3話 虚像
ブリュンヒルデがたおれ荘から出て行ったことに気づいた俺はすぐに追いかける準備に入った。
服を着替え必要最低限の荷物を用意し、いつも肌身離さず身に着けているお守りを首から下げた。
準備を終えた俺は彼女の後を追った。すでにその姿は見えなくなっていたがどういうわけかどこに行ったかなんとなくわかったので感を信じて彼女のもとへ走った。
朝から降っていた雨は既に止んでいたが未だに分厚い雲が空を覆い尽くしていた。
(こんな夜中に何処へ行ったんだ? もしかして神力が回復したから俺が気づかないうちに去ろうとしているのか?)
別に神力が回復して万全な状態になっているんなら俺が引き止める理由はもうなくなるしそのまま見送ってそこで終わりだ。わざわざこんな夜中に静かに出ていく必要はない。それはブリュンヒルデだってわかっているはずだ。
つまり俺に気づかれないように出ていく必要があったってことだよな。
考えられる理由の中で俺は最悪のケースを思い浮かべた。
(もしかしてブリュンヒルデは虚像が近くにいることに気づいてたおれ荘から出たのか? だとしたらブリュンヒルデの身が危ない!)
俺は走るペースを上げて彼女のもとへ向かった。無事であることを祈って。
☆☆
走った先で着いたのは現在では使われてはいない廃工場だった。その場所に足を踏み入れた女の子の姿が見えた。
(あれはブリュンヒルデ!良かった、無事だったみたいだ。)
無事な姿を確認した俺は彼女の後を追うように廃工場の中に入った。
「そこにいるのはわかっています。出てきなさい。」
廃工場の広い倉庫の中で足を止めたブリュンヒルデは声を上げた。誰かいるようだ。俺は物陰に隠れて様子を窺った。
すると暗闇の中から人の形をした異形の物が出てきた。
(なんだありゃ!?)
その姿は物語などに登場する化け物だった。体は人の形をしていたが顔は人間の物じゃなく、蜘蛛の顔を持った人型の化け物がそこにいた。
「スパイダーフォルスですか。どうやら私の命を狙って現れたみたいですね。」
あれがブリュンヒルデが言っていた虚像……ユグドラシル銀河にはあんな化け物がいるのか。
「今の私なら倒せると踏んで姿を現したようですがあなた程度にやられるほど私は弱くはありません!」
ブリュンヒルデは光に包まれると甲冑を身にまとっていた。手には剣が握られている。どうやら戦闘態勢に入ったようだ。
「ククッ……」
(スパイダーフォルスが笑っている。なんだ、何がおかしいんだ?)
ブリュンヒルデも奴の様子に訝しんでいるようだ。
怪訝に思っているとスパイダーフォルスの周りから人影が現れた。その体ははスパイダーフォルスに似ていたが全員顔がない。のっぺらぼうだ。その数は10や20どころの数じゃない、100体はいる。
(なんなんだあいつらは? スパイダーフォルスの仲間か!?)
「どうやら手下としてヒューマンフォルスを連れてきていたようですね。ですが何体来ようとも私の敵ではありません。」
ブリュンヒルデは自信満々に言った。そして剣を構え虚像たちの群れに突っ込んでいく。
スパイダーフォルスが虚像たちに指示を出す。その指示を待っていたかのように虚像たちも我先にとブリュンヒルデめがけて襲い掛かった。
ブリュンヒルデは手に持った剣を使って襲い掛かる敵を1体、また1体と踊る様に切り捨てていく。
切られた虚像たちはまるでそこに最初からいなかったかのように四散した。
負けじと虚像たちはこぶしを使ってブリュンヒルデに殴りかかるが簡単に躱されその腕を切り落とされる。しかしその腕からは人間なら大量に流れ出るはずの血が一滴も出ていなかった。それを気にするまでもないと言わんばかりにもう片方の腕で殴りかかるがその腕も切り捨てられ最終的に体をも切り捨てられ四散した。
しかし一体ずつ倒してもまだまだ虚像は数がいた。このままではじり貧なのではないだろうか?
「まとめて薙ぎ払います!」
ブリュンヒルデの持つ剣が銀色に光輝いた。そしてその剣を虚像たちに向けて振るうと飛ぶ斬撃が発生し、虚像たちをまとめて倒した。
「まだ終わりではありません!」
ブリュンヒルデは頭上に無数の剣を作り出し虚像めがけて発射した。剣は次々と虚像に刺さり倒していった。
(すげえ、これが戦女神と虚像との戦い……まるで夢でも見ているみたいだ。)
だがこれは夢じゃない、現実だ。目の前で起こっていることがすべてだと物語っていた。
雑魚の虚像がすべて倒され、残りはスパイダーフォルスだけとなっていた。
「さあ、残りはあなただけです。」
しかしスパイダーフォルスは動じていないようだ。まるで部下の虚像たちが倒されるのがわかっていたかのような態度だった。
すると、ブリュンヒルデが膝から崩れ落ちそうになり剣を床に刺し倒れないように支えにしていた。
(ブリュンヒルデ、いったいどうしたんだ!? もしかして……神力を使い果たしたのか!?そうか、あいつはこれを狙って雑魚の虚像を先にけしかけていたのか!)
だとしたらブリュンヒルデの勝ち目がない。
「くっ、ここでやられる訳にはいかないんです!」
ブリュンヒルデは力を振り絞ってスパイダーフォルスに切りかかるが奴はひらりと軽くかわしてブリュンヒルデを殴り飛ばした。
殴られたブリュンヒルデは壁に体を打ち付け力なく床に倒れた。
「ブリュンヒルデ!」
俺は彼女のもとへと飛び出した。特に目立った外傷はないようだ。
「……石斗、なぜここに。あなただけでも逃げてください。奴の狙いは私です。」
「お前を置いて逃げられるかよ! 逃げるなら一緒に逃げるんだ!」
スパイダーフォルスがこっちに迫ってきている。俺はブリュンヒルデに肩を貸して奴とは逆の方向に逃げだした。
「石斗、ダメです! 私のことは置いて逃げてください!このままではあなたまで殺されてしまいます!!」
「嫌だ! お前を置いて逃げるなんてできるわけないだろ!」
「あなたと私は赤の他人です! 私のために命を張る必要はないんです! だからっ……」
「確かに俺とお前はあったばかりの赤の他人だ。でもな、お前を見捨てたら俺は一生後悔しながら生きていくことになる。そんなのは御免だ。」
「石斗……」
「俺のほうから巻き込まれに行ったようなもんなんだ。だからそんな悲しそうな顔すんなよ。大丈夫だって。必ず生きて帰れるからさ。」
俺はブリュンヒルデを励ましながら歩を進めた。そして工場の出口が見えそうになった。出口を出てこのまま逃げ切ろうと思ったがそう上手くはいかないようだ。
出口の前にスパイダーフォルスが待ち構えていた。どうやら先回りされていたらしい。奴から逃げ切ることはできないようだ。
(くそっ、ここまでなのか。ここで終わっちまうのかよ俺たちはっ……。なにか、何か方法はないのか? 考えろ、考えるんだ。)
しかし策は何も浮かんできはしない。頭の中を絶望の二文字が埋め尽くす。
「石斗、どうやらここまでのようです。私が囮になりますからその隙にあなただけでも逃げてください。」
「……逆だブリュンヒルデ。俺が囮になるからお前が逃げるんだ。」
「っ!」
「お前がやられたら誰があいつを倒すんだ。世界を奪うような奴なんだろ。そんな奴と戦う力なんて俺にはない。」
「ですが……」
「多分、これが正しい選択何だと思う。分かってくれ。」
「……」
ブリュンヒルデは何も言わない。恐らく彼女もわかっているんだと思う。俺の伝えた選択が合理的なことなんだと。でも心が納得していない。そんな見ていてこちらも辛くなってしまいそうな表情をしていた。
しかしそんな俺たちの様子にしびれを切らしたのか、スパイダーフォルスが腕から鋭い爪をはやしこちらにすごいスピードで突っ込んできた。
「危ない!」
狙いはブリュンヒルデだと直感で気づいた俺はすぐにブリュンヒルデを突き飛ばした。
「えっ……?」
ブリュンヒルデは目の前の光景を見て思考が停止してしまった。
何故ならスパイダーフォルスの鋭い爪が俺の体に深く突き刺さっていたからだ。
爪の先からは俺の血が滴り落ちていた。