曇天
世界は闇に包まれていた。終わりの見えない不安に人々は苛まれていた。しかし闇の中から一筋の光を探し出すという難航を、愚かな人間は諦め、他力本願の姿勢を取っていた。誰かが何とかしてくれるという、個人が属する集団で生じる悪い癖が、長い間横行していた。そして闇が消え、光が訪れた時も、人間という生き物は相変わらずだった。
*
僕は車窓から見える景色を眺めながら、今朝見た天気予報に、心の中で文句を垂れていた。僕が自宅で、オーブントースターで適当に焼いたトーストをかじっている時、特にすることも無かったので、とりあえずテレビに映していた朝のニュース番組に目を向けていた。
ニュース番組は相変わらず、一ヶ月ぐらい前に起きた何かしらのスポーツ連盟の会長の助成金の不正流用や政治家の不適切発言を延々とネタにしていた。マスメディアもネタが見つからなくて困っているのだろう。
そしてニュース番組の最後のコーナーの、誰が見ているのか分からない星座占いの前にやる、本日の天気予報では、美人で若々しいお天気キャスターが、今日は晴れだと自信満々に言い放っていた。しかし今、助手席の窓から見える色は灰色、曇天である。
おそらく僕みたいに天気予報を信じて、傘を持参しなかった被害者はたくさんいるだろう。あんなに自信満々に言われては信じざるを得ない。
僕はそんなことを考えながら、ただボーっと灰色の空を眺めていた。すると、
「おい、三上」
と運転席の方から僕の苗字を呼ぶ声が聞こえた。三上春、これが僕の名前だ。少し女の子っぽい名前ではあるが、今は亡き両親が付けてくれた大切な名前だ。
僕は運転席の方に向きかえる。
「なんだ、大倉」
運転しているのは大倉和久。僕の上司に当たる人だが、数年間、共に組んで仕事をしているからか、先輩後輩という縦の関係よりは、同期の横の関係の方が近い。そのため僕は上司であり先輩でもある彼に敬語は使わず、普通にタメ口を使っている。大倉自身もそのことに関しては特に何も感じてはいないらしく、部下の僕に嫌な顔一つ見せない。自分の実績を棚に上げ、年上であることだけで威張り散らす奴と比べたら、大倉はある意味いい上司なのかもしれない。
「もうすぐ着くから気を引き締めろ。あとそれから……ライター貸してくれ」
前言撤回、やっぱりこいつは糞上司だ。僕に気を引き締めろと言った側から煙草を吸おうとしている。僕は仕方なく、ジャケットのポケットからジッポーを取り出して大倉に渡す。大倉はそれを受け取り、咥えたラッキーストライクに火を点けた。車窓を開け、口内に溜まった主流煙を外に吐き出す。
「どうも」
そう言って大倉は僕にジッポーを返す。僕は大倉が美味しそうに煙草を吸う姿に感化され、自然とジャケットの中の煙草に手を伸ばしていた。英語でセブンスターと書かれた箱を取り出し、箱を開けて、煙草を掴む。口に咥え、ジッポーの火を先端に当てる。煙草は吸わないと火が点かないため、軽く息を吸う。紙の焼ける音が微かにし、煙草に火が点く。僕はむせないギリギリまで口内に煙を留め、それを肺の中に入れる。それをゆっくりと吐き出し、煙草という嗜好品を全力で堪能する。燻らせた紫煙を眺めながら、開け忘れた車窓を開け、煙を外に逃がすと、生ぬるい外気が肌に触れる。
僕達が今向かっているのは木ノ元総合病院という所だ。僕達はそこで起こった殺人事件の調査に向かうことになっている。その仕事は本来警察が行なうべきことで、部外者である僕達は介入できないはずだが、今回は僕達の職業柄、そこに同行することになった。
対ヴェノムウイルス感染者特殊工作部隊エボルブ。これが僕達の仕事だ。
事の発端は一六年前、アメリカのフロリダ州である未知のウイルスが流行した。このウイルスに感染した人間は凶暴化し、感染していない他者に襲いかかる。その形相や行動パターンはさながら『ゾンビ』や『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』といったゾンビ映画に出てくる生ける屍ゾンビそのものである。そしてアメリカ政府は人をゾンビに変える驚異のウイルスをヴェノムウイルスと名付け、対策を講じた。しかしヴェノムウイルスの対処法を模索していた当時、感染の侵攻を食い止めることは敵わず、北アメリカの下半分が感染区域となった。ヴェノムウイルスは人類という種族がこの地に蔓延ることを拒絶した。
日本でも連日、ヴェノムウイルスに関するニュースが報道され、日本中がヴェノムウイルスの脅威に怯えていた。しかしその時、僕はまだ七歳で、事の異常さを全く理解出来ていなかった。
そして日本は一三年前に起きたある事件を境に、厚生労働省にヴェノムウイルスの研究部署を設けた。【VENOMVIRES INVESTIGATION SERVICE】通称VIS。ヴェノムウイルスや感染者を調査、研究し、ヴェノムウイルスのワクチンの開発や対感染者戦の突破口を模索するトライ&エラーの組織である。そしてVISに設立された直属の特殊工作部隊がエボルブなのだ。
エボルブの仕事は主に二つある。まず一つ目は、感染区域に出向き、そこで蔓延っている感染者と戦闘し、その戦闘データをVISに送ること。二つ目は、日本の各地で起こる突発的なアウトブレイクの現場に急行し、原因の究明とウイルスの調査である。しかし二つ目の突発的なアウトブレイクなんていうのは、そうそうに起こることのない稀なケースで、実際の仕事は感染区域に行って、感染者の行動パターンや突然変異のパターンを分析、それをデータにして送り、VIS本部の研究に貢献することだ。
しかし今回の仕事はそのレアケースが正に現実に起こったものだった。木ノ元総合病院から自力で逃げ出した人々は皆、獣の咆哮のようなものが聞こえたと証言していた。警視庁から事件の詳細を知ったVISはヴェノムウイルスが関与していると睨んで、エボルブ隊員の僕と大倉を寄越したのだ。
都内の本部で待機していた僕達が連絡を受け、公用車で現場に向かい始めてもう一二分。そろそろ現場に着く時間だ。木ノ元総合病院が目と鼻の先になってきたので、僕はセブンスターの火種を灰皿でもみ消し、そのままガラを捨てた。
車の運転には性格が出ると言われているが、正にその通りで、大倉の運転はひどく荒れていた。マニュアル車を好むのはいいが、助手席に乗る人の事も考えてもらいたいものだ。クラッチペダルとギアチェンジレバーを豪快に扱うものだから、何度もエンストしかける。車も前後に揺れ、座席に何度も頭をぶつけて疲れる。木ノ元総合病院の駐車場に駐車するまでこれが続くため、僕は大倉の運転する車に乗る毎に、少しばかり死の危険を感じている。職業柄、死の覚悟は十分にあるが、それは対感染者戦の場合に限る。僕は相棒の過失運転で死ぬ気など毛頭無い。
今回も無事に大倉の運転は僕を目的地まで運んでくれた。僕の寿命はまた少しばかり伸びた。
僕達は木ノ元総合病院に到着するや否や、それぞれの席にあるダッシュボードからダッシュボードにギリギリ入るぐらいの大きさのアタッシュケースを取り出した。アタッシュケースに付属している指紋認証のパネルに指を当て、厳重に掛けられた錠を解除する。ケースを開けると、そこには自動拳銃コルトガバメント1911と予備マガジンが二つ入っていた。
エボルブはヴェノムウイルス感染者戦の場合にのみ銃の所持、また使用が認められている。これは内閣決議で正式に決まったことだ。反対意見も多かったが、与党の大半が賛成派だったので、民主主義っぽく行なわれた名ばかりの投票は当然、与党のシナリオ通りになった。連日反対派の電話がチラホラと本部に掛かってくるものの、当然多数決の原則に少数意見の尊重がまかり通るはずもなかった。
僕はコルトガバメントが正常に動くようにギアのチェックに入る。銃弾が満タンに入ったマガジンを一度抜き、スライドを引く。毎日入念にチェックし、スライドを磨くことを怠らなかったので、スライドの引き具合に淀みは無い。トリガーを引いても、撃鉄がちゃんと下ろされる。空撃ちをしても問題ない。先程抜いたマガジンを再び挿入し、スライドを引く。これでいつでも撃てる状態になる。しかし誤発射という最悪のケースを招かないために、セーフティレバーを上げ、トリガーが引けないようにする。セーフティが掛かったままのコルトガバメントを、腰に付けてたホルスターに仕舞う。
大倉は既に全ての処置が終えたらしく、ホルスターにコルトガバメントを仕舞い、こちらの様子を確認していた。僕がホルスターにコルトガバメントを仕舞うのを見ると、
「それじゃあ行くか、相棒」
と言い、車から出た。僕もそれに続く。
木ノ元総合病院前は現場に急行した警察官と夕方のニュースのネタを探しに来たマスコミ、そして興味本位で屯っている野次馬でごった返していた。また、空には警察とマスコミのヘリコプターが周囲を飛び回っていた。地上には警察、マスコミ、野次馬で構成された三重の肉の壁。空には現代の機械工学の産物。病院に立てこもっている犯人からしたら、この状況は絶望的だった。ここから無事に逃げおおせるよりも、自首して死刑を免れる方がまだ可能性は高いだろう。しかしこれは、相手が人間に限ることだが。
犯人が普通の人間ではないとすると、犯人とされている奴は今頃何をしているのだろう。奴がヴェノムウイルス感染者だと仮定すると、ある根本的な矛盾が生じる。まずヴェノムウイルス感染者には知性というものは存在しない。感染者は動物と同じく本能に従って行動する獣だ。そして感染者の本能、つまり行動パターンはただ一つ、感染していない人間を殺すことだ。奴が感染者だとすると、病院の外には本能の赴くままに殺すべき相手がこれでもかというほどいることになる。そして奴は自らの本能に抗えず、外に飛び出し、周囲の人々を襲い始めるだろう。しかしそれが無いとすると、奴には自我、または知性があるのではないかと考えられる。ヴェノムウイルス感染者に知性が芽生えた事例はこれまで確認されていない。もしこれが本当だとすると、これは新たな脅威と言えるだろう。その仮説の真偽を確かめるべく、西条は僕達を木ノ元総合病院に派遣したのだろう。
ヴェノムウイルス感染者の新たな脅威。本部でこの話を聞いた時、大倉はあり得ないと鼻で笑っていたが、僕にはそんな気は起きなかった。ヴェノムウイルス感染者の突然変異、これはもう既に、実際に起こっている事象だ。肉体の突然変異が起きて、知性が目覚めないという確証がどこにあるのか、僕は事態を楽観視している大倉の気が知れなかった。
大倉は今目の前にある危機から目を逸らし、現実逃避をしている。何かが来ても誰かが何とかしてくれる、他力本願の精神を貫いている。人間という生き物は皆そうだ。自分からは一切行動しない。他人の揚げ足を取るのに必死で、目先の利益を優先し、誰かが引いた希望と言う名の糸が頭上に垂らされるのをただずっと待っている。そして糸を垂らした先導者を見限ると、そこだけは皆で一致団結して、力を合わせて糸を引き、先導者を自分達と同じ闇に引きずり込む。僕が会った大人は皆そうだ。ただ二人を除いては。
僕達が病院に近づくと、マスコミがハイエナのように飛びかかり、僕達にインタビューを仕掛けてくる、なんてことはせず、我先にと道を譲ってくれた。
一般人からしたら僕達は、日本の漫画やアニメ、洋画やテレビドラマに出てくる特殊部隊そのものなのだろう。黒い防護服に身を包んで、戦士の役割を全うする僕達、オタクという人種が好みそうなエボルブには、実際にファンを名乗る者がいて、インターネットで検索を掛けると、防護服を着た隊員の画像が載っている。しかし記事の大半はデマで、一般人のコスプレ画像ばかりが載っている。
エボルブの情報は全て規制が掛けられていて、一般人がエボルブの情報を閲覧することはできない。エボルブの全容を知るのは組織内の人間と、一部のお偉いさんぐらいだ。そのためか僕達の存在は都市伝説のように扱われている。実際に僕達が感染区域に訪れる時、自衛隊の隊員達は実在するのか怪しんでいた僕達エボルブを見て、驚きを隠せずにいる。
もしさっきのマスコミの連中が僕達の顔写真をメディアに上げでもしたならば、その者は裏の力で首を切られるだろう。いかに私的権力であるマスコミといえど、強大な公的権力の国家に刃向かうことはしないだろう。だからマスコミは僕達にカメラとマイクを向けず、まるで毒虫を見るような目で、そそくさと離れていったのだ。
「なあ、エボルブの情報が規制されているのって何でだと思う?」
僕は大倉に問いかけるも、それは入隊して三年ぐらい経っている僕が訊くには、あまりに新人くさい質問だった。当然大倉も不思議そうな顔でこちらを見る。
「今更どうした。さっきのマスコミの連中が気になったのか。安心しろ。俺達の顔写真はリークしない。情報規制のおかげでな」
「だけどこれはあまりに変だ。僕達の顔写真一つ上がらないっていうのはどういうことなんだ?」
「マスコミに晒されたいのか?」
「そういうことを言っているんじゃない。SAT(特殊強襲部隊)の連中も隊員の個人情報は公開されていないが、その装備や訓練の様子は公開されている。エボルブの情報規制は異常だよ。だから僕達は都市伝説化するんだ」
「一昨日やってた『やっちゃった都市伝説』見たか。エボルブのことを色々挙げてたんだが、結構面白かったぜ。言ってることが的外れすぎて」
「そういうことを言ってるんじゃない」
そうこう言っている内に、僕達は病院の入り口前に着いた。玄関の周りには現場に急行した警察官、突入に備えたSAT隊員でごった返していた。さすがにマスコミと野次馬はここまで押し寄せることは出来なかったようだ。
途中現場を監視していた警察官に止められたが、エボルブの身分証を見せると、驚いた様子で道を譲ってくれた。
玄関前には簡易のバリケードが設置されていた。金網が玄関前を囲うように、扇状に展開されている。隅に設えてある入り口以外で、バリケードを抜ける方法は、よじ登るという原始的な方法しかなかった。もしそれを実行しようとすれば、バリケードの外から院内を監視しているSAT隊員の短機関銃MP5の銃弾で、蜂の巣にされるだろう。
バリケード付近まで行くと、見知った人物がいた。同じエボルブ隊員で大倉と同期、つまり僕の上司にあたる城島剛だ。
「城島、どうしてお前がここにいるんだ?」
「非番で久々に家族サービスしている途中にここに通りかかったら、案の定この騒ぎさ。居ても立ってもいられなくなってこの様さ」
「家族はどうした?」
「家に帰したさ。娘は大泣き、妻はカンカン。離婚するのも時間の問題かな」
城島は自分の家族をネタにして笑っているが、目は笑っていない。彼は無理をしている。
城島は大倉とは違い、正義感の強い男だ。だから奥さんは城島に惚れ込んだのだろう。だがその行き過ぎた正義感で二人の間に亀裂が生じている。人は不変ではない。
「まったく、既婚者はつらいね。城島には悪いが、俺達は独身貴族を謳歌させてもらうぜ。なあ三上」
「別にそんなつもりはないさ」
僕は一生この仕事に身を捧げようなんて微塵も思っていない。時が来たら除隊し、どこかの田舎にでも隠居したいと考えている。そして隣には僕の最愛の女性が。あの人が得ることの出来なかった幸せを興じてみたいとは思っている。まあ、僕みたいな奴に付き添ってくれる人がいるとは到底思えないが。
生涯独身を貫くと豪語している大倉には分からないだろうが、家族というかけがえのない存在を手にしている城島が少し羨ましく感じていた。
「僕達がここに来るまでに何かあったか?」
「俺がここに来たのがちょうど十分前。そしたら丁度SATが突入しやがった。院内から悲鳴が聞こえて、お前らのことを待っている余裕は無いってな」
「随分と嫌われたもんだな」
大倉が口を挟む。が、それを無視し、僕は更に問いかける。
「その割にはとんだ騒ぎになってるな。突入したはずのSAT隊員が突入の準備を始めているのはなぜだ?」
玄関前ではSATが突入前のブリーフィングを行なっていた。城島の言っていることが正しいなら、ここにSAT隊員はいないはずだ。
「あれは再編成された部隊だ」
「再編成?」
「突入した部隊はものの数分で無線が途切れた。その際、銃声と隊員の叫び声、そして何かの雄叫びのような怒号が外に漏れ出した。中には病院の三階の窓から投げ出された奴もいた」
城島が指をあちらの方向に指す。その付近は鑑識官によって、マスコミのフラッシュから仲間を守るように、ブルーシートが覆われていた。
「あそこで色々調べてられているはずだ。ここからが重要なんだが、あそこに転がっているSAT隊員の死因は転落死なんかじゃないらしい。ショック死のようだ。腹部には鋭い爪のようなもので抉られた痕があるらしい」
「ということは」
「この事件の犯人は人間なんかじゃない。ヴェノムウイルス感染者さ。しかもビーストだ」
ヴェノムウイルス感染者は通常、生ける屍となって人間に襲いかかる。その姿形からゾンビと呼ばれる。しかし宿主を浸食したヴェノムウイルスが、肉体に特殊変異を及ぼす場合がある。それは非常に稀なケースではあるが、低確率から生まれた偶然の産物は、感染者に強力な力を授けた。ゾンビとは比べものにならない殺傷能力を得たそれは、その見た目が変化し、人間の形を留めず、化け物そのものであったため、ゾンビを超越した怪物、ビーストと呼ばれるようになった。
ビーストの形は一つに留まらず、色々なものがある。四足歩行型、飛行型、巨人型など。その形態変化は未だ発展途上で、感染区域では新種が次々に発見されている。今回のビーストも新種なのだろうか。新種のビーストは強力な殺傷能力だけでなく、知性も伴っているのだろうか。もしこの仮説が正しいなら、これは今までに無い脅威となり得るだろう。
「ビーストが相手か、SATは大丈夫なのか?」
「さあな、いかに対人戦闘を積んでいても、化け物相手に役立つ保障はどこにも無いからな」
突入部隊はブリーフィングを終え、突入準備に入っていた。
「時間だ。行くよ」
「気を付けろよ、ってお前らに言うことじゃねえか。隊内の実力上位の二人にはな」
「買い被りだよ」
僕達は隊内ではエースとしてもてはやされている。だから自然と激務が多くなる。今回のSATの突入の同行に選ばれたのは、下手な新人を寄越して、エボルブないしはVISの評価を下げないためだろう。
大倉は現在エボルブの隊長を務めている。それは彼がエボルブで最古参のオリジナルメンバーの一人であるだけなく、それ相応の実力も備えているからなのだ。
大倉が殉職した暁には、大倉に次ぐ実力者である僕が隊長の座を引き継ぐと噂されている。大倉と同期でオリジナルメンバーの一人である城島を差し置いて、僕が隊長になるのはなんだか気が引けるし、そもそも僕は人の上に立つ器じゃない。大倉にはもうしばらく頑張ってもらいたいものだ。
僕達はSATの突入チームに合流する。SATの隊長とエボルブの隊長はどうやら知り合いだったらしく、
「よお高橋」
「大倉、お前が突入に同行するエボルブ隊員だったのか」
「まあな。俺達はどこに付いていけばいい?」
「お前達は先行組だ。どこかに潜んでいる犯人が人間なら拘束、化け物なら駆除だ」
「後方組は生存者の発見と残存勢力の排除、また出口までのルートの確保っていうところか。まあ俺達はあくまで病院内の調査だから、戦闘はお前達に任せるよ」
大倉はホルスターからコルトガバメントを抜き出し、大っぴらにそれを見せた。対ヴェノムウイルス感染者戦はやはり物量が物を言う。近接戦闘の場合、相手に無数の銃弾を浴びせ続けるという古典的な戦法が一番効果的なのだ。しかし僕達が持っているのはコルトガバメントという、闘うにはあまりにも頼りない拳銃一丁と予備弾倉が二つ。大倉が高橋にコルトガバメントを見せつけたのは、これはあくまで護身用だという意味が込められているのだ。高橋もそれを理解しているらしく、
「お前達は後ろの方にいてくれればいい。戦闘は俺達がやる。それが仕事だからな」
高橋はそう言うと、部下に防弾ベストを二枚持ってこさせた。
「これを付けろ。対ヴェノムウイルス感染者戦では無意味かもしれないが、付けておいて損はないだろう」
大倉は高橋の気配りに甘え、防弾ベストを手にした。防御力が上がって困ることなど特にないので、僕もそれを受け取る。
ジャケットを脱ぎ、防弾ベストを着る。エボルブに制服が決まっているわけではないが、隊員は皆、黒のスーツを着用している。この仕来りは僕が入隊する前からあり、今も続いている。この無意味な仕来りを別に苦に思ったこともないし、今更不満も無い。
防弾ベストを取り付けた大倉は、なんだか刑事ドラマに出てくる刑事のように見えた。これで回転式拳銃なんかを持っていたら完璧だったのだが、大倉のホルスターに仕舞ってあるコルトガバメントが軍用自動拳銃なのが残念だ。
僕達が着たのを確認すると、高橋は、「あと三十秒後に突入する。各自、突入に備えろ」と部下に指示を出した。
隊員の中には、小声でブリーフィングの内容を復唱する者、目を瞑り、小刻みに震える体を静めるために深呼吸を繰り返す者、興奮のあまり目が泳いでいる者までいた。僕達も無心になり、緊張した体を解す。肝心の時に体が固まっていてはどうしようもない。
「突入」
高橋の小さく、しかし耳に確かに聞こえたその声と共に、先頭にいた隊員がバリケードの扉を開け、中に入り、開いたままのガラス張りの自動ドアから、堂々と院中に入っていった。紺の防護服に覆われた戦士が雪崩のように、白い病院内に入っていく。僕達もそれに続く。
SATは対ヴェノムウイルス感染者戦の訓練を積んでいないとしても、日々の訓練で鍛えられた射撃センスや肉体は、僕達にも引けを取らない頑強なものであることに違いはない。そんな屈強な戦士で構成された部隊を全滅させるほどの力を持ったビースト。脅威であることに変わりは無い。
僕はそんなビーストに不安を覚えながら、紺色の戦士の背中を追った。




