22 天の軍勢
邪悪の山の頭上には、怠惰竜ベルフェゴールがその邪気によって生み出したものと思われる暗雲が立ち込めていた。
竜が面倒を避けて山から去った後も、暗雲はその余韻とでも言うかのように厚く濃かったが。
その暗雲から突如光が差し込んだ。
俗に『天使の梯子』とか言われるらしい薄明光線が雲を割って伸び、しかもその光線がどんどん大きく雲を斬り割っていく。
ついに厚い暗雲は光に両断されて、左右へ大きく広がった。
さながら雲の扉であるかのように。厚く閉ざされた門が開いたのだ。
そして開いた扉からは目も眩むばかりの光が降り注いだ。
僕の後ろにいるライレイ、リズ、ヨーテ。誰もが眩さに耐えきれず目を瞑ったり顔をそむけたり、また両腕で顔を覆ったりした。
僕だけが真っ直ぐに空を見上げた。
「空に、大きな時空の歪みがある。あれが…………!?」
「そうです! 天界軍が地上へやってくるために開く次元の穴――、ゲートです!」
やがてそのゲートから、眩い光以外の者も姿を現す。
人だ。
翼の生えた人だ。
背中から伸びる一対の翼で、大きく空気を掻きながら空に浮かぶ人間。
次々ゲートから現れ、すぐさま空を覆い尽くすほどの数へと膨らんでいく。
それこそ何万という数で、先に遭遇したオーク軍とも引けを取らない数だ。
「あわわわわわわ……! 来た来た! マジ来た……!」
「さすがに何万ってアホが空に浮かんでる様は何度見ても壮観ね。……どうする? アタシのシャイニング・プライドで先制攻撃行っとく?」
「あの浮遊能力、もう一回欲しい……」
軍団長ズはメス化しながらも、オーク王経由で竜から渡された『七凄悪』の力に遜色がない。
だからいざ合戦となれば充分戦力となるだろう。
しかし……。
「キミたちは下がって。僕に任せて……」
そんな彼女たちをあえて制し、僕は相手の様子を窺う。
相手は僕たちの存在に気付いているのだろう。
何万をも擁する天界軍の群体から一人の翼持つ者が離れ、こちらへとやって来た。
ソイツは明らかに特別な気配を身にまとっていて、他の翼持つ者に命令することができると一目でわかった。
他よりも一際大きな翼を持ち、まとう鎧も煌びやか。
顔つきすらも偉ぶった男が、空から僕たちを見下ろす。
「暗闇の荒野を切り拓き、道を作るために必要なのは『勇気』。あらゆる困難に立ち向かうことができる『勇気』」
「誰だお前は?」
「清く麗しい天界軍を率いる七人の勇士『七神徳』。そのうちの一人『勇気』を司る大天使ハムシャリエル。醜く汚らわしいオークどもは誰一人、我を恐れさせることはできない」
『七神徳』。
これまで散々噂に聞いてきた。オーク軍における『七凄悪』と対を成す天界の強者。
『信仰』『愛』『希望』『節制』『知恵』『勇気』、そして『正義』。
それら清く正しい七つの象徴を割り当てられた最強の戦士たち。その一人がついに現実に僕の前に現れた。
「……で、これはどういうことかね?」
天より降りてきた『勇気』の戦士は、侮蔑するような態度で言う。
「ゲートを潜り、清浄なる天界から穢れに満ちた地上へ降りる。さすればそこにはいつものように、醜く不快なオークどもが待ちかまえていると思いきや、まったく見当たらない。いるのはお前ら四匹程度。拍子抜けの空虚さだな。羽虫とてもう少しまとまりがあるだろうに」
と翼持つ者は、手をはためかせて虫を追うジェスチャーをする。
「一体内が起こったのだ? まさかあの臆病者スプラウドの姦計が図に当たったと言うつもりではあるまいな?」
やはり天界軍は、意図的にオーク軍と竜をぶつけ合わそうとしていたのか。
僕は答える。
「オークの軍勢には、僕が頼んでお引き取りしてもらった。僕自身がお前ら天界軍と相対したくてね」
「そう言う貴様は何者だ? ……いや、何者であろうとも関係ないか。滅ぼすべき汚れオークであることは変わらぬ」
その言葉通り、ヤツのこちら側へ向けられる視線は、とても同じ知性体に向けられる視線ではない。
虫か、汚物でも見るかのような目だ。
「もういい消えろ、オークなど視界のうちに置くだけで不愉快だ」
こちらへ手の平を向ける、その手の平へ眩い光が集まる。
圧縮された光弾は放たれ、狙い正しく僕へと向かうが。僕は何もしなかった。
顔面に命中し、そのまま何事もなく光弾は飛散する。
「なにッ!?」
恐らく砕け散るのは僕の体だと思ったのだろう。そうならなかったことに驚きを隠しきれない有翼人。
生憎だがそんな光弾、リズのシャイニング・プライドの足元にも及ばない。
「我が全力の百分の一……、いや千分の一の攻撃であろうとも通じぬとは。何者だ貴様? 我は『七神徳』が『勇気』の大天使ハムシャリエル!!」
それはさっき聞いた。
みずからを顕示するのが大好きらしいハムシャリエルとやら。
そして僕の方も、聞かれたら答えてあげるが世の情け。
「僕の名はゴロウジロー。通りすがりのハーフオークだ」
「ハーフ、オークだと……?」
「僕は実家から出てきたばかりで何も知らなくてね。この世界の成り立ちやオーク軍のこと、お前たち天界軍のことも。だからこの目でたしかめたくなった」
たしかめる必要があると思った
故郷に残してきた妹たちにとって危険かどうかを、しっかりと。
「たしかめる……? 思い上がるな汚物ども!」
何故かハムシャリエルが怒りだした。
「貴様に試す資格などない! それは我々のすることだ! 森羅万象あらゆる事象は我ら天界人の審判を経て、有価値か無価値かの判断をされる。何故ならば、我ら天界人こそが全次元においてもっとも優れた存在だからだ!!」
ハムシャリエル、自己陶酔するかのように言う。
「三千世界のいかなるものも、我ら天界によって管理されなければならない。審判を免れてはいかんのだ! そして無価値と判断されたものは存在してはならない」
「何……!?」
「この世界の者たちは、大神ヴォータン様によって無価値であると判断された。だからこの世界は消えなければならない。我らの許しなく存在することは、それ自体が罪なのだ!! 見よ!」
ハムシャリエルは、己が背後に大挙する何万もの自軍に向けて手を挙げた。
それが合図となり、天の軍勢は一斉に身に着けているマントや、マフラーを解いて広げた。
すると不思議なことに、降り畳まれた布の間から体積を無視して零れ落ちた…………!




