宇都宮君に懐かれてます。エピローグ
廊下の奥から騒がしい声が聞こえてきた。
また来たか……
「宇都宮君っあと5分間だけ頑張ろう!」
「ヤダね!これ以上やったらマジで死ぬっ!」
「梨花君。宇都宮君にハグしてやってくれっ。」
「梨花!こいつSだっ!絶対どSだ!!」
宇都宮君と瀬良君のじゃれ合いに私を巻き込まないで欲しい……
最近は二人セットになって教室まで来るようになった。
宇都宮君はあれ以来、瀬良君から毎日のようにピアノの高音に慣れる訓練をさせられている。
そのかいあってか、ちょっとずつだがマシにはなっているようだ。
二人は私を挟むように席に座り、次の演奏会についての話をし出した。
「宇都宮君、アルカンの『鉄道』を演奏してみない?次も僕と競おう。」
「なんだよ鉄道って…またとんでもねえ曲なんだろ?」
「今度父の会社でする世界のスウィーツ博覧会イベントに連れて行ってあげるから。」
「マジで?やるやる〜。」
また甘いモノに釣られて二つ返事でOKして……
絶対あとで後悔すると思う。
なんだかんだ、ライバル同士で仲良くやっているようだ。
「宇都宮く〜ん。お菓子いる?」
「いるいる〜。」
宇都宮君は私のクラスの子が差し出したチョコを指ごとパクついた。
もうっ…あんな受け取り方しちゃいけないって言ってるのにっ。お行儀が悪い。
宇都宮君はそのままみんなに混じってUNOをし始めた。
「……梨花君。僕が間違っていたよ。」
瀬良君が申し訳なさそうにつぶやいた。
誰がどこから見ても完璧な瀬良君がなにを間違えたというのだろうか?
「あのカンパネラは君への思いにあふれていた。宇都宮君には君が必要なんだよ…君を傷付けるようなことを言って本当に悪かった。」
そのことか……
私も宇都宮君とはもう離れなければいけないんだと思っていた……
「私は、必要とされているからそばにいるんじゃないんです。」
あれこれ悩んだって複雑になるだけだ。
宇都宮君のように、単純に考えれば良いのである。
「私が宇都宮君を好きだから、ずっとそばにいたいんです。」
将来ずっとこのままの関係が続いたとしても、私はやっぱり宇都宮君の隣で笑っていたいって思うんだ。
「そう…君も大変な人を好きになってしまったね。」
「ですね。まだ半分ぐらいしか理解出来てないですし。」
「半分っ?彼をそんなに理解出来るなんて君ぐらいだよ!」
大袈裟なくらいに驚く瀬良君と、顔を見合わせて笑ってしまった。
なぜ人はピアノの音色に魅了されるのだろうか。
ピアノの音域は広く、オーケストラのすべての楽器をカバーする7オクターブ1/4の音域を持っています。
つまりピアノ一台でフルオーケストラ並の演奏が出来るのです。
フルートのような管楽器や、ヴァイオリンのような弦楽器は、それらしい音を出すまでに何ヶ月もかかったりします。
でもピアノは鍵盤を押すだけで美しい音を奏でる……
音域が広く、強弱に富み、歌うように音を響かせることが出来る心地よい楽器。
それがピアノなのです。
実はピアノは誕生してからまだ300年しか経っていない新しい楽器なのです。
ピアノが誕生したことにより、様々なピアノ曲が1700年代から数多く作曲されるようになりました。
他の楽器にはないピアノの幅広い表現力が、作曲家たちの創造力を触発したのです。
以来300年に及ぶピアノの歴史は、そのまま音楽の歴史となりました。
偉大な作曲家達が残した曲の中に、あなたの心を魅了する未知なる名曲があるかも知れませんよ?
宇都宮君は私の部屋で寝転がりながらスマホをいじっていた。
女の子の部屋でくつろぎすぎじゃあなかろうか……
「……宇都宮君。倒れる前に私にしたこと、本当に覚えてない?」
「またその話?記憶にないって言ってんじゃん。」
宇都宮君はピアノを弾き切ったあとの記憶が全然ないらしい。
私もあれは幻だったのではと思えてきた。
一瞬だけだったし…倒れる時にたまたまどこかに当たっちゃっただけなのかもしれない。
まあ…そもそも有り得ないんだよね。
宇都宮君が私にキスしてくるだなんて……
「梨花、ハグして。」
「また?最近毎日だよ?」
あの日以来、宇都宮君は甘えん坊になっていた。
毎日だなんて小学生以来だ。
仕方ないなぁもうっと言いつつも、まだまだ必要としてくれてることが嬉しくてつい口元が緩んでしまう。
寝転がる宇都宮君に近付くと、手を伸ばしてしがみついてきた。
可愛い……とか思ってしまった。
私の胸にピッタリと耳を付け、いつもは安心しきった顔をする宇都宮君が微妙な表情をした。
「梨花の音、最近聞き辛い。太った?」
なっ!なんて失礼なことを言うんだっ。
「宇都宮君!!世の中には女性に対して言って良いことと悪いことがあって、特に体型のことはぜっ……」
私の言葉を遮るように口を塞がれてしまった。
宇都宮君の…唇で─────……
「やっぱ今度からはこっちにする。」
宇都宮君はそう言っていたずらっ子みたいにニカッと笑った。
ちょっ、ちょっ、ちょっ………
ちょっと─────────!!
「やっぱり覚えてたんじゃない!!」
「梨花、顔真っ赤っか。面白れぇ。」
「もうっ!宇都宮君のバカっ!!」
「梨花、もう1回いい?」
「ヤダ、ダメっ。待って宇都宮君っ。」
「聞こえなーい。」
隣に住んでいる宇都宮君は、出会った時から人とは違う変わった男の子だった。
得意なこと、不得意なことの差が激しく、私は幼少期から数え切れないくらい驚かされ続けてきた。
そして…なぜだかピアノだけが天才的に上手かったんだ。
そんな彼に、私は子供の頃からすごく懐かれていた……
私はこれからもずっと宇都宮に懐かれて
理解出来ない行動に頭を悩ませるのだろう。
でもそれを仕合せだと呼べるのは
私にとって宇都宮君が
出逢うべき『糸』だったからなんだ──────