面倒ごとはだいたい突然やってくる
寝ているときに突然アイデアが降ってきた作品です。運良く目が覚めたのでその場の勢いで書き上げました。お陰でお昼過ぎが怖いです。
ある日の休日。お昼のピークの時間が少し落ち着いてきた時間帯。待ちのお客様が一時的に切れ、店内にも空席が何席かでき始めていた。
そんな少し店員にも余裕が生まれた時間に彼女はやって来た。
(めっちゃ可愛い子来た)
店の入り口の扉に取り付けられたベルが、お客様の来店を店員たちに告げる。
たまたま扉近くにいた、大学生とおぼしき女性の店員が対応に向かう。
「いらっしゃいませ! お一人様でしょうか?」
お客様の対応をしていない店員の復唱を背に聞きながら、対応に向かった斎藤香苗は見事な営業スマイルを見せる。
彼女は時間帯責任者を任されるだけあり、飲食チェーン店の店員としては非の打ち所の無い所作で対応する。
「ええ」
一方新たに来店したお客様は、飲食チェーン店に来るには似つかわしくない雰囲気をまとっている女性だった。
顔に少し幼さが残っているものの、身にまとう衣服や佇まいの影響か、不思議と少女とは呼べない風貌をしている。
「ではお席にご案内いたします」
しかしベテラン店員である斎藤香苗は、内心を顔に出すこと無く対応を続ける。
もしこのお客様の対応を最近入ったばかりの女子高生、雨宮雫が取った場合には、その雰囲気に飲まれてしまっていたことだろう。
「こちらのお席にどうぞ」
ちょうど先ほど片付けの済んだ、二人掛けのテーブルへと案内する。
都合よく端の席だったこともあり、何人かの不躾な視線を遮る効果も生まれていた。
「ありがとう」
席に着いたお客様は、女性である香苗さえも惚れ惚れする笑顔で礼を言った。
(凄~い)
すらりと背が高くモデル体型であり、自身も一般的に見ては美人の部類に入ることを棚にあげ、お客様の見せた外向けの笑顔に、心の中で感嘆する。
「失礼します」
とはいえ、この程度で放心する香苗ではない。並のアイドル以上の容姿を持つと相手の笑顔で固まったりはしない。
香苗も釣られたのか普段よりも数段魅力的な営業スマイルを見せ、来店したお客様全員に提供するサービスのお水を取りに席を離れる。
良いものを見たためかいつもの営業スマイルが少し剥がれ、香苗目的に来店していた男性客の心を見事に釣り上げている。
お客様と違い遮るもののなかった通路で見せていたこともあり、多くのお客様に目撃されることになった。
このあと男性のお客様が座っていた席からの注文が増えたが、誰一人先ほどの笑顔を引き出せる者はいなかった。
「失礼します」
そんな店の男性客が醸し出す受かれた空気を無視し、サービスのお水を提供するために香苗が戻ってくる。
極力音を立てないようにテーブルに置く。音の小ささ、動作の淀みのなさが香苗の接客技能の高さを物語る。
「ご注文がお決まりになりましたら」
テーブル席に案内したお客様が自分を認識しているのを確認し、いつもより割り増しの営業スマイルを向ける。
その余波で何人かの男性客をノックアウトするが、香苗の眼中にはなかった。
「そちらのボタンでお呼びください」
テーブル席の端に置いてある、店員を呼ぶためのボタンに手を向けて告げる。機嫌がいいのか今日の香苗はキレキレである。
「すみません」
そんな店内の男性客をノックアウトしつつある香苗の顔を捉えながら、それを歯牙にもかけていない笑顔で香苗の注目を引く。
「はい」
お水を取りに行っている間に注文が決まっていることはよくあることなので、香苗も一度下がろうと重心を移しつつあったが、注文を取る態勢に移行する。
「今日は青葉翔という店員はいるかしら」
しかしお客様が求めたのは注文を取ることではなく、この店の店員の所在であった。
「え、はい、いますが」
名前を告げられて香苗は、今日一緒のシフトに入っているもう一人の時間帯責任者を思い浮かべる。
本来店の従業員の個人情報に関することを漏らすのは論外であるが、このお客様は近くを通った件の青葉翔に一瞬視線を飛ばしての確認である。
故に香苗は青葉翔の知り合いだと認識して、困惑しつつも返答した。
「では彼を呼んできてもらえる?」
が、続けざまに放たれた言葉には、さすがの香苗も予想外であった。
「は?」
高いサービス料金を支払う高級料理店ならばいざ知らず、この店はリーズナブルな料金が売りの飲食チェーン店である。店員を指名するようなサービスは行っていない。
それは来店するお客様も心得ており、店員を目当てに来店する人も祈りこそすれ、自分から指名するような人はいない。
ところが目の前のお客様は、さも当然かのごとく店員を指名してきたのである。
さしもの香苗もこれには思考が固まる。今までの経験から導き出される前提から外れる要求だったからだ。
人間誰しも予想外の事態には困惑するものである。
「彼を、呼んできてもらえるかしら」
だがそんなもの知ったことではないと、可憐なお客様は同じ要求を、強調する部分を変えて告げる。
(あ、あれ?)
まさかの切り返しに香苗も狼狽してしまう。謎のプレッシャーが自身に向けられているからだ。
そんなレアな香苗の姿を拝めた男性客は、今日この時間に来てよかったと心で涙を流していた。
「か、畏まりました~」
有無を言わせぬ、その迫力に負けた香苗はそそくさとテーブル席を離れる。
面倒なことは便りになる、同僚であり、後輩である彼に任せてしまおうと考えたのである。
「翔くん、なんか凄い可愛い子が呼んでるよ」
折よくホールから戻ってきていた青葉翔を見つけると声をかける。
「はあ? 今凄い忙しいんですけど」
訳のわからないことを言われたと言わんばかりに顔をしかめる青葉翔。キッチンとホールの両方で勤務できる彼は、今日はホール担当である。
イケメンに分類されるルックスを持つ彼は、ランチに来るマダムに大人気である。シフトの関係上、週に一回しか入れないが、その曜日の売上は週間で一番良くなっている。
「これ17番さんのミート!」
来店客が途切れたと言っても、全てのお客様の注文を通しきっていたわけではなく、キッチンはフル稼働中である。
ベテランアルバイターである松本当真が仕上げた商品を、席番号と同時に告げて出してきた。
メニューに載っている写真と同じように仕上げられたパスタに、松本の技量のほどがうかがえる。
「17番さん行きまって、何するんですか!?」
一番近くにいた翔が商品を運ぼうと動き出すと、香苗に腕を捕まれて阻まれる。
まだまだ忙しい時間帯である。業務妨害をしてくる先輩に、つい声を荒げてしまう。
「いいから」
しかし香苗はまったく気にした素振りを見せることはなく、翔の腕を引いてホールが見渡せる場所まで連れてくる。
その際に他のホール担当から、何しているんだコイツらという視線を投げかけられるが、香苗はお構い無しである。
「ほら、あれ」
顔だけ出して香苗の指差す方へと視線を飛ばすと、先ほど来店したアイドル顔負けのお客様が目に入る。
たまたまトイレから出てきた男性客が、そのお客様の座る席の前を通りかかったのだが、見事な二度身を披露してくれた。
「……」
見覚えのありすぎるその姿に翔は沈黙する。というか来店していたことも知っていたが、あえて無視して接客さえしていた。むしろ近くを通らないで済むように、他のホール担当に配膳を振ったりもしていたくらいだ。
「何となくだけど」
そんな翔の努力を知らない香苗は、翔の背後から告げる。
「あれは放置する方が面倒だと思うの」
そこらのチェーン店の常識で考えれば、知り合いだからといって一お客様に張り付けたりはしない。もちろん暇な時間のある時間帯ならば話は別だが。
しかし今は混雑時である。商品を運ぶ人員を厳選している場合ではない。知り合いに呼ばれたからと言って、ホイホイ向かうわけにはいかないのである。
がしかし、翔は彼女のことをよく知っている。出会ったのこそ最近だが、彼女の人となりを知るには十分な時間を一緒に過ごしていた。
「……そうですね」
故に諦観とともに言葉をこぼす。
「いってきます……」
幸いにも香苗が戻ってきたことで、ホールの回転が滞る心配も無くなってしまった。翔一人が拘束されても問題ない程度に落ち着いて来ているのもある。
「ご武運を~」
行きたくないと書かれている背中に向かって香苗が言葉を放つ。ホールでの姿と違い、気の抜けた仕草で手まで振っている。そう、香苗は本来ゆるい性格をしている女性である。
(おい止めろ)
わりと冗談に聞こえない言葉に翔の心はざわつく。あながち心境的には適した言葉だっただけに香苗を見る目は強くなってしまう。
「お待たせしました! ご注文はお決まりでしょうか?」
さして広くもない店内、一分もかからず到着してしまう。こんなにも店内とは狭かったのかと謎な考えをしながら、翔はマニュアル通りの言葉を紡ぎ出す。
「あなたが欲しいわ」
アイドルとは斯くやと言わんばかりのお客様は、同性すら魅了しかねない笑顔で、軟派師のような言葉を口にする。
翔の何とか捻り出した営業スマイルがひきつる。翔と親しい者ならこう言うだろう。あ、キレそうになってる、と。
「ご注文がお決まりになりましたら」
普段の彼からは想像できないような固い声と動作で店員を呼ぶボタンを示す。
「そちらのボタンでお呼びください」
先ほどまでピークで動き回っていた直後である。一種の興奮状態にある翔の沸点は低くなっている。いや、沸点近くまで上がっていた。
それにまだ忙しい時間帯である。やることは山ほどあるのだ。喫緊の問題として、下げられてきた食器で流しに山が出来ている。
あの調子ではキッチンに残されている盛り付け皿の残量も残りわずかだろう。そちらにも手を回さなくてはならない。あれが片付かないと仕事も上がれないのである。
青葉翔はけして仕事が好きなタイプの人間ではない。出来ればやりたくもないが、そういう訳にもいかない。
そしてやるべきことはきちんとやるタイプである。それを邪魔されるのは苛つく行為なのだ。ましてやこの状況である。
要するにキレかかっていた。そんな彼を初めて見たのか、からかってきたお客様はポカンと間抜け面を晒していた。それすらも様になっていたが。
(いったい何しに来たんだよ……!)
飲食店なのだからご飯を食べに来たと思いたい。しかし翔は彼女の出自を知っている。彼女の今までの言動を思い返しても、このような店で食事をするとは考えられなかった。
「すいません、一瞬バックヤードに下がります」
ホールから戻って一番近くにいた香苗に声をかけると一瞥すらせずに、バックヤードに向かう翔。
「は~い」
自分が原因であると自覚のある香苗は、理由を聞かずにスルーする。けして翔の怒気にビビった訳ではない。
「面倒臭ぇ時に来んなよ……」
人目の切れた空間に入った翔は心情を吐露する。自分の貴重品をしまったロッカーからスマホを手早く出すと、メッセージアプリを起動する。
『今忙しいから(茶番には)付き合えない』
推敲もせず、心からこぼれ出た言葉をそのままメッセージ記入欄に打ち込んで送信する。今は一秒すら惜しいのだ。
「はぁ、茜さんにも連絡入れとくか……」
彼女のお目付け役である女性にも連絡を入れることにした翔は、手早くメッセージを入力して送る。
『お宅のお嬢様がアルバイト先に急襲。至急回収されたし』
普段から彼女に絡まれた時に、ほどよく矛先を反らしてくれる人だ。これで何とかなるだろうと、翔は少し冷静さを取り戻す。
「はぁ、早く戻らないと」
通りすぎた時に目に入った食器の山に軽く引いた。さすがに女性のアルバイトに任せるのは気が引ける量だった。戻ったら食器洗いに籠ろうと決意する。
幸いホールから一人減っても大丈夫そうな程度には落ち着いてきていた。
「きゃあっ」
「お客様!?」
「大丈夫ですか!?」
バックヤードからキッチンに戻った辺りで、聞き覚えのある声の悲鳴と、これまた聞き覚えのある同僚たちの声が翔の耳に入ってきた。
「何だ……?」
一難去ってまた一難。翔は自分の気力ゲージがごっそり減るのを幻視した。
「何があったの……」
たまたまホールから戻ってきていて、近くにいた後輩である雨宮雫に状況を確認する。
「あっ、翔さん!」
後ろから声をかけられた雫は、振り返り翔を確認すると声をあげる。小柄な少女である彼女は見上げる形で翔を見る。
この状況に不安を感じているのか胸の前で指を組んでおり、その身長には不釣り合いな大きさの胸の形を歪めている。
翔はそれに一瞬目を吸われるが、すぐさま目線を雫の目に固定する。
「翔さんがさっきご注文を取りに行ったお客様が、お水の入ったコップを倒してしまったんです!」
そんな翔の視線移動に気づいているのかいないのか、ホールで起きた出来事を端的に説明してくれる。
原因は不明だが、香苗が向かったようなので心配はないだろう。
「何やってんだよ……」
思わず言葉がこぼれる。声が小さかったことで雫には聞き取れなかったようで、小首を傾げている。
大学でも何かと振り回してくれるが、わざわざバイト先に来てまで気を煩わせないで欲しいと翔は願ってしまう。
こちらの様子をうかがう雫に、気にするなと手を振ると追加の質問をする。
「拭くものとかは誰か持って行った?」
「はい、香苗さんが」
お客様が水を溢したときの対応を思い返し、実行できているか確認するも、問題はなさそうだった。
「はい」
急いで自分がすることはないと判断した翔は、お客様として来た彼女の今日の服装を思い出し、クーラーで冷えたお客様用に置いてあるブランケットを雫に手渡す。
「?」
それを受け取った雫は、なぜブランケットを渡されたのかわからず首をかしげて翔を見上げる。
翔はその可愛らしい姿に微笑をこぼしなから、ブランケットを渡した理由を伝える。
「このブランケットを持っていってあげて」
「え?」
雫の反応に、自分の言葉が理由の説明ではなく、行動の指示であったことに気づいた翔は、言葉をつけ足す。
「服、恥ずかしいかもしれないだろ?」
「ああ!」
彼女が着ていた服は、白色のワンピースだった。彼女にとても似合っている服ではあったが、水に濡れていたら透けてしまっているかもしれない。
幸いにも人目につきにくい席だったので、他のお客様から見られる危険性は少ないが、男である自分が持っていくのはアレだなと翔は考えたのだ。
「わかりました!」
翔の真意を理解した雫は、任せてくれと言わんばかりの返事をする。
「よろしく」
翔はその様子に癒されながら頼む。
「はい!」
翔の期待に応えるべく、雫はブランケットを抱えてお客様の元へと駆けていった。
小動物染みた雰囲気の雫はお客様、従業員問わず可愛がられており、翔も雫とシフトが同じ日は笑顔が多くなっていると影で囁かれている。
「大丈夫そう?」
そんな雫を見送ると、キッチンと繋がる品出し口から店長である岡本和也が声をかけてきた。
「はい。香苗さんが行ってますので」
香苗が対応している時点で翔は心配していなかったが、もうすでにもう一人のアルバイトの子はその場を離れており、雫もブランケットを渡して戻るように言われているようだった。
「了解。これ23番」
翔の言葉を聞いた岡本は仕上がっていた商品を出してくる。その影では松本が別の商品の盛り付けを行っていた。
もう少しで出来上がりそうなので待っても良さそうだったが、もう一人のアルバイトの子が戻って来るのが見えたのか、先に持って行くことにしたようだ。
「了解です」
ホールは少しざわついた雰囲気だったが、それも時間の経過とともに落ち着いていった。
件のお客様も二十分後くらいに家からの迎えが来たのか商品を注文することもなく帰っていった。
水場からその様子を見ていた翔だったが、また来るのかな、来るだろうなと諦観の思いを抱いていた。
もう少し落ち着いて、周りの目を気にして行動して欲しいと願う翔だった。
推敲とかあんまり出来ていないけど多目に見てください……。
そしてヒロインなのに頑なに名前が出てこなくて可哀想……。
名前考えるの難しく無いですか?
気を抜くと同じような響きの名前にしてしまう……。