私の素晴らしい人生
短編「姉が駆け落ちしましたので。」の後日譚になっています。
私はソフィア・ダンストン。ダンストン男爵家の一人娘で、両親からとっても可愛がられて育ちました。
そして、十五歳になった私は王立学院に入学するため、両親と共に王都にやって来たのです。
王都は、とても大きくて綺麗な建物がいっぱいでした。馬車の中から見る景色が珍しく、私はワクワクしていました。
「ソフィア。明日から、ちゃんと勉学に励みなさいね」
「そうだぞ、ソフィア。学院に通うのは一年だけだからな。その間にしっかり学んでおきなさい。まあ、お前なら心配ないけれども」
「もちろんよ、お父様、お母様! せっかく王都の学院に受かったんですもの。このチャンスを存分に活かして知識を身に付けるわ。将来の領地経営に役立つ知識をね」
「あなたは本当に賢く育ったわね。誇りに思いますよ」
お母様に褒められて、私は嬉しくてニッコリ笑いました。
辺境の男爵領で育った私は、本当なら王立学院に通うことは出来なかったの。だって、学院には寮などないし、我が家は王都にタウンハウスを持っていなかったから。
でも、アーサーおじ様のお家から通うことになったので、ノープロブレムです。だから今、おじ様のお家に向かっているのです。
アーサーおじ様は、お父様の古い友人なんですって。私のことをとても可愛いがってくれて、毎年誕生日にはたくさんの本を持ってお祝いに来て下さるの。
「お誕生日おめでとう、ソフィア。そろそろ、こういう本が読めるようになったかな?」
そう言って、前の年よりも少し難しい本を見せてくれます。
「ありがとう、アーサーおじ様! 去年の本もとっても面白かったわ。もっと分厚い本が読みたいと思っていたから嬉しい!」
おじ様はニッコリ笑って、頭を撫でてくれるので、私は幸せな気持ちになります。
一年に一度しか会えないけど、優しいおじ様が私は大好き!
それと、おじ様の姪であるリズと旦那さまのハリー、子供達のアンドリューとシャーロット、ルークも大好き。私の七歳のお誕生日の年から、みんなはおじ様と一緒に来てくれるようになったの。
アンドリューは今十三歳、シャーロットは十一歳、ルークは九歳のとっても可愛い子たちなのよ。一人っ子の私にとって弟妹みたいな感じ。みんなは王都に住んでいるから、これからはしょっちゅう会えるかもしれないわ。
あ、そろそろ着いたのかしら。馬車がスピードを緩めたわね。
「ソフィア、着いたぞ」
お父様に促されて馬車を降りた私は、しばらくアホみたいに口をポカーンと開けてしまったわ。
だって、おじ様のお家ったらものすごく大きくて立派なんですもの! 私のお家も領地内では一番のお屋敷なんだけど、ここに比べたらミニチュアハウスのように思えるわ(お父様お母様、ごめんなさい!)。
「やあ、よく来たね」
「アーサーおじ様!」
私はいつものようにおじ様に抱きつこうとしたけれど、寸前でハッと気がつき、優雅にお辞儀をしてご挨拶しました。
「ソフィア、随分とレディらしくなったじゃないか。これなら学院生活も大丈夫だな」
「ありがとう、おじ様。おじ様が私をこのお家に呼んで下さったから、学院に通うことが出来るようになりました。とっても感謝しています!」
おじ様はニコニコしながら、
「さあさあ、中へお入り。君の荷物はもう、部屋に入れてあるよ」
と仰いました。お父様は、昨夜私に言っていた通り、ここでお暇することを告げました。
「アーサー殿、それでは私どもはここで失礼いたします。王宮に行かねばなりませんのでね。ソフィアのこと、よろしくお願いします」
「ソフィア。アーサー様の仰ることをよく聞くのですよ。皆さまと仲良くね。一年間、楽しみなさい」
「お父様、お母様……」
私は急に寂しくなって涙がこぼれそうになったの。二人の乗った馬車が見えなくなるまでずっと見送っていたわ。
さて、そんな風に私の新しい生活は始まりました。アーサーおじ様と奥様のミレーヌ様、長男のウィリアム様と奥様のキャサリン様、次男のチャールズ様がこのお屋敷で暮らしています。皆さまとっても優しくて素敵なの! さすが、アーサーおじ様のご家族です。
翌日から学院生活もスタートです。学院の皆さまは王都に住んでいらっしゃる貴族の方ばかり。それに十三歳から学院に通ってらっしゃるので、最後の一年だけ編入してきた私は完全にアウェーです。でも、私の目的は勉強と人脈作り。すべては将来領地をきちんと経営していく下地を整えるためなのです。気合い入れて頑張ります!
「ソフィア・ダンストンと申します。皆さま、よろしくお願いいたします」
私はクラスの皆さまにご挨拶しました。
「ではソフィア、あなたは一番後ろの空いている席に座りなさい」
「はい、先生」
私が言われた席に向かって歩いていると、
「ダンストン男爵ですって。聞いたことないわ」
「南の方の田舎らしいわよ」
「じゃあ田舎娘ね。王都に馴染めるのかしら」
そんな声が聞こえてきますが、気にしない、気にしない。
席に座ると、隣の席の女の子が声を掛けてきました。茶色い髪をお下げにした真面目そうな子です。
「ソフィア、よろしくね。私はミア・タイラー。去年、地方から編入してきたの。仲良くしてね」
「よろしく、ミア! わからないことだらけだから、いろいろ教えてね」
私達は微笑み合いました。うん、いい子っぽい! 幸先の良いスタートです。
「ところで、」
先生が話し始めました。
「ソフィアは編入試験をなんと満点で合格した秀才です。うかうかしていると、首席の座はソフィアに奪われてしまいますよ。皆さん残りの一年、頑張って勉学に励むように」
急に教室がザワザワしました。こちらを向いてヒソヒソ言っている人も。
「ねえミア、首席って何なの」
「あのね、卒業の時に首席を取っていた人は王宮のパーティーに招かれるのよ。卒業したらみんな社交界にデビューするんだけど、いきなり王宮には行くことは出来ないわ。小さなパーティーで場数を踏んで、マナーを身に付けてからなのよ。だけど首席の人はすぐに招かれ、陛下にご挨拶出来るという栄誉が貰えるの。だから優秀な人はみんなそれを目指しているわ」
なるほど。私は自分が陛下にご挨拶しているところを想像しました。きっと、両親は私のことを誇りに思ってくれるはずだわ。よし、せっかくなら目指してみようじゃないの。私は秘かに心に誓いました。
私の学院生活は順調に過ぎていきました。ミアとは今では大親友です。ミアは地方の男爵家の一人娘で、私と同じく将来の為の勉強をするつもりでここに来たのだそうです。
「やあ、ソフィア。この間の試験も一位だったね」
お昼休みにカフェでお喋りしていた私とミアのところに、男子クラスのアレクサンダーが話し掛けてきました。親友のライナスも一緒です。
「あら、アレックス。今回は私の勝ちだったわね」
「二回続けて負けてしまったよ。次は、負けないからな」
「ふふ。お手柔らかに」
アレックスはいつも私と成績一位を争っています。彼が頑張るから、私も負けないように励んでいるのです。いいライバルがいてこそ、自分も高みに行けるもの。私は恵まれています。
四人で楽しく休み時間を過ごし自分のクラスに帰ってくると、公爵令嬢アメリアとその取り巻き達が嫌味を言ってきました。
「まったく、田舎の男爵娘達は、はしたなくて嫌ですわね」
「本当ね。男性と軽々しく話などなさって。浮ついていますわ」
「私達は、いずれ王族に嫁ぐかもしれない身分ですから、悪い噂が立たぬようきちんと生活しておりますのに」
私とミアは、また始まった、と肩をすくめて通り過ぎました。ミアが言うには、彼女達はストレスが溜まっているので私達のような田舎者をその捌け口にしているのだそうです。
「何のストレスなの?」
「アメリア達上位貴族は、勉強のために学院に来ているのではないのよ。だから入学試験も無いし、成績が悪くても落第はしないの。勉強を頑張るモチベーションは無いから普通は恋愛を頑張るらしいんだけど」
「うんうん」
「今、アンドリュー王子様が十三歳でね、まだ婚約内定者をお決めになっていないの。だから、もしかしたら内定者になれるかもしれないからと、親から恋愛禁止を厳しく言い渡されていてストレス半端ないみたい」
「ええー、歳下じゃないの、王子様って」
「二つくらい下なら許容範囲よ。どうせ正式な婚約は王子様が十八歳の時だもの。そしたら二十歳の令嬢と並んでもおかしくないわ」
そうなのね。でも十三歳といえばリズの長男アンドリューと(あら、王子様と同じ名前なのね)一緒の歳ね。うーん、まだまだ子供じゃない。婚約者として考えるのは難しいなあ。
「上位貴族って大変なのね」
「そうよ、ソフィア。私達、気楽な男爵で良かったわよ」
それから、瞬く間に月日は過ぎました。私はミアと一緒に同学年の下位貴族ネットワークを作りました。お互い助け合って領地経営をしていこうという算段です。これで人脈作りの第一段階はオッケーね。
そして、上位貴族の中にも私達と仲良くしてくれる方が出てきました。というのも、卒業が近くなり、社交界デビュー目前になっても王宮から何の打診も無いということは、もう望みはないだろうと皆さま王子様の婚約者になることは諦めたようで、上位貴族同士の婚約があっという間に増えたのです。ラブラブパワーは凄いです。幸せな人は他人にストレスをぶつけたりしないんだなあと実感しました。皆さんお幸せそうで何よりです。
そしてもう一つの目標、勉学の方は昨日、最終試験が終了しました。あとは結果を待つだけ。私は全力を尽くしましたが、きっとアレックスもそうでしょう。どちらが首席になっても、清々しい気分です。
来週、結果が発表され、その日の夜は卒業パーティーです。お相手のいる人は連れ立って参加しますし、いない人は一人で参加しても大丈夫です。ミアはライナスと参加するんですって。私は一人だけど、王都での最後の思い出だから参加します。
とても楽しい一年でした。王都はとてもキラキラして、素敵な所でした。でも私の帰る場所は、やっぱりお父様お母様のところ。懐かしい二人の元へ帰り、男爵家を発展させるべく頑張っていきます。
感慨深くもの想いにふけっているとアレックスがやって来ました。
「ソフィア、話があるんだけどいいかな」
「あらアレックス。いいわよ。ミアはライナスと先に帰ってしまったし」
「うん。あのさ……。来週、結果が発表されるだろう? 僕は、君か僕のどちらかが首席を取ると思ってる」
うん、そうね。私達二人はダントツの成績を取っているものね。
「僕が首席取れなくても、君が取れば嬉しい」
「アレックス、私もよ。あなたが頑張ってきたこと、私も知っているもの」
「だから、結果に関係なく、僕と一緒にパーティーに参加してくれないかな」
「?」
「君が好きなんだ。ずっとライバルだと思っていたんだけど、本当は君に認められたくて頑張っていたんだって気付いたんだ」
え、ええっ?
「君となら、お互い高め合う関係でいられると思う。どうか、僕の婚約者になって下さい」
私は予想もしていなかったことに驚いて何も言えなかった。
「僕のアピールポイントを言っておくよ。僕は三男だから、君の大切な男爵領に婿入りして、一緒に領地経営をしていくことが出来る」
それは、とても大事なポイントだわ。
「それに、小さいけど貿易の仕事も既に始めているから、男爵家の発展に寄与する自信もある」
ええ、確かに。あなたが仕事を始めたことも、それが順調に滑り出していることも知ってます。
私は、ずっと良きライバルだったアレックスの顔をじっと見つめました。男らしいキリリとした眉。彫りの深い顔立ち。それでいて優しいアンバーの瞳。出会った頃よりも大人の顔になっている気がします。今はとても真剣な顔つきをしているけれど、いつもは、大きな口を開けて、目がなくなるくらいの笑顔で楽しそうに笑うアレックス。そのギャップに完全にやられてしまいました。
「アレックス、ありがとう。嬉しいわ。私もあなたとならずっと笑っていられると思うの。よろしくお願いします」
そう言ってお辞儀をするとアレックスはいつもの笑顔に戻りました。私も嬉しくなって笑いました。なぜだか涙も出てきちゃったけど。きっと、嬉し涙なのね。
翌週、結果が発表されました。私達はなんと同点で二人とも首席になりました。こんなことは滅多にないそうです。私達は学院のみんなに祝福され、賞状を頂きました。
そしてその夜のパーティーではミアも私も珍しくドレスアップして、お互いの婚約者と参加したのです。とても楽しく、思い出に残る夜でした。
「ソフィア、よく頑張ったね」
パーティーが終わりお屋敷に帰ると、おじ様が褒めて下さいました。
「おじ様、私、本当に幸せな一年でした。おじ様のおかげです」
「ソフィアの頑張りがあってこそだよ。本当にいい子に育ってくれた」
昔のように頭を撫でて下さるおじ様。私は幸せ過ぎてどうにかなっちゃいそうです。
「来週の王宮のパーティーにはアレクサンダーのエスコートで参加するんだね。彼は三男とはいえ侯爵家の人間だから、陛下に婚約の報告もするといい」
「はい。お父様とお母様もパーティーに来て下さるから、アレックスを紹介することが出来ますわ」
「そうそう、パーティーにはリズとハリーも来るよ」
おじ様はそう言ってなぜかいたずらっ子みたいな顔でウインクしました。
「まあ、本当? 嬉しいわ。結局、この一年会う機会が無くて寂しかったんですもの」
「今年は二人とも忙しくてね。外国に行くことが多かったのだよ」
そうだったのね。アンドリュー達も寂しかったでしょう。私なんかが寂しいなんて言っちゃいけないわね。パーティーで会えることを楽しみにしておこうっと。たくさん、リズに聞いて欲しいことがあるんですもの。
いよいよ王宮でのパーティー当日です。私はアレックスと共に王宮に向かいました。お父様とお母様も一緒です。二人もアレックスをとても気に入ってくれました。今日のパーティーで陛下へのご挨拶が終わったら、今度はアレックスのご両親にご挨拶に伺うのでドキドキです。
王宮に着くと、あまりの豪華さにまたしても私はポカンとしてしまいました。おじ様のお屋敷よりもまたまた数倍も大きいのです。パーティーの会場もとても広く、入り口に近い席にいる私からは、一番奥の王族の方々のお顔は見えません。
「ねえアレックス、この沢山の上流貴族の方々の前を通って、陛下にご挨拶に向かうと思うと足が震えてしまうわ」
「大丈夫。僕がついてる」
そう言って微笑むアレックスに私は不意を突かれてドキッとしてしまいました。なんて頼りがいがあるのかしら。
パーティーが始まり、いよいよ私たちが陛下にご挨拶する番が来ました。
「それでは、本年度の王立学院卒業試験においての成績優秀者を紹介します。本年度は特に優秀な学年であり、二名の首席が出ました。アレクサンダー・クーパーとソフィア・ダンストン、前へ」
「はい」
私達はずらりと両脇に控えた貴族達の真ん中を、しずしずと陛下に向かって歩いて行きました。あまりにも距離が長く感じられ、永遠に陛下の元に着かないのではと思うほどでした。
ようやく陛下の御前に着き、私は正式なお辞儀をしました。すると陛下が優しい声で仰いました。
「二人とも、顔をよく見せておくれ」
私はゆっくりと顔を上げ、陛下のお顔を見ました。とっても優しそうなお顔立ちでいらっしゃいます。王妃様もお美しいわ。そして王太子様は…………
ええええええっ!?
ハリー! えっ、王太子妃様はリズ!?
どういうことーーーー!
私が慌てふためいているのを見て、リズは愉快そうな顔をしています。ハリーなんて、もう笑っちゃっています。まさか、二人が王族だったなんて。びっくりです。
その後のことはもう夢の中みたいで、よく覚えていません。
リズにハグされたり、アレックスのお父様にご挨拶したり、それから陛下に婚約の報告をしたり。たくさんありすぎてもう、頭がパンクしそうでした。
今は、おじ様のお屋敷に戻ってきて、部屋のベッドで休んでいます。お父様たちも今夜はこちらでお泊りになっています。明日、私と両親はいったん領地に帰り、婚約のための書類などいろいろ揃えてまた王都に戻るつもりです。おじ様は、私の部屋はこのままにしておくから、王都に用事があるときはいつでも使いなさいと言って下さいました。婚約期間中はありがたく使わせていただいて、アレックスとの結婚準備を進めたいなと思っています。
私は、本当に幸せ者です。優しい両親、素敵なおじ様、憧れのリズとハリー、親友のミア、そして愛しいアレックス。大好きな人たちに囲まれて、大好きな場所で暮らしていくのね。
私は、自分に誇りを持って生きています。人生ってなんて素晴らしいのかしら!!
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「アーサー叔父様、本当にありがとうございました」
エリザベスは深々と頭を下げた。
「こらこら、王太子妃とあろうものがそんなに軽々に頭を下げるものではないぞ」
「ここには誰もいませんわ。いつだって私はアーサー叔父様の姪っ子ですもの」
二人はにっこりと微笑み合った。
ソフィアの成長には皆驚かされていた。賢く、愛らしく、そして優しく。理想の女の子に育ち、今は一人の自立した女性へと変身しようとしているのだ。
「叔父様が助けて下さらなかったら、あの可愛い子が命を失っていたかもしれないと思うと、本当に感謝してもしきれません」
「ああなることは予測出来ていたからね。早めに手を打ったのだよ。兄一家があんなに早く亡くなったのは意外だったが」
ソフィアは、実はダンストン男爵夫妻の子供ではない。王太子妃エリザベスの姉、アナベルの生んだ子供なのだ。
王太子ヘンリーの婚約内定者であったアナベルは、正式な婚約が発表される前に他の男の子供を身籠り駆け落ちした。その責を負って父であるベンジャミンはウェルズリー公爵の地位を弟アーサーに譲り、ターナー男爵となって辺境に移った。
アナベルは金が尽きると男と共に父の元に転がり込んだが、夫とは諍いが絶えず、子供が生まれるとさらに喧嘩はひどくなった。アナベルは育児放棄をし、メイドのドロシーが近所の農婦を乳母として雇うことで赤ん坊はやっと命を繋いでいた。もちろん、その金はターナー家にはなく、アーサーがひそかに援助していたのだ。
やがてアナベルの夫は酒場の女と恋仲になり、帰ってこなくなった。プライドを傷つけられたアナベルはやがて精神を病んでいった。
アナベルを支えるべき母親ミラベルはいっさい娘に関わろうとしなかった。
そして、その頃地方一帯に流行った病に侵され、アナベルの父、母、兄があっけなく死んでしまった。
たった一人になったアナベル。しかし、それすらも彼女にはわかっていない。
アーサーはアナベルを暖かい地方の療養所に移した。彼女は鏡の中の自分を母ミラベルだと思い、子供の頃に戻ったようにいつも話しかけているそうだ。
赤ん坊は、公爵家で育てるとアナベルの娘だという目で見られてしまう。そこで、王都から遠くに住む、以前から懇意にしていたダンストン男爵にお願いすると、子供に恵まれていなかった夫妻は喜んで引き受けてくれた。
母アナベルに名前さえも付けてもらえなかった赤ん坊は、夫妻にソフィア(叡智、知性)と名付けられ、溢れんばかりの愛情を注がれて育った。
まだ彼女は自分の出生を知らない。アーサーとダンストン夫妻は、結婚までには彼女に話す心積もりでいる。ソフィアが会いたいと言えばアナベルにも会わせるだろう。全てはソフィアが決めることだ。
ダンストンの領地に加え、ターナー領もソフィアが受け継ぐことになるだろう。そしてアーサーは、ウェルズリーの血を受け継いでいるソフィアを支えていくつもりだ。
ソフィアの婚約者であるアレクサンダーはしっかりとした青年だ。クーパー侯爵も素晴らしい人物であり、姻戚関係を結ぶのに申し分ない。ウェルズリー公爵家が後ろ盾としてついていることがわかれば、尚のことソフィアを大切にしてくれるだろう。
そして一番の強みは、王太子妃の姪であるということだ。国王夫妻にも可愛がられている王太子妃の姪であることは、これからの人生に強力な武器を持っているに等しい。
「ソフィアには、幸せな未来が待っていますわね、叔父様」
「ああ、もちろんさ。これからもずっと」
これでシリーズ完結になります。読んでいただいた皆様、ありがとうございました!