38 饕餮
この僕――、ゴロウジローとオーク王との会見は、もはや収拾不能な方向へ行き果てつつあった。
既に手は出て血は流れ、破壊の限りが尽くされている。
話し合いなどという段階はとっくの昔に過ぎ去っていて、あとはもうどちらの拳が相手の頭蓋を砕くかしか懸念すべきことはなかった。
「おのれブヒ……! 許さんブヒ……!!」
「最期の言葉はそれでいいのか? 王を名乗る者にしてはケレン味が足りんが」
しかし僕は、コイツに対してあと一回、発言のチャンスを与えていた。
最初は三回だったが、既に二回、ヤツは棒に振っている。
それでいいと思った。
愚か者にチャンスを与えれば与えるほど、その愚かさが露呈されるものだから。
「黙れブヒィ!! 決めたブヒ! お前には最低最悪の死を与えてやるブヒィ!!」
ほら愚か。
「来やがれ大食らい! 今こそちゃんと働いて、タダ飯食らいじゃねえってことを見せてみろブヒィ!!」
オーク王の呼びかけに答えるように、謁見の間の床が不自然に揺れた。
天井も壁も充分すぎるほどに破壊し尽くされていたが、唯一無事だった床も、亀裂と共に大穴が開いて、そこより何者かが浮上する。
「ああっ、あれは……!!」
見覚えがあるらしいライレイの声。
現れたのは一匹のオークだった。
しかしこれまた異形だった。
これまで出会ったどのオークよりも遥かに大きく、限度を遥かに超えた肥満体だった。
しかもオークの基本形を遥かに逸脱して頭が大きく、もはや人型というよりはワニかカバに近い体型だった。
頭部が大きいため口を開くとこれまた大きい。大人一人丸呑みにできそうな口で、なんと床の石材をバリバリ齧って飲み込んでいた。
「ゴロウジロー様! お気を付けください! あれは『七凄悪』の一人『暴食』のミキミルです!!」
ここに来て新しい『七凄悪』の登場か。
『暴食』のミキミルとやらは、今でも床をバリバリ食らいながら、こちらに迫ってくる。
「『暴食』の称号が示す通り、何でも食べて何でも消化する。それ自体が能力です! あまりに食欲に執着しすぎて真っ当な知能を失い、『七凄悪』の中でも団長職に就けなかった異色のお方。そのためにオーク王の直接警護を申し渡されたと聞いていましたが……!」
ミキミルの、獣のように単純な輝きを宿した瞳がこちらを向いた。
僕のことを食べ物と認識したらしい。
「そうだブヒ! その不遜なクズオークのお前を、大食らいのおやつにしてしまうんだブヒ! 生きながら飲み込まれて、ゆっくり消化されて死んでいく恐怖を味わうがいいブヒ!!」
オーク王の命令に従ったのか、それともただ食欲の赴くままか、『暴食』ミキミルは僕に向かって大口を開ける。
そして、バクンとそのまま飲み込んだ。
「ゴロウジロー様!?」
「ブェフブェフブェフ!! やったブヒ! ついに小生意気なクソオークを血祭りにあげてやったブヒ!! たとえ完璧でないにしても、余のプレッシャーはヤツの動きをある程度は制限できるブヒ! そんな状態で同格の『七凄悪』に勝てるはずがないブヒ!!」
外からオーク王の勝ち誇る声が聞こえてきたが、残念なことだった。
バゴン! と。
千に砕けた肉片と血と唾液がそこら中に散らばった。
「ひぃーーーーーッ!? ブヒッ!?」
「『憤怒』の力で、自分へのあらゆる影響を焼き尽くせる僕を、消化できるわけがないじゃないか」
さらに母さんから受け継いだ『正義』の力によって、たとえ居住の胃袋に放り込まれても、体全部を粉々にして脱出できる。
お前ごときが僕に盾突くこと自体間違いだったのだ。
「うわぁ……!?」
「ミキミルが粉々に……!?」
無残な肉片となった元『七凄悪』を、一応同僚の立場で哀れむように眺めるオーク娘たち。
それはもう目を背けたくなるようなグロテスク模様だったが、突如その中からガバッと這い上がる人影が。
「ヒェェッ!?」
「ええッ!? 何!?」
リズよりもさらに長身で、長身であるにもかかわらずおっぱい尻はバランスを欠くほどボリュームをもった大女が現れた。
「ええ!? 何あの大女!?」
「もしかして……、メス化したミキミル?」
「なんで!? 別にゴロウジローはアレを砕かなかったでしょう!? もはや何でもありじゃない! ……って何? 大女こっち見てる? にじり寄ってくる!? 何よ? ちょ! え? アタシのおっぱいに、しゃぶりついた!?」
「この飽くなき食欲の権化。まさしくミキミル……! いや、メス化したので改名ミキちゃん……!」
「ちょ、そんなこといいからコイツをアタシのおっぱいから離しなさいよ! 吸うな吸うな吸うな! アタシはまだゴロウジローから子種貰ってないから母乳なんて出ないし! どうせ食いつくならライレイの方にしなさいよアイツの方が純粋に大きいでしょう!?」
「リズ様、被害を拡大させないでください!」
賑やかな向こうはともかく。
結局、謁見の間を固めていた近衛オークは全滅し、頼みの綱だっただろう『七凄悪』もアッサリ敗れた。
オーク王は残った左手を精一杯突き付け、僕に向けてプレッシャーを放つが、もはや何の効果もない。
鬱陶しいのでメイスを振った。
それだけで右腕同様、オーク王の左腕もアッサリ吹き飛んだ。
「これで三回目だな」
愚か者は愚かなままに、三回のチャンスを使い切ったというわけだった。
これからこのバカは僕によって殺されるが、しかしそうなるまで何故コイツは生きていることができたんだろう?
そう思うのは、僕のオヤジがかつてコイツの部下として、コイツの下にいたという事実ゆえだった。
僕が一日ともたずキレられたんだ。オヤジだってこのアホを何度も殺そうと思ったはずだし、可能不可能の話で言えば、絶対可能だったはずだ。
なのにオヤジは、このバカを殺さないまま消息を絶つだけに留めた。
それは旅立ちの際に僕に言った「自分はオークに生まれたから、オークを裁く資格がない」という言葉に関係するのかもしれない。
「だとすれば、オヤジに変わってコイツを裁くことも。僕に託された役目ということか」
「ブヒヒヒィィ……! もうやめてくださいブヒ、余の負けですブヒ。負けを認めますからァ……!」
「それは四回目の言葉だな。許してやるのは三回までだと言ったはずだ」
薄膜がまとわりつくような重みも消えた。
オーク王の両腕を吹き飛ばしたことで、『七凄悪』にだけ作用するという重圧を放つ能力が消えたのか。
どちらにしろ、これ以上バカに付き合うために割く時間は、一秒たりとも惜しかった。
「判断は済んだ。お前は僕の敵になる資格もない。目障りなゴミとして死んで行け」
メイスを振り上げる。振り下ろす。
それだけでこの小男の頭蓋は粉々になって果てるはずだったが……。
それを、ある者が止めた。
一度振り下ろされれば誰にも止めることができないはずの、我がメイスを。
「なッ!?」「えッ!?」「うそッ!?」「バカなッ!?」
僕の少女たちも驚いてその様子に注目する。
僕の攻撃を止めたのは、最初からこの部屋にいた、一人の女性。
オーク王が、まるで性奴隷であるかのように侍らせていた女オークだった。
まるでオモチャのように、下劣心たっぷりなオーク王から尻も父も触られ放題でモノのような扱いを受けてきた。
そんな、この部屋でもっとも弱い立場のように思われた彼女が、何故今になって?
僕の前に立ちはだかる?
「お前は……!?」
「申し遅れました。今更ながら名乗らせていただきます」
ほとんど全裸に近い半裸の女オークは、みずからの名を口にした。
「オーク軍『七凄悪』の一人。『色欲』のレリスと申します」