【清掃日誌18】 落書
突然、早朝に呼び出されたのだ。
余程の事件と思うじゃないか。
『はあ。
まあ、よくある落書きですね。』
俺の薄い反応が気に食わなかったのだろう。
居並ぶ重鎮達が口々に怒鳴りつけてきた。
「キミは事態の深刻さを理解していない!」
「これは体制への挑戦ですぞ!」
「帝国や王国のスパイの仕業かも知れない!」
「自由都市の自由が奪われようとしているだぞ!」
「犯人を絶対に逮捕しなけらばならない!」
「敵襲に匹敵する緊急事態なんだよ!」
中央広場に鎮座する巨大モニュメント《自由の女神像》。
言わずと知れた我が国の象徴であるが、この女神像が落書き被害に遭ったのだ。
厳密には、彼女が掲げる《自由は万人に!》の標語に悪意ある書き足しがされて…
《自由は千万ウェン!》
と改竄されてしまった。
よくあんな高い場所に登ったね。
流石に感心するわ。
確かに早朝からお歴々が集まるくらいの強烈なインパクトがある。
いや、要職者だけではない。
こんな朝早くだと言うのに野次馬もかなりの数が集まってしまっている。
衛兵達は口々に「解散!」と叫ぶが、そもそもここは市民の共有財である公園である。
退去させられる謂れがないので、誰も立ち去らない。
それどころか、続々と公園に人が集まり、群衆が形成されようとしていた。
《自由は千万ウェン!》
我が国に住む者で、この皮肉が理解出来ない者は居ない。
国際社会に標榜している市民の自由とやら。
かつては国民全てが享受していたらしいが、自由競争の帰結たる現代社会では昔話になりつつある。
《年収1000万に加えて金融資産1000万。》
これくらいのカネを持っていなければ、自由を享受することが現実的では無くなっている。
下がり続ける賃金相場と上がり続ける物価指数。
このダブルパンチが労働者から自由のみならず、尊厳まで奪っているのが現状だ。
「まるで奴隷」
皆が口々に愚痴るほど、労働環境が悪化している。
建国理念である《自由は万人に!》は、今や空念仏に過ぎないのだ。
集まった群衆が真剣な表情でヒソヒソと密談を始めている。
幾人かの衛兵がヒステリックに解散命令を叫ぶが、返って来るのは昏い冷笑だけである。
群衆の最前列を占めるのは虐げられている人々。
車夫、馬丁、鳶、土工、丁稚、女中、そして最下層の清掃人夫。
その思い詰めた表情を見れば、彼らが日頃溜め込んでいる鬱屈の重みが嫌でも伝わってくる。
かなりマズい状況になったんだろうな…
これが帝国や王国の工作だとしても驚かない。
それくらいピンポイントに我が国の心理へダメージを与えている。
現在、享楽の限りを尽くした音楽祭が開催中。
但し、楽しんでいるのは金持ち連中ばかりで、その原資にしたって貧民から搾り取ったものだ。
売春イベントに散財する資本家階級、その裏で悪化する経済状況に苦しむ労働者階級。
《国民平等》を謳ってきた自由都市の現状が、明確に可視化されてしまった。
「ポールソン君。
君のご実家は清掃業だと聞いている。
大至急、あの落書きを消去して欲しい!
事態は一刻を争う!」
『あ、いえ。
弊社は公共事業免許を持っておりませんので。
申請はしているらしいんですけどね。』
「するよ!
この場で交付する!
産業局には私から指示しておくから!
早くあの妄言を洗い流してくれたまえ!」
『…妄言ですか?』
「妄言に決まっているだろう!
我が国では全ての国民に平等に自由が与えられている!
王国や帝国のような邪悪な専制国家とは違ってね!!
それをまるでカネで権利が制限されているかのような悪質な誹謗中傷!!
こんな酷いプロパガンダは到底容認できないよ!
違うかね!?」
よく分からないが、目の前の老人は評議会のメンバーらしい。
後から聞いた所、金融業・不動産業を営んでいる大富豪とのこと。
ムキになる気持ちも解からんでもない。
まるで自分が国家から批判されているような気になっているのだろう。
いつの間にかお歴々が俺を囲み始める。
実家が《清掃業》と聞いて藁にも縋りたい気になったのだろう。
…普段、散々差別している癖に。
「臨時予算を出すから!早く人夫を集めたまえ!」
「清掃作業員くらい、幾らでも集まるだろう?」
「1人2万もくれてやれば喜んで作業するのではないか?」
「最優先だ! 他の施設での清掃作業は中止! こちらに全員回せ!」
ここまでパニックになるものなのか?
大の大人が顔を真っ赤にして絶叫している。
あまりの剣幕に言葉も出ない。
後から聞くと、俺を囲んだお歴々は皆が多かれ少なかれの資産家だったようである。
(というか選挙資金に数十億を費やせなければ、そもそも評議員になれないものだそうだ。)
落書きが図星だからこそ許せないという訳だ。
ブラウン商会の馬車も到着して、ジミーが降りて来る。
老人達と面識があるらしく、挨拶がてらに彼らを宥めてくれた。
「期待の星でゴザルなw」
耳元でジミーが囁く。
『ウンコをする時だけ便所紙は感謝されるのさ。
流した後は見向きもされないけどね。』
ジミーは肩をすくめ、口元を隠して笑った。
「あのスキル、使わないでゴザルか?」
『…だって弊社。
公共事業免許なんて持って無いもん。』
「くくく。
ポール殿は最高でゴザルな。
これからどうします?」
『帰りに居酒屋でも寄ってこうぜ。
労働者向けの店なら早朝から空いてるだろう。』
「くくく。
合点w」
ジミーは馬車と従者だけを返し、お歴々を言い包めて俺の後に続く。
「ちょっとお!!
ポールソン君!
それで! 作業はいつから着手してくれるの!?」
1人の評議員が走って来て俺の肩を鷲掴みにする。
参ったな。
「ゴールドマン議員。
ポールソン専務は貴方の部下でも何でもありませんよ?」
ジミーがやんわりと諭すと、評議員は頬を紅潮させ、無言で手を離した。
「身体を掴んでしまった事は謝罪する。
冷静さを失っていたのだ。」
『いえ、お構いなく。』
「だが、ポールソン君。
君にはこの国難に対処する義務があるぞ!」
『ぎ、義務ですか?』
「当然じゃないか。
君はキーン派の幹部だろう!
なら現在の執行部とは、広義では同一の派閥と認識せざるを得ない!」
『は?
キーン派?
幹部?』
「とぼけても無駄だよ!
皆が知っていることだ!
ブラウン君、君もキーン派だったよね?」
「ああ、失礼。
私はポールソン派に属しておりますので。」
「なるほど。
既にキーン体制を支える為の派閥も形成済みと言う訳か。
なら話が早い。
これは政治だよ。
我々は志を同じくする仲間という訳だ。
落書き問題。
当然、君に一任させて貰うよ!
安心したまえ。
上手く処理してくれた暁にはキーン社長へポイントを割り振るから。
悪いようにはしないからね。
じゃ、任せたから。」
評議員は俺の肩を馴れ馴れしく叩いて去っていく。
隣でジミーが必死で笑いを堪えている。
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「幹部殿ォ。
いい加減機嫌を直して下さいよぉ。
この店は拙者のオゴリでゴザルからww」
『激安居酒屋でそれを言われてもな。』
まあ、高い店で奢られるのは苦痛だ。
さっきの話ではないが、政治的な意味が生じてしまうから。
ジミーは賢いので、相手に負担を掛けないように接待する。
場慣れしている所為かなぁ、コイツ年々洗練されてきてるよな。
「で?
スキルは使わないでゴザルか?
アレを使えば金貨1枚で解決でゴザロウ?」
『銀貨1枚で十分だ。』
「ふふふ。
でも使わない、と。」
『我が国の憲法では言論の自由が保障されているからな。
落書きの除去が違憲ではないと憲法審議会が決断を下したら
スキルの使用を考えてやっても構わないよ。』
「っぷw」
何がこの男の琴線に触れるのかは理解出来ないのだが
昔から、俺が幼稚で青臭い言動をする度にこのゴザル男は喝采し、実際に助け舟を出してくれる。
俺はオマエの専属ピエロじゃないっつーの。
「それにしても、すっかりキーン派でゴザルな。」
『否定すればするほど、あの男の仲間扱いされるんだ。
やってらんないよな。』
「奥方様のショッピングにまで同行していると聞きましたぞ?」
『荷物持ちに使われてるだけさ。
…まあ、子分扱いされても仕方ないか。』
…実際。
あの男とサシ飲みする機会も増えたからな。
キーン不動産の社員さん達も、往来でにこやかに手を振ってくれる。
あの男が出張している今なんかは、すっかりエルデフリダ用の精神安定剤だ。
世間が俺をドナルド·キーンの家来か何かと誤認しても仕方ないよな、
「ボール殿はこれからどうするでゴザルか?」
『別に。
家に帰ったら父さんに報告するよ。
高所作業車をレンタルして。
危険手当を欲しがってる社員で臨時シフトを組んで…
気は進まないけど、現場には俺も同行する。
あ、銅像の磨き上げも提案するつもりだからさ。
コーティング剤のチョイスをお願いしていい?』
「承知♪
大至急、薬剤カタログを取って来るでゴザルよ♪」
『なんか、随分嬉しそうだな?』
「嬉しいでゴザルよ。
この晴れ舞台にポール殿がどんな傾き方をしてくれるか!
ワクワクが止まらないでゴザル♪」
くっそ、他人事だと思って楽しみやがって。
まあ、いい。
オマエには普段から世話になってるからな。
特等席で見物させてやるよ。
==========================
『高所作業車が出せない、とは?』
「ああ、いえ。
出せないという訳ではないのですが、殆どの車両がメンテ中でして。
それに現場を見ない事には、どのタイプの車両を回せば良いか見当が付かんのです。
ああ、それと。
公園に人が集まり過ぎてます。
馬が怯えますし、事故でも起きたら大恩あるポールソン社長にご迷惑が掛かってしまいますので。」
眼前の老人は俺と目を合わせないまま、早口でまくし立てる。
ここは㈱スノーデン車両。
弊社とは長年の付き合いだし、俺もこの老主任には彼がヒラの馬丁であった頃から可愛がって貰っていた。
普段は快活で仕事熱心な人物なのだが、今日に限って歯切れが悪い。
『いや、こちらも無理強いする訳ではないですよ。
ご迷惑なら…』
「あ、いえ!
ポールソン社長にはお世話になっておりますので、お力になりたいのは山々なのですが…」
老主任の気まずそうな、それでいて意志を秘めた口調を眺めているうちに、嫌でも言外に込められた本音を悟らされる。
朝の落書事件。
もう広まっているのだ。
それも労働者階級の間で…
老主任は、出来れば消したくないのだろう。
せめて除去を少しでも遅らせたい。
彼の態度が如実にそう訴えている。
俺はスノーデン車両の安月給に関する噂を思い出す。
「申し訳御座いません。」
『いえ。
プロが判断されたという事は、高所作業車の使用は難しいのでしょう。』
老主任は無言で俯く。
わかるよ。
弊社も高所作業を請け負って来たんだから。
あんな銅像なんかより、もっと大きな備蓄用サイロを清掃したばかりだしね。
『まあ、たかが落書きでしょ。
そんなに急ぐ必要は無いと思うけど。』
俺がそう言うと、老主任はハッと驚いた表情になり、俺を見上げた。
ああ、彼にとっては意外な答えだったのかもな。
俺もきっと向こう側に分類されていたに違いないから。
途中、スノーデン社長がやって来たが、俺は老主任に話を合わせて、高所作業車の使用リスクを大袈裟に伝えた。
最初怪訝そうな表情だったスノーデン社長も、上手く丸め込まれてくれたようだ。
…俺以上に現場を知らない男だからな。
去り際に老主任が雇い主の目を盗んで俺に感謝の目線を向けて来た。
…悪いけど、俺はどちらでもないよ。
==========================
問題は翌日だった。
俺は音楽祭の経過報告を上げに行ったのだが、産業局の連中は報告書を手に取る事すらしてくれず。
「落書きはいつ消せますか!」
と問い詰めて来た。
俺が呆気に取られていると、どんどん役人達が集まってきて、遂には局長まで登場する。
オイオイ、まさか局長クラスと口を利く日が来るなんて思いも寄らなかったよ。
まるで犯罪者でも扱うように手首を握られるのは、更に想定外だがな。
「キミぃ!
進捗どうなってるの!?
落書きはいつ消えるんだ!!」
物凄い剣幕である。
手首が痛いから離して貰えるかな。
『立地的に困難なので、作業員の安全を十二分に確保してからですね…』
「さぎょ!!」
局長は一瞬激昂しかけてから、慌てて言葉を飲み込んだ。
我に返ったのか、手首からも手を放した。
しばらくの沈黙があった後、局長は短く
「頼んだよ。」
と呟いて去って行った。
…わかるよ。
「作業員の安全なんてどうでもいい!」
そう言い掛けたんだよな?
オマエラから見た清掃作業員なんて人間以下の消耗品だよな。
別に怒らないさ。
今更、軽蔑も失望もない。
親の代から散々浴びせられて来たからな。
寧ろ、出しかけた言葉を恥じた貴方に敬意すら抱くよ。
==========================
俺はプラプラと公園に向かう。
わざとゆっくり歩いてる訳じゃないよ?
別に時間稼ぎしてる訳じゃないよ?
まあ、そう見られても仕方ないけどさ。
野次馬に混じって銅像を見物。
資本家も労働者も皆が食い入るように銅像の落書きを睨みつけている。
《自由は千万ウェン!》
素晴らしいな。
労使がここまで一体となったのは、建国以来初の壮挙ではないだろうか?
いやあ、壮観壮観。
持つ者も持たざる者も、皆が申し合わせたように一点を凝視している。
《自由は千万ウェン!》
天上におわします建国の元勲達よ、見ておられますか?
貴方達の唱えた挙国一致の理念は幾星霜を経てようやく実現しましたよ。
…最も皮肉な形でね。
「…兄貴、兄貴。」
誰かに呼び掛けられて、不謹慎な思考から引きずり出される。
『ん?
おお、ニックじゃないか。
久しぶり。』
この少年は港湾区のニック。
俺の飲み友達だ。
「なあ、ひょっとして。
銅像の掃除、兄貴の会社が請け負うのか…」
『頼まれただけだよ。
行きがかり上の話さ。』
「…。」
『ん?
どうした?』
「いつもお願いばかりしてしまって、本当に申し訳ないんだけど。」
『?』
「ど、銅像の掃除。
も、もう少しだけ待って貰う事は出来るかな?
いや、待って欲しい。」
『うん、わかった。』
「多分、急がされ…
え?
い、いいのか?」
『だって、そんなに真剣な顔で頼んで来るって事は
正当な理由があるんだろ?』
「い、いや!
兄貴は役に就いたって聞いてるぞ!
早く消さないと怒られるんじゃないか?」
『ああ、さっき囲まれてきたトコ。
ほら見て、手首に跡が付いてるだろ?』
「え!?
凄い跡が付いてるじゃないか!?
これ、誰にやられたんだよ!?」
『ナントカ局長。
名前忘れたけど。』
「…兄貴、すげえな。
局長と話せるくらい出世したのか。」
『粘着されただけだよ。
まるで犯罪者みたいな扱いだった。
って、本当だ。
手首腫れてる。
あのオッサン滅茶苦茶だな。』
「ご、ゴメン。
兄貴に迷惑掛かってるみたいで…」
人が多かったので、ニックを連れて昨日の居酒屋に向かう。
官庁に近い所為か良い食材を使っていたからな。
その割に激安なのは、競争が激しいからだろうか?
微妙に酒が高いので、激安の肴で集客して酒で利益を稼ぐビジネスモデルなのかも知れない。
なーんで、この食材が港湾区に流れないかね。
『折角、この辺まで来てくれたんだ。
御馳走させてくれよ。
もう少し高い店でもいいんだけど。
逆にニックが嫌がるかと思ってさ。
昨日もここに来たんだけどさ。
《モツ煮込み》と《チーズ詰めピクルス》この2つはレベル高かったよ。
あ、内臓系苦手だったっけ?』
「兄貴…」
『すみませーーーん。
エール(大)を2つ、サラミ盛り合わせとチーズ詰めピクルス下さーーい。』
「兄貴!!」
『ん?』
「何で聞かないんだよ、落書きの話!」
『ん?』
「いや、だから!
港湾区民の俺がこんな所に居て!
兄貴に頼み事してる時点で不審だろうが!」
『あんまり大声出すなって。
騒がしい店に連れて来た意味がなくなるだろ。』
「…ゴメン。
兄貴も意外に考えてくれてるんだな。
…あの落書き。
知り合いのグループの奴らなんだ。
世話になってる先輩達でさ。」
『ふーーん。
まあ、貴族区の貴族はあんな落書きしないだろうしね。』
「…もっとちゃんと怒れよ!」
『え?
怒るって、何に?』
「事件にだよ!
俺にだよ!」
『あ、うん。』
「前から思ってたけど。
兄貴って少しズレてないか?
そんなので役職が務まるのかよ?」
『あんまし務まってないと思う。』
「だろうな。」
『俺は真面目にやってるんだけど、世間がズレてて困るんだよ。』
「…まあ、そういう一面もあるにはあるんだろう。
それ、俺以外の前で言っちゃ駄目だぞ。」
『あ、はい。』
「兎に角だ。
治安局も動きだしたって聞いてる。
だから、先輩達は貨物艇に乗せて地方州に逃がした。
捕まったら殺されるかも知れないからな。」
《殺されはしないだろう。》
と言いかけてやめる。
逮捕されたら、何のかんの理由を付けて殺されるだろうから。
「ただ。
こんな大事になってしまったけど。
俺は先輩達のやった事が悪い事だとは思ってないから。」
『まあ、たかが落書きだしな。』
「そこは叱責する場面だろう!」
『ええ?
何で俺が怒られるの?』
「俺や先輩は若造だからいいんだよ!
ヤンチャもするし悪さもする!」
『お、おう。
程々にね。』
「でも兄貴は来年40歳だろう!
もっと社会化しろよ!!」
『うん、いつも皆から同じこと言われてる。』
「音楽祭の実行委員になったんだって?
俺、よくわかんないけどさ。
実行委員を務めあげたら、区の議員になれるって聞いたぜ?
出世のチャンスじゃねえか。
もっと大事にしろよ!」
『それも皆に言われた。』
「姉さんが喜んでるんだよ。
ポール兄貴がチャンスを掴んだってな。
俺、本当は兄貴と会うこと禁止されてるんだ。
出世の邪魔になる、ってな。
あんなに嬉しそうな姉さんを見たのは久しぶりだからさ。
黙って従ってたよ。」
『考えすぎだよ。
あんなもん、下らない売春イベントだろ?』
「兄貴!
今の発言はマズい!
立場を考えろよ!
誰かに聞かれたらどうするんだ!」
『うん、ゴメン。』
「頼むよ。
少しは大人になってくれよ。
俺だって親より年上の人間にこんな事言いたくないんだよ!」
『あ、はい。』
冷静に考えると、《兄弟》と言うより《親子》の年齢差なんだよな。
俺とニックって…
「話が逸れたな。
落書きの話だ。
アレ、見たがってる奴が多いんだ。
面白半分じゃなくて、みんな結構マジだ。
区を跨いで労働者同士でちゃんとした話し合いも始まってる。
だから…
兄貴に迷惑が掛かるかもだけど…
もう少し残してくれ。」
『だから、いいよ。』
「アンタは軽いんだよ!
もっと真剣味を持てよ!」
…やれやれ、みんな真面目だね。
「話はこれだけだ。
俺は一旦帰るよ。
仲間に状況を説明しなきゃだからな。
しばらく兄貴とも会わない。
流石にこれ以上迷惑掛けられないから。」
『あ、そう言えば。
ナナリーさんは元気してる?
前に送った粉ミルクもそろそろ切れる頃じゃない?』
「今、そういう状況じゃねーだろ!!
治安局が動いてるんだぜ!!」
『うーーん。
俺にとっては下らない落書き騒ぎなんかより、ニックの方が大事だからな。
あ、食料品の値上がりって止まった?』
「少しマシになってるよ。
フードスタンプも配られ始めたしな。
なあ、アレって兄貴が動いてくれたんだろ?」
『買い被り過ぎだよ。
どこぞの不動産屋の働きかけって噂だけどな。』
「…どうせ兄貴の知り合いなんだろ。
礼を言っておいてくれ。」
…あんな奴に謝辞を述べるのは癪だな。
==========================
どうやらズレていたのは世間ではなく俺の方だったらしい。
港湾区でも落書きの話題で持ちきりだった。
それどころか
《自由は千万ウェン!》
の落書きが、あちこちの壁に書き込まれている。
『…。』
「工業区や商業区もこんな感じだから。」
『そっか。』
「…地方州にもこの話を広めようとしてる、って言ったら怒るか?」
『…ニックが危ない橋を渡るのは嫌だな。
ナナリーさんが悲しむだろ。』
「なあ、兄貴。
…もしも俺が治安局の連中に殺されたら、姉さんを」
『馬鹿なこと言うなよ!!!』
「もしもの話だよ!!!」
『そういう仮定が出る時点で、もうこの話にかなり乗ってるんだろ?』
「…かもな。」
そんな遣り取りをしていると、巡回中の治安局員を見かけたので会話のトーンを落として裏路地に入る。
「治安局は工業区か港湾区の仕業だって目星を付けている。
まあ図星なんだけどさ。」
『確かに、パトロールって雰囲気ではなかったな。』
「先輩達が逮捕されたら…
逃亡を手伝った俺も連座かもな。」
『じゃあその時は俺がニックを逃がすよ。』
「馬鹿なこと言うなよ。
人間、年齢相応の振舞をするべきだと思うぜ。」
『おっさんが友達を助けたらダメかな。』
「駄目だ。
法律を遵守して、立場を死守しろ。」
『歳は取りたくないねえ。』
勝手知ったる港湾区。
随分知り合いも増えた。
屑野菜を売っていたゴブリンの老婆と再会を喜ぶ。
懲りずに野菜製造の再開を企てているようだったので、正規の手続きが可能かを調べてやる事を決める。
どうせまた産業局の連中に呼び出されるから、その時にでも聞いてみるか。
『こんにちはー。』
俺が顔を出した瞬間、ナナリーさんとニックの口論が始まる。
反応に困るので遠巻きに『まあまあ』を連呼する情けない俺。
ニックはどこかに飛び出してしまう。
オイオイ、シンママと2人きりにするなよ。
「いつもいつも弟が御迷惑を掛けてしまい…」
『友達同士ですし。
別に迷惑とかそういうのは。』
幼少の頃から、あの不動産屋夫妻に甚大な迷惑を延々と掛けられているからな。
それに比べれば可愛いもんだよ。
赤ん坊をチラ見したが、血色が少し戻って来ているようで安堵する。
俺の目線に気付いたナナリーさんが粉ミルクの礼を述べて来た。
『これ、そろそろミルクが無くなる頃かな、と思ったので。
あと、そっちは栄養ドリンクです。
早く物価下がるといいですよね。』
「こんな高価な物ばかり受け取れません。」
『自分用に買ったら、たまたま余っちゃったんですよ。
置き場もありませんし、消化を手伝って貰えれば幸いです。』
「…。」
『じゃあ、弟さんの所へ行ってきます。
どうせいつもの溜まり場でしょうし。』
これ以上俺が居ると、この人また泣いちゃうからね。
さっさと退散するに限るよね。
==========================
雑貨屋の前でいじけていたニックを回収し、2人で港湾区をプラプラ歩く。
『なあ、少し失業者増えてないか?』
「わかる?」
『いや、求人票の前に並んでる人数が明らかに増えてるからさ。
今って軍需あるだろ?
リゾートハーバーじゃ人手不足だったし。
どうして失業が増えてるの?』
「まともな給料払う会社が減ってるんだよ。
兄貴だって道路工事を日給4000ウェンじゃ請けないだろ?」
『4000?
え?
そんなのじゃ人が集まらないだろう?』
「うん。
昔に比べて、ちゃんとした日当払う会社が減ったからさ。
そういう会社の仕事を皆で取り合ってる。」
聞けば、魔界から労働者を入れた事が全ての始まりだったらしい。
安い人件費の旨味を覚えてしまった経営者たちは、真面目に給料を払うよりも、産業局にロビー活動を行って魔族労働者の就業範囲を広げる事を試むようになった。
勿論、政府当局は慎重な姿勢を崩さないが、一部の資本家グループが積極的な攻勢を掛けている。
現在、労働者階級が恐れているのが鉱業へのゴブリン労働者参入の噂。
なるほど、元々地下種族で暗視に優れたゴブリン達を鉱山に投入出来れば、更なる効率化が可能だろう。
鉱業経営者たちは表向き噂を否定しているが、どうも水面下で話が進んでいるフシがあるそうだ。
兎に角、賃下げ材料のバッドニュースばかりが労働者の間で出回っている中で、贅美を尽くした音楽祭が始まった。
これが完全に火に油を注いでしまったようなのだ。
寧ろ落書き程度で済んでいるこの現状こそが、我が国の穏健性を証明している。
「ちなみに。
同僚のゴブリンに聞いたんだけど。
鉱山労働へのアンケートが出回ってるらしい。」
『そうなんだ!?
でも、元々は港湾作業限定って契約だろ?』
「ゴブリン達は、本音では荷運びよりも採掘をしたがっている。
実際アイツら優秀なんだよ。
ここだけの話な?
今、下水道敷設の為の地下作業はゴブリンがやってる。」
『え!?
そ、それは流石に協定違反でしょ!?』
「だから、作業員名簿だけは人間種の名前を書いて
その個人的なアシスタントの名目でゴブリンが作業するんだよ。
っていうかコレ、俺達の間じゃ暗黙の常識だぜ?
もしかして兄貴、知らなかったのか?」
『あ、いや。
初耳だよ。』
「兄貴は清掃会社だから、そういう情報詳しいと思ってたよ。
言葉足らずだったらゴメンな。」
『いや、俺の勉強不足だ。』
「俺も作業見せて貰ったけどさ。
アイツら狭い穴にも器用に入っていくし、俺達からすれば真っ暗闇の中でも普通に見えてるらしくて
明かりも付けずに素早く掘り進んで行くんだ。
そもそもアイツら、歴史的に地下で暮らしてた期間の方が長いらしくてさ。
魔界でも田舎のゴブリンは、一生地下で暮らす奴も珍しくないんだってさ。」
『…ああ、そんな連中なら。』
「うん。
滅茶苦茶鉱山作業に向いてる。
俺が鉱山を経営してたらさ、やっぱり人間種を全員クビにしてゴブリンを雇うんじゃないかな。
…わかるだろ?
俺達が焦る理由。
怖いんだよ。
どんどん給料が減らされて。
足元を見たふざけた求人票ばっかり増えてさ。
物価は全然下がらないし…
労働条件はどんどん悪くなって…
今じゃ奴隷みたいに扱われてる。
それなのに!!
それなのに金持ち連中は音楽祭ではしゃぎやがってさあ!!!
…ゴメン、兄貴を批判してる訳じゃないんだ。」
『いや、正当だよ。
ニックは何も間違ってない。
落書きも、褒められた事ではないけどさ。
何か逆効果になりそうな気もするけどさ。
…咎める気も湧かなくなった。
先輩達、無事に逃げ切れるといいな。』
「3人共、子持ちなんだよ。
まだどこも小さい。
奥さんたちはウチの姉さんともママ友でさ。
残った家族だけは何とかしなきゃ。」
『寡婦手当が降りるか調べておく。
受給条件とかあるから、家族構成聞いておいて。』
「…何から何まで恩に着るよ。」
『これに関しては行政システムに感謝してくれ。
癪だろうけど、資本家議員達が大真面目にこういう制度を作ってるんだぜ。
彼らは貧乏人から奪ったカネを中抜きしてから貧乏人に再分配する事を善行だと本気で思ってるんだ。』
「…給料下げるなって言っておいてくれ。」
『わかった。
約束する。
日当、幾らくらい必要?』
「前の物価で1万ウェン。
今の物価なら最低1万5000ないと生活出来ない。」
『2万って言っておくわ。』
「…無理だよ。」
『言っておくわ。』
「…ありがと。」
その後もニックと港湾区をブラブラする。
歩いている間にも、落書きはどんどん増えている。
少なくない数の人間が、壁に《自由は千万ウェン!》と書き殴ってから、猛ダッシュで逃げ去って行くのだ。
普通は落書きなんて中等学校くらいのガキの悪戯なんだけどさ。
明らかに俺より年上のオッサン達が思いつめた真顔で書いてるのね。
身なりからして失業者だろう。
たまたま目が合ったオッサンが遠くから
「文句あるか!!」
と叫んで来た。
ひょっとすると批判がましい目線を向けてしまっていたのかも知れないな。
気の利いた返しを幾つか思いついてしまったのだが、俺にそれを言う資格が無かったので黙って通り過ぎた。
オッサンも走ってどこかに消えてしまう。
「兄貴、ゴメン。」
『別にニックが謝る事じゃないよ。
彼だって、他に手段が無いから落書きしてるんだろ?
まあ、もう少し時間を稼いだら。
女神像の落書き消しとくわ。
3日も晒せば満足してくれる?』
「…スマン。」
『頼むから謝るなよ。
若者から申し訳なさそうにされたら、こっちが辛いんだよ。』
「ゴメ… うん、わかった。」
『港湾区にカネが落ちる方法、真剣に考えとくから。
新しい商売とか、気前のいい配給とか。
そういう話があれば必ず港湾区に誘致する。
期待せずに待っててくれ。』
「…その時は、俺や姉さんにも手伝わせてくれよ。」
『わかった。
力を借りるよ。』
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俺が数日チンタラしていたせいだろう。
業を煮やした当局が遂に軍隊を動かした。
これは苦渋の決断だったらしい。
そりゃあそうだろう。
《あの落書きは図星だから効いてます》
って認めたも同然だからな。
「ポールソン君!
君がもっと協力的な姿勢を取ってくれれば…
我々だって軍部への要請なんかしたくなかったんだよ!!
わかるよねえ!?」
『誠ニ遺憾デアリマス。』
「こ、これでこの問題が公の事件として記録に残ってしまうことになった!!
本当なら音楽祭の千秋楽に!!!
執行部の顕彰式を行う予定だったのに!!!」
『不徳ノ至リヲ猛省致シマス。』
「今からでもなんとかならんのかね!!!
国際社会が見ているんですよおお!!!!」
『前向キニ善処シマス。』
「ああ!!
軍の連中が到着してしまったぁ!!!
これでは執行部に統治能力が無いと言っているようなものだぁ!!」
…アホらしくなったので、偉いさんの列を無言で離れる。
大丈夫、音楽祭に来訪するような国際社会クン達はアンタら側の人間だから。
公金で女を買いに来るような連中の目を気にしても仕方ないだろうに。
兵隊さんの中に何人か義弟ロベールの同僚が居たので挨拶して労う。
ジュースの差し入れを提案するも、《部隊個々に対しての贈答は汚職認定される》と謝絶される。
議員個々への贈答を先に禁止するべきだと思うんですけどね、ハイ。
流石に我が国の工兵科は優秀であり、監視塔建設の要領で足場を組んで小一時間もしないうちに銅像に登りついてしまう。
それで消せるかと思ったのだが、どうやら特殊な工業用塗料で落書きされていたらしく、洗浄する事が出来なかった。
俺を目ざとく見つけた評議員が工業用塗料の洗浄方法を尋ねて来るが、最近物忘れが激しくどうしても思い出せなかった。
こう見えて結構いい歳だからね。
さて、俺も目ざとく相棒を探さなくてはな。
『なあ、ジミーよ。』
「どうなされたでゴザルか、ポール殿。」
『工業用塗料から犯人って割り出せるものなの?』
「割り出せるでゴザルよ。
それも一瞬で。」
『マジ?』
「アレ、十中八九船舶用の腐食防止塗料でゴザルよ。
弊社でも取り扱ってるから解ったでゴザル。」
『流石に天下のブラウン商会は手広いな。』
「港湾区の…
ドッグ船員の仕業でゴザロウなあ。
この時期は卸先も限られてますし…
塗料の型番さえ特定出来れば…
わー国の治安局なら日が暮れるまでには犯人の身元を突き止めてしまうでゴザル。」
『ック!』
「例によって感情移入でゴザルか?」
『ゴメン。』
「別に責めてないでゴザルww
頼むから謝らないで欲しいでゴザル。
年上が申し訳なさそうにしてたら、こっちが辛いでゴザルよ。」
『ゴメ… ああ、わかったよ。』
そんな遣り取りをしていると、評議員たちが治安局員を伴ってやって来た。
どうやら資材会社大手であるブラウン商会の御曹司の知恵を拝借したいらしい。
「あくまで私の見立てですが。
アレは王国で聖堂の修繕に用いられている塗料ですね。」
「ほう!?
王国の!?」
「ええ、あの反射加減はそれ以外には考えられませんな。
ほら、教団の尖塔も夕日に照らされると、あんな具合に光るでしょう?」
「た、確かに。
言われてみれば、そんな気もします!」
「王国では極めてポピュラーな塗料らしいですからな。
塗料から実行者を割り出すのはかなり困難でしょう。」
「流石ブラウン様。
捜査への御協力、感謝致します!」
「いえいえ、市民として当然の義務ですよ。」
「それでは!
くれぐれもお父様に宜しくお伝え下さいませ!!」
ジミーは笑って手を振る。
オマエ、その余裕を女に向けたらさぞかしモテるだろうになあ。
『何から何まで…』
「拙者ポール派の幹部でゴザルからぁwww」
…スマン。
「じゃあ、拙者の嘘がバレる前に証拠を隠滅して貰うでゴザル。」
『えー、ここで?』
「さっきのがバレたら、拙者が犯人隠避罪と逃亡幇助罪に問われてしまうでゴザル。
ほら、拙者が身体を張って死角を作るから。」
『まあ、アレは悪質だったもんなぁ。
…セット。』
じゃあ、女神様。
お身体を清めますから、御利益下さいねー。
願わくばモテモテハーレム欲しいです。
『清掃。』
当然、大騒ぎになる。
群衆も官憲も一体になって絶叫コーラス。
すげえな、音楽祭なんかよりよっぽど迫力あるよ。
また重鎮連中に粘着されるかと思ったが、この騒ぎなら立ち去っても問題なさそうだ。
ああ、ボルテージ上がる上がる。
どんどんヒートアップしてくるな。
いいのか?
今、演目中の劇場もあった筈だぞ?
「ポール殿ォ。
悪質にも程がありますぞ。
いい加減大人になりましょうよぉ。」
『それはもう、誠にゴメンナサイ。』
「謝るなら余計な事はしない。」
『はーい。』
「はいは伸ばさない!」
「はいはい。」
「はいは1回!」
『ハイッ(人を食った甲高い声)!』
女神が掲げるプレート。
先日書き足されたと思ったら、今度は文字数が減ってしまった。
《自由人》
そうだろ?
俺達は奴隷じゃない。




