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ありふれた自己表現

作者: 小夜寝草多

一部、自殺をほのめかす表現があります。ご注意下さい。

 時々こうして、都会の喧騒にまみれるのが好きだ。

 ギターを弾いて、曲を書いて、自分の在るべき場所で歌を歌うのは当然大好きだけれど、それは私の人生そのもので、あまりにも代え難い。趣味や息抜きと呼ぶのは憚られるくらい、私の中で膨れ上がってしまっていた。

 だから私は雑踏に包まれて、有象無象に紛れるのだ。

 今ここで、自分は個人名を持つ存在ではない。ましてや歌うたいなどでは在り得ない。

 通行人のひとりにすらなり損ねた、海のように蠢く大衆に溶け込んだ無価値。

 ジーンズにパーカー、キャップを被ったらもう、大量生産された『若者』の出来上がり。

 良い気分。

 親切である必要のない世界。

 人の少ない最寄り駅から、私にとっては大都会のコンコースに踊り出る。手すりにもたれかかって、大きな窓ガラスを背にして改札を眺めた。

 日が暮れてから一時間。冬が目前なせいもあって、まだ時刻はそう遅くない。

 学校帰りの大学生に。健全に仕事を終えたサラリーマン。

 お母さんに手を引かれてはしゃぐ子供の笑顔が眩しい。

 自分以外をたくさん見て、自身の人生が気にならなくなった頃、私は駅ビルを出た。大通り沿い、駅に接する歩道を一周するのを目標にゆっくりと歩く。

 高いビルばかりでネオン街と呼ぶには光は大人しくて、寂しくて、広大な景色のごくごく一部になれたようで、奇妙に心が浮足立った。



 ヴァイオリンの音。



 進む先に路上パフォーマー。

 肩肘張って勇む十代が多いこの街では珍しく、ヴァイオリンひとつでもって自己主張をする女性の姿があった。



 いいね。



 まばらな観衆には混じらず、少し遠巻きに耳を澄ます。ガードレールに軽く腰掛けて、スマホを取り出して適当にいじる。誰かを待つか、暇を持て余している学生にしか見えない筈だ。髪も短めにしている上キャップを被っているから、ともすれば女性だとも思われまい。

 聞き慣れない旋律だった。彼女のオリジナルだろうか。

 無関心を装って、鼻歌で自分勝手なメロディを付け足した。

 ちっぽけな、私の中だけの空想。

 いつかあの子も音楽の世界にやってきて、一緒に奏でる日が来るのかもしれない。彼女とまた出会って、一緒に曲を書いて、お仕事をできる時が。

 そんな未来を作っていたら、ヴァイオリンの音が鳴り止んだ。



 残念。もうちょっと早く家を出るんだった。



 人々の合間に奏者を拝見。

 十五、六。もしかすると更に幼いかもしれない。

 想像していたよりもずっと幼気な女の子は、惜しみなく送られる拍手に恥じらって微笑んでいた。何度も何度も、観客が皆去ってしまうまでお辞儀を繰り返す。

 彼女がヴァイオリンの手入れをしてケースにしまうまで、私もそこに残ってみた。

 荷物を持って一息吐いた女の子と、不意に目が合う。


 ぺこり。


 見られてたかな。

 私も小さく会釈をして、彼女と反対方向に歩き出す。

 今日は良い日だ。

 あの子が奏者として仕事をするまで、本当にそう長くは待たない気がしてくる。

 ヴァイオリンの技術に詳しくはないけれど、表現力には目を見張るものがあった。

 人間性の発露って、かくあるべきだ。

 ちょっと弾む足取りを楽しんでいると、さっきよりも大きな人だかりに出会う。

 また路上パフォーマンスかと思ったが、どうにも雰囲気が違った。

 皆一様に空を見上げて、ほとんどの人が口を噤んでいる。

 つられて天を仰いで、視線を集めるものの正体を見た。


 ビルの屋上。

 金網の外。

 身を強張らせて、地平線とこちらを交互に見る男。

 グレーのスーツ。

 ぼさぼさの髪。

 くたびれた顔。怒り、恐怖、諦め、悲哀、絶望。ないまぜになってぐちゃぐちゃの表情。


 野次馬の大半はただただ固唾を呑んで、一部はスマートフォンを構えて、もっと少数の人は早まるなと叫び声を上げる。

 よくある景色。

 命を使った自己主張。

 ありふれた、自己表現。


 私はすぐに踵を返して、駅へと向かった。

 もったいない。

 折角の浮かれた気持ちが、途端にニュートラルに引き戻されてしまう。

 やっぱりあの子の動画なり、写真なりを録っておくべきだった。

 最新の自己表現はあまりにも味気なくて、琴線に触れた思い出で上書きしようと記憶を手繰る。


 音を覚えるのは、得意ではないけれど好きだ。

 駅のホームで電車を待ちながら、ヴァイオリンの旋律を思い出す。

 ポップスを多く聞いているんだろうなという現代的な疾走感と、多少の荒っぽさがある曲作り。思い返すほどに、将来が楽しみになる音だった。

 電車に乗って、再び取り戻した上機嫌のまま扉に寄りかかる。席はいくらか空いていたけれど、外の景色を見たい気分だったから。

 良い夜だった。薄くかかる雲、月は朧に光っていて、黒い空は仄かな金色を着込んでいた。


 無粋な赤が三つ、地上を這う。

 救急車が一台と、パトカーが二台。


 物騒だ。

 何かあったのかな。


 すぐに思考の寄り道は終わって、美しい思い出に回帰する。

 そうだ、自己表現は、ああであるべきだ。

 帰ったらギターを弾こう。

 今日は良い曲が書けそうだった。

お読み下さりありがとうございました。

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