25 正義とは
「待てッ! 降参だ!!」
ハムシャリエルは、吹っ飛ばされていない方の右腕を突き出して制止のポーズをとる。
「我の負けだ! もう戦えない、剣を収めよ!」
「…………」
僕が持っているのは剣ではなくメイスなんだがな。
地上を見下ろす。先ほど、このクソ天使が離した人骨は、あの向うへ落ちていった。
「お前が殺したたくさんの種族も、きっと死ぬ前に許しを乞うただろうな」
「ッ!?」
「で? お前はそれを聞き入れたか?」
ハムシャリエルの顔が蒼白に固まる。しかしすぐに暴走した血流で真っ赤に茹で上がる。
「あやつらは汚らわしい生き物で死んで当然だ! 高貴で清らかな我とは違う!」
「そうか、たしかに違うな」
ゴバン!
振り下ろした『正魔のメイス』が、今度はハムシャリエルの突き出した右腕の、肘から先を吹き飛ばした。
「あんぎゃああーーーーーーーーーーーーッッ!?」
「死んで当然どころじゃない。お前は死ななければいけない、絶対にだ」
敵討ち、などとおこがましいことを言うつもりはない。
しかし今、ここでコイツをブチ殺しておかねば、この僕の中で燃え狂う怒りを治めることはできない。
「おのれ……! おのれぇぇぇーーーーーーーーーッッ!!」
両腕ともなくしたハムシャリエルの様子が変わった。
この気迫、とても死を目前とした敗残者のものではない。
まがりなりにも天界最強の聖戦士に数えられるとのことだ。悪足掻きの一回ぐらいは、してくることだろう。
「顕現せよ我が『勇気』……! 我が『勇気』よぉーーーッ!!」
ハムシャリエルが巻き起こす気迫がそのままヤツの体から離れ、そしてそのまま形を成して、別の生き物となっていく。
獣。
見上げるほどに巨大な異形の獣が、ハムシャリエルから分離したオーラを元に変容した。
厚い鎧のようなウロコ、鋭い牙、鉈のような爪、燃え盛る眼光、見る者を威圧させるための雄々しきたてがみ。そして巨体。
「ぎゃははははは! 見たか! これが大神ヴォータン様より授かりし『勇気』の能力。我が前に立ちはだかる困難の強さに応じて、それを打ち破る『勇気獣』を生み出す力よ!!」
ハムシャリエルが狂喜しながら喚き散らす。
「『勇気』とは! 困難を乗り越えるための心の強さ、その力を形として現したのが『勇気獣』!! 『勇気獣』は対する困難が大きければ大きいほど、それに準じて力を増すのだ! いかに貴様の邪悪な力が巨大だろうと……! ッ!?」
ズバゴン。
僕の拳が『勇気獣』とやらの顔面にめり込み、めり込むだけでなく深く突き刺さり、突き刺さるだけでなくその穴を広げ、粉々に爆散させた。
「うへぇぇーーーーーーーーーーーーーーッ!?」
「困難に応じるにも限度があったらしいな」
悪いなオヤジ。『敵の攻撃はすべて受け切れ』という教えだが、それを守るのも面倒なほどに、コイツに付き合うのにウンザリしてしまった。
それでもあえて武器を使わず拳で獣を砕いたのは、そうすることでより深い絶望を刻み付けるためだが。
もういい加減終わりにしよう。
コイツとのやり取りは、細部にわたって不快さしかない。
「『勇気』。『勇気』……! 撤退する『勇気』!」
ハムシャリエルは突如踵を返すと、上半身で唯一残った右の翼を羽ばたかせ、よたよたと飛んで行った。
僕のいる方とは逆方向に。
「『勇気』の軍勢よー!! 我が忠勇なる『勇気』の軍勢よーッ!!」
天空に漂うだけの、数万単位に及ぶ天界の戦士たちにハムシャリエルは呼びかける。
「総攻撃だ! あの邪悪な雑種オークへ集中攻撃しろ! 我がゲートを潜り、天界に帰還するまでヤツを足止めするのだ!」
自分の逃げる時間を稼ぐために、部下を捨て石にするというのか?
僕が言うのも何だが、あんなザコが束になっても大した足止めにはならないぞ?
「死を恐れるな! その身と引き換えに上官を救出してこその高潔なる天界の戦士だろう!! 我は逃げる! 逃げて新たなる戦いに備えることも『勇気』ある行動なのだ! そしてお前たちは死して『勇気』を示せ!!」
しかしそれに応えて動こうとする天界戦士は誰一人としていなかった。
わかっているのだ。自分たちが死力を尽くして立ち向かおうと、僕の前では木っ端微塵となって砕けるだけだと。
だから立ち向かうどころか、何万という部下たちまで踵を返して逃げ出した。
「ッ!? おいこら何をしている!? 進む方向が逆だ! 逃げるな戦え!」
ハムシャリエルが激昂するも、数万の天界軍は今や一斉に雪崩を打って我先にと、自分たちが潜ってきたゲートから天界へ逃げ帰ろうとする。
主が主なら、部下も部下か。
もういい。目に映るもの、どいつもこいつも不快極まる。
「『正義』よ……! 『憤怒』よ……!」
僕がオヤジより受け継ぎし『憤怒』の力。
それは我が胸中に燃える怒りの熱さに応じて、体も熱を発し、外界から来るあらゆる影響を焼き尽くして無効化させる。
そして母さんより受け継ぎし『正義』の力。
邪悪であれば何であろうと砕いて滅する。邪悪を憎む心が、そのまま力となる能力。
それぞれ最強の盾と最強の矛。対極でありながら、実は同じ根源。
怒り、憎しみ。
何かに対して激する感情を原動としている。
旅立ちの日、母さんは言った。
「正義とは感情だ。悪を憎む怒りの感情だ」と。
そしてオヤジから受け継いだ力は、怒りの感情そのものだ。
正義とは怒りだ。
だからきっと二人は惹かれあい、僕が生まれた。
僕の中で怒りと正義は混じり合って一つとなった。
「『正魔のメイス』よ。『正しきことを魔となって為すメイス』よ」
今こそお前を全力で振るう時。
「我が怒りを示せ!!」
掲げたメイスの柄頭が、突如として巨大化した。
母さんが見つけ出したという魔鉱石で鍛え上げたこのメイス。
僕の怒り、僕のオーラを喰らって何処までも肥大化する。
「うぇーーーーーーッッ!? ごえぇぇーーーーーーーーーーッッ!?」
逃げ去ろうとする天界軍『勇気』の軍勢は、肥大化するメイスに触れた傍から、その衝撃だけで、ぱちゅんと破裂し、水風船のように飛散した。
無論、元々の母数が数万。メイスが巨大化をやめない以上破裂の音もやむことはない。
ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん、ぱちゅん……!
命をゴミのように扱った連中が、みずからもゴミのように散っていく。
「ほんげぇーーッ!? 来るなッ! 来るなぁぁーーッ!!」
ハムシャリエルは部下たちを掻き分けながら、右の片翼だけで上手く飛ぶ。
天空のゲートは目前だ。
「あそこを潜れば……! 潜ればァァーーー!!」
既に『勇気』の軍勢の半分以上を血風船にしたメイスはいまだ巨大化し、ハムシャリエルのすぐ後ろまで迫っていた。
両者が触れる、その寸前で……!
「やった!」
ハムシャリエルの体がゲートの中に消えていくのが見えた。
九死に一生を得た、とヤツは思ったことだろう。
しかしヤツを追う巨大化メイスも、残り僅かな軍勢の生き残りともども、隕石のような柄頭をゲートに突入させた。
既にその全長はゲートの直径を超えている。それが無理やり突入し、輪郭を壊しながら、それでも捻じ込んで次元のひずみが暴走、崩壊する。
ヤツらは次元を捻じ曲げてゲートを作り、自分たちの世界とは別世界であるここへ襲来している。
次元を捻じ曲げるということには、想像以上に膨大なエネルギーが使われているのだ。
それが崩壊し、制御不能になったとしたら……。
「んごあぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーッッ!?」
既にゲートの向こうにいて、姿の見えないハムシャリエルの断末魔が、メイス越しに握る手に響いてきた。
恐らく向こう側では、ゲートを管理する施設なり都市なりが爆破消滅してしまったことだろう。
天空に布陣していた数万の軍勢も、もはや消滅。
ゲートも当然消え去り、頭上には暗澹たる厚い雲だけが再びたちこめていた。
天界軍『勇気』の軍勢、全滅。
軍団長『七神徳』の一人、『勇気』のハムシャリエル、死亡。




