確認しておくが、ちゃんと妻子に土産を買ったんだよな?』
「本当にあらゆる種類の温泉があったのだよ。
岩塩温泉、オリーブ温泉、蜂蜜温泉、空気振動温泉。
その一つ一つに感嘆させられたのだが、一番は…
やはりスライム温泉だな。」
『うん、一番はわかったよ。
エルデフリダに温泉饅頭の一つも買ってやってるんだよな?
まさかギャオーン状態のアイツを俺に押し付ける気は無いよな?』
「じゃあポール。
浴室に行こう!
驚くぞー♪」
『このディスコミュニケーション状態に十分驚かされているよ。』
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「じゃーん♪
用意したのは、何の変哲もない家庭用浴槽。」
『いや、とてつもなく金持ち仕様のバスルームなんだが?
変哲しまくってるんだが?
っていうか、何で既に湯を張ってるんだ!
え?
あの傷で風呂自慢の準備をしていたのか!?
アンタ頭沸いてんじゃねーのか!?』
「いやあ、首長国の嗜好品レベルは相当高いよな。
ほら、覚えてるか?
去年、我が国の業者が首長国業者に大衆店用グラスのシェア争いで負けた事件。
我々もうかうかしてられんよなー。」
『話聞かないオッサンは若者に嫌われるぞ~。』
「若者の話は聞くよ~。
若者から嫌われるのは怖いしな。」
『一応、俺の方が年下なんだから
俺の話も聞けよ。』
「?
聞いてるが?
臨時フードスタンプ法案、ちゃんと通してやっただろう?」
『アンタ、自分にとって都合のいい話しか聞かないからなあ。』
「そうか?
私はオマエの主張は全てにおいて聞き入れているつもりなのだが。」
『たまには嫁の言い分も聞いてやれよ。』
「ほら、見ろ。
このモコモコした部分、まるでスライムだろう!
湯船に浸かったら驚くぞー?
あ、そうだ!
オマエ、次のエッセイの題材はスライム風呂にしなさい。
そうだ、それがいい。」
『…聞けよ、全てにおいて。』
「うんうん、聞いてる聞いてる。
覚えているか、ポール。
2人で下水道潜ったよなあ。
いやあ、あの時のスライム退治は本当に痛快だった。
今度、ちょっとだけ覗いてみないか?」
この男は幼少の頃から非常に老成しており。
幼稚な俺から見れば雲の上の人間だったのだが。
感性が一周したのか、最近本当に子供っぽい行動を取るようになった。
何せ世界を滅ぼそうとしているからな、まるでガキだ。
『よっこらしょ。
ああ、確かにスライムだな。
キモ気持ちいい。』
「だろう?
私もあの触感には衝撃を受けた。
隣、失礼するぞ。
む!
痛たたた。」
『ってその傷で湯船はやめろって!
エクスポーションと言っても万能薬じゃないんだぞ!!』
「そうだな。
湯船は止めておこう。
あー、染みる。
ん?
今気づいたが、意外に傷が大きいな。
これ、祭祀用の正装が着れないかも知れない。」
『…そりゃあ、胸にそんな大傷。
今時ヤクザや冒険者でもそんな奴いないぞ?
アンタ青年部長だろ?
これから先セレモニーとかどうするんだ?』
「ん?
まだ言ってなかったか?
私、理事会入りが正式決定したから。」
『マジ!?
理事会って40代で入れるものなのか?
50代でも殆ど見掛けないぞ!?
…まあ俺には関係ないけど、一応おめでとう。』
「ん?
オマエに関係あるぞ?」
『ん?』
「次の青年部長にはオマエを推薦しておいたから。」
『………。
ちょ!!
て、テメーッ!!!!!』
「はっはっは。
素敵なサプライズになったな。
喜んでくれて私も嬉しいよ。」
『いっつもいっつも勝手な都合で俺を振り回しやがって!!!』
「うむ。
そのリアクション。
流石は私の見込んだ男だ。」
『迷惑だって言ってんだよ!!!』
「うむ。
オマエのその感性、正しい。
素晴らしいよ、ポール・ポールソン。」
『まずは自分の感性を疑え!』
「まあ聞け。
そうやって人の話を聞かないのはオマエの悪い癖だぞ。」
『なあ、今度から聞き役は交代交代にしない?』
「ほら、ここ数年で私はかなりの役職を兼任しただろう?
そうしたらな。
一斉に皆が擦り寄ってきて、口々に後任への推薦を依頼して来るのだよ。
あれには辟易してしまってなあ。
オマエも酷いと思わんか?」
『いや、役職を独占しているアンタが一番酷いぞ、どう考えても。』
「それでな。
改めて思ったのだ。
役職というのは就きたがっている者を就けてはならない、とな。
むしろ富や権力の悪徳性を理解し嫌悪しているくらいの人物にこそ役職は与えられなくてはならない。」
…まあ、な。
そこは同感だけどさ。
下らない猟官野郎が多過ぎるんだよな。
坊主共も選挙で燥いでるしさ。
「来年の王国出張。
私の、いや自由都市の総決算だ。
生きて帰る事が出来れば、後は理事会入りの為の流れ作業となる。
その時にはオマエのステップアップも並行して行いたい。
産団連に入れ。
準備は私がしてやるから。」
『断る。
反吐が出るね。』
「祝儀も兼ねて祭祀用の正装もプレゼントしてやる。
今度、採寸に行こう。
貴族区の《テイラー黄金郷》、最近馴染みになってね。」
『正装を仕立てる予定はないんだが。
…衣装係はもう決めてあるんだ。』
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ああ、一点弁護しておこう。
この男、妻子と俺以外にはパーフェクトコミュニケーションを取ってくるから。
パーティーでの立居振舞とか、洗練され過すぎていて見たらビビるよ?
あの後、何種類かの風呂を楽しんでからスキルで風呂掃除をした。
(この物件は貴族向けの売り物だから当然だよね。)
案の定、ドナルド・キーンは妻子への土産を買ってなかったので、ポールソン家への土産を転用させる。
ポーラとエルデフリダでは香水の趣味が異なるのだが…
というか、あの2人は犬猿の仲なのだが…
いや、高い確率で(俺が気を回した事も含めて)バレそうな気もするが…
うーーーーん。
『なあ、家族団欒向けの入浴剤ってあるのか?』
「おお、あるぞ。
この精神安定兼入浴剤だ。
主成分はダウナー系の麻薬だがな、はっはっは。」
この男は嫌がったが、キーン邸に訪問してダウナー風呂を準備し、キーン家の皆さんを強引に入れた。
ん?
どんな様子だったかって?
知る訳ないだろ。
幾ら相手が元請けファミリーでもそこまで付き合う義理はねーから!




